第98話『協力関係』
「――あれからひよりの様子はどうだ?」
小夏と二人、通学路をそれた道をのんびりと歩いていた。
もうそれなりに低い位置にある太陽が、俺たち兄妹の影をあぜ道に映し出す。風が吹けば草花が揺れ、耳をすませば近くを流れる小川の音が聞こえてくる。
「どうって言うと?」
「佐々木たちにいじめられていないかってことだ」
「何も無いよ」
そんなのどかな風景には似合わない話題に、小夏は眉一つ動かすことなく淡々と答える。
そよそよと吹く風が隣を歩く小夏の香りを運んでくる。甘い柑橘系の優しい香り。そして、あまりこの話題に触れたくないという拒絶の香りがした。
「素っ気ないんだな」
「何が?」
「友達のことなのに冷たい」
「何も無いならそれでいいんだよ。気を張りすぎていたらいざという時に動けない。あと一つ訂正させてほしいところがあるんだけど」
「? なんだ?」
その刹那、隣を歩いていた小夏が姿を消す。正確には消したわけではない。歩みを止めただけで、もう一歩進んだところで振り返れば、真剣な眼差しで俺を見つめる小夏と目が合う。
「花澤さんは友達じゃない――親友だよ」
さぁぁぁ――と、俺と小夏の間に風が吹き抜けた。
「私のかけがえのない親友。さっきお兄ちゃんは素っ気ないとか、冷たいとか言ったけど、私は誰よりも花澤さんのことを考えているよ」
「……そうか。今日の夕飯何食う?」
「オムライスとかどう? 久しぶりにお兄ちゃんのオムライスが食べたいなぁ」
「仕方ないな。ならこのまま商店街に寄って材料買わないと」
……俺は逃げた。逃げてしまった。
分かれ道で、舗装された小綺麗な道と、茨で覆われた危ない道があるのなら、人は誰しも舗装された道を選ぶだろう。だから俺が選んだ道は一般的な視点ならば正しい判断。
けれど、この分かれ道は怪我をしてでも茨道に踏み込むべきだった。俺の抱いている既視感の正体を知るためにも躊躇してはいけない場面だったはずなのに。
何を恐れた? 俺は何を怖がってしまったんだ。
いや、そんなのは分かりきっている。小夏との関係が壊れることを俺は恐れたのだ。何も知らなければ幸せというのは正しくこういうことを言うのだろう。
俺は小夏との今の関係を続けたい。兄妹という世界でたった一つだけの特別なこの関係を断ちたくない。
「……ねぇ、お兄ちゃん。私って酷い妹かな?」
「突然どうした」
「お兄ちゃん、すごい困った顔をしてる。分かるよ。私が困らせているんだもんね」
「別に困ってなんかいないぞ」
「そんな優しい嘘が私に通じると思っているの?」
なるべく普通に答えたつもりなのに、小夏には俺の嘘は筒抜けだった。
それもそうだ。少し考えれば分かること。俺が小夏の些細な変化に気づけるのなら、小夏もまた俺の変化に気づける。俺たちはこれまでずっと互いを支え合って生きてきたのだから――。
「……この世界は嘘で満たされているって、お前はこの町に来た初日に言っていたよな」
きっとこれは小夏がくれた最初で最後のチャンス。この機会を逃してしまっては今後何も答えてくれないだろう。
俺は大きく息を吸い込んだ。新鮮な空気がもやもやとした心の中を浄化していく。
大丈夫――落ち着け。冷静さだけは欠かせちゃいけない。俺が今から訊ねることは、冷静さを失った瞬間に今まで自分自身を保っていた何もかもが崩壊するような危険な質問だ。
もう一度深呼吸をして俺は小夏の紅い瞳を見据えた。
小夏もここまで来たら覚悟を決めているのだろう。俺から目を逸らすことなく、ただ俺が口を開くのを待っていた。
「それにこうとも言っていた――長い長い夢の物語と。……なぁ、小夏。ここは本当に現実なのか?」
「……」
俺の質問に対して小夏は無言を返した。何も言い返さないのであればそれは肯定を意味する。
ああ……ここで即座に反論したり、馬鹿なことを考えているんだねと一蹴してくれた方が嬉しかったのに……。
ここは現実ではない。
小夏の言葉を借りるのであれば、夢の中というのが最も適切な例えなのだろう。ならば次に俺が訊ねることは決まっていた。
この既視感の正体を知るためには避けては通れないこと。口にするのすら馬鹿らしいことだが、ここが夢の中だと分かった以上、非現実的なことが起きてもおかしくはない。だから俺は意を決して小夏に訊ねる。
「この世界――この夢は……繰り返しているのか?」
俺がそう言うと、小夏は驚いたように目を見開いた。
俺の口からそんな言葉が出てくるなんて予想もしていなかった――そんな表情だ。
そしてそれは小夏の致命的なミス。ここで自然体を装って誤魔化すことができればこの話はここで終わりだった。でも――戸惑いは肯定を意味する。
小夏は選択を誤った。そして俺はもう引き返せない。元に戻る道は崩れて消え去り、振り返ってもあるのは暗闇だけ。
「……そうだよ」
諦めたように、そして困ったように笑いながら、小夏は答えた。
なんで……お前までそんな顔をするんだよ……。
口の中に鉄のような味が広がる。無意識のうちに唇を噛んでいたらしい。それに気づいたらヒリヒリと唇が痛み始めてくる。
痛みというのはいつもそうだ。遅れてやってくる。気づくのが少しでも遅れたら取り返しのつかないことになっていることだって多い。
「お兄ちゃんの言う通りだよ。この夢は――ううん、この世界は繰り返してる。もう数え切れないくらい何度もね。信じられる?」
「……俺は――」
言いながら小夏に手を伸ばす。どうしてこんなことをしているのか分からない。でも、今ここで小夏に触れていないと、小夏がどこか遠いところへ行ってしまいそうだった。
「お兄ちゃん……」
小夏も俺に向かって手を伸ばす。
ゆっくりと近づいていくお互いの手。やがてピタリと指先が触れ合った時、俺は覚悟を決めた。俺の知らない現実がどれだけ残酷だとしても、この手の届く範囲に小夏がいるのであれば信じよう。信じ続けようと。
「俺は――小夏を信じる」
小夏の小さな手を掴み、自分の胸の中に抱き寄せる。
小さな衝撃。そして小さな温もりが俺の胸に広がった。こんな小さな体にどれだけのものを抱え込んでいるのだろう。何も知らない俺には到底理解できない。
けど――信じることは出来る。
小夏の言うことならば何だって信じてあげることが俺には出来る。俺たちはそれほどまでに強い絆で結ばれている。互いを信じきっているのだ。
例え、世界中のありとあらゆる人間が小夏のことを信じないとしても、俺だけは何があっても信じる。最後まで信じ続けてみせる。
「……ほんと、お兄ちゃんは優しすぎるよ。なんでこんな非現実的なことを簡単に信じられるかな」
「分かりきったことを聞くな」
「ふふっ、そうだね、ごめん」
小夏は微かに笑いながら謝ると、片手だけ俺の背中に手を回し、力の限り強く抱き締めてくる。服越しとはいえ、体が密着する面積が増えたせいで心臓がバクバクと激しく鼓動し始めた。
これまでに感じることのなかった気持ちに俺は少し戸惑う。今俺が抱いてるこの気持ちは決して伝えてはいけない想い――実の妹に抱いていい感情ではない。
妹としてではなく、一人の女の子として好き――。
これだけは絶対にバレてはいけない。常人の域から外れている。もしこの気持ちが小夏にバレたら、これまで築いてきた絆にヒビが入り、鏡のように砕け散ってしまう。そうなったらもう二度と修復なんてできないだろう。
「……話を詳しく聞かせてくれないか?」
これ以上小夏を抱きしめていることは出来なかった。これ以上は本当に自分の気持ちが溢れてしまいそうだったからだ。だから無理矢理にでも話を転換させて意識を別のところに持っていく。
小夏が俺から離れると、温もりが消えていく。でも大丈夫。ちゃんと小夏は目の前にいる。本当にいなくなってしまった訳ではない。
一歩後ろに下がった小夏は俺と向かい合い、考え込むように数秒俯いた後に顔を上げる。そしていざ口を開こうとしたその時だった。
「――詳しく聞く前に、あたしも混ぜてくれないかしら?」
淡い花のような香りに振り返ると、いつからそこにいたのだろうか、夕暮れをバックに葵雪が佇んでいた。
「盗み聞きとは趣味が悪いですね。というより、邪魔だけはしないでって言ったの覚えてないんですか?」
「覚えているわよ。だからこのタイミングで出てきてあげたんじゃない」
雪のように白く、シルクのようにサラサラとした葵雪の髪が、一歩一歩こちらに近づいてくるたびに踊るように跳ねる。
この瞬間を待ちわびていたと、声に出さなくてもその表情を見れば明らかなことだった。
「……葵雪も知っているのか? この世界が繰り返していることを」
「知っているわよ」
即答する。髪をサッとかき上げ、腰に手を当てると、葵雪は話を始める。
「小夏から今聞いたと思うけど、ここは現実じゃない。現実に似せられて創られた夢よ。あたし達は何度もこの世界を繰り返しているわ。だからあいつら――佐々木たちのことね。あいつらがクソな奴らってのも知っていたってわけよ」
だからあの時知っているような口振りだったのか……。
「まぁそんな些細なことはどうでもいい。修平には記憶が無いのだから覚えている訳ないのだけど、この世界を繰り返してきた数だけあたし達は死を経験しているわ」
「……死、だと?」
どういうことだ? そう問いかけるように俺は小夏の方へ視線を移す。
「そのまんまの意味だよ」
答えを求めている俺に対して中途半端な回答をするつもりない小夏はきっぱりと答える。
「まぁ少し語弊があるけどね。確かに私たちはこれまで何度も死を経験している。だけど、どの世界でも確実に死んでいたわけじゃない。誰かが死んで、誰かが生き残る。全滅したことは一度も無いんじゃないかな」
ロープレの中のゲームのキャラを語るように、小夏は淡々とした口調でそう告げる。
「いつから世界が繰り返し始めたのか分からないわ。あたしも最初っから記憶があるわけじゃない。気づけたのはたまたま偶然なのよ。だからまだこの世界に関して分からないことは多いわ」
でも――と、葵雪は言葉は続け、俺の瞳を見据える。
ただ見つめられているだけだというのに、心の底から凍りついていくような冷たいおぞましさを感じた。
俺は葵雪のこの目を知っている。記憶には残っていないけれど、既視感としてはっきりと残っていた。
「この世界にいる限り、何をやっても許される。どんなことをしたって、誰かが死んでしまえば何もかもリセットされるんだから」
ゾッとした。
葵雪はこんな意味不明な状況を楽しんでいる。理不尽に死を与えられていることに怒ることもなく、俺たちの中の誰かの死を悲しむこともない。子どもが新しいおもちゃを与えられた時のように純粋で、そして無垢で――ああ、そうか。葵雪は壊れているのか。
「それくらいにしておいて下さい水ノ瀬さん。お兄ちゃんが怖がっているから」
「ふふ、ごめんなさい。じゃあそろそろ本題に入りましょう」
茶化すように笑う葵雪。この笑顔ももしかしたらツクリモノなのかもしれない。そう思うと、ただただ悲しい気持ちになった。
「これまでの世界で共通しているのは、あたし達の中の誰か――もちろん今この場にいない巡、椛、ひよりも含めるわよ? あたし達六人の中の誰かが死ぬと世界はリセットされて、修平と小夏が初めてこの町に来た日に戻る。最後の日――私と小夏は運命の日って呼んでいるこの日はその世界によって違うのだけど、今までの経験上7月7日を越えたことはない。というより、基本的には7月7日が運命の日になっているわ」
ここまではいいかしら? と、葵雪は首を傾げる。
俺は今言われたことを頭の中で整理しつつ、コクンと頷いた。
「――私たちの目的は一つ。この繰り返しを終わらせること」
葵雪がそのまま話をするのかと思いきや、小夏が話を始める。
しかしその言葉には明らかな矛盾があり、今度は俺が首を傾げる羽目になった。
「葵雪はこの世界に居続けたいんじゃないのか?」
「誰もそんなことは一言も言っていないわよ」
呆れたようにため息を吐いた葵雪は腕を組んで冷めた目線で俺を見つめた。
「確かにこの世界は色々と融通が効く。でもあくまでも夢なのよ。現実じゃない。この世界にいる限り、あたしはあたしのやりたいようにやるけど、目的としてはこの世界の秘密を暴き、最終的に現実に帰る」
なるほど。葵雪の目的はよく分かった。
ならばと、俺は小夏の方へ顔を向ける。協力するかしないかの判断は小夏に任せることにする。
「……小夏もそのつもりなのか?」
「……まぁね」
妙に煮え切らない返事だったが、小夏もそのつもりなら俺が断る理由もない。
「俺も協力する」
俺の答えに満足したのが、葵雪は嬉しそうに微笑んだ。
「修平ならそう言うと思っていたわ。ならひとまず、私たちが知っている情報の全てをあんたに教える。話すよりも手っ取り早い方法があるのだけど、正直この方法は修平が壊れる可能性があるから言葉で伝える」
それから俺は葵雪と小夏から知りうる限りのこの世界の秘密を教えてもらった。その中で分かったことは全部で三つ。
一つ目はこの世界は俺が想像していた以上に狂っているということ。世界が俺たちを殺そうとしていると言っても過言ではない。
二つ目は俺たちの中の誰かが死んでもすぐにリセットされる世界とされない世界があるということ。この差は葵雪の世界で多くなる傾向があるらしい。
そして最後――俺は葵雪たちの中の誰かと恋人関係でいたということだった。
一つ目と二つ目ですら驚愕する話だったのだが、俺にとって一番驚いたのは最後。だってそうだろ? それはつまり、俺と小夏が恋人同士になった世界だってあるということなのだから。
to be continued
心音ですこんばんは。
さてさて、小夏と葵雪、そして修平の三人で世界の秘密を暴いていく流れになってきました。
え?バスケは?と思ったそこのあなた。ちゃんとありますからね!!




