第92話『みんなが揃う夜』
「――お兄ちゃーん、帰った……よ?」
リビングに入ってきた小夏は目の前に広がる光景を前に、開けたドアを閉めることなくその場に立ち尽くして唖然としていた。
「どうしたの小夏。そんなところで止まっていたらあたしが入れないじゃ……ない?」
小夏の後ろからひょっこりと姿を見せた葵雪も、同様にぽかーんと口を開け、マンガのように目を点にしながら首を傾げる。
甘いお菓子と、爽やかなお茶の残り香に加えて、入れたばかりのアッサムティーの香りが漂うリビングには、あられもない格好をした椛とひよりが苦悶の声を上げていた。
その異様な光景を椛の友達だという巡という女の子と俺が、ティーカップを片手にニヤニヤしながら眺めているのだから、何も知らない小夏と葵雪が見ればこういう反応になるのは当然のことだった。
「小夏、葵雪。これはツイスターゲームと言ってだな」
「いやいやいや。それは見れば分かるよ!? 何がどうしてこうなってるのさ!?」
「時は30分ほど前まで遡――」
「遡らなくていいから」
「ういっす」
アッサムティー専用のミルクを注ぎながら俺は、まぁとりあえず座れよと、視線で小夏と葵雪を促す。
俺の意思を受け取った小夏はため息を吐きながら俺の隣に腰を下ろし、葵雪はというと、とても自然な流れでキッチンに入り、自分と小夏の分の紅茶を入れ始めた。
なんで初めて入る家のキッチン周りが分かっているのかなーと疑問に思った訳だが、小夏の刺すような視線を受け続けたままそれを訊ねるのは正直キツい。
まぁ紅茶を入れるくらい咎めるような事でもないし、目の前の問題を解決することの方が先決だ。
「まぁ事情を説明する前に、小夏にも紹介しておくな。何食わぬ顔で紅茶を啜っているこいつは風見巡。椛の友達らしい」
「よろしくね、小夏ちゃん」
巡がぺこりと頭を下げると、ワンテンポ遅れて小夏はぎこちなくお辞儀をする。
小夏は若干人見知りなところがあるから、慣れないうちはこんなもんだろう。そのうち俺と接するみたいに打ち解けてくれるはずだ。
「――ところで、椛とひよりはともかくとして、どうして巡までいるの?」
紅茶を入れ終えた葵雪が戻ってくる。
ふわっと広がる芳醇な香り――おそらくダージリンを入れたのだろう。ここまで香り高く入れることができるのはなかなかの手練れかもしれない。
「椛ちゃんが楽しそうにしていたから私も混ぜてもらおうと思ったんだ」
「……楽しそう? 声だけ聞くとゾンビが徘徊しているような感じしかしないわよ……?」
うー……、とか、あー……とかのくぐもった声だけ聞いてりゃその感想は的確だ。俺だって同じ感想を抱いてる。これが某ゲームなら何の躊躇いもなくショットガンを撃っているところだ。
「うー……ひ、人を……ゾンビって……言わないでぇ……欲しいんだよ〜……」
色っぽいとは言い難いが、それなりに艶かしい声を漏らしながら、指示された通りの場所に手と足をつき、産まれたての小鹿のようにプルプルと震えている姿を見ていると、男の本能が変に刺激される。
脇腹をつついたり、背中の筋に指を這わせたい衝動に駆られるが、実行に移したらただのセクハラだ。俺は込み上げてくる悪戯心を押し殺しながら甘いアッサムティーを啜る。
「……ねぇ、お兄ちゃん。もうこの際、ツイスターゲームを始めた理由とかどうでもいいからさ――襲ってもいい?」
手をくねくねと動かし、息を荒くする妹の姿を見て、俺は押さえ込んだばかりの理性を解放させることに決めた。
「よーし、襲うかー」
「あたしも参加するわ」
ガタッと椅子を引く音を揃えて俺たちは立ち上がる。
赤信号みんなで渡れば怖くない精神の現れの瞬間だった。
「私はビデオ撮影しておけばいい?」
スマホをビデオモードに切り替えた巡はニコリと笑顔を浮かべる。
「……ひ、ひよりの、こんな……姿……撮らないで、くださ――ひゃんっ!?」
「……」
背中の筋に沿って指を這わせてみたら、予想以上に良い声が出た。
ひよりは目に見えて顔を赤くしていく中、俺は指先をひよりの背中に当てたまま、涙目で睨んでくるエメラルド色の瞳からそっと視線を逸らした。
「……っ、っ!!」
「ふっ……ふふっ」
逸らした視線の先では小夏と葵雪が必死になって笑いを堪えており、巡は巡で真顔でビデオ撮影を続けていた。
ふと、巡がスマホの画面から顔を上げて俺を見る。画面越しに俺が見ていることに気づいたのだろう。しかし、視線が合わさったのは一瞬だけ。純度100%の純粋な悪意をひよりと椛に向けた。
「……ま?」
やれ――そう巡は無言の圧力を掛けてきているのだ。
「……」
何故か分からない。何故だか本当に分からないのだが、冷や汗が止まらない。ここで巡の圧を無視すれば、何かとてつもなく嫌なことが俺の身に降り注ぐ予感がする。
「しゅ、修平さん……?」
「……悪いな、ひより。誰だって自分の身が一番可愛いんだ」
「ちょ、ま――あンっ!!」
脇腹をつつくと、ひよりはくすぐったさのあまりビクンと体を強ばらせた。その拍子に服が捲れ、形のいいおへそが姿を見せる。
「ふむ」
女の子としてだいぶアウトな格好になってきたひよりをマジマジと見つめながら俺は唸る。果たしてどこまでが許されるラインなのだろうか? 二秒ほど考えた末、俺は一つの結論に辿り着く。
「うん。下着が見えた訳じゃないからセーフだな」
「アウト!! アウトで……んッ!! だ、ダメ……やめて修平さ、ん……っ!!」
おへそを中心に円を描くように指を這わせると、ひよりはくすぐったさに耐えるように体をビクビクと震わせる。
意地でも体勢を崩そうとしないのは、あくまでもツイスターゲームの真っ最中であり、椛に負けたくない一心だからに違いない。ならばその闘争心が続く限り、何をしても許される。
「うわぁ……お兄ちゃん満面の笑みだね」
「ああ。こんなにも心躍るのは久しぶりかもしれない」
「クズね」
「どうしてか分からんが……葵雪にだけは言われたくないぞ?」
何やともあれ、ひよりの体を自由にしていいと言われたのであれば弄り倒すしかない。
※言われていません。
「こ、この勝負……わたしの、勝ち……なんだよ」
手と足を大きく広げて、ひよりを跨ぐようにブリッジしている椛は勝ち誇ったように笑顔を浮かべるが――
「えっ? 何言ってるんですか、小此木さんにも今から同じことしますよ?」
「……」
――小夏の冷酷な宣言を食らって一瞬で真顔になる。
アーメン、椛。自分だけ逃れることが出来るだなんて甘い考えをするべきではない。俺の妹は一人だけ見逃すなんて優しい性格はしていないのだから。
「それはそうと修平。今夜泊まりたいんだけど」
参加すると言っておきながら、俺たち兄妹のイジメ現場を傍観している葵雪は、何の前置きもなく淡々とそう告げた。
「いいぞー」
そして俺は迷うことなくオッケーを出した。
この一連の流れ、約三秒である。
「……泊まると言った張本人であるあたしが言うのもあれだけど、あっさりしてるわね」
「女友達が家に泊まるなんてシチュエーション、男なら誰だって憧れるからな」
アニメやゲームならこの後の展開は何となしにお約束が決まっている。しかし俺は、その時間が楽しく過ごせればそれでいいとしか思わないから、どんな展開になろうとも、そこに楽しさがあればそれでいい。
今の状況を例にあげるなら、他のメンツも全員泊めさせて、朝までゲームパーティーとかしたら絶対に楽しいだろう。
「一応言っておくけど、あくまでも泊まるだけだから、それ以上の期待はしないで頂戴?」
「安心しろ。元より期待していないし、そういうことは例え迫られたとしても、好きな人以外とはしない主義の人間だ」
「……現在進行形でセクハラをしている人間のセリフとは思えないわね」
俺の指先はこうして葵雪と話している間もひよりの体をくすぐり続けていた。ひよりは漏れそうになる声を歯を食いしばって必死に堪えているが、それでも押さえきれない艶かしい声が時々漏れる。
はっきり言おう。始めたはいいが、どのタイミングで終わらせるべきなのか考えてなかった。
ちらり――と、隣で妨害という名のセクハラをする小夏を見ると、どうやらお互い同じことを考えていたようで目が合う。
「……」
「……」
その瞬間、何故かお互いの心に闘争心が芽生えた。
ひよりと椛。どちらを先にダウンさせることができるか――人を巻き添えにした実にしょうもない戦いであるのは間違いない。
しかし、お互い譲れないものがある。勝ちか負けかの二択しかないのなら当然勝利を掴みたい。勝利の快感を得るためならば俺は手を抜くつもりはない。
「うわ、なんか修平くんも小夏ちゃんもまともなこと考えていない目をしているよ……」
スマホから顔を上げた巡は、俺たちの無駄に引き締まった表情を見て苦笑いする。
勝負の内容はさておき、勝負事は常に全力の精神が俺と小夏にはある。転校前に所属していたバスケ部での教えだ。
どんな危機的状況でも、諦めずに全力を尽くすことで、どんな結果になろうとも次に繋げることができる。敗北は確かに悔しい。けれど、その悔しさが人をどこまでも強くする――そう俺たちに告げたコーチは今もきっと素晴らしいバスケを教えているのだろう。
※昔を懐かしむように話していますが、実は引越し前日に会っています。
「あ、小夏ちゃん。私も泊まっていい?」
「? なんで私に聞いたのか分かりませんけど、断る理由は無いです。というかもういっそのこと、みんなでお泊まり会でいいんじゃないの?」
小夏がそう言うと、葵雪は何故か俺のことをじっと見つめ、顎に手を当てながら何か考え込む。
数秒そんな状態が続いた後に、葵雪はぱっと視線を俺から外して周りを見渡した。
「そうなると、修平の毒牙にかかるのは誰になるのかしら? ……あたし?」
「お前人の話何も聞いてないだろ? なんだ? 欲求不満か? そういう時はバッティングセンターにでも行ってホームラン打ってこい」
「この町にそんな便利なストレス解消の場があるとでも?」
「……」
この町には希望がなかった。
娯楽施設の無いこの町で、果たして都会人であった俺たち兄妹は生きていけるのだろうか?
「まぁ隣町に行けばそれなりに施設は揃っているわよ。あんた達が住んでいた街とは比べないで欲しいけど」
「明日あたり道案内してくれ」
「明日? 放課後ならいいけど……」
言いながら葵雪は俺から視線を外す。アメジスト色の瞳が向けられた先には椛を弄り続ける小夏の姿があり、それに気づいた小夏が首を傾げる。
「あんたも来る?」
「? ホテルですか?」
「ぶっ」
隣で話を聞いていた巡がアッサムティーを噴き出した。
「げほっ、がばっ、ごほっ!!」
「……巡。あんたね、もう少し女の子らしい咳をしなさいよ。おっさんみたいよ」
「おっさん……!?」
葵雪の言葉に巡は酷く傷ついたらしく、負のオーラを漂わせながらテーブルに伏せっていた。
「ホテルじゃなくて隣町よ。そもそもなんでホテル行くのにあんたも誘わなきゃいけないのよ」
完全に病んでしまった巡を気にかけることなく、葵雪は小夏との会話に戻る。俺も二人の会話に耳を傾けながらひより弄りを再開した。
「も、もう……やめて、ください……っ。んっあ! こ、声が、我慢……できない、んです……っ」
「ほら、この世には三人で愉しむやり方があるじゃないですか。まぁ実際のところ、ラブホに三人で泊まるのは断られる時が多いらしいですけどね」
「ンんンっ……!! そ、そこ、ダメです! 身体が……勝手に、反応……しちゃうっ」
「ああ、あたしも聞いたことあるわ。まぁ本来は二人で行くところだし、人数が多ければ多いほど得するホテルだからね」
「はぁぁぁんんっ! ふあっ、あん! も、もう……ひより、もう……んぁっ! んンっ!! ああぁあっ!!」
「話が逸れたわね。明日修平と隣町に行く流れになったんだけど、小夏も来るわよね?」
「んあああああぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
「あ、行きます。どうせなら皆さんで遊びに行きましょうよ」
ひよりの喘ぎ声が響き渡るリビングで淡々と会話を続ける葵雪と小夏。というかこれ、近所の人に聞かれたら通報されてもおかしくないレベルだよな。
全力でひよりを擽らせていた手を止めると、ひよりは荒い呼吸を繰り返しながら倒れ込んだ。
話している間、小夏は椛を弄る手を止めていたから、この勝負は俺の勝ちである。
「……」
「椛? どうした!? 顔が真っ赤だぞ!?」
「だ、誰のせいだと思っているんだよ〜〜〜〜〜!!」
そして我が家には椛の絶叫が響き渡るのだった。
to be continued
心音です、こんばんは。
今回の話、ひよりがただただ可哀想なだけの回でした。次回はみんなで隣町に遊びに行きます!




