第90話『交わされた契約』
「――じゃーん!! ここが水ノ瀬食堂!!」
やたらハイテンションな小春さんが連れてきてくれた場所は、半ば想像通りの年季の入った二階建ての家だった。
見た感じ一階が食堂で、二階が居住区画になっているのだろう。都会にもこういう店がごく稀にあるわけだが、やはり開発された土地にそのような店があると周りから浮いてしまう。しかし、虹ヶ丘のような田舎町ならば、都会とは違って味が出るし、景色に溶け込んでいる感じがしていいなと思う。
「ここのメインは見たまんま和食ですけど、スパゲティとかの洋食も少しだけあるんです。ひよりはここのミートスパが大好きなんですよ!」
「へぇ。まぁメニューを見てから判断するわ」
店の前にずっと立っているのも迷惑だろうと、俺たちは揃って店の中に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませー」
そんな俺たちを出迎えてくれたのは、雪のように白く透き通った髪の少女だった。アメジスト色の瞳がぐるっと俺たちを見渡し、俺と小夏の元へその視線が向けられた瞬間、驚いたような表情を浮かべる。
しかしそれは一瞬のことで、少女は笑顔を浮かべ直すと空いてる席に俺たちを案内してくれた。空いてる席と言っても、俺たち以外の客の姿は無かった。もしかしなくてもあまり繁盛していないのかもしれない。
「そっちの二人はともかく――見慣れない顔ね? こんな何も無い町に観光にでも来たのかしら?」
四人分の水を持ってきた少女は俺に話しかけてくる。やはり小さな町になると町の住人全員顔見知りみたいなものなのだろうか。
「んや、今日からこの町に住むことになってる」
「それは災難ね。こんな自然しか取り柄のない町に引っ越してくるなんて」
ここに来るまでの間、車の窓から外をずっと見ていたわけだが、都会には当たり前のようにあったショッピングモールや娯楽施設は一つも無かった。あえて触れないようにしていたが、この少女の言う通りならば本当に自然以外何も無いのだろう。死にたい……。
「地元民に言われると悲しくなってくるね……。お兄ちゃん、前みたいな生活には期待しないでおこ……」
「……そうだな」
持ってきてくれたお冷を喉に流し込む。思えば小夏と遊んだ後に水分補給をしていなかったからあっという間に飲み干してしまった。
「おかわりいる?」
「いる」
即答して空になったコップを少女に渡す。
渡した時に微かに触れた指先は温かかった。大袈裟な感想かもしれないが――生きているって感じがした。同時に思い出すのは小夏の手の異様な冷たさ。あれはまるで死人の冷たさだ。
「ああ、そうだ。あたしの名前は葵雪。苗字はこの店の名前と同じよ」
「水ノ瀬食堂葵雪か。よろしくな」
「ふふっ。水の代わりに熱湯をあんたの口に注いであげましょうか?」
口元は笑っているが、目は笑っていなかった。
何故だか分からないが、葵雪なら本当にやらかねないと頭の中で警鐘が鳴り響いている。実行に移される前に俺は口を挟んだ。
「軽いジョークだ。俺は修平。深凪修平だ。こっちは妹の小夏」
「よろしくお願いします」
小夏もコップに口を付けながらぺこりと頭を下げる。
よろしく。と、葵雪は一言残して厨房の中に消えていく。残された俺たちは葵雪が戻ってくるまでの間にメニューを決めておくことにした。
事前にひよりが説明してくれていた通り、八割がたのメニューは和食で形成されている。アジの開き定食やら肉じゃが、豚カツなど定番の和食はもちろん、金目鯛の煮付けや鮎の天ぷらなどの凝ったメニューもある。
「ひよりはいつも通りミートスパにしますけど、お母さん達はどうするんです?」
「そうねー、私は――」
と、小春さんがメニューを選ぼうとしたところで、愉快な音楽が鳴り響く。どうやら電話が掛かってきたらしい。
「職場からですか?」
そう訊ねる小夏に、俺はあれ? っと思った。どうして当然のようにそんな言葉が出てきたのだろうか?
「そう、みたい。ごめんなさい、今から職場に戻らないといけないみたいなの。お金は置いていくからみんな好きな物を食べて」
そう言い残すと、小春さんは荷物をまとめて立ち上がる。そのタイミングでちょうど葵雪が戻ってきて、コップいっぱいに注がれた水をテーブルに置いた。
「ごめんなさい。ちょっと仕事先から呼ばれちゃって食べていけなくなってしまったの」
「知ってますよ」
「えっ?」
驚く小春さんをスルーして、葵雪は反対の手に持っていた手提げ袋を掲げた。俺も、ひよりも、葵雪が何をしているのかよく分からずに首を傾げていたが、小夏だけはメニューに視線を落としたままでいた。
興味が無いと言うよりは何だろう……初めからこうなることを予想していたかのような反応に思えた。
「おにぎりよ。どうせこうなると思っていたからから作っておいたわ」
そして葵雪は俺が小夏に対して思っていたことをそのまんま口に出して小春さんに告げる。
小春さんは何か言いたそうにしていたが、仕事の問題の方が重要なのだろう。お礼を言っておにぎりを受け取るとそのまま店を飛び出していった。
「それで? あんた達は何食べるか決まったの?」
「私は生姜焼き定食でお願いします、水ノ瀬さん」
「生姜焼きが一つ……と。あたしも今日は生姜焼き定食食べようかしら」
メモを取るペンをくるくると回しながら葵雪は首を捻る。
「なら一緒に食べませんか? 暇そうに見えますし」
「ズカズカと踏み込んでくるわね……。まぁいいけど。あたし、あんたのそういうところ嫌いじゃないし」
「まるで初対面とは思えない口振りですね?」
「ふふっ、そうね。でも、あたしと小夏は初対面よ。もちろん修平もね」
「ええ、知ってますよ」
何事も無かったかのように葵雪と小夏は会話を始めたその一方、俺とひよりは未だに今目の前で起きた偶然とは言い難い出来事に困惑し続けていた。
「……なぁ、ひより。前にもこんなことあったりしたか?」
「いえ、無いです……。そもそもそこまで頻繁に食べに来るわけではないですから、ひより達の家の事情を話したこともないですし」
となると、葵雪がどうしてこんな展開になることを読めたのかどうやっても説明がつかない。それこそ未来予知でもしない限り不可能だ。
「なぁ、あゆ――」
心に溜まりつつあるモヤがこれ以上濃くなる前にと、どういうことか訊ねようとしたその時だった。
店の入口のドアが勢いよく開け放たれ、ドアの上部に付いていたベルが激しく鳴る。四角く切り取られた空間にはほんわかとした浮かべた淡い紅色の髪の少女がおり、こちらに――正確には葵雪に向かってぶんぶんと手を振っていた。
「やっほ〜、葵雪ちゃん。ご飯を食べに来たんだよ〜」
「あら、椛じゃない。あんたまで来るとは思ってなかったわ」
「ほへ? あんたまで?」
「ああごめん。こっちの話よ」
葵雪は何か意味ありげな笑みを浮かべ、椛と呼ばれた少女を手招きする。呼ばれた少女はトコトコと歩み寄ってきて、何の躊躇いもなく俺たちの座る席に腰を下ろした。
「遅かれ速かれ紹介することになるだろうから先に言っておくわ。この頭のネジが数本飛んでそうな子は小此木椛」
「ひ、酷いんだよ葵雪ちゃん……」
随分と雑な紹介をされた椛とやらは悲しそうな顔で葵雪を見上げるが、当の本人は何事も無かったかのように今度は俺たちの方を見下ろす。
そのアメジスト色の瞳は何もかもを見透かしているようで、俺は思わず葵雪から目を逸らした。
「……はぁ」
逸らした先には小夏の顔があり、こちらは何故か疲れたようにため息を吐いていた。
先程の出来事といい、この突然の来訪といい、小夏は何も気にしている様子はない。いつもなら嬉嬉として食いついてくるような話題なのに、当然のように受け入れているようだった。
……小夏もこうなることを知っていた……? いや、あまりにも馬鹿らしい考えだ。俺は頭を振って今浮かんだ考えを捨てる。
「で、椛。こっちは深凪修平とその妹の小夏。後輩の花澤ひよりよ」
「……あれ? ひより、葵雪さんに自己紹介しましたっけ……?」
首を傾げるひよりに葵雪は笑顔を返した。その笑顔は夜の森を一人で歩くように、心を奥底からざわつかせる。
深い森の中を進めば進むほど光は閉ざされ、出口が見えなくなってくる。出口が見えなければ、答えに辿り着くこともできない。このまま葵雪に何も訊ねなければ俺は永遠に森の中をさ迷い歩くことになるだろう。
「……なぁ、葵雪。お前は一体何を知っているんだ?」
だから俺は意を決して訊ねた。答えを知らなければこの胸のモヤはかき消せない。そんな不安定な状態でいるのは嫌だった。
「……」
「……」
耳が痛いほどの静寂が店内を包んだ。葵雪は作っていた笑顔を崩し、真っ直ぐに俺の瞳を覗き込んで何かを考え込んでいる。隣にいるひよりの顔は見えないが、伝わってくる視線から不安になっていることが分かった。
葵雪はこのまま何も言い返さないつもりなのだろうか? そもそも俺はどうしてこんな些細なことを気にしているのだろうか? そんなことを考え始めた時だった。
「――どうでもいいよ、そんなこと」
静寂を切り裂いたのは、俺でも、葵雪でも、椛でもひよりでもなく、沈黙を貫いていた小夏だった。
その声には微かに苛立ちが含まれており、小夏はお冷に浮かんでいた氷をガリッと噛み砕く。
「楽しくないよ。折角こうして新しい出会いがあって、これから楽しくなっていくかもしれないって時にお兄ちゃんはどうして変な方向に話を持っていこうとするの? らしくない」
「いや……それは……」
小夏の言い分はもっともだ。こんなの俺らしくない。しかし俺にはどうも、小夏が意図的にこの話題を避けようとしているようにも思えてしまう。
「な、何が何だかよく分からないけど〜……喧嘩はよくないと思うんだよ……?」
「そ、そうですよ。喧嘩なんてしたらそれこそ楽しくなくなっちゃいますよ?」
「小此木さんも花澤さんも、何か勘違いしてるみたいだけど、私は別に喧嘩しているつもりもないし、何なら怒っているつもりもないよ」
口ではそう言っても態度が怒っているようにしか見えない――そう思っても誰一人として反論することはできなかった。ただ一人を除いて。
「……あんたどうしたの? あんただって十分らしくないわよ」
「水ノ瀬さん。ここは何処ですか?」
「は?」
葵雪は唖然とする。当然だ。話をぶった切られた挙句、そんな意味の分からないことを訊ねられたら誰だってこうなるに決まっている。
「……ここはあたしの家。水ノ瀬食堂よ。それが何? 今この話に関係あるわけ?」
小夏の意味不明な態度が癪に障ったのか、葵雪は苛立ちを顕にしながら答える。答えを聞いた小夏はフッと笑うと、大きく首を振って葵雪を見つめた。
「いいえ、違います。そんな狭い話ではありません。もっと大きな話です」
「……あんた何を言ってるの……? これ以上意味分からないこと言ってると本気で怒るわよ?」
「まだ私が何を言いたいか分かりませんか。だったらちゃんと言葉にして教えてあげますよ」
小夏は――笑っていた。
満面の笑みで、俺が到底理解することの出来ない事実を葵雪に告げる。
「――ここは――私が主役の世界なんですよ」
「…………………………は?」
葵雪の表情からは怒りがすっかり抜け落ちていた。その代わりに、信じられない言葉を聞いたというように、驚愕の表情を浮かべて小夏を見つめる。
「ねぇ、水ノ瀬さん。水ノ瀬さんが最後に観測した世界は誰の世界でしたか?」
「ちょ、ちょっと待ちなさい。どうして小夏がこの世界の秘密を知っているのよ」
……最後に観測した世界? この世界の秘密……?
一体二人は何の話をしているんだ……?
「単純な話、記憶を引き継げるのは水ノ瀬さんだけじゃないってことですよ。それで? 水ノ瀬さんの記憶にある最後の世界は誰でした?」
有無を言わさぬ小夏の鋭い眼光に葵雪は一瞬だけ視線を逸らす。未だ戸惑っているアメジスト色の瞳には椛の姿が映っていた。
「……椛の世界よ。それがどうしたって言うの」
「違います。この一つ前の世界は水ノ瀬さん、あなたの世界ですよ」
小夏の言葉に葵雪は絶句する。驚きのあまり声が出せないとは、まさしく今の状態を指すのではないだろうか。
「そんなはずはないって言いたげですね。でも事実です。水ノ瀬さんが前の世界の記憶を引き継げていないだけ」
「……どうりで記憶に妙な穴があると思ったのよ。そういうことなら納得だわ。でも、あたしが自分の世界の記憶を引き継がないなんて何があったとしてもありえない。小夏、あんたあたしに何をした?」
「水ノ瀬さんなら、言わなくても何となく察することができるんじゃないですか?」
「なるほど。つまりそれが小夏の力ってわけね」
二人の話に全くついていくができない。手を伸ばせば触れられる距離にいるはずの葵雪と小夏が、酷く遠い場所にいるように感じた。
「……あ、葵雪ちゃん? 何の話をしてるんだよ……?」
「ごめん。ちょっと椛は黙ってて。あんたの力ならあたし達の会話が冗談でもない真実だって分かるはずよ」
「な、なんで!? どうしてわたしの力のことを知っているんだよ!?」
驚きのあまり大きな声を上げる椛だったが、葵雪は椛の問いに答えるつもりは無いらしく、歪な笑みを浮かべて小夏を見下ろしていた。
「それで? こんなことを話してあんたに何の得があるっていうのかしら?」
「取り引きをしませんか?」
「取り引き? 面白いわ。聞こうじゃない」
乗り気な葵雪に対して小夏はパチンと指を鳴らした。
「さっき言った通り、ここは私の世界です。だから水ノ瀬さんは邪魔をしないでください。面白くしてくれるのは構いませんけど、邪魔することは許しません」
「その対価として小夏は何をしてくれるのかしら?」
「前の世界の話を事細かく教えてあげますよ。知りたいでしょう? 自分の世界で何が起きて、どんな結末を迎えたのか」
「いいわ。取り引き成立よ」
言いながら葵雪は小夏に向かって小指を差し出した。
小夏は苦笑しながら差し出された小指に自分の小指を絡める。
「指切りですか。随分と可愛いことをしますね」
「知ってる? 本来の指切りは小指を落とすのよ。本当に切り落とすつもりはもちろん無いけれど、あたしらしいと言えばあたしらしいわよ」
「あははっ。確かに一理ある。さて、これで取り引き――いえ、契約とでも言っておきましょうか?」
「どっちでも構わないわ。あたしは小夏の邪魔をしない。小夏はあたしに前の世界の話をする。それさえ守ればいいだけの話なのだから」
絡めた指が解かれる。それと同時に葵雪は俺たちの方へ向き直り、パチンと指を鳴らした。
思考の世界から現実に引き戻された俺たち三人は未だ笑顔を崩さない葵雪を見上げる。
「さてと、そういう訳だから――悪いけどあなた達には今の会話の全てを忘れてもらうわ」
「ま、待て。聞きたいことが――」
「ごめんなさい。それはできない相談よ」
葵雪は俺の言葉を遮って悲しげにそう告げると、小さな声で呟いた。
「……修平、椛、ひよりは、あたしと小夏の会話を何も聞いていない」
その瞬間、俺は――いや、俺たち三人はこれまでの会話の全てを忘れ去った。
to be continued




