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Life -刻の吹く丘にて-  作者: 心音
Episode of Konatsu
89/166

第88話『支え合うこと』

「……ごめん……お兄ちゃん。はぁ、はぁ……私もう我慢出来ない」


「……俺もだ。流石にこれ以上は……耐えられない」


荒い息を繰り返す小夏の手を握りしめる。汗ばんだ手のひらは熱っぽく、そしてそれ以上に全身が逆上せたように火照っていた。


「ん、はぁ……もう足が……ガクガクだよ」


「ここまで来たんだ……最後まで、行こう」


「最後までって言うけどさ……お兄ちゃん……っ」


小夏はもう耐えきれないと言うように、両手に持っていた荷物を、中身がどんな惨状になるか気にせずに放り投げ、開放された両手を大きく広げて青く澄んだ大空を仰いだ。


「ここ――何処なのさぁぁぁぁぁあああああ!!」


「俺にも……分かるかぁぁぁぁぁあああああ!!」


兄妹揃って絶賛迷子中だった。都会とは違い、目印となる建物も何も無いこの町は方向音痴を殺しにかかっている。

町を歩き始めて早三時間。いくら田舎とは言えども、そろそろ住宅街くらい見えてもいい頃だと思っているのに、辺りの景色は変わらないどころか、より一層緑が濃くなっているような気がしなくもない。


「くっそ、もしかして降りる出口間違えたか? 反対方向に進んでいたとかだったらシャレになってないぞ」


「もしかしなくても反対方向に進んでいると私は思う。どうする? 今から引き返してみる?」


「ワンあるが、ここまで来て引き返すのも馬鹿らしいとは思わないか」


「お母さんから聞いた話だと、新居まで駅から20分くらいの場所らしいよ」


「なんでそれを先に言ってくれないの!?」


堪らず叫んでいた。同時に必死に押し殺していた疲れがどっと押し寄せてくる。

舗装されていない道でキャリーバッグを転がし、反対の手には中身がパンパンに詰められた旅行用のショルダーバッグを持って歩くこの辛さが分からない訳がない。


「いや、なんて言うか……お兄ちゃんの努力を無駄にしたくなかった?」


「無駄になったよ!! 俺の努力は今この瞬間に全て無駄になったわ!!」


「まぁそんなカリカリしないでよお兄ちゃん。糖分足りてないんじゃないの? チョコレート食べる?」


「食べる」


差し出されたチョコレートの銀紙を剥がして口の中に放り込む。長時間暖かいところを歩いていたから、チョコレートは溶けて柔らかくなっていたが、疲れた体にじんわりと染み込んでくる甘さは控えめに言って最高だった。


「……戻るかぁ」


お昼ご飯の時間はとっくに過ぎていた。今から戻れば夕飯の前には新居に辿り着けるかもしれない。

俺たちは踵を返して来た道を引き返していく。足取りは当然重たいもので、俺は早くも挫折しそうになっていた。このまま無言で歩いているのは辛い。とは言え、特に話す話題も無いわけだから、俺は小夏に助けを求めることにした。


「……?」


俺の視線に気づいた小夏は一瞬首を傾げるも、すぐに俺が言いたいことが分かったようで微笑を浮かべる。


「ねぇ、お兄ちゃん。人はどうして働くんだと思う?」


のどかな田舎道を歩きながらするには似合わない話題だったが、話の内容自体には興味があった。穏やかな春の陽気を肌で感じながら、俺は小夏の話に耳を傾ける。


「単純な話、この社会で生きる為にはお金が必要だからだよ。お金が無ければ食べることも、飲むこともできない。服を買うことだってできないし、私たちが当たり前のように使っているスマホの通信費だって払えない。だから私たちは働くしかない。働いてお金を稼ぎなさい――それが社会のルールなんだよ」


人として生まれてしまった以上、社会の枠組みに嵌って生きていくしかない。その枠組みから外れてしまうと、人は社会不適合者と呼ばれ、周りの人間に軽蔑されてしまう。

自由に生きたい――そう思うのはおかしなことなのだろうか?


「私たちはまだ学生だから、勉強をすることが仕事。勉強で得た知識を将来働く時に活かす為に、私たちは学校という名の監獄に閉じ込められる。学校に行くことが苦でないのであればきっと、将来ちゃんと働けるんだろうね」


「俺は別に苦ではないな。そりゃまぁ、多少めんどくさいって思うこともあるけど、学生である以上学校に行くのはもはや当然のことと言うか」


「ふふっ。なら、お兄ちゃんは将来立派な社畜予備軍だよ」


……嫌な言葉を使いやがる。


「でもね、お兄ちゃん。社会に出るということは必然的に責任という重しが常に付き纏うことになるんだよ。学生のうちは親がその責任を背負ってくれる。でも、社会に出たらそんな甘い考えは捨てなければならない。親が今まで背負ってくれた分、今度は私たち自身が責任を背負って生きていくんだよ」


仕事と責任はイコール関係。切っても切り離せない絶対的な鎖なのだ。そうして社会が成り立ってしまっている。この現実を変えることはもう二度と出来やしない。


「――でも、そうだとしても、私はこう思っちゃうよ。自由に生きたいってね。責任なんてクソ喰らえ。そんな重たいものを当然のように押し付けるな――そう思わずにはいられない」


そこで俺は気づいた。小夏はこの社会の仕組みが許せないのだと。学生という身分を活用して、社会の理不尽さを訴えているのだと。


「好きなことを我慢してまで何の為に働くの? その答えは初めに言った。生きる為にはお金が必要だから。でも、毎朝早起きして、豚小屋のような電車に詰められて会社に向かって、クソみたいな上司の有難いお言葉を頂いて、ボロボロになって家に帰って――そんな辛い思いをしてまでどうして働かなきゃいけないの?」


小夏の意見はもっともだった。何一つ間違ったことは言っていない。今の社会には自由が無さすぎるのだ。将来必ず働くことになるにせよ、今自分が学生という立場であることに安堵してしまう。


「やりたくないことを嫌々ながらやってもどうせ長続きしない。仕事に面白さを感じられないようなら、ストレスだけが溜まっていく。私たちは社会に飼い殺される為に生まれてきたんじゃない」


「辞めたいなら辞めていいって簡単に言うけど、辞めたら辞めたでお金が手に入らない。お金が無ければ生きることができない。……不条理な世界だな。自由とお金は絶対にイコール関係にならないのか」


俺の言葉に、小夏はそうだよ。と、頷く。

何かを得るためには何かを失う必要がある。アニメや漫画でしか聞かないようなセリフだけど、こうして今の現実を簡単に例えられてしまう。

悲しいことだと俺は思った。社会の仕組みに嘆かずにはいられない。将来、俺は今みたいに笑っていられるのだろうか? いつしか笑顔の作り方すら忘れてしまうのではないだろうか? そんな不安が津波のように押し寄せてくる。


「――人は一人では生きられない」


ポツリと呟かれた言葉に、俺は自然と小夏の方へ顔を向けていた。その横顔は笑っていた。どうしてこんな話の最中に笑っていられるのか、俺は不思議で仕方なかった。


「私たちが社会に縛られているのは絶対だけど、同時に支え合いの中で生きている」


俺の視線に気づいた小夏は振り返り、柔らかな笑顔のままそう言葉を続けた。

何年も見続けてきた小夏のその笑顔は俺の中で渦巻いていた不安を消し去り、安心という名の安らぎを与えてくれる。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん。どんなに不条理な世界でも私がいるよ。私たちは世界でたった二人きりの兄妹なんだからね」


「小夏……」


「将来、どんなに辛い現実が待ち受けていようとも、お兄ちゃんの隣には私がいる。そして支え続けるよ。一人じゃ辛い現実も、二人ならきっと……少しはまともになるかもしれない」


小夏の優しい言葉は雪のように胸の内に溶け込んでいく。ついさっきまであんなにも曇っていた心が、雨上がりの空みたいに晴れ渡っていく。


「お兄ちゃんのことは私が支える。だから、私のことはお兄ちゃんが支えてね。二人で乗り越えていこう? 二人なら辛い現実の中でも生きられると思うんだ」


小夏の言葉には不思議な力がある。それは魔法と呼んでもおかしくはないかもしれない。おかげで俺の心は平常心を取り戻していた。

だからこそ、同時に俺は思い出してしまう。こういう話のあとの小夏は――


「あ、支え合うけど、働くのはお兄ちゃんね!」


――自分の言葉を一瞬で台無しにするような言葉を放つのだと。


「……じゃあお前は何をするんだよ」


堪らず俺は訊ねていた。まともな返答には期待していない。それでも訊ねずにはいられなかったのだ。

自然に振り上がっていく右手。頭では冷静さを装っているのだが、体の方は正直だ。今すぐにでも小夏をぶん殴りたいらしい。


「家事。掃除や洗濯をして、ご飯を作って愛しいお兄ちゃんの帰りを待ってるよ。そして、肉体的にも精神的にも疲れている体はきっと妹を欲している。お兄ちゃんは自分の感情を抑えきれず私を――いったぁ!? なんで!? 殴ることないじゃん!?」


殴られた小夏はその場にしゃがみ込み、涙目になって俺のことを上目遣いで見上げていた。

振り下ろした右手は小夏の頭に鈍い音を響かせた。力加減は一切しなかった。する気がなかった。どうやら小夏のことを再教育する必要があるらしい。


「んなエロゲみたいな展開あってたまるか!! お前は俺をどんな兄だと思っているんだよ!! つか支え合いはどこにいった!?」


「支え合いの中に!! エロがあってもいいじゃん!! お兄ちゃんは嫌なの!?」


「何が!?」


「私と……その……するの……嫌?」


ほんのりと頬を紅く染めて小夏は俯く。最後の方は正直声が細くなりすぎて聞き取れなかったが、するの……の部分だけはしっかりと聞き取れた。


「そこで!! 恥じらうな!! ネタならネタらしく最後までやり通せよ!! 反応に困るだろうがっ!!」


俺も多分小夏に負けないくらい顔が赤くなっているに違いない。けれど、そのことを小夏にバレることがどうしてか嫌で、無理やり声を張り上げていつも通りを演じる。

小夏は相当恥ずかしかったらしく、俺の様子がいつもと違うことには気づく余裕は無さそうだった。加えて、赤くなった顔を隠すために俯いているから、表情を直接見られない限りはバレる心配は無いだろう。


「……」


それにしても。と、俺はふと思う。

年相応の反応をする小夏。いつもずっと一緒にいたからこそその変化に気づかなかったのかもしれないが、昔と違ってだいぶ女の子らしくなった。

冷静に考えれば、人は成長していくものだからそんなことは当たり前。でも、俺は今この瞬間に初めて、小夏の成長を実感した。


「まぁ……あれだな」


未だに俯いたままの小夏の頭にぽんと手を置き、俺は言葉を続ける。


「小さい頃からずっと互いを支え合ってきたんだ。今更な話だろ」


どんな時でも俺と小夏は一緒だった。

それはきっとこれからも変わることはないだろう。

だって俺たちは世界でたった二人きりの兄妹なのだから。この空が何処までも続いていくように、俺たちの兄妹としての関係はこの先永遠に続いていく。

この絆は紛れもない本物。それは微かな穢れも存在しない水晶のように純粋なもの。誰にも踏み込めない神秘の領域。


「……うん。そうだね。私たちはずっと一緒だもんね」


頭に置いたままの手に、小夏は自分の手を重ねる。

その手は電車に乗っていた時に比べればマシだが、それでも冷蔵庫を開けた時に感じる冷気のようにひんやりと冷たい。

これほどまでに小夏の手は冷たいものだっただろうか? この季節に冷え性? いや……そんなことはないはずだ。今年の冬、小夏の手をにぎにぎして温まっていた記憶がある。


「……お兄ちゃんの手は温かいね」


「……」


逆にどうしてそんなに冷たい手をしているんだ? そう訊ねようとして何故か思いとどまる。どうしてこんな簡単なことを聞くだけなのに、冷や汗が止まらないのだろう……?


「……あれ? 見て、お兄ちゃん」


「ん? あ、ああ。どうした?」


「ほらあそこ。あそこに落ちているのってバスケットボールじゃない?」


「え? あ、本当だ」


あぜ道のちょっとした溝のところにバスケットボールが転がっていた。どうしてこんなところにこんなものがあるのだろうか。


バスケットボールを取りに行く為に小夏は立ち上がって一人で歩き出す。空いた右手がほんの少しだけ寂しい気持ちが生まれたが、いつまでも突っ立っているわけにはいかず、俺も小夏のあとを追うことにした。


「すごい綺麗なボールだよお兄ちゃん。空気もちゃんと入ってるし、外で使う分ならこのままでも大丈夫だと思うよ」


荷物を置いてボールをつき始める。小夏の言う通り空気はしっかりと入っているようで、ボールが弾むたびに良い音が響いていた。

その音を聞いていると、無性にバスケがしたくなり、俺は油断している小夏の手からボールをスティールした。


「あ!! やったな!!」


「はっはっは!! 悔しかったら奪い返してみな」


ボールに触った瞬間、体に火が入ったように全身が熱くなる。ああ……この全身が煮えたぎるような感覚。試合の時にいつも味わっていた感覚だ。


「お兄ちゃんとワンオンワンなんて久しぶりだね。心が踊るよ」


「引越しの前日に遊んだ記憶があるけどな!?」


「あー、そういえばそうだったね。すっかり忘れていたよ。……私にとってはずっと前の出来事なんだけどね」


「?」


「ま、そんなことはどうでもいっか。じゃあお兄ちゃん――勝負だよ!!」


小夏の言葉の意味を理解することは出来なかったけど、小夏が話そうしないのならそれでいい。今はこの感覚を楽しむことに専念しよう。


「あははっ! 楽しいね、お兄ちゃん!!」


それに、この小夏の弾けるような笑顔を、もうしばらく見ていたかった。



to be continued

心音です、こんばんは。

就職してまだ2週間経ってませんが、仕事が嫌になったので前半部分はこの社会について思うことを書いてみました。

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