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Life -刻の吹く丘にて-  作者: 心音
Episode of Konatsu
88/166

第87話『過去の栄光』

凄まじい熱気の篭った体育館の中で、ボールが弾む音と、靴と床が擦れる音が続いていた。長方形のコートの両側からは、コート内で戦う選手を鼓舞する声援が常に投げかけられている。


「……小夏……頑張れ……!!」


俺は観客席から、汗だくになりながらドリブルをする小夏のことを祈るように応援していた。普段はもっと余裕を見せてプレイする小夏だが、今ばかりは厳しい表情を隠しきれていなかった。


全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会――通称ウインターカップの決勝戦。その大舞台にスタメンとして出場し、第四ピリオドまで交代無しでコート内を駆け回る小夏の体力は見るからに限界を迎えていた。

監督は第四ピリオドになるまでの間ずっと、小夏を一旦ベンチに戻すことを考えていただろう。しかし、小夏を無しで切り抜けられるほど今の状況は芳しくなかった。まともな休憩はタイムアウトとインターバルの時しか取れておらず、頼みの綱であるタイムアウトはもう残されていない。


「先輩――っ!!」


相手の隙を突いた鋭いパスはゴール下で待機していた先輩に繋がる。

試合時間は残り一分。点数は72対70という接戦。二点差で負けている今の状況において、逆転をする為には素直に二点を二回入れるかスリーポイントを決める必要がある。


「くっ……」


パスを受け取った先輩が即座にシュートを放とうとするが、ウインターカップの決勝戦はそう甘くない。ダブルプレーで一瞬のうちに囲まれてしまった先輩は悔しがりながらマークの外れている味方にパスをする。


「しまっ……!!」


しかし、行動を先読みされており、先輩がパスを放つ直前に動き出していた相手によってカットされ、挙句攻撃権が移ってしまう。

残り時間が少ない今、相手に攻撃権が移ってしまうのは致命的と言ってもいい。本来ならこれ以上点差を広げさせない為にも防御に回るべきなのだろうが、小夏は目にも止まらぬ速さでコートを駆け抜け、ドリブルを始めた相手のボールをスティールする。


「なぁ……っ!?」


異常な速さでボールを奪われたせいで相手の反応もコンマ数秒遅れる。その戸惑いが決定打となり、何者にも阻まれることなく、小夏は疲れを一切感じさせない綺麗なフォームでレイアップを決める。


これで72対72――同点だ。

だが、当然のように全く安心できる状態ではない。むしろ積極的にあと一回ゴールを決める必要がある。延長戦になることだけは避ける必要があった。


「くっ、はぁ……はぁ……」


小夏の体力はもうほとんど残っていない。延長戦を戦い抜く気力なんてあるわけがなかった。

気づけば俺は応援を忘れて手を固く握りしめていた。手汗が酷い。試合に勝てるかよりも、小夏の体の方が心配で仕方ない。


「ディフェンスっ!!」


小夏が吠えた。どのメンバーも体力は残っていないが、小夏のその声に力強く答える。

相手も全員肩で息をしている状態。もはやこの試合は根気との戦いに成り果てていた。会場にいる全員が思っていることだろう。先に一人でも諦めた方が負けると――。


「――っ!!」


味方にパスを貰った相手が中に切り込んでくる。そしてフリースローラインで大きく飛んでシュートの構えを取った。


「っ!! させる……かぁぁぁあああ!!」


先輩二人がダブルプレーで飛ぶ。しかし、その瞬間相手が不敵に笑ったのを俺は確かに見た。


「――先輩ダメですッ!!」


それに気づいた小夏が叫ぶが飛んでしまった後ではもう遅い。相手はシュートのフォームを崩してゆっくりと後ろに倒れていく。そして一瞬の判断でゴール下に切り込んでいく味方にパスを回した。

ブロックに回った片方の先輩の横を抜けていくボールを見て小夏の顔が歪む。パスはそのまま綺麗に通り、そのまま得点を決められてしまう。


74対72――。試合時間は残り20秒を切っていた。

シュートが決まった瞬間に相手チームから大きな歓声が上がり、それとは正反対に自分たちのチームは絶望の色に染まる。

焦りは禁物。そう頭で思っていても、根本から植え付けられた敗北の文字がそれをかき消して焦りを加速させていた。


「っ!!」


スローインしようにも相手はゾーンディフェンスをやめ、マンツーマンで鉄壁の防御を固めてくる。これ以上点数をこちらに取らせるつもりは無いのが見て取れる。


「先輩ッ!!」


オーバータイムのギリギリでディフェンスを躱した小夏が飛び出してパスを受け取る。即座に反応した相手は再びダブルプレーで小夏の進行を防ごうとするが、それよりも速く小夏はパスを戻して走る。

パスを受け取った先輩はドリブルで進むが、すぐに囲まれてしまいボールを手に取ってしまう。こうなってはもうドリブルをすることは出来ない。


「こんな……ところで……」


タイムキーパーが10秒前のカウントを取り始め、それを聞いた先輩の目尻に涙が浮かぶ。他の仲間は懸命にアシストに向かおうとするが、相手のディフェンスはしつこく、これっぽっちも近づけないでいた。

先輩の手から力が抜けていく。諦めてしまったのだ。もうこれ以上は無駄だと。ここで敗北するのだと。何もかも諦めたその瞬間だった。






「――諦めるなぁぁぁぁぁあああああ!!!」






5秒前――。小夏の絶叫が響き渡った。

その刹那、先輩の手の中からボールが消えていた。


「……えっ?」


その気の抜けたような声を上げたのは相手ではなく、先輩のもの。相手も一瞬のうちに何が起きたのか理解出来ず、唖然とした表情を浮かべてその場に立ち尽くしていた。


「何を……諦めているんですか……!!」


ボールは小夏の手の中にあった。最後の最後で小夏についていたディフェンスをフリーになっていた先輩がスクリーンで引き剥がしたのだ。そして目にも止まらぬ速さで、自分の限界を超えて、小夏は先輩からボールを奪い去り、ドリブルでセンターラインを越える。

しかし、その時にはもう残りタイムは2秒を切っていた。普通にレイアップをするには間に合わない。だから小夏はセンターラインを越えたその場所で大きく飛んだ。


「私たちが――勝つんだ――っ!!」


そしてそのままシュートの構えを取り、試合終了のブザーが鳴る前に放つ。

会場の目は、天高く放たれたボールに集まる。時間の流れが酷くゆっくりに感じた。それでも時間は止まることはなく、自由落下に移ったボールはその速度を上げていく。

今の俺に出来るのは祈ることだけだった。どうか小夏の努力を無駄にしないでほしい。この舞台に女バスが立てたのはほとんど小夏のおかげ。一番学年が下にも関わらず、チーム全体を引っ張ってきた妹の血の滲むような努力にどうか――どうか……結果を与えてほしい。


「……あっ」


残りタイム0.5秒で放たれた小夏のスリーポイントシュート。それは鮮やかな放物線を描き――俺の祈りを届けるかのように、ゴールネットを静かに揺らした。

バスケットボールがゴールを抜けたその瞬間、コート内ではけたたましいブザーの音が鳴り響き、そして観客席は時間が止まったかのように静寂に包まれる。しかし次の瞬間、世界は再び動き出し、空気を震わせるほどの歓声が体育館全体に響き渡った。


「――――っ!!」


声にならない小夏の叫びは群衆の歓声に掻き消されて誰の耳にも届かなっただろう。でも、俺にはちゃんと聞こえた。これまでで一番輝いている表情で、小夏はその喜びを顕にしていた。


ブザービーターによる逆転勝利――。

それは高校生バスケ界において、歴史に残る試合とされ、多くの人に知れ渡ることになった。



「――懐かしい夢を見たな」


微かな揺れに起こされた俺は、窓際のペットボトルを置くようなところに肘をつき、電車の外を流れていくのどかな景色を眺めていた。


「……すー……すー」


夢の中ではあんなに激しい試合を繰り広げていた小夏は、電車の乗り継ぎやらなんやらで疲れきっているようで、正面の席ですやすやと寝息を立てている。

こうして無防備で可愛らしい寝顔を見ていると、小夏が全国クラスのバスケットボールプレイヤーだということを忘れてしまう。まぁそれ以前に、俺にとっての小夏はバスケ界の深凪小夏ではなく、たった一人の大切な妹なのだ。だからこういう姿の方が自然で、愛おしく思える。

バスケをやっている小夏もかっこいいから好きだが、俺は自然体でいる小夏の方が好きだ。まぁもちろん、LOVEではなく、LIKEの方の好きだがな。


「それにしても……よく眠ってるな」


代わり映えの無い景色を眺めるのも退屈になってきた。すやすやと眠る小夏の顔を眺めていると、心の片隅に悪戯心が芽生えてくる。

そこで俺は手荷物から水性のマジックペンを取り出した。眠っている子にマジックペンで何をするかって? そんな分かりきったことを。


「さて、なんて書いてやろうかね」


キャップを外してペン先を小夏の額に近づける。込み上げてくる楽しさをペンに乗せようとしたところで、小夏がビクッと体を強ばらせた。


「…………お兄……ちゃん」


「……小夏?」


つい一瞬前まであんなにも心地よさそうに眠っていたのに、今は苦悶の表情を浮かべ、額には脂汗が滲んでいた。何か悪い夢でも見ているのか、呼吸は荒く、苦しそうに胸元を押さえる小夏。俺は馬鹿げた考えを頭からすぐに切り離した。


「おい、小夏。起きろ」


肩を揺さぶって無理矢理にでも夢から醒ませようとするが、小夏は目を醒さないどころか、より一層表情を険しくして俺のことを呼ぶ。


「お兄ちゃん……お兄、ちゃん……」


「俺はここにいる。大丈夫だ。心配しなくていい」


この気持ちが少しでも届くようにと、俺は小夏の手を握った。その瞬間、背筋がゾワッとするほどの冷たさが手のひらから脳へと伝わってくる。

なんでこんな氷みたいな冷たさをしているんだ……? それが余計に俺の不安を駆り立て、両手で肩を揺さぶった。

このまま悪夢に溺れて目を醒さないのではないか。そんな負の感情が身を包んでいたが、小夏は苦しげに息を吐いたあと、ゆっくりと目を開いた。


「……お兄ちゃん?」


「小夏……良かった……」


「ちょ、お兄ちゃん……?」


目を醒ましてくれたくれたことが嬉しくて、本当に嬉しくて……俺は気づけば小夏のことを強く抱きしめていた。


「すげぇうなされていたんだ。何度も何度も俺のことを呼んでた……。心配した……。どんな夢を見ていたのか知らないけど、俺はここにいるから安心していいからな」


「お兄ちゃん……ごめんね。それから――ありがとう――」


強ばっていた小夏の体から力が抜けていく。それから俺の背中に手を回して、言葉だけじゃ足りない感謝の気持ちを込めるように小夏は俺を抱きしめ返す。






「――約束、守ってくれたんだね」






自然と身に染み込んできた言葉に、どういたしまして――そう返そうとして、俺は出かかっていた言葉を飲み込んだ。


「……約束?」


「信じてたよ、お兄ちゃん。あの世界の結末がどうなったのか私には分からないけれど、お兄ちゃんはきっと果たしてくれたんだね」


「あの世界……? 結末……? それは夢の話か?」


そう訊ねると、小夏はより強く俺のことを抱きしめてくる。何が何だか正直分からなかったけれど、今は小夏の好きなようにしてあげるべきだと思った。

小夏がこうすることで安心できるのであれば、俺は兄として受け入れてあげたい。大切な妹の悲しむ顔なんて俺は見たくない。


「夢……そう、夢だよ。長い長い夢の物語。終わりの見えない長い道を歩くようなもの。道の途中にたくさんの可能性があるのに、それらはすべて空虚なものになってしまう。初めから何も無かったのと同然で、結局歩き続けることになるんだよ」


「でも……夢なら目が醒めればそれで終わりだろ? 今、小夏は目を醒ました。ここは現実の世界。夢はもう終わっている」


「そうだね。でも、だからこそ……覚えておいて、お兄ちゃん」


強く強く、小夏は俺を抱きしめる。込み上げてくる感情を押し殺すようだった。

ガタンと、大きく電車が揺れる。窓の外を流れていく景色がゆっくりになっていく。電車のスピードが落ちているのだ。もうすぐ俺たちが今日から住む町である虹ヶ丘に着くのだろう。






「――この世界は嘘で満たされている。目に見えているものだけが全てじゃないってことを忘れないで」






長い長い夢の物語――。


終わりの見えない無限回廊――。


小夏の言葉のその意味を知る時、この世界の本当に意味を知ることになるなんて、今の俺には想像もすることができなかった。



to be continued

心音です、こんばんは。

アップが一日遅れてすみません。就職は思った以上に時間を奪われますね……。


さて、今回の話から小夏のストーリーが始まります。Twitterでも宣言した通り、バスケの話が主となる今回の物語ですが、もちろん世界の秘密にも触れていくことになるでしょう。


それでは次のお話でまたお会いしましょう。

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