第86話『始まりの夢の中で』
「……ん?」
目を開くとそこは見慣れたベッドの上ではなく、何処を見渡しても無限に続く緑で覆い尽くされた広大な草原のど真ん中だった。
「……ふむ」
暖かな風が肌を撫でる。春のような過ごしやすい陽気に俺は深く考えるのをやめて目を瞑った。
おそらくここは夢の中だろう。でなければ、こんな非現実的な光景には納得ができない。俺の記憶が正しけれ――正しければ? あれ? 俺はいつの間に眠っていたんだ?
ガバッと跳ね起きてもう一度注意深く辺りを見渡してみる。寝た覚えも無ければ、この場所が何処なのかすら分からない。ところどころに植えられている風車が妙に気になったが、今は置いておくことにしよう。
そもそもこれは本当に夢なのか? 地面の感触とか、この暖かな風とか、夢では到底経験できないリアルなもので流石に戸惑いを隠せない。
「――おはよう」
「えっ!?」
突然背中の方に投げられた挨拶に驚いて振り返ると、そこには風車を持った長い黒のロングヘアーの少女が立っていた。
さっきまで誰一人いなかったはずなのに、一体どこから湧いて出てきたのだろうか。まさか幽霊? となるとあれか? この後の展開は幽霊との鬼ごっこなのでは。
「ちょっと待て。俺は鬼ごっこなんてやら――え?」
一人で勝手に展開を決めつけて抗議しようとしたところで、俺はその少女が泣いているということに気づいた。完全に混乱していたから全く気づけなかったが、少女は大粒の涙を零し、嗚咽を必死に堪えながら俺のことを悲しげに見つめていた。
「お、おい……どうして泣いてるんだよ。そんなに鬼ごっこが嫌だったのか?」
的外れなことを言っているのは重々承知しているが、状況が全く掴めない上に、目の前でこうも泣かれてしまってはあたふたすることくらいしか出来ない。
気づかないうちにこの少女を泣かせるようなことをしてしまったのだろうか? もしそうだとしたら、ちゃんと理由を聞いて謝る必要がある。
「――修平くん……っ!!」
「はぁ!?」
そんなことを考えている最中、少女は唐突に俺の胸へと飛び込んできた。も、もう何がなんだか訳が分からない……。
とりあえず落ち着こう。落ち着いて状況を整理しよう。まずは深呼吸からだ……とまぁ、我ながら必死になりすぎている。状況が分からないとはいえ、可愛い女の子にこんなことをされて嬉しくない男はいないだろう。
何処までも澄み渡る青い空を見上げる。空には雲も、鳥の影も無く、やっぱりどこか現実離れしていた。やはりここは夢の中なのかもしれない。見ず知らずの少女に泣きながら抱きつかれているというのも、よくよく考えなくともおかしなことだ。
空から視線を落とし、胸の中で泣き続ける少女を見つめる。泣き腫らした顔が見てて痛々しく、胸が締め付けられる思いだった。
「……修平くん?」
だからだろうか? 気づけば俺は少女に手を伸ばし、赤ん坊をあやす様に頭を撫でていた。シルクのように優しい肌触り。指先で髪をすくうと、絡みつくことなく指の間からこぼれていく。
慰めることが目的だったはずなのに、いつの間にか少女の髪を弄るのに夢中になっていた。まぁ、夢の中だしこれくらいは許してくれ、うん。
「……修平くんだ……。いつもの修平くんが戻ってきてくれた……」
まだ涙は消えていなかったけれど、少女の表情にはもう悲しみの気配は感じなかった。今は見てて安心する笑顔で俺の手を受け入れてくれている。
その笑顔を見て心に余裕が出来たからか、ついうっかり見逃してしまいそうな疑問を抱く。この少女はどうして俺の名前を知っているのだろうか?
「良かったよ……本当に……良かった」
何度も同じ言葉を繰り返す少女。果たして何に対して良かったと言ってるのか。目が醒めるよりも以前の記憶が思い出せない以上、その答えは少女の口から聞くしかない。
「何が何だか全く分からんがとりあえず落ち着いてくれたようで何よりだ。それよりもいくつか質問してもいいか?」
「ん? 何かな?」
「お前はどうして俺の名前を知っているんだ? いやあれだ。記憶が混乱しているみたいで上手く思い出せないんだよ」
頭にぽっかりと穴が空いたように記憶が抜け落ちている。また悲しそうな顔をされると思ったが、少女は俺の予想を裏切って満面の笑みを浮かべた。
「私はね、君の恋人だよ」
「なるほど。……なるほど?」
……ん?
「恋人……? 誰と誰が?」
「私と、君。ゆー」
「……マジで?」
え? 俺こんな可愛い女の子の彼氏なの? 記憶が無いのがすごく悔やまれるんだが。てことはあれか? 俺はこの子とあんなことやこんなことをしていた可能性が非常に高いのでは。やばい、興奮してきた。
「ふふっ、うん。これがいつもの修平くんだ」
「……ん? 俺もしかしてからかわれてる?」
「ううん。そんなことはないよ。私と君は本当の現実で恋人だったんだよ」
本当の現実という言葉と、恋人だったという過去形の言葉が妙に引っかかる。
「ここはね、始まりの夢。全てが終わり、全てが始まる時に訪れる最初の地」
「……リスポーン地点みたいなものか?」
そう訊ねると、自称彼女は俺の表現が面白かったのか、可笑しそうに笑う。
「まぁ、そうだね。その認識で間違ってはいないと思うよ。厳密には違うけど、それを説明したところで修平くんは忘れちゃうと思うから」
「忘れる? ああ、夢から覚めた時の記憶ってどうも曖昧になるよな」
「……」
そうだね。と、答えてくれると思っていたのだが、少女は無言の笑顔を返した。
「――ねぇ、修平くん」
そして次に口を開いた時、少女の表情から笑顔は消えていた。代わりに張り付けている表情は、先程の涙からも、笑顔からも想像が出来ないほど真剣味が帯びていて、俺は思わず息を飲んだ。
「この世界は私たちの全てをさらけ出すよ。綺麗なところも、汚いところも、何もかも。でも――覚えておいてくれないかな?」
「……何をだ?」
「私たちは友達ということを。そして、誰よりも私が君のことを信じているということを」
俺の体から離れた少女は数歩後ろに下がってからくるりと背を向けた。その瞬間、一際大きな風が吹き、俺は一瞬だけ少女から目を離す。
そして次に目を向けた時、少女の手には風に吹かれて回る一つの風車が握られていた。
「私の願いはたった一つ。みんなとの幸せな結末を手に入れること」
「……幸せな、結末」
「そう、幸せな結末だよ。だからね、修平くん。私は最後まで絶対に諦めないから、修平くんは私のことを最後まで信じてくれないかな……?」
「……信じたその先にあるのが、みんなとの幸せって言うのなら――俺はお前のことを信じる」
この少女が言う『みんな』と言うのが誰のことなのか分からないけれど、こんな真面目な表情で信じて欲しいと言われたら頷きたくもなる。いや、それを除いたとしても、この少女のことは信じてもいい。無条件で信じることができると本能が訴えかけていた。
「ありがとう。やっぱり修平くんは修平くんだね。それじゃあ――」
「あ、待て。最後に聞きたいことがある」
多分今聞かないとこの夢は醒めてしまう。そう思った俺は慌てて少女に声を掛けた。少女は顔だけこちらに向けて、どうしたの? と、目で訴えかけてくる。
「名前、なんて言うんだ? そっちだけ知っている――覚えているのはフェアじゃない」
流れるように吹いた風が少女の長い髪を踊らせる。手に持つ風車もそれに合わせて勢いよく回っていた。
少女は何が面白かったのか、くすりと表情を綻ばせ、柔らかい笑顔を浮かべたまま右手を大きく振り上げた。
「あっ……」
少女の手から離れた風車はそのまま青空へと昇っていく。俺は風車が消えるまで目で追い続け、次に顔を下ろした時、いつの間にか正面を向いていた少女の笑顔に目を奪われた。
「――私の名前はすぐに分かるよ。だから行こう――次の夢へ」
to be continued
はい、心音ですこんばんは。
これにて『Episode of Ayuki』は完結となります。いやー、長い上に悲惨な話でしたね←書いたのはお前だと何回言わせる。
次回からは新章となります。Twitterでも予告したい通り、小夏のシナリオです。
それでは皆さん、次の夢でまたお会いしましょう。




