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Life -刻の吹く丘にて-  作者: 心音
Episode of Ayuki
86/166

第85話『小夏が残したモノ』

Another View 葵雪



「――おーい、葵雪ー? いるかー?」


数十分程経ってから、修平があたしを呼ぶ声が暗闇の中から聞こえてきた。まだだいぶ離れた位置にいるようで、あたしはその場に立ち上がり、スマホのライトを付けて大きく手を振った。

修平はすぐに気づいてくれたようで、走ってくる音が静かな川辺に響く。それからすぐに修平の姿を視認することができ、笑顔を作って出迎える。


「悪い、どこら辺にいるか分からなかったから時間が掛かった。それで……それが(・・・)?」


修平の視線はあたしの足元に向いている。

冷たい視線だった。人が目の前で死んでいるというのに、修平は驚くこともなく、かと言って悲しむわけでもなく、ただただ冷酷な目で小夏の死体を見下ろしている。まぁ、そりゃそうだ。小夏に関する記憶の全てをついさっきあたしの力で消し去ったのだから。


「胸をナイフで一突き。俺は人を殺したことが無いからよく分からないんだが、これは即死なのか?」


「流石に即死まではいかないわよ。現に刺したあと少しだけ会話していたしね。ああそう言えば……キスをされたわ」


「キス? なんだお前、俺に秘密で浮気してたのか? しかも女の子に」


「してないわよ。あたしは修平一筋なの。今も、この先の世界もね」


軽口を叩きながら、あたしは思い出したように考える。そういえばどうして小夏はあたしにキスなんてしてきたのだろう? それにあの言葉の意味も気になる。


『……あはっ、私の……勝ちに、なると……いい……な』


この場合、小夏の勝ちとは何なのだろうか?

あたしを殺すことが目的なら失敗に終わっている。だからその後に何か期待をした――となると、考えられるのはこの世界の終わりになる。でも結果として、この世界はまだ続いているから、小夏の目論みは完全に失敗したと思ってもいい?


「俺はこの世界が終わったら記憶がリセットされる。そうなってしまったらこの想いも何もかも消えちまうんだろうな。……改めて聞くが、お前は本当にそれでいいのか?」


修平の問いかけにあたしは嘲笑を返す。


「いいも何も、仕方ないことだから。まぁ、あたし以外の世界じゃ他の子に嫉妬ばかりしているわ」


「自分で言うのもあれだが、そんなに俺のことが好きならさ、どの世界でもアプローチを掛ければいいだけの話だよな」


「そう単純な話なら苦労はしないわ」


ため息を吐くと、修平は首を傾げながらあたしの次の言葉を待つ。こればかりはちゃんと説明しないと分からないだろうから、あたしは渋々口を開いた。


「世界が繰り返した時点で、その世界で修平が恋人になる人物がある程度確定されてしまうのよ。前に一度話したと思うけど、誰とも結ばれない世界も存在するわ。恋人になる人物が確定された世界では、どれだけ他の人がアプローチしようとも修平の心は変わらないの。これはあたしの経験上の話だから確かな情報よ」


「……なるほどな」


修平は納得したように頷くと、小夏の死体の側にしゃがみ込み、もうほとんど体温が残っていない頬に触れた。


「……?」


その何気ない修平の行動に妙なものを感じた。

胸がざわつくというか……なんというか。嫉妬……なのかしら? あたし以外の女の子に触れているから――とかいう下らない理由で嫉妬しているのかもしれない。


「なぁ、葵雪?」


「ん? どうした……の……?」


だが、そんな砂糖菓子のように甘い恋心は、修平の表情を見た瞬間に霧散していった。

これまでに一度たりとも見たことがないほど恐ろしい形相で怒りを顕にしていた。なのに、声色だけは不気味なほど優しく、いつも通りの修平というのがその形の見えない恐ろしさを増大させている。


「俺は何度も言っているけど、お前のことが好きだし、大切に思っている。この先の未来も葵雪と馬鹿なことして笑って、時には今みたく黒い部分を出し合ったりして一緒にいたい。でも――」


言いながらあたしを見上げてくる修平。その瞳に宿っているのは言葉とは正反対の殺意。それは小夏のものとは比べ物にならないほど絶対的なものだった。

そして、この世界の物語はあたしの予想だにしない方向へと歪み始める。……いや、この言い方は適切ではないだろう。最初からあたし達の物語は歪んでいる。だからこの場合、歪み、捻れて、蓄積された綻びがついに崩壊を迎えたのだ。






「――小夏を殺したことだけは、絶対に許さない」






「……かはっ!?」


それは一瞬の出来事だった。あたしが動揺を見せたほんの一瞬で、修平はあたしの事を抱きしめていた。

抱きしめられたことが嬉しかった。こんな時でも、あたしにこういうことをしてくれるんだって思うと、本当に、本当に……嬉しかった。


「……なん……で……?」


――でも、背中に入り込んできた硬くて冷たい異物の感触と、気持ちだけは誤魔化しきれない鋭い痛みがその嬉しさを掻き消していく。

これまでに何度も死を経験したけど、この痛みと苦しみだけは初めての感覚だった。あまりの激痛に思考がままならない。


「なんで? ははっ、もう忘れちまったのか? 今日言ったばかりだよな? 葵雪が小夏を殺した時、それが葵雪の死ぬ時だって」


笑いながら有り得ない事実を告げる修平。納得がいかなかった。気を抜いたら飛んでいきそうな意識を必死で保ちながらあたしは口を開く。


「……ち、がう……!! そんな……ことを、聞きたいんじゃ……ない。どうして……記憶が、あるのよ……。あたしは……確かに、小夏に関する、記憶を……消した、はず、なのに……」


「消した? これ以上俺を笑わせるなよ。俺にはちゃんと小夏の記憶が残っている。何一つ忘れていることなんてない」


「嘘よ……ありえ、ない……」


「有り得るんだよ。現に覚えているんだからな」


何が起きた……? どうしてこうなった……? あたしが求めていたのはこんな結末じゃないのに……!!


後悔したってもう何もかも手遅れ。手足の感覚は既に無く、修平に支えられていなければ固い地面に倒れているに違いない。

尋常じゃないほどの血が流れ、体温が流れ出ていくのを感じていた。薄れゆく意識の中、あたしはこの世界で何が起きたのかを記憶しておく為に力を使う。


「…………えっ?」


しかし、脳内に記憶が定着していくいつもの感覚が無い。何度やっても結果は変わらなかった。


……力が働いていない? なんで……?


なんで? と、自分に問い掛けてあたしは思い出す。それは何度も気になっていた言葉――




『……あはっ、私の……勝ちに、なると……いい……な』




全て小夏の手の上で踊っていたのだ。小夏があたしにメールを送った時点で、こうなることは確定していたのだろう。

ああ、あたしの負けだ……。言い訳のしようが無いほど完膚なきまでの敗北。こんな屈辱……今までに一度たりとも経験したことがない。


「わら……え、ないわ……。こなつ、め……ぜったいに……ゆるさ、な……い……」


「……そうか。やっぱり小夏のおかげなのか。あのキスの意味が今になってようやく分かった。俺は小夏が残したモノに救われたってわけか」


「……き、す……?」


修平も小夏にキスをされていた……。もしかして……小夏にはあたしとは別の力があって、その力を使うためにキスが必要だった……?


「お前が記憶を操作する力ならば、小夏は力そのものを無効化するって感じか。なるほど。どおりで俺と葵雪しか知らないこの世界の秘密を知っているわけだ」


「……」


もう言葉を返す気力が残っていなかった。意識を保つのが精一杯で、指先ひとつ動かすことができない。

ああ……眠い。このまま目を閉じたままでいたら、多分すぐに死ねる。死にたくないという気持ちの方が大きいけれど、大好きな人の腕の中で死ぬのも悪くはないと思ってしまう。


「……じゃあな、葵雪」


「――――」


ブチブチと、自分の中から肉を断つ音が聞こえたような気がした。その瞬間、あたしの意識は完全に暗闇の底へと沈み始める。


「……大好きだ、葵雪。また次の世界で会おうな」


唇に何か柔らかいモノが触れた。それが修平からの最期のキスだと気づく前に、あたしの命は燃え尽きた。



「……呆気ないものだな」


それが初めて人を殺した俺の第一印象だった。

腕の中で物言わぬモノに成り果ててしまった葵雪の背中から果物ナイフを抜き取り、小夏の死体の隣にそっと寝かせる。

月明かりが降り注ぐ川原に二人の女の子の死体と、ナイフを片手に立ち尽くす男。それっぽいアニメのワンシーンにありそうな光景だ。しかし、ここはあくまでも現実――創られた現実。本来ならばあってはならない事象。


「――で、思い出せたか?」


俺はゆっくりと振り返りながら、ずっと隠れて俺の行動を見続けていた一人の少女に問い掛けた。




「――これがこの世界の秘密だ、()




小夏と葵雪――仲の良かった友達の死体を見下ろして涙を流す椛。何を思いながら、椛は先程までの光景を見つめ続けていたのだろうか。心が壊れてしまった俺には到底理解出来そうにない。


「……こんなのないよ、あんまりなんだよ……。わたし達は……友達だったんだよね?」


椛をこの場に呼んだ理由はただ一つ。小夏のことを覚えているかの確認のためだけ。

結果として、椛は小夏のことを覚えていなかった。だから見せつけやったのだ。この世界がどれほど狂っているのかを。


「ああ、友達だった。でもそれは過去の話だ。こうなってしまった以上、もう友達を続けることはできない。そうだろ?」


「いや……嫌なんだよ。こんな終わり方……わたしは絶対に嫌なんだよ!!」


泣き叫ぶ椛の元へ、握ったままのナイフに力を込めながら俺は近づいていく。俺が何をしようとしているのか分かった椛は悲しみから恐怖へと表情を変えた。


「や、やめて……修平くん」


「悪いけど、やめるつもりはない。この世界を終わらせるために、俺は椛のことを殺す」


ナイフを天高く振り上げる。絶望しきった表情で俺を見つめる椛に向かって腕を振り下ろそうとしたその瞬間だった。


「――もうやめて!! 修平くん!!」


「……巡。お前もいたのか」


そこにいた友達の姿を瞳に映し、俺はため息を吐いた。呼んだのは椛だけで、巡のことは呼んでいなかったはずなんだが。


「メッセージを貰っていたんだよ……多分、そこの子に」


言いながら巡は小夏のことを見つめた。

なるほど。家を出た時点である程度こうなることを予想していた小夏は、巡に川原に来るようにメッセージを送っていた。巡が川原に向かっている最中に葵雪に記憶を消されたとしても、メッセージの内容の記憶までは消されることがない。誰に貰ったメッセージなのかが分からなくなる程度だろう。


「椛にはここに来る前に紹介したが、改めて紹介しよう。彼女は深凪小夏。俺の妹だ」


「小夏……ちゃん。多分私はそう呼んでいたんだと思う」


「椛もそうだったが、巡も驚かないんだな。普通ならば到底信じられるものじゃないと思うんだが?」


「……信じるよ。私は修平くんのことを信じ続けるって決めているんだから」


「こんなことをしてもか?」


「えっ?」


戸惑う巡を片目で見ながら、俺は振り上げたままのナイフを椛に向かって振り下ろす。回避しようもない刃は椛の肩から胸の間を綺麗に切り裂いた。


「――――」


一言も発することもなく、椛は真っ赤な鮮血を振り撒いて地面に崩れ落ちた。巡は口元を手で覆い、二三歩後ずさる。


「どうして……? どうしてこんなことをするの修平くん……?」


「小夏のためだ」


俺は短く答えると、ナイフを捨てて小夏の死体のそばでしゃがみ込んだ。


「小夏は俺のことを信じていると言って家を飛び出した。本当ならば、小夏が葵雪のことを殺すつもりでいたんだよ」


小夏の頭に手を伸ばし、愛おしいものに振れるように優しく撫でる。生前ならば擽ったそうに顔を緩め、人懐こい顔で微笑んでくれたのに、今は目を瞑ったまま身じろぎ一つしない。


「でも、それが出来なかった時の為に、小夏は俺に保険をかけた。俺のことを信じていると小夏は言った」


「……それが、葵雪ちゃんを殺した理由なの……? 小夏ちゃんの仇を取るために、自分の恋人を殺したって言うの!?」


「そうだ」


「っ!! おかしいよ……!! 間違ってるよ!! 修平くんも、小夏ちゃんも……間違ってる……っ」


巡は嘆いていた。これまで築き上げていたものが壊れていく。どんなに土台を固めても、内部から瓦解していけば一瞬で崩れてしまう。


「間違ってなんていないさ。俺の絶対は小夏であり、小夏の絶対は俺なんだ。それが俺たち兄妹なんだよ。友達よりも、恋人よりも、俺と小夏は強い絆で結ばれている」


ああ……早くリセットされないものか。もうこの世界に思い残すことはない。記憶がなくなってしまうのは残念だが、それよりも小夏がいない世界にいつまでもいるのが辛かった。


「そう……分かったよ。二人がどれほどお互いを信用しているのか。でも、それでも……忘れないで。思い出して……!!」


不意に巡が右手を挙げた。その行動の意味が分からなくて俺は首を傾げる。けれど巡は俺の疑問に答えるつもりは無いらしく、涙で顔を汚しながら必死になって言葉を続ける。






「私たちは誰よりも……小夏ちゃんよりも信じあっていたってことを!! 思い出して……修平くん……っ!!」






パチンと巡が指を鳴らしたその瞬間、俺たちの世界が暗転した。



to be continued

心音です、こんばんは。

これにて葵雪ルートは完結となり、次回はエピローグになります。読者様が見てきた世界の中で、今回は一番悲惨な世界だったと言えるでしょう。それでも世界は――夢は続いていきます。どうかこの物語の結末まで御付き合いください。

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