第81話『認識の甘さ 前編』
「――あら、修平見て。ライオンが寝てるわ」
「おお。百獣の王も寝ちまえば可愛いもんだな」
翌日、俺と葵雪は電車で一時間程度の場所にある、それなりに大きい動物園にやって来ていた。
昨日あんな大それたことを言い合ったというのに、何か行動を起こすわけでもなく、こうしてデートに来ているあたり、俺たちらしいと言えば俺たちらしい。
「寝ているライオンは確かに可愛いと思う。けど、お腹を丸出しにして寝るのは流石に野生本能を忘れているんじゃないかって心配するわね……」
心地の良い陽気のせいだろうか、葵雪の言う通り、俺たちの前で寝ているライオンは、日向でゴロンとお腹を見せて眠っていた。
テレビの中で見る姿とはまた違う一面に思わず苦笑いしてしまったのは、眠っているライオンの威厳の為にも内緒にしておこう。
「ここは自然の中じゃないし、将来野生に帰る訳でもないからいいんじゃないか? 動物園にいるライオンが全力で狩りをしてみろ。死人が出るぞ」
「あたしは獲物に喰らいついて、肉を貪っているライオンの姿が見るのが好きなのよ。喰らう対象はこの際問わないわ」
葵雪の悪意しかない言葉に、近くを通りかかったカップルがギョッとして振り返る。俺が苦笑いしながら軽く会釈すると、カップル達も苦笑いを返してくれた。確実に危ない奴認定されただろうが、今更すぎて特に何も言うことはない。
「そう言えば知ってるかしら? ライオンって草も食べるのよ」
「そうなのか? 俺はてっきり肉しか食わないものだと思ってた」
「実際その通りよ。草食動物って名前の通り草を主食で食べるでしょ? そしてライオンは草食動物を食らう。ライオンは草食動物の腸で消化しきれていない草を食べてから肉を食べるのよ」
「へぇ? てか普通に草を食うのはダメなのか?」
「一説によると、体調が優れない時はそのまま食べることはあるそうよ。でも、ライオン――もとい肉食動物は草を直接消化することができない。だから草食動物の消化器官を借りて間接的に食べるの。植物を食べるのは自然の摂理なのかもしれないわね」
自分の解説に満足したのか、葵雪はスキップをするような軽い足取りで歩き始める。けれど、もう一度ライオンの方へ振り返ることはなかった。
肉を喰らわずにただ寝ているだけのライオンを見るのはつまらないのだろう。
「ところで今度は何処を目指して歩いてるんだ?」
入園した際に貰ったパンフレットを一切見ることなく歩く葵雪に問いかける。
雪のように白い髪を舞わせて振り返った葵雪は、口元に人差し指を当てて、うーんと唸る。どうやら特に考えもなく歩いているだけだったらしい。
「動物園を歩いていると、あたしはね、ふと思ってしまうことがあるのよ」
「?」
首を傾げると、葵雪は俺から不意に視線を逸らす。何気なくその視線の先を追ってみると、そこにはヒグマがいた。
内に秘められた凶暴さを隠すような愛らしいくりくりとした瞳。全身を纏うこげ茶色の毛はもふもふしていて、触ったらきっと心地よいんだろうなぁと思う。
「……美味しそうよね」
「やめろ」
「熊鍋って美味しそうだと思わない?」
「見ろ。本能的に何かを察したのか、俺たちに向かってめちゃくちゃ威嚇してる」
ついさっきまでのんびりとしていたヒグマが立ち上がって唸り声を上げている。野生の本能というのは自分の命に関わることに至っては、どんな感覚よりも鋭敏なのかもしれない。
「水族館にいる魚を見て美味しそうと思うのと同じよ」
「普通はそんな思考に至らないと思うんだが? あくまでも観賞用なんだ。食うことを考えないで、見て楽しんでくれ」
「それはそうとお腹が空いたわね」
「露骨に話を逸らすな――って思ったが、さっきから食うことしか考えてなかったか」
スマホで時間を確認してみると、丁度正午を過ぎたところだった。まだ園の半分も見ていないわけだが、まだまだ時間はある。ここらで腹ごしらえをするのも悪くはない。
「食いたいものあるか?」
「熊鍋」
「……頭が痛くなってきた」
俺の彼女はどうしてこうも残酷なことしか考えられないのだろうか……。しかもこれが平常運転と言えば、それで済まされる問題だというのが更に問題である。
「冗談よ」
本当に冗談だったのか分からない意味有りげな笑みを浮かべながら、ようやく手元のパンフレットに視線を落とす。
横から覗き込んでみると、それなりに飲食出来る店は多いらしい。出店的なところもあるらしく、食べ歩きもできそうだった。
葵雪はどの店を選ぶのかと顔を上げると、目を輝かせてパンフレットのとある一点を見つめている姿が目に入る。普段あまり目にしないその表情は新鮮で、可愛い一面を見れたことにちょっとした達成感を覚えた。
「クレープが食べられる店があるみたいね」
「……それは昼飯になるのか? どちらかと言うとおやつの部類に入る気がするんだが」
「あら修平知らないの? クレープにはツナとか野菜とか肉とか挟んだやつもあるのよ。夕飯にするのはちょっとあれだけど、昼食になら丁度いいのよね」
「へぇ。なら行ってるみるか。出店みたいだし、この時間にレストラン系に入るよりは効率的だ」
「じゃあ行きましょう。あっちの方みたいよ」
パシッと俺の手を掴んで葵雪は走り出す。
本当にクレープが好きみたいで、大好きな物を見つけた子どものように無邪気な笑顔を浮かべていた。こんな葵雪の表情を独り占め出来るのは気分が良かった。
※
Another View 巡
「――なーんて、思ってるんだろうね。お兄ちゃんのことだから」
修平くん達が仲良く手を繋いで走り去っていった方向を見つめながら、小夏ちゃんはいたずらっぽい笑顔を浮かべていた。
「尾行って結構バレないものなんだね」
物陰に身を隠して、顔だけ出して覗き見をしている私は、今の正直な気持ちを呟いた。
デートの尾行をするなんて小夏ちゃんが言い出した時は気分的にそこまで乗り気になれなかったけど、こうして葵雪ちゃんの自然な笑顔を見れたから、乗ってよかったなぁと思う。
「ほええ〜。葵雪ちゃんがあんな風に笑うのなんて初めて見た気がするんだよ〜」
「あれは絶対レアですよ。ソシャゲで例えるなら、限定のトップレアを、たまたま配布された無料石単発で引いた感じかもしれませんね」
「その例えはどうなのかな……」
それにしても――と、私は昔を思い出すように空を見上げた。
葵雪ちゃんのあんな表情を見るのはいつ以来のことだろう? 最初のうちは良く見ていたけれど、最近の夢ではあまり見なくなっていた。
最近の葵雪ちゃんはなんと言うか……怖かった。けど、今日の葵雪ちゃんにそんな感情を抱くことはなく、何処にでも女子高生っていう印象が強い。
この夢は葵雪ちゃんのものだからどうなるものかと心配したけれど、この分なら今のところ問題は……
「……」
――問題は無い。そう思おうとして、ふと一週間前の出来事が蘇る。
あの日、風巡丘で私たちが偶然見つけてしまった死体は誰だったのだろう。虹ヶ丘の生徒では無いと思う。これまで散々繰り返してきたのだから、名前はともかく姿は生徒全員覚えているつもりだ。
……覚えている? 本当にそうなのだろうか。
葵雪ちゃんの夢は何かがおかしい。
記憶が混乱するのだ。あったはずのことが無かったことになっていたり、行動が書き変わっていたり、それら全ては、繰り返す度に訪れる始まりの夢で初めておかしいと気づく。
本当にまだこの世界は順調に進んでいるの……?
一度そんな疑問を抱いてしまうと、簡単には消し去ることができない。
見た目上では順調に進んでいるように見える。でも、海底火山のように、水面下で何が起きているのかは実際に潜ってみないことには分からない。
けど、分からないからと言って進むのをやめるわけには絶対にいかない。諦めるわけにはいかない。
前を走る修平くんと葵雪ちゃん。そして私の前で楽しそうに会話をしている小夏ちゃんと椛ちゃん。私の目的はここにいる五人と一緒に、運命の日を乗り越えなければなら……な、い?
「………………あれ?」
……五人? なんで五人って思った……?
修平くん、葵雪ちゃん、小夏ちゃん、椛ちゃん――どう考えたって四人。なのに私は今、当然のように五人だと思った。
どくん――。心臓が大きく脈打つ。
脈打つ度に、不安と恐怖といった負の感情が血管を通って全身に流れていく。それが全身に行き渡った時、私は一つの結論に辿り着いた。
もしかして……もしかして私は何か大切なことを忘れている……?
渦のように巻き上がる感情に、私は自分自身を強く抱きしめた。そうでもしていないと、不安に自分が呑まれてしまいそうになる。
落ち着け……落ち着け……。そう自分に言い聞かせて、私は大きく息を吐いた。溢れてしまいそうな不安を全吐き出すように、深く、ゆっくりと。
「……よし」
修平くんと手を繋いで走る葵雪ちゃんの後ろ姿は弾んでいる。一歩進む度に揺れる髪の隙間から見えた横顔はとても楽しそうで、とても幸せそうだった。
私の願いはみんなとの幸せ。大好きな葵雪ちゃんが幸せならば、ちょっと……ううん、かなり悔しいけれど、私も嬉しい。だけど、葵雪ちゃんがこの夢を壊そうとするなら、その結末が二人にとって幸せだったとしても、私はまた繰り返さなければならない。
大切なことを忘れているかもしれない――その考えは私の心をナイフで抉るように傷つけるけど、今はとにかく考えるべき。
もし私に――ううん、多分私だけじゃない。みんなに何かしたとすれば、葵雪ちゃん以外には考えられない。葵雪ちゃんには私とは違う力があるというのは予想していたこと。あくまでも推測だけど、葵雪ちゃんの力は記憶に干渉して操作することができる。だとすれば、この心にぽっかりと穴が空いたような消失感は説明がつく。
「……なら、この夢はもう終わっているのかな」
辿り着いた結論は悲しいものだった。
今すぐにでも繰り返して次の夢に行くのも手だが、葵雪ちゃんの世界の情報を少しでも多く知っておくためにも、今は我慢するべきだろう。
「――何を考えていたのか知りませんけど、その結論で風見さんは満足なんですか?」
「……えっ?」
考えに耽っていたせいで、小夏ちゃんが私のことを見ていたことに全く気づかなかった。
それにしてもこの口振り……もしかして小夏ちゃんにも記憶に関する力がある……?
「……なんのことかな?」
変な感情を表に出さないように私は平穏を装って小夏ちゃんに笑いかける。
「表情って、自分が思っている以上に隠せないものなんですよ?」
「……」
必死に作っていた笑顔が崩れて、今の私の本当の表情が姿を見せる。それを見た小夏ちゃんは、ほらね。と笑って、私から視線を逸らす。
逸らした視線の先にはもう、修平くんと葵雪ちゃんの姿は無い。二人が消えた道の先を見つめる小夏ちゃんは、何故か悲しそうにしていた。
「私、お兄ちゃんのことが好きなんですよ。兄としてじゃなくて、一人の男性として」
「……」
……知ってるよ。これまで何度も見てきたから。
兄妹の関係を越えて、恋人同士になった二人を。
「……修平くんと葵雪ちゃんを見るのは辛い?」
「辛いです。嫉妬してます。大好きなお兄ちゃんを取られちゃったんですから当然ですよ。でも――」
「……でも?」
「どうせもうすぐ終わるんです」
「え……?」
それはどういう意味?
そう尋ねようとした私は、小夏ちゃんの顔を見て言葉を飲み込んだ。つい先程まで見せていた悲しげな表情は幻覚か何かだったのかと思ってしまうほど、小夏ちゃんの表情は怒りに満ちていた。
「私が、この手で――終わらせます。どんな形で終わることになったとしても構わない。私がやることは一週間前から決まっている」
「こ、小夏ちゃん? 何を考えているの……? 何をしようって言うの……?」
「何って、そんなの――」
言いかけたその時だった。私たちの間に淡い紅の髪がふわりと舞う。
「お取り込み中のところ悪いけど〜、そろそろ動かないと二人のこと見失っちゃうんだよ〜?」
私と小夏ちゃんが話している間、相当退屈だったようで、椛ちゃんはお餅のように頬を膨らませていた。しかし、私たちの会話自体は聞いていなかったようで、内容を追求されるようなことは無かった。
「私たちもお腹空きましたね。お昼ご飯どうします? 尾行している手前、堂々と店に入ることはできませんよ?」
「そんなこともあろうかと〜、じゃーん! お団子の詰め合わせセットを持ってきているんだよ〜」
「用意がいいですね小此木さん! 食べながら急いで追いましょう。ほら、風見さんも行きますよ!」
「……え、あ、うん。そうだね」
正直、私は戸惑うことしかできなかった。
これまでの夢では一度も見たことが無い小夏ちゃんの裏の顔を見たような気がして、自分の認識の甘さを実感する。
「こんなに繰り返しても、私の知らないことはまだたくさんあるのかもしれないなぁ」
「……? 巡ちゃん何か言った〜?」
「ううん。何でもないよ」
私の声に反応した椛ちゃんが振り返ってきたけど、私は軽く笑って誤魔化した。
「さてさて、まだバレていませんし、お兄ちゃんと水ノ瀬さんのデートをじっくり観察しちゃいましょう!」
そう言って笑う小夏ちゃんの笑顔が心からのものなのか、今の私には分からなかった。
to be continued
心音です、こんばんは。
さてさて、今回の話ですが唐突のデート回と思いきや小夏が何か良くないことを企んでいる様子。物語は急加速のクライマックスへと進んでいきます。




