第80話『終わりへのカウントダウン』
ひよりの死体を見つけてから一週間が経った。
あれから何度か警察が来てひよりのことを聞いてきたが、俺たちは知らないの一言で済ませていた。葵雪の力が周りに与える影響はかなり強力らしく、未だにひよりのことを知っている人はもちろん、血縁者すらも捜査線上に上がっていないらしい。
「記憶を改ざんするだけで、人一人の存在が容易く消えるって何だか悲しいよな」
今は昼休み。俺は葵雪と共に学校の屋上に侵入して昼ごはんを取っている最中だった。コーヒー牛乳を飲みながらサンドイッチを食べていた俺だが、途端に味というものが感じなくなって手を止める。
特に話すことが無いからと持ち出した話題だが、正直昼時には合わない話題だと思った。しかし、今更撤回するのもあれだからと俺は言葉を続ける。
「記憶があるからこそ、人は誰かに覚えてもらえる。自分がここにいたという証を記憶として他人に残すことができる。だから、誰の記憶からも忘れ去られてしまったら、その時点で死んだも同然なのかもしれない。もしそうなら俺は、誰かの記憶に自分を残して死にたいと思う。忘れられるのはやっぱり悲しい」
事実、ひよりの存在は俺たちの記憶を除いて完全に消滅してしまっている。この広い世界の何処を探してもひよりのことを知っている人間はいない。
ひよりが使っていた物や、この世界で生きていたという痕跡も何も残っていない。実の親ですらも、娘の存在を忘れている。それを知った時、ああ……親子の関係も所詮は記憶で決まるのかと、そんなことを一人考えていた。
「人は二回死ぬって話を聞いたことはあるかしら?」
俺の食べかけのサンドイッチを奪い取ると、葵雪はそのまま自分の口に放り込んだ。
唇に付いたマスタードを舌先で拭うと、唾液で唇が艶かしく光る。それを横目で見ながら葵雪の言葉に耳を傾ける。
「一度目は肉体的に死を迎えた時。二度目は自分を覚えていてくれる人の記憶から、その存在が忘れ去られてしまった時。肉体的に果て、全ての人から自分の存在が消えた時、初めて人は本当の死を迎える」
だから――と、言葉を続けて葵雪は俺を見つめた。
自分からは言わない。この続きは俺が言えと、そういうことだろう。
「ひよりは俺たちの記憶に残っている。ならば、ひよりは本当の死を迎えたわけじゃない。肉体的に死んでいても、俺たちの記憶の中でひよりはまだ生きている」
ひよりが生きていた証は俺たちの中にある。この世界が終わりを迎えるまでの間はずっと残り続ける。
それが良いことなのか悪いことなのか――それは分からないけれど、忘れられてしまうよりはずっとマシなのかもしれない。
何気なく見上げた空は青く澄み渡っていた。
人一人の存在が消えようとも、この空は変わりなく朝を迎え、太陽が沈んで夜になり、また朝が来る。何も変わらない当たり前の時間が流れる。
人はいつか必ず死ぬ。それが早いか遅いかの違いはあるけれど終着点は変わらない。死ぬのが当たり前だと認識しているからこそ、人はそれを受け入れ、世界は廻り続けるのだ。
「――ひよりを殺したのは葵雪、お前だろ?」
無限に広がる青い空から顔を下ろすと同時に、臆することなく直球で俺は訊ねた。
大方予想はついているが、葵雪の口から直接聞いたわけではない。タイミング的にもちょうどいいし、ここできちんと聞いておきたかった。
「そうよ。あたしがこの手で殺した」
葵雪はまるで朝の挨拶のような軽い口調で自身の犯した罪を認めた。髪を指先でくるくると弄る葵雪。俺はその手をジッと見つめる。
その手は一体どれだけの人間の血で染まっているのだろうか。
これまでに世界がどれだけ繰り返してきたか分からないし、葵雪が世界毎に誰かを殺したとも限らない。はっきりとした数は当の本人ですら忘れてしまっているかもしれないが、おびただしいほどの赤で汚れているのは確かだろう。
しかし、俺は掴んだ手を離すつもりは無い。
それは何故か。葵雪のことを愛しているからというのはもちろん、俺自身が壊れているからだ。俺の今の感性は人とは明らかに違う。堕ちてはいけない方向へ堕ちてしまっている。
事実、友達であるはずのひよりが死んだのに、悲しんだのは最初に亡骸を見つけた時だけ。巡たちの記憶が残っているなら、今もきっと泣き続けていたに違いない。けど、俺からはもう涙が出てくることはない。それは何故か。簡単なことだ――
どうでもいい――そう思ってしまっているから。
「――そうそう修平。あたしがひよりを殺した理由だけど、ひよりはあたしが修平を殺したという事実を何らかの方法で知ってしまったのよ。……一応聞いておくけど、修平が話したわけではないのよね?」
「口が裂けてもそんなこと言えないっての」
葵雪が俺を殺したことを知ってしまった。 いつ? どこで? 思い当たる節があると言えばある。
あの夜、みんなが夕飯を作っている時、火の番をしていた俺のところにひよりが来た時間があった。ひよりは至って普通だったけど、俺と目を合わせた途端に様子がおかしくなっていた。
何かあったとすればその瞬間と言えるが、決定的なことは何も分からない。
「まぁそうよね。んで、あたしはその事をあの夜に聞いたのだけど、ひよりは教えてはくれなかったわ。それはこの世界でのあたしと修平の幸せの障害になる。だから、いっそのこと殺して終わりにしようと思った。けど、世界はリセットされずに今も尚続いている」
「それはもう何度も聞いた。俺たちの当面の目的はその理由を探すこと。世界の秘密を明らかにしない限り永遠に平行線のままだからな。この世界がリセットされる前に少しでもゴールに近づいておきたいものだ」
「まぁ、記憶が引き継げるのはあたしだけだから、ぶっちゃけちゃうと、修平のことは利用するとしか思っていないわ」
悪びれる様子もなく葵雪は淡々と告げる。
俺自身そこまで気にはしないのだが、こうもあっさり言われると呆れを通り越して清々しい。
飲みかけのコーヒー牛乳を一気に飲み干すと、やたら甘ったるい味が喉を駆け抜けた。空になった紙パックをビニール袋に入れて俺は立ち上がる。
フェンスの側に寄ってグラウンドの方を見ると、数人の男子生徒がサッカーをして遊んでいた。
「……哀れだな」
思わず呟いた言葉の冷たさに自分でゾッとする。
以前の俺なら、楽しそうにしているなー、俺もやりたいなーとか、そんな楽しいことを考えていたのだろうが、今の俺はそんな楽観的な思考に至ることは無い。
「――彼らは何も知らないのだから仕方ないわ」
俺の隣に立った葵雪は大きくため息を吐く。
グラウンドを見下ろす葵雪の瞳は、この青い空に反してどんよりと曇っていた。
「知っている人とそうでない人とでは見えている世界が変わってくる。あたし達にはツクリモノでも、彼らにとってはこの世界が現実なのよ」
「何も知らないってのは、ある意味では幸せなことなのかもしれないな」
何も知らなければ明日に期待をすることができる。当たり前の未来を信じることができる。
「どうかしらね。何も知らないことが幸せに繋がることは確かにある。けど、不幸へ繋がっていないなんて自信を持って言えるかしら?」
人生はすごろくのようなものだ。選択肢というサイコロを振って、出た目の数だけ進んでいく。そこには幾つもの障害があるけれど、いつか必ずゴールに辿り着ける仕組みになっている。
けれど、俺たちの人生にゴールはあっても、辿り着けるかどうか分からない。どれだけサイコロを振って行く道を選んでも、止まるマスは必ずスタートに戻るになってしまう。先に進むことが出来ず、永遠に戻される――それが現状だ。
「誰かが幸せならば、誰かは不幸なのよ。全員が全員幸せになることなんてできないの。それがこの世界の不条理さだと言えるわ」
ガシャッと、フェンスが軋む音にしては大袈裟な音が鳴った。
軽く掴んだだけでは決して鳴らないであろう音に振り向くと、葵雪が掴んだフェンスは万力で絞められた後のようにぐにゃぐにゃに歪んでいた。
「……」
それを見た俺は前に屋上で椛がチョップでペットボトルを破裂させたことを思い出す。
最近はあまり気にしなくなっていた不可解な現象。これもきっとこの世界がツクリモノであるという証明だと今になって思った。
「偉い人は、誰でも幸せになる権利を持っているとか、幸せは自分の手で掴み取るものだとか、そんな確証の無いことを簡単にほざくけど、それができるのは極一部の人間だけ。ほとんどの人間は本当の幸せなんて知らないまま死んでしまうものよ」
「なら、葵雪は今……幸せなのか?」
そう訊ねると、葵雪はくすりと笑う。
そしてそのまま空を見上げ、微かに吹く風を感じ取るように目を瞑り、大きく手を広げた。穏やかな表情を浮かべる葵雪はゆっくりと口を開く。
「――幸せよ。でも――」
でも、と付け加えた葵雪が次に目を開けた時、その表情はとても悲しげだった。
「それは偽りの幸せ。ツクリモノの世界に本当の幸せなんてありはしない。あたし達が生きている現実は何処までも虚ろな夢なのよ。そんな夢の中で得られる幸せが本当の幸せであるはずなんてないわ」
何処までも壊れている葵雪は、誰よりもこの現実を受け入れていた。だから、今目の前にある幸せが仮初であると嫌でも理解してしまっている。
「あたしはね、結局何がしたいのか分からないのよ。世界の秘密を明らかにするなんて大それた目標を立てているけれど、それが幸せに繋がるかと問われれば答えることはできない。だから、あたしが守ろうとしているのはきっと……このツクリモノの幸せなのかもしれないわ」
俺はそんな葵雪の人間らしさが好きだ。
目の前の現実が如何に理不尽であろうと受け入れることができ、例えそれが仮初だと理解していても守ろうとする。
「なんかさ、俺はお前が壊れているのかいないのかそれが分からない。目的のためならば友達であろうと躊躇わず殺すし、そのことを後悔しない。傍から見れば狂人だ。でも、俺との幸せのために……そんなにも悲しそうな顔をする」
「……何が言いたいのかしら?」
「お前はどこの誰よりも人間らしい。普通の人間なら絶対に隠し通そうとする心の闇を表に出しながらも、自分の正しいと思った道を突き進んでいる」
「あたしは別に……自分の行動が正しいと思ったことなんて一度も無いわ。言わばこれは自己満足なのよ。自分のためにしかあたしは動いていない。それを人間らしさって言うのなら、この世に溢れかえっている人間全て――クズよ」
吐き捨てるように葵雪はそう言い、嘲笑うように俺を見つめた。俺はその笑みに、同じような嘲笑を返して口を開く。
「俺たちは生きている。過去を振り返ることはできても、戻ることなんて出来やしない。この世界が特別なんだ。なんたって現実じゃないツクリモノなんだからな。けど、常人じゃおかしくなってもいいような現実の中で葵雪、お前は生き続けている。どれだけ悲惨な過去を背負って生きているのか、これまで何度諦めようとしたのか俺には分からない」
ひよりが死ぬ前の晩に見たあの光景。
風巡丘の頂上で葵雪は泣きながら叫んでいた。
『――こんな壊れた世界、もう嫌よ……!!』
あの光景は葵雪の記憶の一部。
葵雪が壊れた瞬間でもあり、最も人間らしくなったその瞬間を映したものでもある。
「でも、葵雪は今を生きている。繰り返してリセットされるからなんてのはこの際どうでもいい。内面がどれだけ壊れていようとも、お前は今こうしてここにいる。それは必死に生きようとしている証だ」
気づけば俺は葵雪の手を掴んでいた。
絶対に離さないと伝えるように強く握りしめて俺は言葉を続ける。
「クズとかそれがなんだ? どうした? そんなことはどうだっていいんだよ。人間みんなクズなんだからな。けどな、本当のクズってのは自分を隠している人間のことを言うんだ。お前は全てさらけ出している。並大抵の人間にはできないことだ」
そんな葵雪だからこそ好きになった。
甘い蜜の匂いに蝶が誘われるように、俺は葵雪の持つ危険な香りに惹かれたのだろう。
「お前が何をしようとも、最後までお前の隣にいるのは俺だ。例え自分の目的が分からなくなろうとも、それだけは忘れるな」
きっぱりと言い切ると、葵雪の口から微かな笑い声が漏れる。それはやがて豪雨のように激しい笑い声に変わっていった。
「……ふっ、ふふ。あは……あははははっ!! それよ……それでこそ修平よ!! あたしが好きになった人はこんなにも狂っている!!」
楽しそうに、そして嬉しそうに嗤う葵雪。
これが俺が好きになった人の本性だ。
「忘れないでいてあげる!! あたしの最期に修平が何をするのか、この目で見届けてあげるわ!!」
きっとこの世界の終わりは近い。
当たり前のように来る朝がいつ終わるのか、楽しみで仕方なかった。
to be continued
心音です、こんばんは。
修平が何を考えているのか。葵雪は何を察したのか。物語の最後は近いです。




