第73話『川辺で釣りを』
「おおー! いいところだな!」
葵雪のお見舞いに行ってから約一週間後の土曜日。
休んでいた三人が完全復活したということで、みんなで川辺に遊びに来ていた。
遊びと言っても、半分はこの一週間の間に起きたことを忘れるための憂さ晴らしのようなものも含まれていた。
「いやー、今日くらいは何も起きないでほしいですね。折角皆さんで遊ぶんですから楽しく過ごしたいです」
「……そうね。正直疲れたわ」
葵雪たちが風邪で学校を休んだその日から俺たちの周りで不可解な出来事が続いていた。
軽く叩いただけのペットボトルが破裂したことから始まり、行ってもないはずのお見舞いに行っていることになっていたり、他にも普通では考えられないようなことがここ一週間続いている。
「私は既に今朝体験してるけどね……」
そう言って巡は大きなため息を吐く。
「そうなのか?」
巡とも色々とあったわけだが、交友関係が悪くなることを互いに望んでいないということで、この話は呆気なく終止符を打っていた。
言葉の真意が気になることは事実だが、こうして話が決着した以上蒸し返すわけにもいかない。何事も無ければそれでいいという気持ちもあるし、まぁ気にしないでおくことにしよう。
「朝コーヒーを飲もうとしてお湯を沸かしていたんだけどさ、ポットって沸騰したら音鳴るじゃん? あれがいつまで経っても鳴らなくて、確認してみたら何故かコンセントが抜けていたんだよね」
「実は最初っから挿し忘れていたパターンは?」
「考えたよ。けど、お風呂の温度くらいには温まっていた。つまり途中まではちゃんと動いていたってことだよね。本体のプラグが抜けているならともかく、コンセントが抜けるなんてありえる?」
「……普通じゃ考えられないな」
あんなしっかりと嵌められるものが何もしないで抜けるなんてどう考えたってありえない。
「私たちは特に何も無かったよね、お兄ちゃん」
「今日のところはな」
まだ正午にすらなっていないこの時間で、今日は何も起こらないと考えるのは浅はかだし、それ以前にいつどこで何が起きるか分からないから考えたところで無意味というのもある。
「まぁ気になることだけど〜、とりあえず遊ぶ前にお昼ご飯にしようよ〜」
言いながら椛が釣竿を投げ渡してくる。
片手でパシッと受け取りお礼を告げると、俺は餌の確認を始めた。
川辺で遊ぶ的な話だが、実際のところキャンプをしようという話になっている。
だからBBQ用のグリルに飯盒、テントや寝袋も用意してある。昼飯は魚を釣って焼こうと言う話になっているが、釣れなかった時用の為にそれなりに食材は用意してあるから飢える心配はない。
「あたしと巡はテント張ってるから、小夏とひよりは手分けして火起こしておいてくれる?」
「任せてください! さ、小夏さん! まずは木を取りに行きましょう!」
ナタを片手に張り切るひよりに思わず苦笑いを……ナタ?
「いや待てひより。お前そのナタ何に使うんだよ」
「え? 何ってそんなの決まってるじゃないですか。木を根本から叩き切るためですよ!」
「森林伐採反対!! 今すぐそのナタを寄越せ!!」
ひよりからナタを奪ってため息を吐く。
全く、目を離した隙に何をしでかすか分かったもんじゃない。
恨めしげに俺を見るひよりに手でさっさと行けとジェスチャーすると、渋々森の中に入っていく。小夏は一瞬だけ俺の方へ振り返ってにっこりと笑うと、ひよりの背中を追って森に入っていった。
「小夏ちゃんがいるならひよりちゃんも悪さはできないね〜」
「俺たちは安心して釣りに集中できるな。時に椛よ」
「なんだね修平くん?」
「この川では何が釣れるんだ?」
魚について詳しいわけではないが、少なくとも食べられる魚がいてくれないと困る。俺たちの食事がかかっているのだ。食べられる魚がいませんでしたなんてシャレにならない。
「旬ならニジマス〜。あとは……もしかしたら鮎も釣れるかもね〜。鮎は六月くらいの方が美味しいと思う〜」
「……それ俺たちみたいな初心者には難易度が高くないか?」
そう訊ねると、椛はチッチッチッと人差し指を振る。
そしてほんわかとした笑顔を浮かべて釣竿に餌を付け始めた。
「修平くん。野球に必要なものと言えば何かな〜?」
「バットとボール。あとグローブか」
手馴れた手つきで餌を付け終えると、釣竿を俺に手渡してくる。餌の付け方が分からなかったから、正直助かった。
椛はもう一度その場にしゃがみ込むと、今度は自分の分の釣竿に餌を付けながら口を開く。
「そんな物は必要無いんだよ〜」
「いやあるだろ」
思わず突っ込んだ。道具も無しにどうやって野球をすると言うんだこの脳内ほんわか少女は。
蔑みの視線を送ってあげると、脳内お花畑椛さんは完全にスルーを決め込んで餌をつけた釣竿を振りかぶった。
「野球に必要なのは〜、気合と〜、根性と〜!! ガッツなんだよ〜!!」
「それで勝てたら苦労しないよな」
ビュンと、風を切り裂く音。かなり遠くの方に投げ込んだようだ。
俺も椛を習って投げ込んでからその場に座り、初夏の涼しさを含む風を感じながらのんびりと獲物が掛かるのを待つことにした。
「修平くんは葵雪ちゃんとデートには行ったの〜?」
獲物が掛かるまでの待ち時間は暇だ。
会話でもして場を繋げるに限る。
「本格的なデートなら三日くらい前に学校帰りにした。と言っても隣町まで足を伸ばしてウィンドウショッピングして夕飯食ったくらいだけどな」
「それを世間一般ではデートと呼ぶんだよ〜。キスはもうしたの〜?」
「告った10秒後に済ませてる」
「えっちは〜?」
「……随分と直球で聞くんだな」
女の子もそういう話は好きだと聞くが、ここまでどストレートに聞かれるとは思ってもみなかった。
興味津々と目を輝かせている椛。おもちゃを買ってもらいたいが一心で親を見上げていた小さい頃の小夏とダブって見える。
まぁ、あの純粋さに比べたらこっちは下心しかないわけだから同一に見たくはない。
「まだしてない。そういう雰囲気になってないし、この一週間それどころじゃなかった」
何もかもあの不可解な現象のせいだ。
夜のようにじわじわと俺たちの日常に侵食してくる際限のない闇。俺たちの光溢れる日常はこの闇に少しずつ奪われているようだった。
「したいとは思わないの〜?」
「踏み込んでくるなー……。したくないと言ったら嘘になる。けどさっきも言ったけどそれどころじゃないからな」
日常が黒く染まりきるのが先か、明るい未来を取り戻すのが先か。
この不可解な現象がいつまで続くのか分からない。始まったきっかけすら分からない。けど、始まってしまった以上、この現実を受け入れるしかない。
「なら、この休みがチャンスだね〜。気を利かせてあげるからさ〜、葵雪ちゃんとレッツトライするんだよ〜」
「んな軽いノリで言われてもな……。初めてが外ってどうなんだよ?」
「テントでやればいいんだよ〜」
「……お前たちもいるだろうが」
人に見られながらやるような趣味はない。
葵雪もそんな趣味は無いはずだ……と信じたい。
ルアーに魚の反応は未だに無い。
早いところ獲物が掛かってくれないと、どんどんと話が捻じ曲がっていくような気がしてならなかった。
降り注ぐ太陽の光を反射して宝石のようにキラキラと輝く水面。椛の俺に向ける眼差しもこれに負けないくらい輝いている。
そよそよと吹く風が椛の淡い紅色の髪を揺らし、女の子の優しい香りを俺に届けた。葵雪とはまた違う香りにほんの少しだけドキドキしてしまう。
「そこはほら〜、わたし達は空気の読める人だから、やる時はちゃんと一時間くらいお散歩してるよ〜」
「いらんお世話だな」
とは言え、その気遣いは有難いかもしれない。
性行為をするしないはともかく、二人きりになれる時間をくれるのであれば好意を無駄にするのは勿体無い気がする。
「まぁ、その時の気分次第で頼むわ」
「了解なんだよ〜」
そこで一旦会話が途絶える。
無言の中で巡と葵雪がテントを組み立てる音が響いていた。向こうは汗水垂らして頑張っているというのに、俺たちはぼーっと座っているだけだと考えると少しだけ申し訳ない。
「……暇だね〜」
沈黙に耐えかねた椛がひっそりと呟く。
大本命の話題を早々に片付けてしまったせいで、話すことが特にないのだろう。
ならばと、俺はこの町の住民ならば知っていそうなことを訊ねてみることにした。
「風巡丘の風車ってなんで回らないんだ?」
「特別なことが何も無いからじゃないかな〜?」
「特別なこと?」
それは一体どういうことなのだろうか?
そんなことを思っていると、椛は見兼ねてくれたらしく説明を始める。
「風巡丘の風車は何か特別なことが起きた時に回るっていう伝承みたいなのがあるんだよ〜」
「回らないように設計されているとか、そういう物理的な概念で回らないわけではないのか?」
「手で動かせば簡単に回るよ〜。わたし試してみたことあるからね〜」
指をくるくるさせながらその時のことを再現する椛。
そういった方法で回すことは出来るけれど、風では回ることがない。一体どんな技術で作られているのか想像もつかない。
「特別なこと……特別なこと。パッと思いつくようなものじゃないよな。そもそも抽象的過ぎるんだよ。特別なことって言ったってさ、人によって考えが違うわけだろ?」
「……つまりそういうことなんじゃないのかな〜?」
「と言うと?」
椛が何を言いたいのか察せられず聞き返すと、言葉を考えるように視線を落とす。少ししてから考えがまとまったのか、椛は俺の方へ顔を向ける。
「自分の中で何か特別なことが起きて、それに連動するように風巡丘の風車が回る。風巡丘にとって特別ではなくて、自分にとっての特別が風車を回すのに必要なのだとすれば、わたし達自身が何らかのアクションを起こさない限り一生回ることは無いんだと思うんだよ」
「とは言ってもな……自分にとっての特別を見つけるのがまず難しくないか? 誰にだってあるとは限らないし、何ならそれが特別だと思えば何だって特別になるってことだろ?」
「例えば?」
「例えば……例えば……。あれ、言われてみると特に考えつかないな」
思いつきそうで思いつかない。
しばらく頭を捻るも、これと言ったことが何一つ浮かんでこないのもなかなかに問題かもしれない。
「簡単に思いつかないからこそ特別なんだとわたしは思うんだよ。だからこそ風車は回らない。本当に心から特別だと思うことが必要不可欠なんじゃないかな」
「難しいな」
簡単に答えて俺は釣りに集中することにした。
その途端、ピクっとルアーが反応して猛烈な勢いで釣竿が引っ張られる。それなりに大きい魚が食いついてくれたようだ。
「時に椛」
「なんだね、修平くん」
「俺は釣りというのを生まれて初めてやっているわけだが、こっからどうすればいいんだ?」
魚が食べたければスーパーに行けばいいじゃないというマリーアントワネット精神の人間にとって、自ら食料を調達することがまず無い。
故にド素人。さっきからとりあえず引っ張っているのだが、どう考えたってやり方が間違っている。
「今結構引っ張られているよね〜? 少しでも抵抗が軽くなった時にリールを回してみて欲しいんだよ〜」
「リール? リールってどれだ!?」
「糸が巻かれているところだよ〜。横のレバーみたいなところでくるくる巻き取ることができるんだよ〜」
とりあえず言われた通りに実践してみることにする。
魚の抵抗が弱くなった瞬間に――巻く!!
「おお。少し距離が縮んだような気がする」
「その調子なんだよ〜。もうちょっと近くなったら一気に引き上げちゃおう〜」
「了解した!!」
言われたことを忠実に。何事も基本に沿っていくのは大切だ。
俺と魚の距離はだいぶ縮まっている。そろそろラストスパートを掛けようと釣竿を握る手に力を込めた。
「――どぉぉぉぉぉせぇぇぇぇぇい!!」
吠えながら釣竿を引き上げる。
水飛沫が上がり、そこから表面がキラキラと光っている大きめの魚が姿を見せた。
「お〜〜〜〜〜!! ニジマスなんだよ〜〜〜〜〜!!」
「感動するのは後回しだ!! これこの後どうすればいいんだ!?」
「バケツに水汲むから待ってて欲しいんだよ〜!」
言いながら椛は自分の釣竿を固定して用意しておいたバケツに川の水を汲んで俺の前に置く。
「一旦魚を地面に置いちゃって欲しいんだよ〜」
何をどうすればいいか分からない俺は言われた通りに釣糸を手繰り寄せて魚を地面に置く。
置いたからといって魚が大人しくなる訳でもなく、ピチピチと跳ね回っている。すると椛は、慣れた手つきで魚を抱えるとバケツの上で針を外した。
「初っ端から大物を釣り上げるなんて修平くん釣りの才能があるのかもしれないね〜」
「マジかー。俺の隠された才能は釣りだったかー」
狭いバケツの中で懸命に泳ぐニジマスを見ながら俺は込み上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。
ここまでの達成感を覚えたのは転校前にやっていたバスケ以来かもしれない。
「この調子でみんなの分の飯も釣ったるわ」
「ふふっ。わたしも負けないんだよ〜。あ、ついでだから餌の付け方を教えてあげるんだよ〜」
「それは助かる。ありがとな、椛」
「いえいえなんだよ〜。修平くんのおかげで昼ごはん抜きを回避できたからこっちもありがとうなんだよ〜」
それから椛に餌の付け方を教えてもらい、俺と椛は昼ごはんの調達に勤しんだのだった。
to be continued
心音ですこんばんは!
さぁ!葵雪ルートのメインストーリーに入りました(これが!?)!!葵雪ルートはここからエンジン入ります!!




