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Life -刻の吹く丘にて-  作者: 心音
Episode of Ayuki
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第69話『睨み合いの果てに』

「――心因性発熱。それもかなり重度な、ね」


巡が保健室に運ばれてから数十分後。付き添いでついて行っていた葵雪は俺たちの待つ教室に戻ってくるやそう告げた。


「? 心因性発熱ってなにかな……?」


聞き慣れない単語に椛が首を傾げる。


「分かりやすく言うならストレス熱。何か精神的に負担が掛かるようなことが積み重なっていたのかもしれないわね」


そう語る葵雪の口調は軽く、俺の考えすぎかもしれないが、まるで他人事のように聞こえてしまうのは何故なのか。


外の景色を濡らす雨はその強さを増していた。

春とは思えない黒く淀んだ空。この分だと当分の間止むことはないだろう。

雨は俺たちの心すらも濡らして淀ませる。明るいことを考えて気分を上げようにも、何を考えても暗いことしか思いつかない。


灯りを付けていない薄暗い教室は俺たちの心情を表しているようだった。チカチカと明滅を繰り返す蛍光灯が葵雪のアメジスト色の瞳を妖しく光らせる。

奈落の底に吸い込まれるように、俺たちの視線は葵雪の元へ引き込まれていく。


「ストレスで倒れるまで巡は何を自分の内に隠していたのかしらね? 今日会ったばかりの修平に小夏、ひよりはともかく、ずっと一緒にいるあたしと椛が気づけなかったのはだいぶ問題よね」


ここで葵雪の瞳が少しでも揺れれば本当に巡のことを心配しているんだなと思えたかもしれない。けれど、葵雪の瞳は依然として変わらないままだった。


雨の降る音、呼吸をする音、微かに聞こえてくる吹奏楽部の楽器の音――。その全てがこの静寂に包まれた教室を強調していた。

葵雪の言葉に誰も何も返さない。いや、返せないと言った方が正しいのかもしれない。俺も、小夏も、椛にひよりも。葵雪の今の言葉が他人事にしか聞こえてならなかったからだ。


「……今の葵雪ちゃん、なんか怖いんだよ」


そんな静寂を割くように、椛がポツリと呟いた。

何処と無くさ迷っていた葵雪の瞳が椛の元で止まる。


「そう? あたしはいつもこんな感じよ。そういう椛はいつもの能天気さが抜けてるわね」


「わたしだっていつも脳天気なわけじゃないんだよ。巡ちゃんのことが心配だから。けど、葵雪ちゃんは違うんだよ」


「違う? 何が? あたしだって巡のことは心配よ。友達が目の前で倒れたんだから心配して当然じゃない」


「わたしには心配しているように見えないんだよ」


「心外ね」


葵雪は雪のように白い髪をサッと掻き上げる。

淡い、焼けた花の香りが鼻腔をくすぐる。葵雪の優しさと冷たさ、その両方を兼ね備えた麻薬のように甘くて危険な香りだった。


「見た目的にはそうは見えないかもしれないわね。焦りを見せないことで冷静でいるように見える。それが今のあたしの状態よ」


「嘘なんだよ」


椛の一言が葵雪の表情を凍てつかせた。

こちらを心配させまいと柔らかげに浮かべていた笑みが徐々に冷たいものに変わっていく。それはまるで貼り付けていた仮面が剥がれ落ちていくように、ゆっくりとその本性を顕にしていった。


「ああ……そうだったわね。椛にはそういう力(・・・・・)があったわね」


「!!? 葵雪ちゃん……どうしてその事を知っているんだよ……」


目に見えて椛が焦り始める。

驚愕と困惑の混じった疑いの眼差しを真っ向から受ける葵雪はそんなこと気にもしていない様子で笑っている。


「どうして知ってるかって? そんなのは簡単よ。前に椛から聞いたことがあるから。ああ、でもこの言い方だと語弊があるわね」


葵雪の口元がぐにゃりと歪んだ。

得体の知れない緊張感が俺たちの周りに広がり、それと同時に俺は葵雪が何かとんでもないことを言うのではないかと身構えてしまう。


横殴りの雨が窓を叩く音はまるで警鐘のようだ。

ここから先は聞いてはいけないと警告している。でも誰一人として耳を塞ぐことは無かった。好奇心というのは恐怖ですら打ち負かしてしまうのだから。

そして大抵の場合は聞いてしまった後に後悔する。そうなってしまったら後悔しても遅いのに、何故聞いてしまったのだろうと自分を責め立てる。その行いに何の意味もないというのに。


「あたしはね、椛。何回か前の世界で椛自身がその事を話してくれたから知っているのよ」


後悔するにも理解が追いつかなかった。

何回か前の世界……? 葵雪は一体何の話をしているんだ……?


「あら? みんな黙ってどうしたの? 聞こえなかった? ならもう一度言ってあげる。あたしは何回か前の世界で椛から力のことを聞いているの。だから知っている。椛に嘘は通じないということを。ね? 椛」


「……」


椛は完全に言葉を失っていた。

葵雪の言う椛に嘘が通じないというのが本当ならば、椛は今の葵雪の言葉が嘘でないことを見抜いている。


「認めなさい。あたしの言葉が本当だってのは椛が一番良く分かっているはずよ」


「……み、認めるんだよ。葵雪ちゃんは何一つ嘘を吐いていない……。でも、だったら……何回か前の世界ってどういうことなんだよ……?」


震える声で椛がこの場にいる全員の疑問を代弁した。

葵雪はすぐには答えない。値踏みをするように俺たち全員の顔をゆっくりと見渡して焦らしていた。

餌を待つ雛のように口をパクパクさせて答えを待つ俺たちを見て、葵雪は心の底から楽しんでいるようだった。そして我慢の限界に達したタイミングで真実という名の餌をばら撒く。






「――この世界はね、繰り返しているのよ」






黒く染め上がった空に歪な雷光が走る。

一瞬だけ真昼間のように明るくなり、狂人のような笑みを浮かべて佇む葵雪が片手で顔を覆い隠す。

込み上げてくる笑いを耐えているようで、微かに開いた口元から嘲笑が漏れていた。


「信じられる? 信じられないわよね? でも残念だけど今言ったことは真実よ。椛、あなただったら分かるはずよね? 言葉の真偽が見抜けるあんたなら、あたしの言ったことが真実だって分かるはずよ」


「……」


椛は何も答えなかった。

けどその表情から血の気が失せていて、口にせずとも葵雪の言葉が真実であることを証明していた。


「……水ノ瀬さん。どうしてそんな話を今この場でしたんですか。私は水ノ瀬さんが何を考えているのか分からないです」


自分だって相当戸惑っているはずなのに、小夏は強気で葵雪に問いかける。

愉快そうに笑っていた葵雪の瞳がぐるんと動き、真っ直ぐに小夏を捉えた。蛇と虎が睨み合うような重苦しい緊張感に押し潰されそうになる。


「分からない? そりゃそうよ。あたしが考えていることが分かるのはあたしだけ。他の誰かに理解してもらおうとすら思っていないわ」


「それはお兄ちゃんもですか」


まさか俺の名が出てくるとは予想もしておらず、体がビクッと反応する。

変な動揺を出さずにいたかったが、葵雪の答え次第では俺は信用されていないということになる。それを聞くのがどうしても怖くて、生まれたての小鹿のように足が震え出した。


「修平? 修平は例外よ。自分の彼氏を信じないほどクソな女になったつもりはないわ」


その言葉を聞いてホッと胸を撫で下ろす。

そういう場面で無いことは分かっているが、葵雪が俺のことは信じてくれていると分かって安心した。


「そうですか。それは良かった。もしもお兄ちゃんのことを他の人と同等で見ているのであれば、私はお兄ちゃんの妹として水ノ瀬さんのことを許しませんでした」


「許さない? ふーん。じゃあもし仮に、信じてない。なんて言ったら、あたしはどうなっていたのかしらね?」


「死んでたかもしれませんね」


ホッとしたのも束の間、小夏のその一言が再び俺の心を不安で埋め尽くす。


「殺してましたよ、確実に」


小夏の目が据わっていた。産まれてからずっと一緒に生きてきたからこそ嫌でも分かってしまう。

もしも葵雪が俺のことを信じていないと言ったら、冗談でも何でもなく、本気で葵雪のことを殺していた。


「殺す? 誰が? 誰を? ふふっ、あははっ! 面白いこと言うわね。いい事を教えてあげる。そういう事を言う人に限って絶対に殺せないのよ」


「どうしてそう言いきれるんですか?」


「だってそうでしょ? 一時の激情に流されているだけなんだから。結局何も出来ずに終わるわ」


「なら、試してみますか?」


そこで俺はようやく、小夏の右手にシャーペンが握られていることに気づいた。

おそらく、俺のことを信じているのかと問い掛けた時から持っていたのだろう。葵雪の返答次第では今頃あのシャーペンは小夏の手の中に無く、雨の匂いの中に血の臭いが混じっていたかもしれない。


「そのシャーペンであたしを刺すのかしら? いいわよ。やれるもんならやってみなさい」


両手を大きく広げて抵抗はしないとアピールする。

それを見た小夏の瞳に燃え盛る怒りの炎が宿ったのを見て、俺は慌てて二人の間に入り込む。


「いやいや待て待て。お前らそろそろ落ち着けよ。小夏はそのシャーペンをしまえ。葵雪は小夏の言葉を間に受けて煽るなって」


「……」


「……」


耳が痛いほどの静寂が俺を貫く。

一髪即発の空気に俺の精神はそう長くは持ちそうになかった。喉が緊張のあまりカラカラと渇く。誰でもいいからこの場の空気を変えてくれと願わずにはいられない。


「……本当に、やめてくださいよ……」


絞り出すような声を上げたのはひよりだった。

苦痛に顔を歪め、潤んだ瞳からは涙が零れそうになっている。それでも零さまいと必死になって堪えて、小夏に向かって手を伸ばす。


「シャーペンは書くための道具ですよ……。人を傷つけるための道具じゃないんですよ……? 当たり前のことですよね? 言わなくたって分かるはずですよね……?」


固く握られた手の指をひよりは一本ずつ開いていく。

小夏が抵抗することは無かった。すぐにシャーペンはひよりの手の中に収まり、そこで一息ついて今度は小夏のことを見つめる。


「ひよりはまだ小夏さんと友達になって間もないです。でも、ひよりには何となく分かるんです。小夏さんはこんなことをする人じゃないって。優しい人だって分かるんですよ……」


「花澤さん……」


その切実な言葉に、氷のように固くなっていた小夏の表情がじんわりと溶けだしていく。


「やめましょうよ、こんなの。ひより嫌ですよ……。巡さん倒れちゃったんですよ……? 喧嘩して待つんじゃなくて、巡さんの無事を信じて待ちましょうよ……」


「……悪かったわよ」


ひよりの悲しげな顔にさすがの葵雪も堪えたらしく、小夏の方へ向き直ると静かに頭を下げた。


「ごめん。調子に乗ったわ」


「いえ……こちらこそ失礼なこと言ってごめんなさい」


二人の謝っている姿を視界に入れつつ、わずかに椛の方へ顔を向ける。

椛もホッとした様子で二人を見ていた。となると、二人の言葉に嘘偽りは無いということになる。葵雪の言葉を信じるならばの話だが。

まぁなんにせよ、これでいい。さっきの空気よりは全然マシだ。あとは俺の渾身のギャグでこの場を盛り上がればそれで完璧と言えるだろう。


「これで一件落着――」


「こんな空気にして本当にごめん。だから――」


葵雪の口元が歪んだ。

その瞬間、得体の知れない何かに全身をまさぐられるような不快な感覚が駆け巡る。


「ま、待て葵雪。やめ――」


葵雪が何をしようとしているのか分からない。

だけど……とてつもなく嫌な予感がした。

止めなければならない。でも、俺の声が葵雪に届く前にそれは起こった。






「――今の会話は全て無かっ(・・・・・・・・・・)たことにしましょう(・・・・・・・・・)






そうして――俺は――いや、俺たちは、次の瞬間にはつい先程まで何を話していたのか、何をしていたのか――何もかも……忘れ去っていた。



to be continued

心音です。こんばんは。

今回の話は葵雪がこの世界について知っているということを明らかにする話でした。

葵雪の持つ力は一体……?

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