第63話『月明かりに照らされて』
「……寝れねぇ」
時刻は23時を少し過ぎたところ。
布団に入ったのが21時頃だったから、かれこれ二時間は過ぎていることになる。
長旅……と言っても元々住んでいたところから四時間程度のところに虹ヶ丘はあったわけだが、慣れない電車の乗り継ぎやらバスを使ったりやらで体はそれなりに疲弊していた。
明日からこの街に唯一ある高校の虹ヶ丘高等学校に通うことになっており(親に勝手に編入手続きをされた)小夏と相談して早めに寝ておこうという話になっていた。しかし――
「何故寝れない」
今どきの高校生にしては早すぎる時間に布団に入ったせいなのか、それとも単純に体が疲れていないだけなのかは分からない。
自分たちの部屋は片付いておらず、小夏と二人、リビングに布団を敷いて眠っているのだが、全く寝付けずにゴロゴロと寝返りを打ちまくる俺とは違い、小夏は完全に夢の世界へ入り込んでいた。
時折聞こえてくる不気味な笑い声。一体どんな夢を見ているのか分からない。もし覚えているのなら、朝起きた時に意気揚々と今見ている夢の内容を語ってくれるだろう。
「……夢か。結局俺が見ていた夢はどんな内容だったんだろうな」
よだれを垂らして眠る小夏は女の子の寝顔としては致命的で、俺はティッシュで口元を拭ってあげながらそんなことを考える。
思い出せるのは悲しい夢だったということだけ。それ以上のことは雪のように溶けて消えてしまった。
「……散歩でもするか」
方向音痴が聞いて呆れる。
そうは思いつつも、このままじっとしていても寝れる気がせず、俺は小夏を起こさないようにパーカーだけ段ボール箱から取り出して静かにリビングから抜け出した。
電気も付けずに暗い廊下を進む。
玄関のドアに付けられた覗き穴から僅かに射し込んでくる月明かり。光源はそれしかない。
自分の歩く音がやたら大きく聞こえる。普段ならば大して気にすることのないフローリングの床が軋む音が何故か妙に不安を煽る。
不安……? なんで、不安?
自分の思考に疑問を抱く。
俺は今、何に対して不安になったんだ?
「……って、寒っ!?」
ドアを開けた途端に春とは思えないほど冷たい風が吹き抜ける。手に持っていたパーカーを早速羽織ってから俺は夜道を歩き始めた。
行き先も決めずにぶらぶらと歩くのは方向音痴にとって致命的ではあるが、昼間あれだけ迷子になったおかげで道は覚えているから多分きっとおそらく大丈夫だろう。
都会とは違い、田舎の夜はあまりにも静かだった。
聞こえてくるのは風の音。そして自分の足音だけ。街頭すらまともに無い住宅街は暗闇に包まれている。
俺は歩く。ただただ歩き続ける。
目的地は決めていないはずなのに、足は止まることなく動き続ける。風が俺の背中を押しているからだ。
まるで誘われているようだった。だから俺はその誘いに乗ってただ進み続ける。
何処へ行く? それは分からない。
俺はただ誘われているだけなのだから。
行き先を知っているのは風だけ。風に何を問いかけたところで返事が返ってくることは無い。
だから俺はただ黙って誘われる事にした。そうすれば昼間に見た夢の正体が分かるような気がしたからだ。
確信があるわけではない。
ただ何となくそう思っただけ。それだけの理由で俺は暗い夜道を歩き続けた。
夕飯を買ったコンビニのある商店街を抜け、小川の横のあぜ道を突き進む。それからしばらく歩くと、真っ黒な口をぱっくりと開けた森の入り口らしき場所へ辿り着く。
いつの間にか風は止んでいた。道案内はここまでなのだろう。
足を止めて辺りを見渡していると、ボロボロの木で出来た看板のようなものが立っていることに気づく。ポケットからスマホを取り出してライトを付ける。
「……風巡丘。ここがそうなのか」
雨風に当たって腐敗しかけている看板には『風巡丘』と手書きで書かれていた。
夕飯の時に小夏と話していた風車がたくさん植えられている丘はこの森を抜けた先にある。そして俺が忘れてしまった夢の答えもきっとこの先に。
俺は覚悟を決めて暗い口の中へ足を踏み入れた。
夜の森は不気味だった。全方位から聞こえてくる葉が擦れる音ですら恐怖を覚える。
目の前は真っ暗で何も見えない。暗闇の世界。森の中を歩いているはずなのにそうは感じられない。
深い闇が俺の心を喰らうように浸食してくる。この森を抜けるのが先か、それとも心が黒く染まってしまうのが先か。
「あ……」
不意に視界に光が戻る。どうやら森を抜けたらしい。
スマホで時間を確認してみる。森に入ってから三分も経っていなかった。
感覚的にはもっと長い時間歩いているような気がしていた。暗闇は時に、人の精神状態だけではなく、時間の感覚すらも狂わせるらしい。
「綺麗な丘だな……」
思わずそう呟いていた。
目の前に広がる景色はその言葉以外で表現することができない。
視界いっぱいに広がるエメラルド色の絨毯。大きく深呼吸をすると、青臭さとは違う緑の香りで胸がいっぱいになる。
「……あれ?」
ネットの情報通りにたくさんの風車が地面に植えられていた。でも俺はその風車に違和感を覚える。
すぐ近くにあった風車の前で腰を下ろし、しばらく観察してから違和感の正体に気づいた。
「風が吹いてるのに……回っていない?」
まるで接着剤で固定されているかのように、風車は風が吹いてもその羽を回すことはなかった。
一瞬壊れてしまっているのかと思ったのだが、見渡す限りどの風車もぴたりと静止していた。いくら何でもここにある全ての風車が壊れているわけではないだろう。おそらく最初っから回らないように作られているだけかもしれない。
自分の中でそう結論付け、そのまま立ち上がって丘の頂上にある広葉樹を目指して登っていく。
辺りの景色を楽しみながら歩いていると、ふと妙な気配を感じて俺は一度立ち止まった。
「……っ」
その瞬間、ぞわりと得体の知れない何かに体を撫で回されるような嫌悪感が全身を駆け巡った。
これより先に進んではいけない。そう頭の中で警鐘が鳴り響いている。
ここは本能に従って引き返すべきだ。即座に判断した俺は身を翻して丘から離れようと思った。でもその瞬間、視界の隅に人の影が映ったような気がして、思わずその方向へと振り返ってしまう。
「……え?」
丘の頂上から少し離れた位置に人が立っていた。
女の子だった。ぼんやりとした月明かりが照らし出すそのシルエットは明らかに女の子のもので、俺はその子に釘付けになってしまう。
それだけではない。何故か足が勝手に動き出して女の子の元へと歩みを進めていた。
近づけば近づくほど、はっきりと女の子の全体像が見えてくる。
腰の辺りまで伸びた雪のように白い髪の毛。哀愁の漂う横顔は月を見つめていてまだ俺の存在には気づいていないようだった。服装は……制服? だろうか。おそらく虹ヶ丘高等学校の指定服。一回きりしか見ていないが、引っ越してくる前に小夏が同じデザインの制服をキャリーケースに詰め込んでいたのを見た。
「……?」
俺の足音に気づいたのか、女の子はゆっくりとこちらに振り返る。
女の子は俺と目が合うと、一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた。そして次に見せてくれたのは儚げな笑顔だった。
「……来ちゃったのね」
「え?」
女の子の言葉に俺は戸惑う。
そして同時に妙な既視感に襲われた。俺はこの女の子と何処かで会ったことがある……?
そう考えた途端、頭の中でカセットテープを巻くきゅるきゅるとした音と共に記憶が蘇ってくる。
失われた記憶のピースがパズルのように当てはまっていく。今ならばはっきりと思い出すことが出来る。電車の中で見ていた夢の内容を。でも思い出したくなんてなかった。だって……だって……!?
「お、お前は……夢で俺を……俺を……」
――殺した。
気づけば俺は全力で走っていた。
なんでこんな時間に一人でいるのかとか、綺麗な女の子だなとか、そんなことはもうどうでもいい。
逃げないと殺される――。
力の限り足を動かした。しかし、運悪く足を滑らせてしまい、盛大に転んでしまう。
あまりにも致命的なミス。捻挫していないのは救いだったが、変に体を打ち付けてしまい、すぐに立ち上がることが出来ない。
「――覚えているのね。あたしが殺したことを」
真上から降ってきた声に全身が硬直する。
俺のすぐ後ろにさっきの女の子がいる。恐怖のあまり顔を上げることができない。
「……?」
何もすることができず、ただ地面だけを見つめていると、ちょうど真横に水滴のようなものが落ちて地面に染み込んでいった。
それは続けざまに幾つも、幾つも零れてくる。初めは雨かと思った。でもそれにしては他のところが濡れないのはおかしい。
込み上げてくる恐怖を必死に押し殺し、意を決して俺は顔を上げた。
「……え?」
女の子は空に輝く月を背景に涙を流していた。
「……どうして、泣いているんだよ」
「……さぁ? どうして泣いているのかしらね。あたしにも分からないわ」
消えてなくなってしまいそうなほど寂しげな声。
次から次へと零れてくる涙が俺の服を濡らした。
その涙に、この女の子の全ての感情が含まれているような気がした。
俺は今さっきまで感じていた恐怖を忘れて立ち上がると、女の子の頬へ手を伸ばして涙を掬い取る。
「……あたしが怖くないの?」
俺の行動があまりにも意外だったらしい。
ならばと言うように、女の子は俺の手に触れた。
驚くほど冷たい手だった。でも、その冷たさの中に不思議なあたたかさを感じる。
恐怖で凍り付いていた心はいつの間にか氷解していて、夢の中で俺を殺したという事実さえどうでもいいと思えるほどに、この女の子の不思議な魅力に俺は惹かれてしまっていた。
「怖くなんてない。そんなことよりも俺はお前のことを知りたい」
「そう。ならまず名前を教えてあげるわ。あたしの名前は葵雪。花の葵に、冬に降る雪で、葵雪。珍しい名前でしょ?」
「ああそうだな。でも……綺麗な名前だ」
葵雪。葵雪、葵雪……。
頭の中で何度もその名前を繰り返す。何故だかとても馴染みのある名前のような感じがした。
「俺は深凪 修平って言うんだ。苗字はなんて言うんだ?」
「水ノ瀬よ。漢字は想像している通りだと思う」
チリっと、脳裏が刺激される。
俺は何処かでその名前を聞いたことがある……?
そう思えば思うほど、夢の内容が現実味を増してくる。
「ねぇ、修平。もう一度だけ聞くわ。本当にあたしのこと怖くないの?」
「怖くない。それどころか……」
込み上げてくるこの想いは、葵雪のことが好きだという気持ち。ついさっきまで恐怖しか無かったのに、今は何故か葵雪のことが心の底から愛おしく思えてならなかった。
「それどころか、なに?」
まるで俺の心を見抜いてるかのように妖美な笑みを浮かべる葵雪。
彼女にはもう涙の気配は無い。今はただ、俺の言葉の続きを待っているようだった。
「俺は葵雪のことが好きみたいだ」
口に出してはっきりと自覚した。
俺は葵雪に恋をしている。夢の中とはいえ、自分を殺した女の子のことを好きになるなんて頭がおかしいのではないかと思ってしまう。
でも、胸に芽生えたこの感情は確かに恋だった。
「俺と付き合ってほしい」
続けざまにそう告げると、葵雪は俺の胸ぐらを掴んで強引に自分の方へ引き寄せる。
「元より――」
そしてそのまま顔を近づけて俺の唇にキスをした。
「――そのつもりよ」
初めてのキスはレモンの味と言うけれど、俺の体験した初めては涙の味だった。
唇を離しても尚、しょっぱい味が口の中に残っている。でもそれが葵雪とキスをしたという証だと思うと、これっぽっちも悪い気分はしなかった。
「今日から修平はあたしのもの。そしてあたしは修平のもの。ふふっ、愛してるわ、修平」
葵雪は嬉しそうに笑う。
本当に心の底から喜んでいるようで、彼女の素顔を見れた俺も嬉しくなって笑みを浮かべる。
葵雪が夢で俺を殺した理由。それはまだ思い出すことができない。そして、何故葵雪が俺の見た夢の内容を知っていたのかと言うことも。
分からないことだらけだった。でもそれでいいと思った。もしあの夢がこの先の未来を予見していたのだとしても、俺は最後の最期まで葵雪を愛していこうと、そう誓った。
「近くまで一緒に帰ろう。今日はもう遅い。また明日学校で会えるはずよ」
そう言いながら差し出してきた手を俺は取る。
冷たいのに、あたたかい。そんな不思議な感覚に包まれながら俺たち二人は風巡丘を後にした。
to be continued
心音です、こんばんは。
付き合うまでの最短ルートをぶち抜いてきた今回の話。葵雪ルートは付き合い始めてからが本番であり、終わりへのカウントダウンが始まるのです。




