第62話『小夏の告白』
「お兄ちゃーん、カップ麺できたよー」
「おう」
虹ヶ丘に着いてから約二時間かけて見つけ出したコンビニで買ったカップ麺が出来上がった頃には、リビングに山積みになっていたダンボール箱の五分の一程度片付いていた。
余力はまだ有り余っているのだが、夜もだいぶ深くなってきている。近所迷惑も考えて今日のところは片付けを終わりにしようと俺はその場で大きく伸びをした後にダイニングに移動した。
「お兄ちゃんは味噌と醤油どっちがいい?」
「……」
究極的な選択を小夏は俺に吹っ掛けてきた。
そして同時に俺は後悔する。何故同じ味のカップ麺を買わなかったのかと。
王道を選ぶのであればここは迷うことなく醤油を取る場面であることに間違いはない。しかし俺たちが買ってきたこのカップ麺は王道である醤油味を差し置いて味噌に力を入れているのだ。
この究極の二択……どちらを選んでも悔いは残らないだろう。ならばここは自分の心に従うのが一番だと判断した俺は頭の中で激闘を続ける醤油と味噌の中からたった一つの勝者を選んだ。
「味噌」
「じゃあ私は味噌食べるね」
「お前人の話聞く気ないだろ?」
俺の葛藤の時間を返せこの野郎。
まぁ醤油も美味しいからいいか。
テーブルの真ん中に置かれた醤油味のカップ麺を手元まで持ってきてタイマーのカウントが進むのを待つ。
三分という時間は短いようでいて長い。無言のままでいるのも退屈だからと俺はタイマーを凝視する小夏に話を振ることにした。
「本当に何も無い町だよな、ここ」
「改めて話すまでも無いくらい何も無いよ」
今日一日さ迷った限り、都会にあるような場所は一切無く、ようやく見つけたコンビニに売っている物も一昔前の物で揃えられていた。
今どきの若者にとってはなかなか暮らしづらい場所。こんなところで暮らすのは小夏と暮らすという点を除いてしまうと億劫でしかない。
「あーでも、そういや一つだけ興味のある場所があったな」
のんびりと片付けをしている最中に調べて見つけた場所。なんて言う場所だったかな。確か――
「――風巡丘。でしょ?」
「あ、そうそうそこだよ。というかよく分かったな」
「……分かるよ。お兄ちゃんのことだもん」
寂しげな笑顔を浮かべて小夏は答えた。
知っていて当然。でも知っていたくはなかった。そんな複雑な思いが込められた笑顔だった。
「なんか妙に気になる場所なんだよな。惹き付けられるって言った方が正しいかもしれない」
今は触れるべき時じゃない。
だから俺は気付かないふりをして会話を続ける。
「明日から学校で忙しくなるだろうし、とりあえず落ち着いたら行ってみようかね。小夏も一緒に行ってみるか? 俺調べによると、たくさんの風車が植えられているらしいぞ」
「お兄ちゃんは何のために風車が植えられているんだと思う?」
「え?」
唐突な問いかけに俺は驚いて小夏を見る。
質問の意図が見えなかった。どんな答えを期待して小夏はこんな事を聞いてきたのだろうか。
「風巡丘の風車は誰が植えたのか、何の為に植えられたのかも分からない特別な物。誰も知らない真実をお兄ちゃんはどう見る?」
「……」
無言の時間はさほど長く続かなかった。
カップ麺の出来上がりを知らせるタイマーが空気を読まずに鳴ったからだ。無視するわけにもいかず、俺たちは互いに蓋を開けてスープの素やらを入れ始める。
「とりあえず食べよっか。話は食べながらでも出来るからね」
正面から漂ってくる味噌の匂いが食欲をそそる。
やっぱり味噌味の方が食べたかったなと内心思いつつ、俺は肩肘をテーブルについて麺とスープを掻き混ぜる。
「話を続けるのは別に構わないんだけどさ、お前この話してて楽しいのか?」
「私はこういう謎の多い場所は好きだよ」
答えになっているように思えて、実は答えになっていない曖昧な回答だった。
小夏は前屈みになると垂れてくる前髪を片手で押さえながら麺を美味しそうに啜っていた。
香ばしい味噌の香りが食欲を刺激する。俺も自分のカップ麺を食べ始める。
「というか、小夏がこういう場所に興味あるって初めて知ったんだが」
「人の心は常に変化していくものなんだよ。季節が巡っていくようにね。変わらないものがあれば、変わるものだってある」
「例えば?」
「心以外ってこと? そうだね……例えば……好きな人、かな」
「いやまぁ……確かに変わるかもしれないけどそんな頻繁に変わっていくものじゃないだろ。俺は一度好きになったら早々変わらない。彼女いるわけじゃないから説得力の欠片も無いけどな。はっはっは」
「……そうだね」
軽いジョークのつもりで言ったのだが、小夏はくすりとも笑うことはなかった。
例えるならばそう……今にも雨が降り出しそうな暗い空を見ているようだった。小夏はそれほどまでに表情に影を落とし、でもそれを俺に悟られないように必死になって作り笑いを浮かべて誤魔化している。
俺は何か間違ったことを言ってしまったのだろうか。
自分の言葉を思い返してみても特に悪い点が見当たらない。
聞いてもいいのだろうか? なんでそんな悲しそうな顔をしてるの? と。でも、もし仮に聞いたとしても小夏の回答は一つしかない。
『――何でもないよ』
そう言って今よりももっと儚げに笑うのだろう。
生まれてからずっと側で小夏のことを見てきたのだ。親も仕事が忙しくて俺たちが成長してからは家を開けることが多かった。
俺と小夏の絆は両親よりも強く、海よりも深く繋がっている。だから互いのことは手に取るように分かってしまう。
「……ごめんね、お兄ちゃん」
小夏も分かっていた。
俺が不信感を抱いていることに。だから俺が何かを言う前に謝って、自分のミスを追求されないように予防線を張っている。
「俺は何かお前をそんな表情にさせるようなことを言ったのか?」
でも俺はその線をあえて越えることにした。
俺の言葉を聞いても小夏は表情を変えることは無かった。半ば察していたのだろう。今の俺ならば境界線を踏み込んでくると。
「……お兄ちゃん。私の知っているお兄ちゃんはね、誰にでも優しくて、誰にでも平等に接して、誰にでも手を差し伸べられる頼りになるお兄ちゃん。そして――たった一人の心に決めた女の子を本気で幸せにしようとしてくれるカッコイイ人」
小夏は箸を置いて改めて俺を見る。
毎日のように見てきた紅い瞳は、瞳を通して俺の全てを見通しているようだった。そうして俺の知らない何かを見て、また悲しげに笑う。
「私は知っている。お兄ちゃんがそういう人だってことを。これまで何度も見てきたんだもん。でもそれは夢なんだよ。終わってしまえば記憶から消えてしまう。その時に抱いていた感情も、想いも、守ろうとしたものも。全てがリセットされて、何もかもが最初っから始まってしまう」
からんと、テーブルに箸が転がった。
小夏の手から落ちた箸の行方を目だけで追う。
「……ねぇ、お兄ちゃん」
名前を呼ばれて振り返る。
するとテーブルから身を乗り出した小夏の顔がすぐ近くにあった。
「大好きだよ」
甘くて蕩けてしまいそうな声で小夏は囁いた。
麻酔をかけられたように脳が痺れて、俺は冷静な判断が下せなくなってしまう。
「私はね、お兄ちゃん。お兄ちゃんの知っている時間よりもずっと長い間、お兄ちゃんのことを好きでいるんだよ」
「それは……妹として、兄である俺のことが好きってことだろ……?」
「もちろんそう捉えてくれても構わないよ。真実がそこにあるかどうか、それはさておくとしてもね」
小夏は真剣だった。地平線のように何処までも真っ直ぐだった。
俺は気づいていた。だから、兄である俺のこと――なんて言葉で誤魔化しただけに過ぎない。小夏は俺のことを一人の男として好きと言っている。そんなことは誰が見ても分かりきっていた。
「お兄ちゃんは私のこと、好き?」
俺がその事を見抜いていると分かっているくせして、小夏は意地悪をするように俺に問うて来る。もしかしなくても試されているのかもしれない。
ならば俺は小夏の意図を汲み取って真面目に答えてあげるのが筋というものだ。
「俺は小夏のことが好きだ」
それは惑うことない真実。
互いが物心ついた頃から、友達よりも、家族よりも長い時間一緒にいた。ご飯を食べる時も、遊ぶ時も、何をする時だって俺の隣には小夏がいた。
「兄として、妹である小夏が好きだ」
でもそれは恋愛感情ではない。
そもそも妹に恋愛感情を抱くなんて間違っている。家族間で恋愛をすることを否定するつもりはないし、もしかしたら自分もそういう感情を抱く事だってあったかもしれない。
「俺はお前を妹として好きでいたい」
けど、少なくとも今の俺には考えることができない。
俺にとっての小夏は妹。それ以上でもそれ以下でもない。大事な人であることに間違いはないが、今よりも上の関係になることは無い。
「うん。そうだよね、分かってた。最初っからこの夢ではお兄ちゃんと私の間には何も無いと思っていたから」
「夢……?」
まるで今ここにある現実が夢だというような言い方に俺は首を傾げる。
「そう、夢だよ。ふふっ。私はね、何度か夢でお兄ちゃんと恋人になる経験をしたことがあるんだよね。すごく幸せな夢だった。永遠に続いてほしいと、そう願ってしまうほどに」
「その夢では最後……どうなったんだ?」
何故か無性にそれが気になった。
どういう流れで付き合い始めたとか、一緒にどんなことをしたのかよりも、その夢の結末が気になって仕方なかった。
「最後……最後か。そうだね、いろんな結末があったけれど、それを全部引っ括めて一言でまとめるのなら――終わっちゃった」
そう言って小夏は何度目か分からない儚げな笑みを浮かべるのだった。
「終わったってのはあれか。親とか友達にやめろって言われて思い直した感じだったのか?」
「あははっ。そんな生ぬるい結末なら……まだ救いはあったかもしれないね。というか、もし仮にお兄ちゃんが本当に私のことを愛してくれたとして、親や友達に反対されたくらいで諦めたりなんてしないでしょ」
質問ではなく断言。
小夏にはやっぱり何でもお見通しのようだった。
「諦めるなんて有り得ない」
小夏の言う通り、もし俺たちが本当に兄妹を越えて恋人関係になっているのだとすれば、俺はどんな事があっても小夏のことを一人の女の子として生涯尽くしていたに違いない。
周りがなんて言おうと関係ない。俺が、俺の意思でそうしたいと決めたのであれば、俺は最後の瞬間まで小夏を愛し続けただろう。
「もちろん私だってお兄ちゃんと同じ考えだよ。でも、その終わりはただ普通に、一緒にいたいというだけの私たちを簡単に引き裂いてしまうの。そうして夢の舞台は私たちの意思なんて関係無しに幕を閉じる」
「……」
「抗う暇なんて無い。その日が来てしまえば終わりは一瞬で私たちを飲み込んでいく。だから今まで見てきた夢に幸せな結末なんて一つも無かった」
俺は段々と小夏が夢の話をしているのか現実の話をしているのか分からなくなってきていた。
けどこれは紛れもなく夢の話だ。俺の記憶が小夏と恋人になったことなんて無いと言っている。
忘れているなんてことも無い。そんな重大なことを忘れるなんて万が一があっても有り得ない。
「お兄ちゃん。その諦めないって気持ちを絶対に忘れないで。いついかなる時も、片時も忘れちゃダメだよ」
「それは……どうして? もちろん、どんな事であろうと自分から諦めるなんて選択は無い。けどお前がそこまで言う理由は何なんだ?」
「それはね、お兄ちゃん。何度も、何度も……もう何回失敗したか分からないくらい失敗しても、決して諦めずに頑張っている人がいるからだよ」
「頑張っている人……? 俺の知っている人か?」
「……そうだね。知っている人だよ」
「それは……誰?」
「……ごめん、お兄ちゃん。それは言えないよ」
本当に申し訳なさそうに小夏は告げた。
だから俺もこれ以上のことを聞くのはやめようと口を閉ざす。
「……本当にごめんね。ご飯の時間だったのにこんな訳の分からない話をしちゃって。それに――告白みたいなことまでしちゃって」
「気にしてないと言ったら嘘になるけど、小夏の気持ちはちゃんと伝わってきた。多分忘れることなんて出来ないと思う」
「うん。忘れる必要なんてないよ。でも、リセットはしないとだね。お兄ちゃんはお兄ちゃん。私はお兄ちゃんの妹。今も、これからも、ずっと、ずっと」
自分に言い聞かせるように小夏は言葉を繰り返す。
やがて気持ちをリセットすることが出来たのだろう。次に目が合った時、小夏の目は好きな人を見る目ではなく、兄を見るいつも通りの目に戻っていた。
「あーあ、カップ麺のびちゃったね。どうする? これ」
「食うしかないだろうな。それ以外に何も買ってきてないんだから」
「ワンチャンもう一度コンビニに行く」
「……そうするか」
スープを吸ってブヨブヨになった麺を見た俺は急にカップ麺を食べる気力が失せて重たい腰を上げた。
「おらー、行くぞ小夏。お前の奢りで」
「仕方ないなぁ。今日だけだからね」
「よっしゃ」
俺たちは笑い合う。
もうすっかり、俺たちは普通の兄妹に戻っていた。
to be continued
心音です。こんばんは。
次回の話でついにあのキャラが!!




