第58話『運命の日 後編』
「――ど、どういう事なんだよ!?」
走りながら簡潔に椛とひよりに状況を伝える。
二人ともあまりにも唐突な事実に驚き戸惑っている様子だった。
「どうもこうもない!! 今日が運命の日だった……ただそれだけだ!! 紅葉が冗談でこんな事を言うはずが無いのは椛だって分かっているだろ!?」
どうやら俺自身相当焦っているらしい。
椛に対してキツい口調で当たってしまったことを遅れて後悔する。謝ろうと思って椛の方へ顔を向けると椛は、分かっているから大丈夫。とでも言うように笑った。
でもその笑顔にいつもの優しさは無く、俺を傷つけない為に無理矢理作っている笑顔だと俺はすぐに気づいてしまう。
怖いのは俺だけじゃない。
椛も、ひよりも、誰だって死ぬのは怖い。
死はいつか必ず訪れるもの。けれどそれが突然目の前まで迫ってきていて冷静でいられるほど俺たちの心は強くなんてなかった。
頑丈と謳われるダイヤモンドですらハンマーで叩けば砕けてしまうのだ。人間の心なんて些細なことでいとも簡単に壊れてしまう。なんて脆い生き物なのだろうか。
握りしめる手は恐怖で震えている。
椛の彼氏として今出来るのは、少しでもこの震えを止めてあげられるように声をかけて安心させてあげることくらいだった。
大丈夫なんて言葉はあまりにも安っぽい。そんな気休めにすらならない言葉に意味など無い。だから俺はただ一言、椛にこう告げることにした。
「愛してる、椛」
今の俺に出来るのは自分の想いを言葉に乗せることだけ。安っぽい言葉をかけるよりも何倍も力になるはずだ。
俺たちの願いはただ一つ。生きて幸せを手に入れること。最後までこの愛を貫き通して、そしてその先にある本当の幸せを永遠のものにすると誓った。
「わたしも愛してるんだよ……修平くん」
言葉は力だ。愛してる――そのたった一言で生きようという思いが全身から溢れてくる。
大好きな椛の為にも俺は死ぬわけにはいかない。俺が死んだら椛はきっと泣いてしまう。そんなのは絶対に嫌だ。椛を泣かせてしまうのは死ぬことよりも嫌だった。だから俺は生きる。この運命の日を絶対に乗り越えてみせる。
「……こんな時まで微笑ましいカップルですね、修平さん、椛さん。こんな時なのにどうしてでしょうか? ひより今笑っている気がします」
自分で言うとおり、ひよりは笑っていた。
こんな状況には似合わない陽だまりのようにあたたかくて優しい笑顔。その頬を濡らしているのは雨なのか、それとも涙なのか。それだけは分からなかった。
「それはそうと修平さん、この町から離れるなら山道を使うしか無いですよ」
「は? 電車はどうし――」
そこまで言いかけて思い出す。
この町は都会のように数分ごとに電車が来るような便利な場所ではない。元より人が少ないと言うこともあり、そもそもこの時間帯に電車は動いていなかった。
「この雨の中山道を使うってか……? 自分から死に向かっているようなものだろ……」
雨脚は徐々にその強さを増している。
バケツをひっくり返したような雨とは正しく今の状況を言うのだろう。突発的な豪雨ならばすぐに弱まる可能性を考えることができるのだが、この雨は当分止みそうにない気がした。
「ひより、お前の親は車持っていたりするか?」
「持ってますよ。けどひよりの親、仕事が忙しくていつも夜遅くに帰ってくるんです。移動で車を使うし、この雨だと多分帰ってきていないと思います」
「となるとやっぱり山道を使うしかないってことか……」
自殺行為と言っても過言ではない行動。
でも俺たちが生きる道はそれしかないのだろう。紅葉はわざわざ町から出ろと言った。つまり町から出る以外に生きる術は残されていないということ。
「いや待て……待てよ? もしそうなるのなら!?」
それに気づいた瞬間、俺は目に見えて青ざめたのだろう。全身から血が抜けていくように、体が冷たくなっていく。
だってそうだろ? 町から出ないと死ぬ。それが死の運命に囚われている俺たち全員に言えることなのだとすれば……
「!? 修平さん!! 急いで小夏さんや葵雪さんのところに行きましょう!!」
俺の思考を読み取ったひよりが叫ぶ。
「え……? まさかそういうことなの……?」
ひよりの悲痛な声と俺の動揺から、椛もその事実に気づいてしまう。
そう。今この場において死を迎えようとしているのは俺たち三人だけじゃない。小夏と葵雪――この二人にも死の運命が科せられているということ。
この世界について知っていると思われる小夏はもしかしたらこの異常事態に気づいているかもしれない。けれど何も知らない葵雪は今も普段通りの日常を過ごしているはずだ。
「ダメだよ修平くん!! 葵雪ちゃん、電話に出てくれないよ……!!」
「小夏さんもダメです!!」
「くっ……。とりあえず葵雪の家に行くぞ!! 早くしないと俺たち諸共手遅れになるかもしれない」
「小夏さんはどうするんですか!?」
「小夏は自分で何とかしてる可能性が高い。あいつもこの世界のことを知っている。だからきっと大丈夫だって信じてる」
強がってそうは言ったものの、小夏のことが心配でたまらなかった。
たった一人の大切な妹。ずっと一緒にこれまで生きてきた。俺にとって小夏は椛と同じくらい大切な人。もし小夏を失うようなことがあれば、俺はきっと壊れてしまうだろう。
でも――信じている。
これまでずっと一緒だったからこそ信じられる。
小夏は最後の最後まで何があっても諦めずにやり遂げることができる人間だ。これまでの世界がどうだったのか俺が知る由もない。けれど俺には分かる。小夏はどんな不条理な夢であろうと、投げ出したいほどの理不尽の中でも、自分を貫き通していると。
俺が知っている小夏はバカでアホでどうしようもなく世話のかかる妹だけど、一度やると決めたことは何がなんでもやり抜くことができるやつだ。
「葵雪の家に急ぐぞ。町を抜けるのはその後だ!!」
山道へ続く道とは反対の方向へ俺たちは駆け出す。
雨のせいで服が重くなって走りづらい。疲労感が一気に押し寄せてくる。まだ体力には余裕があるけれどすぐに無くなるのは目に見えていた。
走る疲労よりも濡れた服が体温を奪っていく方がキツい。椛は元陸上部ということもあってまだ余裕そうに見えるが、ひよりに至っては既に体力の限界が来ているようで荒い息を繰り返していた。
「……大丈夫、ですよ。ひよりはまだ走れます」
目が合った瞬間に考えを読み取ったらしい。
辛そうにしながらも、ひよりは懸命に足を動かしていた。頑張る姿を見て無理をするなと声をかけることは出来なかった。
それからすぐに商店街まで辿り着く。
人気が無いのはもちろん、どの店や家も明かり一つ付いていなかった。申し訳程度に設置されている街灯も灯っていない。もしかするとこの雨のせいでこの町全域が停電しているのかもしれない。
路地裏を使って葵雪の家の前まで辿り着くと、インタホーンを鳴らす時間すらもどかしくてそのままドアを叩いた。
雨の音で若干掻き消されているとはいえ、ガラス戸になっているから家の中にはそれなりの音が響いているはず。その証拠にすぐに鍵を開ける音が聞こえてガラス戸が開かれた。
「こんな時間に……修平!? それに椛とひよりもどうしたの!? ずぶ濡れじゃない!?」
姿を見せてくれたのが葵雪で良かった。
ほっとするのも束の間、俺は真面目な表情を作って驚き戸惑う葵雪を見据えた。
「詳しい事情を話している暇はないんだ。俺たちと今すぐにこの町から離れて欲しい」
「はぁ!? 何の冗談よ。こんな雨の中でしかも電車すら動いていない時間に町から離れるって無理に決まってるでしょ?」
「無理でも何でも出るしかないんだ!! まだ死にたくないだろ!?」
「死に……あんた何を言ってるのよ……? 雨に打たれて頭おかしくなっちゃったんじゃないの……? ちょっと椛とひより? あなた達まさか修平の言葉を信じているわけじゃないでしょうね?」
射抜くような鋭い視線が俺の後ろにいる二人に向けられる。その眼差しに込められているのは疑惑以外の何物でもない。
少なくとも椛とひよりはそう捉えているはずだ。でも俺には何故だかそれ以外の何かが含まれているような気がしてならなかった。
「葵雪さん……?」
けどそれを訊ねる前にひよりが口を開く。
そしてそれは俺の疑問を確信に変えるものだった。
「――今日が運命の日って分かってるのに、どうしてそんなに冷静でいられるんですか……?」
ひよりの言葉に葵雪は押し黙った。
それは知っていると言っているようなもので、葵雪自身、自分の失態に気づいて舌打ちをする。
「葵雪……お前、記憶があるのか。なら俺たちが死ぬかもしれないって分かっているだろ……? どうして知らない振りなんてするんだよ……」
繋がっていた糸が解けていくようで、ただただ悲しかった。
葵雪は生きることを諦めてしまっているのだろうか? 記憶があるからこそ、何度も繰り返してきた世界で心が折れてしまったのだろうか?
「……あたしにはあたしなりのこの世界で生きる理由があるのよ」
そう言って葵雪は俺たちに背を向ける。
家の中に入ってしまうのかと思いきや、履いていたスリッパを放り出して、玄関の隣にある下駄箱から靴を取り出した。
「だから邪魔だけはしないで。それが約束出来るならあなた達についていくわ」
言いながら葵雪は客の忘れ物と思われる傘を投げ渡してくる。どうやらこちらの返事は聞くまでもないらしく、そのまま靴に履き替えると葵雪は外に飛び出した。
「――ちょっと葵雪!? あんたこんな雨の中何処に行くつもりなの!?」
それを見た葵雪のお母さんと思われる人が叫ぶ。
しかし葵雪は振り返ることなく、母親に聞こえているかいないのか分からないくらいの声量で呟いた。
「……生きていたら現実で会おうね、お母さん」
きっとこの声は降り注ぐ雨の音に掻き消されて届いていないだろう。けれど葵雪は一度たりたも振り返ることなく土砂降りの雨の中を駆け出した。
俺たちは戸惑う葵雪の母親に一礼して葵雪の後に続く。もしもう一度会うことが出来たのなら、この事はきちんと謝罪させてもらうことにしよう。
雨脚は変わらず強いままで数歩先の視界は閉ざされているのも同然だった。昼間ならまだしも、陽の光が完全に閉ざされた暗闇の世界は体力だけではなく、精神面もすり減らしてくるようだった。
何処までも続く水のカーテンは俺たちが走るのを妨害してくる。傘なんて刺していても刺さなくても正直変わらない。
「……?」
それはちょっとした違和感だった。普通に走っているはずなのにあまりにも走りづらい。まるで宙に浮いているような感覚がする。服が重くなったからとか、体力的に限界が来ているとかではない。
ただ単純に何かがおかしかった。そしてそれに気づいた時、何もかもが手遅れになっていることを俺は思い知らされる。
「な、なんですか!?」
地面が大きく脈打った。
雨に混じって聞こえる地響きとまともに立っていられないほどの揺れが俺たちを襲う。
これほどまでに大きな地震は経験したことがない。恐怖で身体がすくんで動けなくなってしまう。
世界が俺たちを殺そうとしている。
絶対に逃がさない。お前たちはここで死ぬ運命なのだと告げているようだった。
俺だけじゃない。椛とひよりは服が汚れることを気にせずに地面に手をついていた。葵雪だけが何とか立っている状態で俺たちを見下ろしていた。
「何してるの。死にたくないんでしょ? この夢を終わらせたいんでしょ? だったら今すぐ立ちなさい修平!!」
葵雪の怒声が耳に木霊する。
そうだ。何を怖がっている。生きるんだ。生きてこの夢を終わらせる。そして椛との幸せな未来を手に入れると誓ったんだ。
運命がなんだ? 世界が何だって言うんだ。これしきの障害を乗り越えることができなくて幸せな未来を掴めると思っているのか?
揺れは収まらない。
恐ろしいほど強い縦揺れが今も続いている。
雨の音に混じって何かが崩れるような嫌な音が聞こえた。
「……あぁあ」
振り返ってはいけないと思った。
でも体は思考とは正反対に動いてその現実を目に焼き付ける。
「商店街が……崩れていく」
どんなに辺りが暗くても、雨が視界を遮っても分かってしまう。
家が崩れる音が、激しい爆発音が、つんざく悲鳴が悲惨な現実を突きつけてくる。何もかもが終わりを迎えようとしていた。
この町が――。
この世界が――。
この夢が――終わってしまう。
「……やっぱり、この夢は最初から終わっていたのね」
あれだけ声を荒らげていた葵雪は諦めたようにポケットへと手を伸ばす。虚ろな瞳で俺はその動きを追っていた。
「この世界の記憶は貰っておくわ。今後の世界で役に立つかもしれないからね」
葵雪が何をしようとしているのか分からない。
その手に握られたカッターナイフを見ても尚、俺は動けずにただ葵雪を見続けていた。
「あ、葵雪ちゃん……? 何をしているんだよ……!?」
限界まで刃が伸びたカッターナイフ。
それを自分の首元に当てた葵雪を見て椛はがむしゃらに手を伸ばした。
「……さようなら、みんな。もしかしたらこの世界に希望があると思ったけど、やっぱりダメだったみたいね」
椛の手が葵雪に届いた時にはもう遅かった。
迷いもなく葵雪は手を動かして己の首にカッターナイフを突き刺して真横に薙ぎ払う。
「い、いやぁぁぁぁぁぁああああああ!!??」
悲鳴を上げるひよりに噴出した血液がかかる。
事切れた葵雪の体が冷たい地面に沈む。泥水が赤黒く染まりながら広がっていく。
友達が目の前で死んでしまった。そんな異常な光景を見ても俺はその場から動くことが出来なかった。
「ねぇ、修平くん……? どうして……こんなことになるんだよ……? なんで葵雪ちゃん自殺なんてするんだよ……!?」
「……」
俺は答えることが出来なかった。
ただただ葵雪の生きていた赤黒い証を見つめていることしかできない。
「……、……!!」
椛が何か言っている。けれど何を言ってるのかさっぱり分からない。
そこで俺は気づいてしまう。気づきたくなかったことに気づいてしまった。
「……ああ、そうか」
何時からか分からない。多分巡から話を聞いたあの時からだったのかもしれない。それまでの俺は決して諦めてはいなかった。
ああ……違う。多分今だ。葵雪が自殺する姿を見て、俺の心は壊れてしまったんだ。あれだけ生きようとしていたのに、未来を繋げようとしていたのに、今はもう……何もかもがどうでもいい。
だってそうだろ……? 葵雪が死んでしまった時点でこの世界はもう、夢を繰り返すしか無くなった。
誰か一人でも欠けてしまえばその世界での未来は消え失せてしまうのだから。
「……なぁ、椛」
でもただ一つ、これだけは確かなことがあった。
胸に残るこの気持ちだけは確かに本物だった。
「俺はお前のことを好きになれて良かった……」
すぐ近くで地面が抉られるような音がした。
すぐ真上でスパークが発せられる。おそらく地震に耐えきれなかった電信柱が根本から折れてしまったのだろう。
「こんな世界じゃなけりゃ……俺たちはきっと幸せになれたんだろうな」
目尻が熱い。こんなにも雨に打たれて冷たくなっているのに流れる涙は悲しいほど温かかった。
椛との楽しかった思い出が蘇ってくる。椛の言葉が、椛の笑顔が、椛と過ごしたかけがえのない時間が溢れて止まらない。
「――それは違うんだよ、修平くん」
背中に覆いかぶさった温かさ。
大好きな椛の香りがすぐ側にあった。
「確かにこの世界では幸せになれなかったかもしれない。でも……わたしは修平くんを好きになって、付き合って、大好きなあなたと過ごせた日々が幸せじゃなかったとは思わないんだよ」
こんな時でも椛は優しかった。
もうとっくに俺が諦めてしまったことに気づいているはずなのに、責めるようなことも言わずにただ抱きしめてくれる。
「死ぬのは怖いけれど……わたし、修平くんと一緒なら大丈夫」
電信柱が倒れてくるのが見えた。
避けることはもうできない。体がこれっぽっちも動かなかった。だけど顔だけは動いた。
「……修平くん」
最期のその瞬間まで一つでいたかった。
その想いは椛にも通じたのだろう。目を瞑ってくれた椛に顔を近づけて最期のキスを交わした。
「……ありがとう、修平くん。そして――また会おうね」
to be continued
心音です、こんばんは。
この夢も終わってしまいました。
未来を繋げることはできませんでした。
だから夢はまた続きます。
何度だって繰り返します。
望むべき結末を迎えるまで永遠に。




