第57話『運命の日 前編』
「――あれ? 先輩方じゃないですか」
それは本当にたまたま偶然の出会いだった。
風巡丘から帰る途中の田舎道。そこで俺と椛は反対方向から歩いてきたひよりとばったり遭遇した。
「よお、ひより。こんなところで奇遇だな」
「ひよりちゃん、こんばんはなんだよ〜」
「こんばんはですー」
まだ早い時間とはいえとっくに日は沈んでいた。それにこの先にあるのは風巡丘だけで他には何もない。一体どこに向かおうとしているのだろうか。
「先輩方はデートの最中ですか? 放課後に小夏さんと二人で先輩方の教室に行ってみたら葵雪さん以外いなくて寂しかったんですよー?」
「そりゃ悪かったな。ちょっと用があったからお前たちを待っている余裕は無かったんだよ」
「そんなに早く椛さんとデートがしたかったんです? ひよりは良いと思いますけどね! まだ付き合い始めてそんな時間が経ってないですよね? となると今が一番楽しい時期じゃないですかー! マンガの受け売りですけど」
俺と椛がデートをしていたと盛大に勘違いしてくれているひより。もういっそのこと、そのまま勘違いを続けていてくれた方が説明が省ける分楽になるし、こんな訳の分からないことを話して疑惑の眼差しを向けられるのも辛い。
「今も楽しいし、これからも楽しい。今日も明日も明々後日もずっと笑って生きていく。そんな当たり前な日常が欲しかった……」
「……修平さん?」
適当に誤魔化すつもりでいたのに、口から出てきた言葉は泣き言にしか思えないもの。
でももう止めることは出来ない。込み上げてくる感情を言葉に変えて吐き出さないと、自分という形がバラバラになって壊れてしまいそうだった。
「なぁ……俺たちの日常はいつの間に壊れちまったんだ? いつからこの世界はこんなにも残酷なものに変わってしまったんだ?」
「修平くん……」
今にも泣き出しそうな声で椛は俺を呼ぶ。
ああ……椛にこんな顔をさせて俺は何故泣き言を漏らしているのだろう。吐き出したいのは椛だって同じはずなのに、俺はもう歯止めが効かないほど不安と恐怖で押し潰されそうになっていた。
「俺たちが何か悪いことをしたか? 何もしてないだろ? ただ普通の日常を過ごしていただけだ。それなのにどうしてこんなことになる? 運命の日を乗り越えろとか、幸せな未来を繋げてほしいとか、どうして神様は俺たちにこんな試練を与えた? 別に俺たちじゃなくたって良かったじゃないか……!! なんで……俺たちがそんな宿命を背負わなければならないんだよ!!」
足元に転がっていた小石をがむしゃらに蹴り飛ばす。
何度か地面にぶつかって跳ねた後に、ぽちゃんと虚しい音を残して小川の中へ消えていく。
一瞬の無音。しかしそれはすぐに俺の声によって掻き消される。この嘆きをいつまで続けるのだろう。いつまで悲しそうに顔を歪ませる椛を放置してしまうのだろう。歯止めになるきっかけが無い限り、永遠にでもこの恨み言を吐き続けるのだろう。
「何でこんなことになった!? 俺たちは――」
「もうやめてッ!!」
俺の嘆きに叫び声を椛かと思った。
けど――それは違った。
「もう……やめてください、修平さん……」
叫び声をあげたのはひよりの方だった。
次から次へと流れ落ちる涙で頬を濡らし、震える身体を自分自身で抱きしめるように腕を回す。
突然のことに理解が追いつかない。どうしてひよりが泣くのか、そんなにも辛そうな顔をするのかどうしても理解できない。
「ひよりだって……ひよりだって、怖いんですよ……?」
「……え?」
その言葉に俺はまた驚いてしまう。
だってそうだろ……? その言い方じゃまるで……ひよりもこの世界の秘密を知っているみたいじゃないか。
俺は咄嗟に言葉を出すことが出来ず、行き場のない視線を椛に向けると、すぐに椛は気づいてくれてこちらに振り向く。
しかし上手く言葉を紡ぐことができないようで、餌を待つ小鳥のように口をパクパクと開けたり閉じたりを繰り返していた。
ひよりの啜り泣く声が夜道に悲しげに響いていた。
それ以外の音は何も聞こえない。微かに聞こえていた風に揺れる草花の音も、今通っている道の脇を流れる小川の水の音さえも――。
悲しみと、そして苦しみで満たされた冷たい世界。救いの手すらも望めない世界に俺たち三人は閉じ込められてしまったようだった。
「……知っちゃったんです」
そんな冷たい世界に声が落ちる。
消え入りそうなほど小さな、小さなひよりの声。
でもそれにはひよりの今の全てが含まれていた。
「ひよりはこんなこと知りたくなかったのに……全部、知っちゃったんですよ……」
震える言葉が涙と重なる。
冷たい雫となって悲しみが無数に零れ落ちる。
ぽたぽたと地面に染みを作り、その悲しみを広げていく。
「ひより……お前、知っているのか……? 死ぬかもしれないってことを。どうして知ってるんだ……?」
「……ついさっき、巡さんに会ったんです」
「!?」
まさか巡のやつ……ひよりに話したのか? この事を?
「いいえ、それは違います」
「……えっ?」
俺今……声に出していたのか?
思わず椛の方を見てしまうが、椛はひよりが何に対して違うと言ったのか分からないようで、俺とひよりを交互に見て疑問符を浮かべていた。
「巡さんはひよりに話してはいません。こんなこと言っても信じてもらえるか分かりませんけど……ひよりが覗いちゃったんですよ、巡さんの記憶を」
「記憶を覗いた……?」
オカルトチックな発言に俺は混乱しそうになる。
でもすぐに冷静さを取り戻すことができた。だって少し考えてみれば分かることだ。椛は言葉の真偽が分かる特別な力を持っているし、巡に関しては世界を繰り返すことができるんだから。
「……そうですか。椛さんもひよりと同じで特別な力を持っているんですね。ならひよりの発言に嘘がないのは分かってくれますよね?」
「……うん。ひよりちゃんは嘘を吐いていない」
こんなことってあるのか?
たまたま偶然、そういう特別な力を持っている人間が俺の周りに集まっている? それともこの町に住む人間にはみんな似たような力が備わっているのだろうか。
いや、そんなこと今は別にどうだっていい。今俺たちが最優先で考えるべきことはどうやって運命の日を乗り越えるのかということなのだから。
「巡さん……泣いていたんです。どうして泣いているのか聞いても教えてくれなかった。こんな時間にこんな暗い道を歩いていたら何かあったのではないかと心配するのは当然のことですよね? だからひよりは巡さんの力になれるかもしれないと思ってこの力を使った。結果的にひより達が死ぬかもしれないってことを知ってしまったんです」
「……他に何か情報を引き出せたりはしなかったのか?」
記憶に干渉する力。ならばこれまで繰り返した世界の記憶も読み取ることが出来るのではないか。
そう思ったのだが、ひよりは申し訳なさそうに首を振り、ぎゅっと服の袖を握りしめた。
「ごめんなさい……。流石に気が動転してしまってこれ以上のことは何も覗くことができなかったんです。本当にごめんなさい……」
「ううん、謝らないで欲しいんだよ、ひよりちゃん。無理もないんだよ……」
椛は俯いてしまったひよりの元へ寄ると、ひよりの悲しみや苦しみ、それらの負の感情を全て包み込むように優しく抱きしめた。
「自分が死ぬかもしれないなんて知って、冷静でいられるはずがない……。わたしだって、今修平くんがいなかったらこんなにも落ち着いていないんだよ。きっともっと取り乱して、何をするか分からないもの……」
「椛さん……ううっ……」
椛の優しさに触れてひよりの我慢の限界が来たのだろう。堪えていたものが全て溢れ出し、嗚咽が漏れて止まらなかった。
小さな体に一瞬で背負い込まれた死という重石は一人では到底抱えきれるものではない。今たまたま偶然ひよりと出会うことが出来たからよかったものの、ひより一人だったらきっと……その重さに潰されていたかもしれない。
「ひより、こんな時に掛ける言葉じゃないとは思うけど……もう大丈夫だ。一人で抱え込むことはない。俺たちはもう運命共同体のようなものだろ?」
ひよりの頭を優しく撫でる。
いつも椛にしているように、優しく、丁寧に。
突き刺さるような椛の嫉妬の視線が俺を貫く。でもそれはすぐに柔らかいものに変わった。きっと今だけは許してあげる。そういう事なのだろう。
誰しも人の優しさに触れたい時がある。
助け合い、支え合い、そして人は生きていく。
人は一人では決して生きていくことができない。誰もが誰かを求めている。自分の心の支えになる人を。自分の弱さも脆さも全部受け止めてくれる人を――。
「修平さん……椛さん、本当に……本当にありがとうございます。一人じゃどうしたらいいのか全然分からなかった。このまま死ぬしかないのかなって思っていた。ほんとのことを言うと、若干諦めていたんです。どうせ世界が繰り返されるのならこのまま死んで、何もかもリセットしてもらおうかなって。一人だったら本当にそうしていたかもしれません。でも二人に会えて、優しさに触れて……やっぱり生きたいって思ったんです」
心の奥底に残っていた希望の灯火。
俺と椛がひよりの消えかかっていた灯火に火をつけた。今のひよりからは諦めの意思は感じない。ただただ生きたいという想いが伝わってきた。
「生きような、ひより、椛。生きてこの夢から醒めよう。夢の中じゃなくて、現実でちゃんと生きるんだ。死の運命を乗り越えて、未来を切り拓く。俺たちが今するべきことはそれしかない」
僅かに残った希望を信じて俺は空を見上げる。
いつの間にか星の輝く夜空は暗い雲に覆われていた。
「あ……」
ぽつんと、頬に冷たい雫が落ちた。
雨だった。降り出した雨はその雨足をどんどんと強めて俺たちを濡らしていく。
それが俺の胸の内を形容し難い不安で染めていく。何か良くないことが起こる――そんな予感。
「っ!?」
そんなことを考えていた瞬間にポケットに入れていたスマホが着信を知らせる。
防水仕様で良かったと思いながら俺は通話ボタンをタップしてスマホを耳に当てた。
『――今すぐ町から離れなさい修平ッ!!』
悲痛な紅葉の叫びが耳を貫く。
その尋常ではない紅葉の様子に、事態の深刻性に気付かされる。
「い、今のって……?」
紅葉の声はこんな雨の中でも二人に聞こえていたらしく、その表情を固めて青ざめていた。
『おかしい……こんなに早く運命の日が来ることなんて無いはずなのに!! けど間違いない!! この世界の運命の日は今日だった!! 早く……早く逃げてッ!!』
「――っっ!!」
弾かれるように俺は椛とひよりの手を引いて走り出した。ポケットにしまおうとしたスマホは地面に落ちて画面が砕け散る。
けどそんなことを気にしている暇は無かった。スマホなんて買い直せばどうとでもなる。けど、俺たちの命は失くしてしまえばそれでもう終わりなのだから。
「絶対に、生きてやる……!! そして俺たちの未来を繋ぐんだッ!!」
to be continued
心音です、こんばんは。
次回椛ルートのクライマックスです。
最期のその瞬間まで、どうか修平たちの未来を信じてあげてください。




