第56話『定められた運命』
「――じゃあ行こっか?」
放課後になるとすぐに巡は俺に声を掛けてきた
まさか巡の方から声を掛けてくるとは思ってもいなかった俺はほんの少しだけ驚いてしまう。
隣の席ということもあり、放課後になる前に何かしら今日のことを訊ねてくるかと思っていたのだがそんなことは一切なく、いつもと何一つ変わらない学校生活を過ごしていた。
故に、約束のことすら忘れてしまっているのではないかと思っていたせいで、巡から話を振られるとは思いもしなかったのだ。
「――忘れるわけないよ」
「え?」
「私が修平くんとの約束を忘れるはずがない」
確信を持った力強い言葉だった。
真っ直ぐに俺を見据える瞳から感じたものは自分でも疑問に思うほどの安心感。巡の言葉ならば何もかも信じてもいい。そう思えるだけの何かがあった。
俺と巡の繋がり――。
それは俺が思っている以上に深いものなのかもしれない。記憶が無いのがどうしようもなく悔しくなった。
巡だけが知っていて、俺は何も知らない。それがたまらなく悔しい。
「私、分かるよ。修平くんと椛ちゃんが何を聞こうとしているのか」
「……それでもお前は俺たちの話を聞いてくれるのか?」
「聞くよ。答えるかどうかは別問題だけどね。修平くんたちが何をどこまで知っているのか。まずはそれを聞かなきゃいけない」
そう告げて巡は俺に背を向けて一人歩き出す。付いてきてという意味なのだろう。
遠目で俺たちの様子を伺っていた椛と共に巡の背中を追って教室を出る。ホームルームが終わっても尚、ほとんどのクラスメイト達は教室に残っており、廊下は俺たち三人の足音だけが寂しげに響いていた。
下駄箱で靴を履き替えて校舎の外に出る。
そのまま校門に向かうのかと思いきや、巡は誰もいないグラウンドを突っ切って裏門の方へと向かう。
こっち側はあまり行ったことがなく、俺と椛は顔を見合わせて首を傾げた。
「巡ちゃん、何処に行こうとしているのかな?」
先導して歩く巡に椛が声を掛ける。
巡は足を止めることもなく、顔をこちらに向けることもなく、ただ一言こう告げた。
「始まりの場所だよ」
一際大きな風が俺たちの間を駆け抜けた。
それはまるで全てを知っている者とそうでない者を隔てるかのような冷たい壁にも思えた。
雨風にさらされて錆び付いた鉄扉に巡は手を掛ける。
ギィィと、鈍い音と共に網目で隠されていた景色の全貌が明らかになる。どうやらこの先は森の中へ続いているようだった。
思えばこの学校の裏は森で覆われている。何故こんなところに入口を設けたのか理由は分からないが、どうしてか俺は、今日の為に作られた道なのではないかとくだらないことを考えてしまった。
「ちょっとだけ我慢してね。森自体はすぐに抜けて普通の道になるから。校門から出るよりこっちから出た方が私の行きたい場所に近いの」
草木を踏みしめて巡はぐんぐんと進んでいく。
明らかに歩き慣れていた。巡はサバイバルとかそういうのが得意なのだろうか。
俺と椛はというと、ちょいちょい足に絡まってくる草を鬱陶しく思いながら頑張って巡の背中を追っていた。
「椛、手貸してくれ」
「うん〜?」
首を傾げながら椛は俺に手を伸ばす。
その手を掴んで離さないように少しだけ強めに握りしめると、巡に追いつくために歩くペースを上げた。
「転ばないように手を握っておこうと思ってな。この辺何か知らんが結構ぬかるんでるし、制服姿で転んだらシャレにならんだろ?」
「クリーニング代が馬鹿にならないんだよ……。修平くん、ありがとうなんだよ〜」
「これくらい当然だ。あ、でも俺が転んだら椛も巻き添えを食らうってことを忘れないでくれ」
「……その辺りは信じてるからね?」
バッチリキメ顔でそう宣言するも、椛は少し不安があるのか苦笑いを返してくれた。
先を歩く巡は時々振り返ってはあたふたする俺たちを微笑ましそうに見つめていた。
けれど巡は決して立ち止まってはくれなかった。ある程度距離が開いても、歩む速度を遅くするだけで待ってはくれないし、何か声を掛けてくれるようなこともない。
「……」
それはまるで俺たちと巡の間に透明な壁があって、それが繋がりを隔てているように感じた。
手を伸ばしても決して届くことのない距離。それでも必死になって伸ばして、あと少しで触れられそうだと思っても、透明な壁が邪魔をしてその先に進むことができない。
そう。巡の心に触れたくてもそれが許されない。
たった一枚の見えない壁が拒絶してくる。
人の気持ちが目に見えるものならば、こんな思いを抱くことも無いのだろう。
でもそれは人として生きていく以上当たり前のこと。触れて、確かめ合って――それでようやく人の気持ちと繋がることができる。俺はまだ巡と心を通わせることが出来ないでいた。
でも――
『――私のこと、信じてくれる?』
『ああ――信じるよ、巡』
巡のことならば無条件で信じてもいい。
何故かその気持ちだけは変わらないでいた。
それが俺と巡の心の距離。絶対的な信頼の証明。
森を抜けるのか、一面緑だった視界に光が差し込む。
歩き進めるとそこは見慣れない道に繋がっていた。だけど、どうしてだろうか――懐かしいと思える道だった。
「この道は……風巡丘に繋がる道か?」
「正解。来たことあるんだ」
「いや――行こう行こうと思っていて結局一度も行ったことはない」
「そっか。じゃあ――覚えていたんだね」
覚えていた――。
ああそうか。俺はここではない世界で風巡丘に来たことがあるのか。
「――さぁ、行こう。風巡丘はもうすぐそこだよ」
※
「ここが……風巡丘」
学校を出る時よりは幾分か歩きやすい森の中を登りきると、目の前には美しい景色が広がっていた。
足の疲労など一瞬で吹き飛んでしまうほど綺麗な景色。そよ風で揺れる草花は俺たちの来訪を歓迎するように優しい香りを運んでくれた。
「久しぶりにこの場所に来たんだよ」
椛はそう言って足元に植えられていた風車を一つ手に取った。
それは不思議な風車だった。風が吹いているのにも関わらず一切回ることがない。俺も一つ手に取り、しげしげと観察してみる。
「……なんで回らないんだろうな」
羽根が固定されている訳でもない。構造的にも少しの風が吹けば簡単に回るようなもの。なのに植えられている風車はどれも動くことはなかった。
まるで何かを待っているようにも思える。来るべき日が来るまで回らない。そんな人間が持つ意志のようなものを感じられた。
「ここの風車はね……特別なことが起きた時に初めて、回り始めるんだよ」
巡のその声が震えていることに気づき、俺は驚いて風車から巡の方へ顔を移す。
目尻から溢れた涙が頬を伝い地面に落ちる。その瞬間を見てしまった俺は言葉を失い、ただただ巡のことを見つめていることしか出来なかった。
「……巡ちゃん? どうして泣いているんだよ……」
巡が泣いていることに気づいた椛は心配そうに声を掛ける。でも巡は儚げに笑うだけで椛に対して何か言葉を返すことは無かった。
「ここは――全ての始まりの場所」
代わりに語り始める。この風巡丘のことを。
それは俺たちが知りたいことなのか分からない。だけど今は聞くべきだと思った。
「誰の入れ知恵か分からないけど、修平くんと椛ちゃんはこの世界のことを知っているんだね」
巡は紅葉と小夏が記憶を持っているということを知らないのだろうか?
紅葉の口振りからすると、椛以外の世界では紅葉は姿を見せてはいないと思われる。巡との接点も無いに等しいだろう。しかし小夏のことも知らない? そんなこと有り得るのか?
いや……小夏のことだ。生まれた時から付き合いだから分かる。あいつは上手いこと自分を隠してこの夢のような世界で生き、そして探し求めているのだろう。
「この世界はね、二人の知っている通り何度も繰り返している。夢のような時間を何度も、何度もね。もう何度繰り返したのか覚えていない。永遠のようにも思えるほど長い時間、私たちは生きている。そしてそれと同じくらい――死を経験している」
「俺と椛が死の運命に囚われているって話だろ?」
それを聞いた巡は悲しげに首を振った。
その行動は俺の――そして椛の不安を煽るもので、ここに来て俺たちは何か重大なことを見落としているのではないかと、そんな疑問が頭に過ぎった。
「残念だけど、それは思い違いだよ」
「思い違い……? どういうことだ?」
紅葉の話からすると、俺たち二人が死の運命に囚われているということだったはずだ。
でももしそうでないとするなら――この話は俺と椛だけの話では収まらないことになる。
訊ねてから後悔しても、もう遅かった。
巡は頬を涙で濡らしながらその現実を口にした。
「死の運命に囚われているのは二人だけじゃない。私たち全員――ひよりちゃんも、葵雪ちゃんも、そして小夏ちゃんも。みんなが死の運命に支配されているんだよ」
「嘘……だろ?」
絞り出すように俺は声を出した。
椛に至っては驚きのあまり目を開いて言葉を失っていた。
「それがこの世界の真実。私が変えようとしている運命だよ。この夢の未来を現実に変えるため。そうして手に入れられる結末を永遠のものにするための夢の世界」
俺たちの認識はやはり甘かったのだ。
想像していたよりも現実はもっと複雑で、そして残酷だった。
「……わたし達、全員? じゃあもし……もしなんだよ? この世界がわたしと修平くんが生き残る未来へ繋がっていたとしても、他の誰かが死んでしまったらもしかして――」
「……うん。ごめんね、また夢を繰り返すよ」
つまり、俺たちが生き残るだけでは幸せな未来を繋ぐことは出来ないということ。運命の日を乗り越えたとしても、他の誰かが死んでしまったら俺と椛の未来は閉ざされてしまう。
「私の望みはみんなが生きる幸せな未来を紡ぐこと。そんな未来を手に入れるまで、私は何度だってこの夢を繰り返す。どんな痛みだって耐えてみせる。例えこの世界の修平くんと椛ちゃんに恨まれようとも、私は私の意思を貫き通させてもらう。それが私の覚悟なんだよ」
俺たちを見据えて巡は自分の覚悟を告げる。
決して曲げることの叶わない強い意志。この強さは繰り返してきた世界の中で積み上げてきた巡の誓い。
この世界のことしか知らない俺たちには到底分かるはずのないその覚悟の強さは無力な俺の心をナイフで抉るように痛めた。
「全ての始まりであるこの場所、そして全ての始まりの世界で私は約束をした。私は絶対に諦めない。私が諦めたらそこで何もかも終わり。だからどんなに悲しい夢であろうと何度も繰り返す。幸せな夢の結末――その先にある未来のために私はこの力を使い続ける」
……ああそうか。ようやく合点がいった。巡にも椛と同じく特別な力があるのだろう。そりゃそうだ。でなければこんな大それたことが出来るわけがない。
世界を繰り返す力――。椛の言葉の真偽が分かる力とは規模が違う。
「二人が知りたいことはこのことだよね。じゃあこれで話は終わりだよ。これがこの世界の真実の全て。ここは現実じゃない。私の力によって何度も繰り返している夢の世界」
そう言いながら巡はこちらに歩み寄ってくる。
そして唖然とする俺と椛の前に立つと、お互いの手を取って強く握りしめる。
「――お願い。信じて。私が絶対に幸せな結末を手に入れてみせるから」
言葉を乗せるように風が吹いた。
でも風巡丘に植えられた風車はやはり回ることはなく、ただそこにあるだけの飾りになっていた。
それを見て俺は何となく思った。
きっとこの風車が回るのは世界が繰り返す時なのではないかと。特別なことが起きた時に初めて回り始める風車。世界の繰り返しが特別なことで無ければ何が特別なのか分かったもんじゃない。
手にあった温もりが消えていく。
巡が手を離したからだ。温かくなっていた手に吹く風が冷たい。それは俺たちの心の距離を表しているようで寂しかった。
「……最後に一つだけ」
俺たちに背を向けた巡はそのままの体勢で言葉を紡ぐ。
「運命の日は近いよ。私は私のやるべきことをやる。だから二人はどうかお願い――生きて」
足音が遠ざかっていく。
巡は一足先に風巡丘を後にしたようだった。
しばらくしてから辺り一帯に夜の帳が降りる。その間俺と椛は互いに無言のままその場に立ち尽くしていることしか出来なかった。
「……小夏ちゃんは、自分が死ぬ運命なのかもしれないのに、わたし達にあんなことを言ったんだね」
「生きて、か。あの言葉きっと、自分のことは自分で何とかするから、俺たちは俺たちでどうにかしろっていう意味もあったのかもしれないな」
死の運命に立たされているのは俺と椛だけではない。
この町に来て出来た友達全員に科せられている運命だった。
その事実を思い知らされ、現実がどれだけ残酷なものなのかを再認識させられた。
来たるべき運命の日――それはもうすぐそこまで迫ってきていた。
to be continued
心音です、こんばんは。
残り二話(エピローグを含めて残り三話)で椛ルートは完結します。来たるべき運命の日を乗り越えたその先に二人の幸せな未来が待っているのか。それとも死の運命が二人を引き裂いてしまうのか。
それでは次のお話でまたお会いしましょう。




