第51話『変えるべき時 後編』
家から商店街まで走っても10分くらい掛かる。
けれど今の俺たちは明らかにそれを上回るペースで走り続けていた。火事場の馬鹿力というには些か表現がオカシイかもしれないが、一切速度を緩めることなく全力で走っているのにも関わらず疲れが全く無い。
人間というのは不思議な生き物だ。
無理だ無理だと思っていても、いざという時は自分の限界以上の発揮することができる。限界だから無理等といつ奴の大半は本当の力を出し切れていない。
それが何事にも適応されるわけではないが、俺は今こうして身をもって限界値のその上を体感している。
「――修平!! 小夏!! こっちよ!!」
商店街に差し掛かった時、スマホのライトと思わしき白い光と葵雪の大きな声が届いた。
光を目指して俺と小夏は距離を一気に詰める。葵雪の隣には既に巡の姿もあり、何やら真剣な表情で考え事をしているようで地面と睨めっこをしている。
こんな時に何を考えているのか気になったが、悪いけれど今巡のことよりも椛のことの方が大事だった。
「悪い遅れた!! それで椛の家は!?」
挨拶はせず、こんな時間に呼び出したことの謝罪だけ述べて俺は葵雪に訊ねる。
「十分早いわよ。とにかく案内するわ、こっちよ。まだ走れるわよね?」
「当たり前のことを聞くな!! 行こう!! 小夏もまだ余裕だな!?」
「元バスケ部のエースを舐めないでお兄ちゃん」
「ほら、行くわよ!!」
先陣を切って走り出した葵雪の後ろに続く。
小夏と二人で走っていた時と比べると幾分かスピードが落ちてしまう。そもそも葵雪は俺たちの中で体力が一番無いから、途中でへばられるよりは多少ゆっくりだとしても確実性を――
「……あ、れ?」
そこで俺は自分の考えに違和感を覚えた。
前にも一度経験したことのある記憶と思考の歯車が噛み合わない気味の悪い感覚。
……そう。そうだ。俺は何故、葵雪には体力が無いと思い込んでいるんだ? 葵雪とはそういう話をした事がないし、運動をしているところを見たこともない。
でも――確信があった。
俺は知っている。知るはずの無いことを知っている。
体力の有る無いなんて些細なことでも、記憶に無いことを知っているのはただただ気味が悪かった。
脳に直接埋め込まれただけの身に覚えが無い偽りの記憶。そんなものが自分の頭の中を蝕んでいるような気がして恐怖を覚えた。
「――修平くん」
闇に囚われそうになっていた思考に一筋の光が差す。
それは巡の慈愛に満ちた優しい声だった。俺は並走する巡の方へ顔を向ける。
「……っ」
巡は笑っていた。こんな時なのに不安も何もかも吹き飛ばすような優しい笑顔を浮かべて俺を見据え、そして語りかけるように静かに口を開く。
「――信じて」
そして、たった一言、そう告げた。
たったそれだけなのに、焦りと不安でいっぱいになっていた俺の心は冷静さを取り戻していく。
何故? どうして巡の言葉は聞くだけで不安が取り除かれて、こんなにも安心することが出来るんだ?
転校初日の時もこんな体験をした。信じてもいいと思えてしまうんだ。巡の言葉ならば無条件で信じられる。いや違う? 信じなければならないのだ。
だって俺はいつの日か――
そんな約束を――巡としているのだから。
巡は何かを知っている。
知っていてそれを隠している。
でもそれは隠したいからなのではない。隠し通さなければならない理由があるから、だから……何も伝えることができない。
「大丈夫だよ、修平くん。あなたは何も心配する必要は無い。ただ信じていればいいの。余計なことを考えないで椛ちゃんとの幸せだけを願い、そして信じればいいんだよ」
「お前……俺と椛が付き合っていることを知っていたのか?」
「知らなかったよ。けど――分かるよ。修平くんのことだもん。私は修平くんのことなら何だって分かるよ」
どういう事なのか聞きたかった。
けど喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んで俺は走る速度を上げる。これ以上の会話は無用だ。今俺が集中するべきは巡のことではない。
あっという間に葵雪の隣に並ぶ。体力の限界が来ているのか、葵雪は荒い息を繰り返して走り続けている。
いつ立ち止まってもおかしくない状態。それでも走り続けるのが椛の為だと思うと、感謝の言葉以外は浮かんでこない。
これ以上無理をさせるわけにはいかない。
そう思った俺は葵雪の肩を優しく叩く。こちらに振り返ると同時に玉になって浮かんでいた汗が弾けた。
無言で自分を見据える俺を見て、葵雪は俺が何を言いたいのかすぐに察してくれたらしく、複雑な笑顔を浮かべて口を開いた。
「四つ目の角を、曲がって……真っ直ぐ、走れば、青い屋根の家が……見えてくる。それが、椛の家よ……」
「ありがとう、葵雪。あとは俺に任せろ」
「……ええ、任せたわ」
更に走る速度を上げて椛の家を目指す。
この加速に付いてこれたのは小夏だけ。一瞬だけ振り返って葵雪の様子を見ると、すぐ隣に巡が寄り添っていた。
「お兄ちゃん、やっぱり小此木さんと連絡つかないよ」
走りながらも何度も椛にコールしていてくれたらしいが状況は何一つ進展しない。
葵雪の教えてくれた道を全力で走る。ここまで来てしまえば電話なんてしているよりも、直接家に乗り込んだ方が圧倒的に早い。
「あの家か……!!」
力を振り絞って家の前まで着くと、俺はインターホンを鳴らす時間すらも惜しく玄関のドアを叩いた。
はた迷惑な行動だというのは分かっている。もし何も無かったら、その時のことはその時に考えればいい。でももし万が一があったとすればそんなことを言ってはいられない。
「椛!! いるか!? いるなら開けてくれ!!」
激しくドアを叩いても反応が無い。
せめて椛の親が出てきてくれれば少しは安心できたのだが、家には誰もいないのか本当に反応が皆無だった。
「くそ……!! こうなったら家のドアをぶち破ってでも――」
いよいよ手段が無くなり、実力行使を選ぼうとしたその瞬間だった。
「…………え?」
ガチャリと鍵の開く音と共にドアが開かれる。
そこから顔だけこちらに出してきたのは見間違えるはずもない。愛しい彼女の姿だった。
「しゅ、修平くん? 小夏ちゃん? こんな時間にどうしたん――はわ!?」
気づけば俺は椛の事を抱きしめていた。
温かい。生きている証。大好きな椛に何事も無かったと分かった途端、気が緩んだのか目尻が熱くなってくる。
「……よかった。本当によかった」
「何があったのか状況が全然掴めないけど……」
椛は俺の背中に手を回して自分からも抱きしめてくれる。それは壊れてしまいそうだった俺の心をゆっくりと修復してくれるような優しさだった。
「わたしは大丈夫なんだよ、修平くん。ここにいるんだよ。だからもう大丈夫。修平くんが落ち着くまでずっとこうしていてあげるんだよ」
「ああ……っ。ああ! 椛っ、椛!!」
本当に無事で良かった。
こうして椛の体が俺の腕の中にある。きっと紅葉が予見していた未来を変えることが出来たのだろう。
「もみ――なんだ!?」
口を開きかけた瞬間、地面がぐらっと揺れた。
「地震!? かなり強いよお兄ちゃん!!」
立っていられない程ではないがそれなりに強い地震が襲い掛かってきた。同時に家の中からガラスか何かが割れるような甲高い音が響く。
揺れは数十秒に渡って続いた。実際のところもっと早くに揺れは止まっていたのかもしれないが、まだ揺れているような感覚がして気分が悪い。
「椛、大丈夫……あ」
そこで俺はようやく椛の格好に気づいた。
焦りに焦っていたせいで全く気づいていなかったのだが、椛の格好はバスローブ一枚というなかなかに際どい姿をしていた。
思い返してみればドアが開いた時に顔だけしか見せなかったのはこういう理由があったからなのかもしれない。
「あはは〜。お風呂入っていたんだよ。そしたら外から修平くんっぽい声と、ドアを叩く音が聞こえてきたから慌てて飛び出してきたんだよ〜」
「そ、そうだったのか、悪いな……。ちょっとこっちも非常事態だったせいで細かいことを考えている余裕は無かったんだよ……」
「そんなに気にしていないから大丈夫なんだよ〜。それにほら、見られたのが修平くんで良かったんだよ。好きな人には……ほら、自分の全てを見てもらいたいから、ね?」
恥ずかしそうにしながらも椛はそう言い切る。
雪のように白い肌は直前までお風呂に入っていたからほんのりと上気しており、洗い立ての髪から漂ってくるシャンプーの香りが理性を刺激する。
「……お邪魔虫は退散しまーす。あとは若いお二人でごゆっくりとイチャイチャしてくださいなー。あ、中で何か割れていたのはお忘れなくー」
そんなことを言いながら小夏は俺と椛を残して踵を返した。何か言ってあげるべきなのかもしれないが、その辺のことは察してくれているのだろう。一回もこちらに振り返ることなく小夏は闇の中へと姿を消した。
「えーっと、とりあえず家に入るんだよ。今わたしの両親は海外出張中だから、わたし以外は誰もいないんだよ〜」
「……」
親が海外出張中に加えて椛の今の格好……俺は試されているのだろうか?
触れる箇所はどこも柔らかい。特にタオル越しに伝わってくる椛の双丘の感触は暴力的だった。見た目通りの大きさと柔らかさ。タオル越しでこんな感じなのだ。直接触ったらどんな気持ちになるのか分かったもんじゃない。
「……触りたいのかな?」
「えっ?」
「わたしの胸、触りたいんだよね?」
「……っ」
咄嗟に否定しようと思ったのだが、椛には嘘が通用しないことを思い出す。俺は観念して首を縦に振り、触りたいという意思を椛に伝えた。
「――うん、いいんだよ」
椛はいつも通りのほんわかとした笑顔を作る。
それは俺の大好きな優しい笑顔だった。
「わたしは修平くんのことが大好き。そして修平くんもわたしのことが大好き。だから、修平くんがしたいことは、わたしがしたいこと。遠慮する必要は無いんだよ。わたしはあなたの全てを受け入れるから」
椛はそこで言葉を区切って目を閉じて俺を見上げる。
何をして欲しいのか一目瞭然だった。俺は椛の望み通りキスを交わす。
二回目のキス。触れ合うだけで気持ちが良く、歯止めが利かなくなって何度も何度もキスをする。
「んっ、ちゅ……ちゅ……ンんっ!?」
ただ重ねるだけでは耐えきれず、唇の間に舌を差し込んで椛の口内をまさぐる。最初は驚いていた椛だったが、すぐに慣れたのか自分の舌も使って俺の舌を絡めてくる。
痺れるような気持ちよさが全身を駆け抜ける。ぴちゅぴちゅと卑猥な音が響いていたが、それを気にするよりも気持ちよさの方が上回っていて何も考えられなくなる。
「んあッ、ちゅ、修平くん、んっ、キス……気持ち、いいんだよっ」
気持ちいいという言葉を聞いて、俺はたまらず椛の胸に手を伸ばす。
「ひゃん!?」
ちょうど敏感なところに触れてしまったらしく、椛の身体を跳ねさせる。タオル越しに軽く触っただけでこの反応……。直接触ったら椛のいやらしい声がもっと聞けるとのだと思うと興奮が収まりそうになかった。
「ちょ、ちょっとだけ待つんだよ修平くん……!」
もっと大胆に触れようとしたところで椛の制止が入る。とりあえず一旦気持ちを抑え込んで椛を見ると、のぼせているのではないか不安になるほど顔を赤く染め上げていた。
「さ、触るのはいいんだよ。ただ……この場所はちょっと……ううん、かなり恥ずかしいんだよ……」
「あっ」
今思えば俺たちが今いるのは玄関の目の前。しかも中よりではなく外よりの位置にいる。
その事を思い出した瞬間、途端に恥ずかしくなって二人無言で家の中に入った。
「……これで、邪魔は入らないんだよ」
鍵を閉めて椛は俺の方へ向き直る。
すると、突然慌てたように首をぶんぶんと振り、さっきよりも数段階顔を赤くし、恥ずかしそうに上目遣いをしながら口を開く。
「あ、でもでも……流石にここはあれだから、ベッドまで行きたい……かな?」
そう言って笑う俺の愛しい彼女の笑顔は、どんなものよりも眩して、何よりも守りたい大切でかけがえのないものだった。
to be continued
心音ですこんばんは!
今回の話は前回の続きとなっております。そして最後にやっちゃいましたね!次回は事後からスタートです!←




