第48話『椛の力』
「――っ、はぁ、はぁ」
「わ、わたし……もう……無理、なんだよ……」
全身から滴り落ちる汗。互いの呼吸は激しい運動をした後のように荒くなっており、繋いだ手から伝わってくる体温は火傷してしまいそうなほど熱かった。
「……なんで、俺たち……全力ダッシュなんて、してるんだ?」
「この電車を逃すと……一時間くらい、待つことに……なるんだよ……」
汗だくになって電車に乗り込み、尚且つ荒い呼吸を繰り返す俺たちを見る数少ない乗客の視線は痛いものだった。
これが都会だったらもっと大勢からの虐げられるような視線の嵐が吹き荒れていたと考えると、田舎にいて良かったと思ってしまう。
「まぁあれだ……走って乗れなかったらシャレにならんし、乗れたことを今は素直に喜ぶことにするわ……。めっちゃ疲れたけど……」
「激しく同意……なんだよ〜。とりあえず座ろ、修平くん。隣町までそれなりに時間が掛かるんだよ〜……」
「そうだな……。とりあえず、座って落ち着こう。電車も動き始めたところだしな」
椛と共に入ったドアのすぐ近くの椅子に腰を下ろす。
ギィと、椅子のスプリングが軋むような音に合わせて体が沈む。虹ヶ丘町に引っ越してくる時も思ったのだが、妙に座り心地が良く設計されているこの椅子。都会の電車にも是非とも採用して欲しかった。
お互い呼吸を落ち着かせる為に会話は無い。
けど、嫌な時間では無かった。繋いだままの手から伝わってくる椛の様々な感情が無言の寂しさを和らげてくれた。
少し力を込めれば椛も力を込めた分の気持ちを返してくれる。こういう何気ない行為も恋愛の醍醐味なのかもしれないなと思いながら、俺は流れていく景色に目を移した。
代わり映えのない緑が延々に続くだけの景色。
今思い返してみれば都会にいた頃の景色は延々に続くビル群だった。それと比べると、自然に満ちたこの景色は何倍もマシだと思える。
それはこの街の生活にすっかり慣れてしまったことを証明しているようで思わず苦笑いする。今更戻って来てもいいと言われたとしても、俺は満面の笑みで一蹴することだろう。
元住んでいた場所と比べると不便なところは確かにある。けど、俺はこの町が好きになっていたし、何よりこの町には椛がいる。かけがえのない大切な人がいるこの町で、俺は生きていこう決めたのだ。
「俺さ、椛に出会えて本当に良かったって思ってる」
「うん。わたしもなんだよ。わたしも修平くんと出会えて良かった。出会い方はちょっとあれだったけどね〜」
「それな」
あの時の俺は紅葉のせいで精神的にやられていた。しかも椛と瓜二つなもんだから、人生最大級の焦り具合を発揮してしまった。
紅葉のことを知っている今となってはただの笑い話で済むが、あの頃はクソ真面目に呪われているのではないかと考えていたから今度紅葉に会った時、椛とのことを報告がてらぶん殴ろうと考えている。
「それで思い出したんだけど〜、結局幽霊騒動はどうなったのかな〜?」
「半分くらい解決した」
「おお〜。良かった――で、いいのかな〜?」
「んー……今ところは、だな。まだ良かったと言えるような領域には達してない」
分かっているのは紅葉の正体と目的だけ。根本的なことは何一つ解決していない。
しかし、椛とこうして進展した今なら、紅葉も新しい情報をくれる気がする。本当の幸せを手に入れることが紅葉の目的なのだから、こうなった以上話さない理由は無いはずだ。
紅葉の発言には謎が多すぎる。
あなたには死んで欲しくないだとか、この世界は嘘で満たされているとか、ここは椛の為の世界だとか――あまりにも話が大袈裟すぎて現実味が無い。
幽霊という存在を認めてしまっている俺が言うのもあれなのかもしれないが、普通は疑ってかかるのが当然のこと。それを馬鹿真面目に考えてしまっているあたり、紅葉の影響をかなり受けてしまっているということなのだろう。
「今度会う時に色々と問い詰める予定だ」
「おおお? いつの間に幽霊とアポイントなんか取れるようになっていたの?」
「つい最近。会うと言っても向こうから来てくれない限り会えないから実質一方通行」
加えて、前回のように唐突に現れるかもしれないから心臓にかなり悪い。幽霊相手に心の準備ができるまで待ってくれとも言えないからこればっかりは本当にどうしようもなかった。
「それにしても、わたしとそっくりな幽霊か〜。なんか妬いちゃいそうなんだよ〜」
「椛とそっくりだからって幽霊のことを好きになるわけはないから安心してくれ。俺が好きなのはお前だけだ」
「〜〜〜〜っ」
椛の顔が途端に紅く染まった。
初々しい可愛い反応にこっちまで照れ臭くなってしまい、俺は行き場のない視線を窓の外に向ける。
窓ガラスに映る俺の顔も椛に負けないくらい紅くなっていて、更に恥ずかしさが増してしまった。
「しゅ、修平くんはそういう事をさらっと言っちゃうから身構える暇も無いんだよ〜……」
「俺からすると、椛のあの告白の仕方もなかなかのものだと思うぞ……? わたしは修平くんの一番に――」
「ストップ!! ストップなんだよ修平くん!! それ以上はわたしを穴があったら入りたい状態にしちゃうんだよ!!」
「悪い悪い。でもあれだ。めっちゃ嬉しかったぞ」
好きな人に好きと言ってもらえる。それはどんな事よりも嬉しいことだと思う。
あの時、椛がきっかけをくれなかったら俺たちの関係はまだ友達のままだっただろう。そう思うと、椛の勇気はすごいと思えるし、自分の気持ちを伝えるいいきっかけになったと言える。
もう胸にしっかりと刻みつけた。
未来は確かに大切かもしれないけれど、それ以上に今が大切だということ。今の幸せを守り続けることが、未来へ繋げるための架け橋になるということを。
まだ考えないといけないことは両手で抱えきれないほどあると思うけれど、胸に刻んだこの気持ちを忘れなければきっと大丈夫。そもそも未来は決められているものではない。俺たち自身の手で切り拓いていくものなのだから。
「あの時は……あれなんだよ。わたしの中の修平くんが好きだって気持ちが溢れて止まらなくなったんだよ。修平くんが悩んでる姿を見たくなかった。わたしが修平くんの悩みを受け止めることが出来たらなって。わたしが……修平くんの一番になることが出来たらきっと、共に悩んで、解決して、一緒に笑っていることができるんじゃないかなって……思ったんだよ」
「……椛」
俺は幸せ者だな。そう思わずにはいられなかった。
こんなにも俺のことを考えて、そして、想ってくれる。降り積もる初雪のように真っ白な心。
生涯をかけて椛のことを想い、そして愛し続けようと誓った。特に何の取得のない俺でも、たった一人の大切な女の子を守り通す力はあるはずだ。
「俺、お前のことを好きになってよかった」
「わたしも、修平くんのことを好きになってよかったって思ってるんだよ〜。初恋は叶わないって言うけど、そんなことは無かったんだよ」
こつんと、椛は俺の肩に頭を預ける。
淡い紅い髪から漂ってくるシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
「修平くんがわたしの気持ちに応えてくれなかったら、こういうことも出来なかったんだよ。一番近くで、好きな人を感じることが出来る。わたしの初恋は確かに叶ったんだよ」
肩に頭を乗せられているせいで椛の表情を伺うことはできない。しかし、今の俺には何となくだが椛がどんな顔をしているのか、何を望んでいるのかが分かった。
「んっ……」
椛の頭に手を乗せ、ゆっくりと動かすと、椛はくすぐったそうに身をよじる。嫌がっているわけではない。むしろ嬉しそうに鼻歌を歌い始める。
髪の流れに沿って手を動かしつつ、椛の反応を見て楽しむ。周りから見ればバカップルが公共の場でイチャついてるとしか思われていないだろうがこうしてられるのも学生のうちだけだ。大目に見てくれると嬉しいと思いながら俺は椛の髪を撫で続ける。
「あ、そういえば、ふと思い出したんだよ〜」
「ん?」
体を起こして椛は俺を見据える。
髪を撫でることが出来なくなったのを若干残念に思いつつ、椛と目線を合わせる。
「前にみんなで甘狐処に行った時のことを覚えているかな〜? ほら、修平くんがこの町に引っ越して来た次の日だったかな〜?」
「あー、覚えているぞ。そういやあれ以来一回も行ってないな」
「それは今度一緒に行くとして、あの日、一つ気になっていたことがあったんだよ〜」
「気になっていたこと? なんかあったっけか」
記憶力は悪い方じゃないはずだが、何か特別気になるような出来事があったとは思えない。
まぁ……強いて言うなら、あの日の夜、紅葉が姿を現したことくらいか。けどその事を椛は知らないはずだし、そうなると椛の気になることが何を指しているのか全く分からない。
「修平くん、小夏ちゃんに杏仁豆腐に乗っていたさくらんぼをあげていたよね〜?」
「……ああ。確かにあげたな」
最後に食べようと思って取っておいたさくらんぼ。
小夏はそれを見て、俺が嫌いだから食べていないと勘違いして食べたいとねだってきたのを思い出す。
本当は自分で食べたかったのだが、俺はあの時小夏の笑顔を選んだのだ。
「修平くん、あの時……嘘、吐いたよね?」
「はい?」
思わず素で言葉を返してしまった。
嘘? 俺、嘘なんて吐いていたっけ……?
「さくらんぼ、好きなのに嫌いって言ったんだよ。好きだから最後まで取っておいたんだよね? ならどうしてそう言わなかったのかな?」
「あー、言ったな。確かに言った。てかよくあれが嘘だって分かったな。普通気づかないだろ」
俺自身ごねるようなことはしなかったし、自然な流れで渡したと思っているのだが、もしかしたら椛にはそれが違和感だったのかもしれない。
「普通はそうかもだね〜。いずれは話さないといけないことだから、いい機会だしデート前に話しておくんだよ」
笑顔を浮かべたまま椛は俺の瞳を捉えた。
笑っているはずなのに、妙に真剣な空気が漂っている。これから話す内容は笑顔のままでは語りきれないような内容なのかもしれなかった。
「わたしはね、修平くん。話したことが真実か嘘か、全部分かるんだよ。直感とかそういう感覚的な問題じゃなくて、目で見たように分かる。そういう力を持っているんだよ」
「……」
嘘か真実か分かる力――。
普段なら笑い飛ばすようなものだが、思い当たる節が幾つかある上に、幽霊なんていう非科学的存在を信じてしまっている以上、椛の言うその力を否定するのはおかしい。だからなのか、驚いたと言えば驚いたのだが、すんなりとその事実を受け入れることが出来た。
思い当たる節の中で一番印象的だったことは、引越し初日の夜に、椛と散歩している最中に巡と会った時だろう。
あの時の椛の驚きに満ちた表情は今でも鮮明に頭に焼き付いている。巡の言葉は嘘だらけだった。同時に記憶の隅に追いやっていたことを思い出す。
「……すっかり忘れていた。巡は俺の知らない何かを知っているんだ」
紅葉のことばかりに気を取られて、すぐ近くにあるかもしれない答えのことを忘れていた。灯台下暗しとは正しくこのことを言うのだろう。
「椛。俺はお前の言うその力のことを信じる。だから今度力を貸してくれないか?」
「もちろんなんだよ」
椛は即答して曇りなき笑顔を浮かべる。
「わたしはいくらでも修平くんの力になるんだよ。この事を話したのだってそういう目的があったから。頼ってほしいんだよ、修平くん。わたしが修平くんを支えるんだよ」
「ありがとう、椛。頼りにする。そして他の誰がなんて言おうと俺はお前のことを信じるからな」
椛が力のことを話してくれたのは俺のことを信用しているという証拠。じゃなければ普通、恋人であろうとこんな非科学的で根拠の無い力のことなんて信じるはずがない。
「うん。信じてくれていいんだよ。一緒に解決できるように頑張ろうね、修平くん」
「おう。けど、今は――」
タイミング良く電車のスピーカーから隣町に着くという放送が流れる。
俺たちは今、絶賛デート中。考えることが山積みでも、楽しめる時に楽しまないのは損ってもんだ。
「デートを楽しもう〜! なんだよ!」
「おうよ!」
電車がゆっくりと速度を落としていく。
大切な人と過ごす、かけがえのない時間を、めいいっぱい楽しませてもらうことにしよう。
to be continued
心音ですこんばんは!
今回の噺で椛の力について明らかになりました!これまでの会話全て、椛は嘘か真実か分かっていたということになります!
次回は大望のデート回!




