第47話『一番になりたい』
「修平くんと〜お出かけだ〜♪」
「……上機嫌だなぁ、お前」
頭の上に音符を浮かべて歩く椛とは正反対に、俺は込み上げてくる眠気を堪えながらふらふらと道を歩いていた。
「あちぃ……」
今週は暖かい日が続いていたのだが、今日に限っては暑いという言葉が似合う日だった。天高く昇った太陽がジリジリと肌を焦がす。まだ四月だというのにこの暑さ。今年の夏は恐ろしく暑くなるのではないか。
この地獄のような暑さは寝起きの俺にとっては苦痛でしかないのだが、隣を歩く椛の御機嫌な表情を見ると、その苦痛を耐えてここに居て良かったなぁと思えてくる。
小夏に勝手に設定されたベートーベンの運命の着信音に叩き起され、あと五分でそっちに行くよと椛に言われ、夢だろうと解釈して二度寝をかまし、宣言通りにやって来た椛に満面の笑みで布団にダイブされた30分前の出来事が陽だまりのように優しいこの笑顔だけで許せてしまうという。何が言いたいかというと、やっぱり俺は椛の事が好きでたまらないらしい。
最近考えることの半分以上は椛の事。
そしてもう半分は――紅葉の事だった。
紅葉とはあれ以来一度たりとも俺の前に姿を現してはいなかった。あれ以来と言ってもまだ一週間程度しか経っていないわけだが、あれだけ色んなことが起きてしまうと何も無い事が逆に不安になってしまう。
かと言って、あんな怖い思いをするのは二度とごめんだ。とはいえ紅葉はまた俺の前に姿を見せると言っていた。唐突に出てこられても困るからアポイントをきちんと取って欲しいと思うが、幽霊相手に何を言っても無駄なのは分かりきっていた。
「修平くん、考え事でもしてるのかな〜?」
「ん? ああ悪い。今は平和だなぁと思っていたところだ」
「平和が一番なんだよ〜。というより……その言い方だと平和じゃない時があったみたいなんだよ〜?」
「んー……まぁ無かったと言ったら嘘になるな。ついこの間まで色々と悩まされていたわ」
「それってもしかして話してくれた幽霊のことかな?」
椛の口調がほんの少し真面目になる。どうやら遠回しに話してと言っているらしい。
特に面白い話でもないし、正直椛に話していいのか分からない。椛に紅葉のことを話すにはまだ分からない事が多すぎる。分かっていることがあるとすれば、俺が死ぬかもしれないという事だけ。だから尚更椛に話すことができない。
「その通りなんだが、悪いな。今はまだ話せない……というより話していいのか分からないんだ。あ、椛の事を信用していないわけじゃないぞ? ただもうちょい整理できてから話したいんだよ」
本来なら話すべき内容のはずなのだ。
椛が関わっていることはまず間違いないんだし、もしかしたら椛自身何か知っていることがあるのかもしれない。情報を得るために前に進む覚悟でいたのだが、やっぱり椛に話すのはまだ早い。
「そっかそっか〜。じゃあ話したくなったら話してほしいんだよ。わたしは修平くんから話してくれるまでのんびりと待っているんだよ〜」
「……ありがとう」
椛の優しさに今は甘えさせてもらうことにしよう。
いずれは絶対に話さなければならないことだろうし、折角のデート……と言っていいのかは不明だが、この状況を楽しまないのは損な気がした。
「ところで俺たちは何処に向かって歩いているんだ?」
「駅だよ〜。これから電車に乗って隣町までショッピング〜」
「なるほど」
何となしに荷物持ちをさせられるような気がするのだがそれはそれで悪く無い。椛と二人でいられる時間がいまの俺には至福の時間だった。
春の陽射しに照らされる田舎道。
道端にはノラ猫が心地良さそうに眠っているし、通り過ぎる人たちは暖かい表情で俺たちに挨拶をしてくれる。都会では見られない平和な光景に自然と笑いが込み上げてくる。
「何か面白いものでもあったの〜?」
「いや、平和だなぁと思っていた」
「会話のループが発生しちゃうよ〜?」
「それは勘弁してくれ」
そういや今しがた同じようなことを言ったなぁと思いながら椛のすぐ隣に歩み寄ると、すんなりと並ぶことができ、俺たちはそのままのんびりと歩いていた。
少しでも手を伸ばせば椛に触れられる距離。
手一本分の隙間がもどかしくて仕方ない。
俺にほんの少しの勇気があればこの距離を埋めることができるかもしれない。椛に俺の気持ちを――この抑えきれないほどの好きの気持ちを、今すぐにでも伝えたい。
『未来を繋いで。椛との幸せな未来を。あなた自身、もう気づいてるはず。あなたは椛に恋をしている』
紅葉に言われた言葉をふと思い出す。
『その想いはきっと未来を繋ぐための力になる。だからあなたは椛の幸せを願って行動してほしい。そしていずれ来る日を共に乗り越えて、本当の幸せを手に入れてくれればそれでいい』
紅葉は俺と椛の幸せを願っていた。
そしてそれは未来を繋ぐための力になると。
いくら考えたところで、この言葉の意味――本当の幸せというのが何を指しているのか分からない。
もし仮に今俺たちが付き合えたと仮定する。そこに幸せを感じたとしても、紅葉の言葉を借りるのであればそれは仮初の幸せという事になるのだろう。
紅葉の言葉をどこまで信用していいのか正直なところ分からない。ただ紅葉が椛のことを想っているのが確かだからこそ、投げやりにすることができない。
結局のところ俺は迷っている。椛に気持ちを伝えたいのは事実。しかしそれで得られるものが仮初の幸せだと言うのであれば、もう少し先延ばしにした方がいいのかもしれない。
「今日はよく考え事をするんだね〜」
そう呟く椛は俺の方を見ているわけではなかった。
真っ直ぐに続く道を見つめたまま椛は言葉を続ける。
「話したくなるまで待つとは言ったけど、そんな深刻な顔をされるとやっぱり気になっちゃうんだよ〜」
「……俺の顔を見てないのによく深刻な顔をしているなんて分かったな」
「分かるよ〜。だって修平くんのことだもの〜」
さも当然のように答える。
椛はそこで言葉を切って、その場に立ち止まると、ゆっくり振り向いて俺を見据えた。
「何をそんなに深刻になっている分からないけど、抱え込みすぎるといつか決壊しちゃうよ? ダムの放水みたいにどばーっと」
両手をいっぱい広げて、椛は抱えきれないものはたくさんあるんだと表現する。
悩みを抱え込むには限界がある。当たり前のことのはずなのに、椛に言われて初めてそのことを実感した。
椛から見る俺は、とうに限界を迎えているように見えていたのかもしれない。笑顔を浮かべながらも真剣な眼差しで俺を見る姿を見れば一目瞭然だった。
「だからね、修平くん。悩むなとは言わないけれど、もっと気楽に行こうよ。わたしはちょっと気楽すぎるかもしれないけどね?」
俺を見つめる椛の表情を例えるのであれば、慈愛に満ちた天使のようだった。
何もかも受け入れてくれそうな優しい微笑みは凍っていた心を溶かし、鍵を掛けようとしていた心の扉を開いてくれる。
「一人で抱えきれない悩みは信用できる誰かと共有しちゃえばいい。修平くんが信用できる人ならきっと力になってくれるはずだよ」
それは雲間から射し込む一筋の光。
曇っていた心に希望を与えてくれる優しい光。
「確かに一人でどうにかしないといけない時はあるかもしれない。でもそんな時は思い出してほしいんだよ。修平くんは決して一人じゃない。みんながいる。わたしがいる」
そう言いながら椛は俺の手を取った。
優しい温もりに包まれると、俺は一人じゃないんだと実感することができる。触れた手から伝わってくる穢れのない純粋な心。こんなにも澄んだ心の持ち主はそうそういるもんじゃない。
「不安になることはないんだよ。修平くんのことを想ってくれる人は必ずいるからね? 困った時、辛い時、誰かが傍にいてくれればそれだけで心が軽くなるんだよ。だから――覚えておいて欲しいんだよ」
誰かにのために行動して――
誰かの励みになることを言って――
誰かのために――笑ってくれる。
誰にでもできるような簡単なことではない。
誰かを想うことのできる純粋な心の持ち主でないと、こんなにも心に来る言葉を奏でることはできないだろう。
「私はどんな時でも修平くんの味方であることを。修平くんの傍にはわたしがいることを。そして――」
俺を見つめる椛の笑顔に花が咲いた。
それは満開の桜のように綺麗で、魅力的で、永遠に見続けたいと思ってしまうほど俺の心を打った。
「――わたしは修平くんの一番になりたいと思っているということを」
それは告白だった。
大好きな女の子からのかけがえのない贈り物だった。
砂糖菓子のように甘い言葉はじんわりと俺の心に溶け込んでいく。
「――好きだ」
自然と言葉が出ていた。
仮初の幸せだとか、未来を繋ぐためだとか、そんなことはどうだっていい。先のことよりも『今』の方が何倍も、何十倍も大切なんだ。
それに、今この笑顔を守れずして未来をどうにかすることなんてできるはずがない。今何も出来ない奴が未来で幸せを手に入れるなんて、そんな都合のいい展開があると思ったら大間違いだ。
「ずっと椛のことが好きだった。一目惚れだったんだ。最初は自覚していなかったけれど、一緒に過ごすうちに段々と自分の気持ちがはっきりとしてきた」
一度口に出してしまえば、椛に対する想いが溢れて止まらなくなる。
「椛のその笑顔が好きだ。その優しさが好きだ。何気ない仕草も、表情も――椛の何もかもが大好きだ」
生まれて初めての恋。好きになった人に想いを告げるのは想像していた以上に緊張するものだったけれど、それ以上に心は満たされていた。
「本当は俺から告白するつもりだった。色んなことがありすぎて迷いがあったんだ。でももう迷わない。俺が椛のことを好きだというこの気持ちに迷いなんてあっちゃいけない。だって俺はこんなにも椛のことが好きなんだから」
「修平くん……」
椛の目尻に涙が浮かんでいた。
それは悲しみから溢れたものではない。
嬉しい――。たった一つの感情から溢れた喜びの雫。
「椛。俺の一番になってくれないか?」
そう告げて俺は椛に手を差し出す。
答えがYesならこの手を取って、答えがNoならば振り払ってほしいという意味を込めて。けど、そんなことをわざわざせずとも椛の答えは分かりきっていた。
「……はいっ! なんだよ!」
椛は俺の手を取り、満開の笑顔で俺の告白を受け入れてくれた。
好きな人に想いを告げて、それを受け入れて貰える――それは言葉では表現しきれないほどの嬉しさが胸の奥を熱く火照らせる。
「――さぁ、行こうよ、修平くん!」
握った手を引っ張って椛は走り出す。
余韻に浸っていて一瞬反応が遅れた俺は躓きそうになるものの何とか体勢を整えて一緒に走り出した。
「楽しい楽しい初デートの始まりなんだよ〜!」
「おう!」
優しい春風が俺たちの背中を押すように吹いた。
電線に止まっている鳥は歌うように囀り、道端で眠っていた猫は俺たちを見て一声鳴く。
色んなものが俺たちの恋を祝福しているかのように思える。それはとても嬉しいことで俺たちは顔を見合わせて笑い合う。
「……なぁ、紅葉。これで良かったんだろ?」
青く澄み渡る空を見上げ、椛には聞こえないくらいの声で俺は呟く。
その呟きは風に乗って消えていくだけで、返事なんてもちろん無かった。けれど何となく……紅葉も喜んでいるような気がする。
だって、そうだろ?
紅葉は椛の幸せを願っていたのだから――。
掴み取った幸せを手放さないようにと俺は握る手にほんの少しだけ力を込める。
柔らかい椛の手の感触がダイレクトに伝わってきた。同じ人間なのにどうして男と女でここまでくる差が出るのだろうか。
「修平くんの手、大きくて、ちょっと固くて。でも……すごく安心するんだよ」
「椛の手は柔らかくて、あたたかくて……なんだろうな、すっごい気持ちがいい」
「ふふっ。修平くんが変態さんだ〜」
もちろん本心ではないようで、椛の方も強く俺の手を握り返してくれた。
「修平くん〜」
「ん? どうした?」
「ありがとうなんだよ」
「?」
どうしてお礼なんて言われるのか分からず俺は首を傾げる。
「わたしを修平くんの一番にしてくれて。嬉しくて、嬉しくて、あまりにも嬉しすぎるから夢なんじゃないかって思っちゃうくらいなんだよ」
「これは夢じゃないぞ。現実だ。俺と椛は今日……恋人同士になったんだ」
途中で照れくさくなって声がほんの少し上擦ってしまう。
「うん。うん! 夢じゃないんだよ。わたし今すごく幸せなんだよ!」
本当に嬉しそうに笑う椛を見ると、こっちまで嬉しくなって笑顔になってしまう。
「――大好きなんだよ、修平くん!」
to be continued
心音ですこんばんは!
テンション上がってます!椛と修平の門出を祝って乾杯したいところですが今日はバイトなのでそれはできない……
次回はデート回+前回みんなで甘狐処に行った時の伏線回収です!お楽しみに!です!




