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Life -刻の吹く丘にて-  作者: 心音
Episode of Momizi
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第45話『鏡の少女』

「……っ」


妙に寝苦しい夜だった。

決して暑いという訳でもないし、それなりに眠たいはずなのにどうしても眠りにつくことができない。

それに誰かにじっと見つめられるような気味の悪い感覚。部屋の中を見渡してみても特に異変は無いのにそんな得体の知れない恐怖が身体を蝕んでいた。


実際のところ、おかしいと感じ始めたのはこうして寝ようとしていた時ではない。

甘狐処でお茶をしてみんなと別れた後からずっと誰かに付けられているような感じがしていた。振り返っても当然誰もいないし、小夏は何も感じていないようだったから気のせいだと自分に言い聞かせていたのだがここまで来るともう気のせいでは済ませられない。


寝巻きは汗でぐっちょりと濡れていて気持ちが悪い。

何時間こうしているのかもう分からなかった。とりあえず長い時間が経っているということだけは確かでそろそろ我慢の限界が来ていた。

起こす気になれなかった体を半ば無理矢理起こして立ち上がる。カーテンの隙間から射し込んでくる月明かりが立ち上がった俺の影を映している。

フローリングの床に長く伸びる黒い影。自分の影のはずなのに何故か自分のものではないような気がしてぶるりと体を震わせる。


枕元に置いていたスマホを取って時間を確認すると午前2時を少し過ぎていた。布団に入ったのが23時だから軽く3時間は寝れないでいたらしい。

水分補給をしてシャワーでも浴びようとタンスから新しい寝巻きを取り出して部屋を出た。


薄暗い廊下。歩く度にギシギシと軋む音が響く。

昨日は何も感じなかった音が今だけは神経を逆撫でするようだった。しかも変に音が反響するせいで自分の後ろにぴったりとくっ付くように誰かが歩いているような気がしてならない。

手元のスマホのライトだけが心の拠り所だった。


「……はぁ」


階段を降りてリビングに辿り着き、電気をつけたところで俺はようやく安堵の息を吐く。

ここまで来るのだけで相当体力を使ったような気がする。肉体的な疲れというよりも精神的な疲れの方が圧倒的に大きい。


自分の部屋にいるよりかはリビングの方が幾分安心することができることからシャワーを浴びる前にコップ一杯の水を注いでソファーに座り込む。

正直な話……怖かった。何が怖いのかそれを言葉にすることは出来ない。というより何に恐怖しているのかすらも分からない。ただ純粋に怖いのだ。


汗で流れてしまった分の水分を補給したところで風呂場に向かう。リビングの電気を消そうとしてふと思いとどまる。

リビングから風呂場までそう距離はない。しかし今の俺はほんの少しの暗闇ですらも恐怖を感じていた。真っ暗にしてしまったら自分がどうなってしまうのか分からない。だから電気を消すのはやめてそのまま風呂場に向かうことにした。


かつてここまで暗闇に恐怖を感じたことはない。

転校前に友達と集まってやった肝試しの方がよっぽど雰囲気があった。でも怖いとは思うだけで他には何ともなかったのに今回だけは別だ。

肌にまとわりつくような恐怖。小さな音にすらも敏感になっていた。先程から体の震えが止まらない。頭に浮かんでいるのは負の妄想。明るいことを考えようとしてもそれを許さない。何を想像しても頭にあの幽霊の姿が過ぎるのだ。


「……まるで呪いだな」


思わずそう呟いていた。執拗に付き纏う切っても切れぬ呪縛。負の連鎖はこれからも続くだろう。

何か解決の糸口を見つけなければならない。そう思って真っ先に頭に浮かんだのはもう一度あの幽霊に会うという事だった。

つい先日も同じことを考えていた訳だが、やはり当然のように気は進まない。解決する為の近道であることは間違いないのだが自ら進んで幽霊に会いたがる人間なんていない。もしいるのならば俺の代わりに理由を聞いてきて欲しかった。


カメのようなスピードでようやく浴室まで辿り着いた俺は汗でぴったりと張り付いて気持ちの悪いTシャツを脱いで洗濯機に突っ込んだ。

下着まで汗でぐっしょりと濡れている。もし仮にあのまま寝ようとしていたらまず間違いなく風邪を引いていただろう。


浴室に入ってそれなりに熱めに設定したシャワーを頭から被る。汗で半ば冷えていた体にこの熱さはちょうど良かった。

シャワーを出しっぱでシャンプーを始める。体を温めるだけにするつもりだったのだが、頭を濡らしてしまうとついでに洗ってしまおうという気持ちになってしまった。


だからこの時の俺はすっかり失念していた。

浴室には必ずあると言ってもいい――鏡の存在を。

それに気づいたのはシャンプーを流し終えて正面を向いたその瞬間。もう……手遅れだった。


「ッッッ!!?」


鏡にあの幽霊が映っていた。俺の真後ろにいるのだ。

突然の事とは言え、悲鳴をあげなかったことに関しては自分で自分を褒めたくなった。

こんな時でも夜中だから近所迷惑になることをしてはいけないという意識が働いたのか、それとも純粋に恐怖が臨界点を突破したから悲鳴をあげなかったのかは判断が付かない。

恐怖に負けそうになる精神を何とかして落ち着かせる。ここで恐怖に負けてしまえば対話なんて到底出来るわけがない。


「……お前は何なんだ」


やっと思いで口を開くと、俺は真っ先に訊ねた。

見た目こそ椛に似ているものの、雰囲気だけは本物の椛とは違っている。

しかしこうしてよく観察してみて思う。姿形だけは本当に椛にそっくりだった。実は双子なんですと言われても納得してしまいそうな程に似ている。


『……』


幽霊は何も答えずにじっと俺のことを見ていた。

振り向きたいけれど、きっと振り返った瞬間にはもういなくなっているのだろう。幽霊番組ではよくあるパターンのやつだ。

だからここはもう根気との勝負だった。何か答えてくれるまで粘り続けようと決めた。


「答えてくれ。お前は一体何なんだ? どうして俺の前に出てくる?」


強い意志をこめて幽霊に訊ねる。

これに答えてくれないと何も分からないし、話が一切進まない。そもそも幽霊に話しかけること自体間違っているのだがその辺のことは今は捨て置く。


『……わたしは、あなたには死んで欲しくない』


「は……? それはどういう意味だ……?」


幽霊と対話できたことよりも、その内容の方が俺は衝撃的だった。

死んで欲しくない……? 捉え方によってはまるで俺が死ぬみたいな言い方だ。とりとめのない不安が胸の内を渦巻いて俺を飲み込んでいく。


『……わたしは、あなたを救いたい。でも、わたしには何も出来ない』


ここで初めて仮面のような表情に感情が宿る。

幽霊の目尻がキラリと光ったかと思うと、頬を伝った幻想の涙が零れ落ちて弾ける。

それを見た俺は思わず幽霊に向かって手を伸ばしていた。


「あっ……」


でもすぐに鏡にぶつかって幽霊が鏡に映っているだけの存在だということを思い出す。

固い鏡の感触が指先から伝わってくる。これが俺と幽霊――彼女との距離。絶対に触れることはできない。こうして対話をすることでしか俺と彼女は互いの心に近づけないのだ。


『……お願い。未来を繋いで』


その言葉には聞き覚えがあった。

今日の昼間に頭の中に直接語りかけてきた声。今思えば彼女の声とそっくりだ。

いや、正直そんなことはどうでもいい。そんなことよりも聞かなければならない事があった。


「……俺は死ぬのか?」


『……』


その質問に彼女は無言を貫いた。それでも俺の瞳だけは真っ直ぐに見据え続けている。

静寂はより一層不安を駆り立てる。それに訊ねておいてあれだが、自分自身答えを聞くのが怖かった。幽霊に死ぬなんて言われたら嫌でも信じざる負えなくなってしまう。


「……分かった、質問を変える」


結局俺は逃げてしまった。問題を先延ばしにすることを選んでしまったのだ。

これでは何も解決することが出来ないのなんて百も承知。それでも自分が死ぬかもしれないという事実を受け入れるなんて俺には無理だ。

いつか絶対に聞くと心の中で何度も繰り返して俺は別の質問をぶつける。


「どうして……俺のことを救いたいんだ?」


彼女の目的は俺を救うことだと先ほどの会話で分かった。でも何故見ず知らずの俺なんかを救いたいと――


「……」


いや待てよ? 本当に見ず知らずなのか?

彼女の外見は椛にそっくりだ。ならばもしかしなくても椛に関係があるという事なのではないだろうか。安直すぎる考えだが確信のようなものがあった。


『椛のため』


短い答えだったが、俺の考えは的を得ていたらしい。

彼女は椛のために俺の前に現れている。そして椛のために俺を救おうとしている。


『思い出して。この世界は――嘘で満たされている』


小夏みたいな事を言うんだなと思って俺は固まる。どうしてそんな事を思ったのか分からなかったからだ。

俺はそんな言葉小夏に言われたことなんて一度たりともない。でも今俺は自然に小夏に言われた言葉だと思ってしまった。


記憶の矛盾――。

忘れてはいけない大切なことが記憶から欠落している。きっと小夏の言葉として俺は今の言葉を聞いているのだろう。

だがいつだ? いつ俺はその言葉を聞いて、そして……忘れた?


「お前は……何を知っているんだ? 嘘で満たされているってどういう意味なんだよ」


『それは言えない。この世界の理に触れることになってしまうから。だからお願い。あなたが思い出して。ううん、思い出さなければならないの、椛の為にも』


一つ分かったことがある。彼女は決して悪い幽霊ではないという事だ。

椛の為に何かを俺に知らせようとしてくれている。答えでも、ヒントでもないから何を知らせたいのかはさっぱり分からない。だが、彼女の言葉を聞く限り、俺は何かを忘れているのは明確になった。


『この世界は――椛の為の世界』


「……は?」


話が急に世界規模になって素で言葉を返してしまった。しかし彼女は特に気にした様子もなく言葉を続ける。


『ここは椛の幸せの為の世界。わたしはこの世界が再び(・・)来ることを待ち望んでいた。このチャンスを逃すわけにはいかない』


何を言っているのかさっぱり理解できない。

あまりにも現実離れしているせいで、俺は段々と夢を見ているのではないかと思えてきた。

だってそうだろ? 幽霊だの、世界だの……オカルトが過ぎる。そうだ。きっと俺は夢を見ているに違いない。


『――残念だけどこれは夢じゃない』


「……」


呆気なく俺の前向きな考えは否定された。

前向きだったかはさておき、いい加減しっかりと認めるしかない。逃げたってどうせ何も解決しないのは分かっているのだから。


「……俺はどうすればいいんだ?」


『未来を繋いで。椛との幸せな未来を。あなた自身、もう気づいてるはず。あなたは椛に恋をしている』


彼女の言う通りだ。俺は椛が好き。この想いは決して気のせいなんかではない。


『その想いはきっと未来を繋ぐための力になる。だからあなたは椛の幸せを願って行動してほしい。そしていずれ来る日を共に乗り越えて、本当の幸せを手に入れてくれればそれでいい』


鏡に映る彼女の姿が少しずつ薄くなっていく。きっと時間の限界が来てしまったのだろう。幽霊は長時間こうして誰かの前に姿を現しているのが難しいのかもしれない。

だから俺は消えてしまう前にすぐ頷くことで彼女の意思を受け取る。でも、このまま消えられてしまう前にもう一つだけ聞いておかなければならない事があった。


「名前はなんて言うんだ?」


『……紅葉(くれは)。紅の葉で紅葉。わたしはまたいずれ現れる。その日までさようなら、修平』


その言葉を最後に紅葉は霧のように姿を消した。

時間が止まったように長い夜。止まった針がようやく動き出したような気がした。



to be continued

心音です。今回は少し短めの内容でしたが、次回はひよりルートでも一度あった『追憶』となりますのでさらに短くなると思います。


それでは次のお話でまたお会いしょう。

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