第42話『嘘と不安』
「――こんばんは」
「あ、ああ。こんばんは……?」
流れで挨拶を返すも俺は戸惑っていた。
誰? 俺たちに何の用? とかそういう疑問以前に、何故か俺はこの少女の姿を見た瞬間に懐かしいと感じてしまったのだ。
月明かりに照らされて儚げに笑う少女。
胸が妙にざわついていた。それはまるで嵐の前の海のように不安と疑念が入り混じって押し寄せてくる。
夜風が運んでくる少女の香り。花のように優しい香りを俺は知っていた。知っているはずなのに……思い出すことができない。
「あれ〜。巡ちゃん?」
「え? 椛、知り合いなのか?」
頭がパンクしそうになっていたところで椛の呑気な声が聞こえてきてくれたおかげで俺は思考の海から浮上した。
「うん〜。わたしの友達なんだよ〜。それで――」
くるっと振り向いた椛は先程と一切変わらない微笑を浮かべている巡という少女に顔を向け、笑顔を崩さずに言葉の続きを口にする。
「こんな時間にどうしたのかな〜? なんだか、わたし達が来るのを待ってみたいに見えるんだよ〜」
「そりゃそうだよ。だって待っていたんだもん。ただ勘違いしないで欲しいんだけど――」
椛に向けられていた蒼い瞳が俺に向けられる。
澄んだその瞳に見られたその瞬間、俺は自分の全てを見透かされているような錯覚を起こした。
「――私が待っていたのは君だよ」
「…………え?」
隠しきれない動揺は隣にいる椛にも伝わったようだった。
「初めまして。私は風見 巡だよ。仲良くしてくれると嬉しいな」
何か得体のしれない不安を感じた椛はだらんとぶら下がった俺の手を取る。
じんわりとしたあたたかさが俺を溶かしていく。そのおかげで俺は何とか冷静さを保つことができた。ただ、動揺しているのは俺だけじゃなくて椛も同じだったらしく、少女を見つめる瞳が揺れていた。
「……な、なんで?」
震えるその声を聞いて俺はようやくその異常さに気づく。初めて見る椛の驚きに満ち溢れた表情。今日見てきた柔らかさはなく、固く引き締まった表情がそこにはあった。
おそらく……いや、絶対に俺よりも椛の方が驚いている。頭では理解しきれない恐怖のような感情が滲み出ていた。
「なんでそれが……その言葉が、嘘になるんだよ……」
その言葉の意味が俺は理解出来なかった。
嘘? なんで嘘だと分かる? いやそれよりもだ。もし椛の言う通り今の言葉が真実になるのだとすれば、俺はこの少女と面識があることになる。
「……面白いこと言うんだね、椛ちゃん。私とこの人は初対面。まだ名前だって知らないんだよ?」
しかし巡という少女は椛の言葉をやんわりと否定する。その言葉を聞いて俺の馬鹿みたいな思い込みだったのだと胸を撫で下ろそうとした矢先、椛の鋭い声が俺の心を貫いた。
「それも嘘なんだよ」
黒い瞳と蒼い瞳が交錯する。
もはや俺には事の成り行きを眺めていることしか出来なかった。だってそうだろ? 俺が何か口にすれば場を余計混乱させるのは目に見えている。
「巡ちゃんは嘘を吐いているんだよ。修平くんのことを知っている。なんでそんな見え透いた嘘を吐くの?」
「……私は嘘なんて吐いてないよ。何を証拠にそんな事を言うのかな?」
「自分の胸に聞くのが早いんだよ。嘘を吐いてるのなんて自分自身が一番分かっているはずだよ。違うかな、巡ちゃん」
「……分かった。ごめん、確かに嘘吐いたよ」
男の俺ですら怯みそうなほど強い目つきで睨まれた巡。これ以上は火に油だと感じたのか意地を張るのをやめ、降参というように両手をあげた。
「私は確かに修平くんのことを知っている。でもそれは昨日先生から転校生が来るってのを教えてもらったから。もちろん写真だって見せてもらった。ついでに言うなら修平くんに妹がいるってことも知っているよ。これで納得してもらえたかな?」
その説明を聞いて俺は少なくとも納得することができた。しかし椛は未だに納得していないらしく、変わらない口調のまま巡を責めるように言葉を並べる。
「そうだね。確かに嘘じゃないみたいなんだよ。じゃあ……どうして此処で修平くんのことを待っていたのか教えて欲しいんだよ」
「……」
「明らかにおかしいんだよ。修平くんのことを知っているのは百歩譲って信じるよ? ならこれはどう説明してくれるのかな。巡ちゃん言ってたよね? 君を待っていた――って。どうしてたまたま出掛けていたわたし達のことを待つことが出来たのか教えて欲しいんだよ」
言われてみれば確かにそうだ。
何故巡は俺と椛がここに来ることを分かっていた? というよりも何故――俺に会おうとしたんだ?
地上を照らしていた月が雲の中へとその輝きを隠す。
それはまるで知られたくない何かを隠すように真実が闇の中へ溶けるように消えていく。
街頭すらまともに無い田舎道。辺りを覆い尽くす闇は耳が痛いほどの静寂を際立てる。前に立っているはずの巡の姿すらもまともに確認することが出来ないのに椛は真っ直ぐに闇の向こうへと鋭い視線を向けたままだった。
「――また明日会おうね、修平くん」
闇の中から声が響く。
それからすぐに地上に光が届いた。雲の合間に隠れていた月が再び姿を見せたからだ。けどそこにはもう巡の姿は無く、寂しい田舎道が続いているだけだった。
「……巡ちゃん」
結局巡は理由を話してはくれなかった。
これはあくまでも俺の予想だが、きっと次会った時も理由を聞くことはできない。きっと笑ってはぐらかしてそれで終わり。
この展開が手に取るように分かる。それが不気味で仕方なかった。俺は何一つとして巡のことを知らない。出会ったのは今日が初めて。なのに初めてとは思えない懐かしさを感じている。
「……お前は誰なんだ」
暗闇に向かって俺はそう呟いていた。
頭で理解しきれないようなことが今日一日だけで立て続けに起きたせいでパンクしそうだった。
幽霊のこと。巡のこと。そして椛のこともそうだ。分からないことが多すぎるのは精神的にかなり負担がかかる。
少し気分を落ち着けようと月を見た。
晴れてさえいればいつも変わらない光を放ち続ける月には悩みなんてものは無いのだろう。いつも同じ時間に同じ場所から俺たちを見下ろしている。
ああ、そうか。それが悩みかもしれない。いつもいつも同じことの繰り返し。何一つとして変わらないことを繰り返し続けることは退屈だろう。
「……何だかな」
そう考えればこの状況も多少は楽しめるかと思ったのだが実際のところはそうも言ってられなかった。
ここは現実。アニメやゲームの世界とは訳が違う。ただ眺めているだけでは何も解決しないのだ。特に今回の件は進まなければ永久に平行線のまま交わることはない。
「巡……。風見、巡……」
何度か名前を口にしてみてもパッと来ない。
ならばどうしてこんなにも懐かしいと思えてしまうのだろうか。記憶喪失になったわけではないはずだし、そもそも俺はこの町に来るのは初めて。知り合いがいるはずもないのだから。
考えれば考えるほど泥沼にハマっていくようだった。
もがいても沈んでいくだけの沼に自ら入るような馬鹿はいない。つまり詰みだ。打つ手が何も無い。
「……ねぇ、修平くん。確認したいことがあるんだけどいいかな?」
気づけば俺の前に椛が立っていた。
手を後ろで組んで真っ直ぐに俺を見据える椛。その表情は巡がいた時と比べると和らいでいたが、その真剣さだけは瞳を通じて俺に伝わってきた。
「……」
「ありがとうなんだよ」
俺が無言で頷くと椛は小さく笑った。
「修平くんは巡ちゃんのことを知っているのかな?」
「やっぱりそのことか。残念だが俺はあの子のことなんて知らない。ここで会おうって約束だってしていない。完全に初対面なんだ。だから俺に椛の疑問を解消することはできない」
椛が聞きたいと思うことを先読みして全て答える。
満足出来るような答えではないないだろうが、何も知らない俺にはこう答えることしかできなかった。
椛はしばらくの間考え込むように地面に視線を落としていたが、自分の中で納得いく理解に至ったのか顔を上げてほんわかと微笑んだ。
俺はその笑顔を見てようやくほっと一息つく。張り詰めていた空気は風に流されていき、元の春らしい夜に戻った。
「さぁ修平くん。気を取り直してお散歩の続きをしよ〜。夜はまだ始まったばかりなんだよ〜」
「ちょ、椛!?」
椛は俺の手を取ると夜の町を駆け出した。
けれど今回は家を出た時の手首を掴まれて引きずられるような形ではない。椛はしっかりと俺の手を握って指まで絡めてくる。
世間一般では恋人繋ぎと呼ばれる手の繋ぎ方。照れや恥ずかしさよりも先に驚きの感情が湧き上がってくる。
あたたかくて柔らかい椛の手。
手のひらがぴったりとくっついているから体温だけではなくドキドキする感情も一緒に伝わってくる。
だから俺はすぐに椛が恥ずかしいのを我慢しながら手を引いていることに気づいた。目を凝らしてよく見てみれば後ろから見える横顔がほんのりと朱色に染まっていた。
「おーい、椛?」
恥ずかしがっているのは自分だけじゃないと分かった俺は途端に心に余裕が生まれ、ちょっとだけからかってみなよとイタズラの悪魔が囁いてくる。
「な、なにかな〜?」
「ちょっとこっち向いてみ?」
「そ、それは無理な相談なんだよ〜」
「ほお? まさか自分から手を握っておいて恥ずかしいなんて言うわけじゃないよな?」
「ううう……。修平くんが意地悪なんだよ〜……」
不意に椛は立ち止まる。
半ば手を強引に引かれていた俺は突然止まられたせいで椛よりもワンテンポ遅れて止まることになる。人一人分空いていた俺たちの間隔はほぼゼロに等しくなり、振り返った椛と至近距離で見つめ合う形になる。
「えーっと……椛?」
心の余裕はもう無くなっていた。
落ち着きを取り戻していた心臓は全力疾走した後のようにバクバクと脈打っている。
「ねぇ……修平くん。聞いてくれるかな?」
紅く染まった椛の顔。潤んだ瞳で俺を見上げる。
濡れた瞳は月明かりに反射して宝石のように輝いていた。蕾のような唇は何かを俺に語ろうとして何度も開けたり閉じたりを繰り返している。
その初々しさが理性を刺激する。気づけば俺は椛の頭に手を乗せ、まるで子どもをあやす様にゆっくりと絹のように肌触りの良い髪を撫でていた。
落ち着いてほしい。そんな思いを込めて撫で続けていると、椛は小さく笑って口を開いた。
「わたし今ね、恥ずかしくて、恥ずかしくて……でも、こうしていたいんだよ」
そう言って椛は握っている俺の手を軽く上げる。
「修平くんとこうしているとなんでかな? すごく……落ち着くんだよ。不安が抜け落ちていくみたいに心が軽くなる。安心できる。恥ずかしいって想いよりも、こうして手を繋いでいたい気持ちの方が大きいの」
蜜のように甘く、蕩けそうになる言葉。
可愛い女の子にこんなことを言われて嬉しくない男なんてこの世には存在しないだろう。
「――でも……おかしいんだよ」
「……おかしい?」
椛の口調に変化が訪れる。得体の知れない恐怖や不安、そんな負の感情に声が震えていた。
そして月が雲に隠れてしまったように暗い影を椛の顔に落とすのだった。
「自分の気持ちに嘘はないんだよ。落ち着くし安心する。出来ることならずっとこのまま手を握っていたいとすら思うんだよ。でもね、修平くん。どうしてそんな風に思えるのかが……わたしには分からないんだよ」
それは水の入った容器に空いた小さな小さな穴のようだった。穴が空いているのならば水は少しずつ、でも確実に零れてしまう。
何かを俺たちは忘れている。記憶に空いた穴から大切な何かが抜け落ちてしまって思い出すことができなくなっている。思い出そうとすればするほど穴が広がって他の大切な何かすらも零れ落ちてしまいそうで俺はこれ以上考えることができなかった。
「……修平くん。わたしは今からきっと、すごくおかしなことを言うと思うんだよ」
椛の黒い瞳が石の投げ込まれた水面のように揺れる。
多分椛は気づいていない。俺の手を驚くほどの強さで握りしめていることに。
「……お昼頃、わたし達は駅の近くのベンチで初めて会った。そうだよね?」
確認するように問いかけてくる椛に俺は無言で頷いた。
「その時からおかしいんだよ。わたしは修平くんとは今日、あの時、あの瞬間、あの場所で初めて会った。そのはずなのに、ずっと昔から知っている――そんな気がしてならないんだよ」
それはありえない。
そう言おうとして俺は言葉に詰まった。何故なら俺も椛に似たような感覚に陥っていたからだ。
電車から降りてこの地に立った時、俺は何故か懐かしいと思った。幽霊のこともあったからそこまで気にしていなかったのだが、明らかにおかしなことだった。
「……あ。ご、ごめんなんだよ!」
手に込められていた力が抜ける。
無意識のうちに手を強く握っていたことに気づいたようだった。
「これくらい大したことないから気にすんな。そんな事よりも一体……何が起きているんだ」
「分からないんだよ……。ただ、何となく……嫌な予感がするんだよ」
この町に来てから増え続ける不安。
それはいつしか許容量を越え、津波のように俺たちを飲み込んでしまうのではないか。その時、俺は俺でいることが……できるのだろうか?
to be continued
心音です。こんばんは。
さて、ひよりの話までは修平しか疑問を頂かなかったのですが、今回は椛も何かがおかしいと気づき始めます。
懐かしい。知っている。もしも全てを思い出した時、どうなるのでしょうか?
それでは次のお話でまたお会いしましょう。




