第39話『ハジマリノハル』
「なん、で……?」
絞り出したような声は恐怖の色が滲んでいた。
ゴクリと唾を飲み込んだはずなのに喉はカラカラと渇いたままだった。全身から溢れ出た冷や汗は風が吹く度に俺の身体を冷やしていく。
考えろ。考えろ考えろ考えろ考えろ!!
この状況をどう切り抜ければいい? さっきみたいに突然消えてくれるなんて甘い考えは捨てなければならないが、そもそも今歩いてきてる少女は幽霊なのか? いや、幽霊にせよ人間にせよとにかくこの場から逃げなければ――
「――どうしたのかな〜? 君、顔真っ青だけど大丈夫〜?」
「――――」
息の根が止まりそうなほど驚いたせいで声が出せない。考えに集中していたせいで少女がすぐ側まで接近していることに気づかなかった。もう逃げることはできない。
恐怖はいつの間にか諦めへと変化していた。その証拠にあれだけ脈打っていた心臓が死んでしまったように静かになっていた。
ああ……なるようになってしまえ。
そう思って俺は静かに目を閉じた。
「あ、すみません。ちょっと体調が悪いだけだと思うので心配しなくても大丈夫ですよ」
「うーん? 全然大丈夫じゃないと思うんだけどな〜」
……あれ? 小夏? お前にも見えているのか?
「とりあえずそこのベンチに座らせるといいんだよ〜。少し待ってて、そこの川で濡れタオル作ってくるから〜」
タッタッタッと軽い足取りが消えたところで俺は目を開けた。すると心配そうにこちらを覗き込んでくる小夏とばっちり目が合う。
どうやら本気で俺のことを心配しているようでその瞳には若干涙が浮かんでいた。小夏は近くのベンチに俺を座らせると、自分もすぐ隣に腰を下ろした。
「……」
「……」
何も喋らないのはきっと俺の言葉を待っているからなのだろう。何か理由があるのならその理由を、体調が悪いのならきちんとそう言って欲しいと目で訴えかけていた。
流石にこれ以上小夏を心配させるわけにはいかず、俺は髪の毛をわしわしと掻きながら口を開く。
「さっき電車で幽霊を見たって言っただろ? ……そっくりなんだよ、その幽霊と姿も顔も……流石に動揺しちまった」
自分の持ち物と思わしき白いタオルを川の水で濡らしている少女を見る。間違いなくあのミラーに映っていた幽霊そのものだった。
「お兄ちゃんが見たそれは確かに幽霊だったのかもしれないけど、あの人はれっきとした人間だよ。ちゃんと生きている」
「……だろうな」
頭の中では理解していても体がそれを受け付けていない。俺の腕は未だに鳥肌がびっしりと立っていた。
「それにしても優しい人だね。この町の人はみんなこんな感じなのかな?」
「困った時は無条件で手を差し伸べる。みんながみんなああいう人ならこの町での暮らしはそこまで心配しなくても平気そうだな」
「それは理想。だけど無条件の優しさなんてこの世には無いんだよ」
「……悲しいこと言うなよ」
「お待たせなんだよ〜。あ、だいぶ顔色良くなってきたね〜」
そんな話をしていると濡れタオルを片手に少女が戻ってきた。ほんわかとした口調でどうぞ〜と手渡されたタオルで顔を覆うと幾分か気分がマシになった。
「この町の診療所まで結構歩くことになるから熱中症とかじゃないといいんだよ〜」
「あ、大丈夫です。お兄――兄は体調が悪いというわけではないので」
「ふふっ。呼びやすい言い方で大丈夫なんだよ〜? それならどうしてそんな顔をしていたのかな?」
「あー……それはですね……」
タオル越しに小夏がこちらを見るのが分かる。
流石にこの説明をするのは俺の口からの方がいいだろう。わざわざ見ず知らずの俺のために濡れタオルを作ってきてくれたんだ。親切にしてもらったのであれば答えないわけにもいかない。
タオルを取って首を傾げている少女と向き合う。夜のような黒い瞳が真っ直ぐに俺の瞳を捉えていた。
「驚かないで聞いてほしいんだが……」
それは不思議な感覚だった。
この少女が見ているのは確かに俺の瞳だ。でも何かが違う。瞳のその奥……俺の中にある何かを見ている――そんな感じがしてならない。
現に少女は俺が言葉に詰まっているのを見ても眉一つ動かさずに俺を見据えていた。少女が何を見ているのか本能的に気になった。しかし今はそれを聞くタイミングではない。いつまでも口を閉ざしているわけにはいかず、俺は疑問を抱えたまま口を開いて電車の中での出来事を伝えた。
「……なるほど、なんだよ。つまり君はわたしそっくりの幽霊を見たせいで動揺していたって事なんだね。うん。信じるんだよ」
「……え? 信じてくれるのか? こんな馬鹿みたいな話を」
「うん。信じるんだよ〜。嘘を吐いてはいないみたいだからね〜」
確かにこの話は嘘でもなんでもない。俺が実際に経験した話であることに間違いはない。けどこんなにあっさりと信じられるような内容だっただろうか。普通ならば気味悪がって危ない人認定される場面のような気がする。
「一応言っておくと、わたしは幽霊じゃないからね〜? その濡れタオルを持ってこれたのが何よりの証拠。幽霊だったら物を持ってくるなんてできないから〜」
そう言って少女はほんわかと微笑む。
聖母のような優しくてあたたかいその笑顔は俺の心のモヤモヤを浄化していくようだった。
濡れタオルと少女の笑顔で心も顔もスッキリとした俺はニコニコと微笑み続ける少女の名前を聞いてみることにした。
「俺は深凪修平。今日からこの町で暮らすことになっているんだ。えーっとお前の名前はなんて言うんだ?」
「わたしは小此木椛だよ〜。そっちの子は妹さんかな?」
「あ、はい。私は小夏って言います」
「修平くんに小夏ちゃんだね〜。ちゃんと覚えたんだよ〜。町のことで分からないことがあったらわたしに何でも聞いてくれていいんだよ〜」
あ、それならと、俺は小夏と目を合わせる。
今まですっかり忘れていたのだが、安心したおかげで急にお腹が空いてきていた。時間もちょうどお昼時だし地元民オススメのお店でも紹介してもらうことにしよう。
「俺たち腹減ってるんだが何処かオススメの店はあるか? ネットで調べた感じだと二件しか見つからなかったんだよ」
「出来ればラーメンかハンバーガーがいいんですけどあります?」
「大変言いづらいんだけど……」
本当に言いづらそうに椛は頬を掻く。
この反応……もう聞かずとも答えが分かってしまった。
「ラーメン……はワンチャンあるかもだけど、ハンバーガーが少なくとも無いし、修平くんの調べたとおりこの町にはその二件しか食事をできるところはないんだよ〜」
その言葉に俺と小夏はほぼ同タイミングで崩れた。太陽でジリジリと焼かれていたアスファルトの地面が悲しみで冷たくなった心をじんわりと温めてくれるようだった。
ああ……ネットの情報は嘘が多いのにこういう事だけ本当じゃなくたっていいじゃないか……。神様、あなたは俺たち兄妹をお見捨てになったのですか。
※見捨てたのはあなた達の親です。神のせいにしてはいけません。
「そ、そんなに落ち込まないで欲しいんだよ〜。なんかわたしが悪いことしたみたいになってるよ〜……」
「いや、分かっている。安心してくれ。悪いのは椛じゃない」
「そうです……。小此木さんは悪くないです。悪いのは全部――私たちの親のせいですから」
俺たちはふらふらになりながら体勢を立て直し、二人揃って天を仰ぎ見る。真っ赤に燃える太陽は哀れな俺たちを見下すように照り続けていた。
空は雲一つない快晴。なのにどうして俺たちの心は光が届かない分厚い雲で覆われているのだろうか。こればっかりは天気と同じで自然に晴れてくれるのを待つしかない。
「二人共まともなご飯が食べたいよね〜? わたしもこれからお昼にしようと思っていたから一緒にどうかな〜?」
「それは嬉しいお誘いだが……いいのか? 俺たちみたいな見ず知らずの人も一緒で。普通……もっとこう……警戒したりしないか?」
田舎に住んでいる人はみんな警戒心というものが欠けているのだろうか? 小夏がいるとはいえ、都会ならば逆ナンとも捉えられる発言に俺は眉を潜めるが、椛は俺の発言など全く気にしていない様子で破顔する。
「あ……」
それは天使のような優しい笑顔だった。
穢れを知らない純心無垢な笑顔は陽だまりのような優しいあたたかさがある。こんな風に笑う女の子を見たのは初めてで不覚にもドキッとしてしまった。
さっきまで心の余裕が無かったせいで特に気にしていなかったのだが椛は相当レベルの高い女の子だ。整った顔立ち。淡い紅色の髪はウェーブをかけているのか椛の性格を表すようにふわふわとしている。
体格も顔に負けないくらい整っていて、小夏にぶん殴られるかもしれないが胸の大きさは小夏と比べると天と地の差がある。そのくせ服越しからでも分かるウエストの細さ。スカートの下に伸びる足はすらっとしてて、ニーソとのコラボで生まれる絶対領域は輝いて見えた。
そしてなんと言ってもこの笑顔。陽だまりのようなこの笑顔こそ椛の魅力を最大限に惹き立てていた。チョロい男子なんて椛の笑顔に瞬殺されてしまうことはまず間違いない。現に俺が落ちかけた。危ない危ない。
「見ず知らず? 修平くんは面白いね〜」
「……俺なんか面白いこと言ったか?」
「言ったよ〜。だって自己紹介をした時点でわたし達はもう友達なんだよ〜? それとも……修平くんはわたしが友達は嫌かな?」
「……ぷ。ふふ、あはははっ」
気づけば俺は声を出して笑っていた。
ああ……どうやら俺は酷い誤解をしていたらしい。どこか抜けていて、人の言ってることを何でも信じてしまうような女の子――そんなことはなかった。
椛は俺に似ているのだ。性格とか雰囲気とか、そういう見えている部分ではない。もっと内面的な部分が俺にそっくりだった。
「ここ笑うところじゃないと思うんだよ〜?」
「いやー……悪い悪い。そうだな。俺たちはもう友達だ。そうだよな、小夏?」
「なんでこのタイミングで私にまで話を振ったのか分からないけど、そうだね。私もお兄ちゃんと同じでそういう物の考え方は嫌いじゃないよ」
似た者同士は惹かれ合う――。
確かにその通りだ。だから俺たちはきっといい友達になれる。そんな予感がした。
優しい風が俺たちの背中を押すように吹いた。
その風に導かれるように俺たちは光の射す方へ歩き始める。
もう余計な言葉はいらない。言葉に出さずとも伝わるものがそこにはあったのだから。
「それで椛は俺たちを何処に案内してくれるんだ?」
「まともなご飯をご所望との事だからわたしの友達の家だよ〜」
「ネットにあった水ノ瀬食堂ってところか?」
「そこそこ〜。お値段もお財布に優しくて、しかもとっても美味しいからオススメなんだよ〜」
水ノ瀬食堂。
ここ虹ヶ丘町において唯一と言える飲食店。ネット情報によると、飲食店とは言え喫茶店やファミレスといった洒落たところではなく名前の通りの食堂らしい。
「今日のこの時間なら葵雪ちゃんがいるから修平くん達にも紹介するよ〜」
「名前からして女の子ですね。良かったね、お兄ちゃん。引越し初日にして女の子の友達が二人もできるじゃん」
「おう。これなら学校生活も楽しめそうだ」
明日から通うことになっている虹ヶ丘高等学校は全校生徒合わせても100人程度の小さな学校。町の大きさからすれば些か子どもの人数が多いような気もするがそういう場合もあるのだろう。
今こうして歩いていても椛以外の人を見かけない。住宅街に入っていないということもあるのだろうがなんたって今日は平日。学生は学校に行って――
「――あれ? もしかして椛って大学生?」
よく良く考えれば学生がこの時間にいるわけがない。時間は昼時。二限の終わりか昼休みの真っ最中のはずだ。
「高校生だよ〜。平日だけど今日は学校お休みなんだ〜」
「へぇ? 創立記念日とかそんな感じか?」
「よく分からないんだよ〜」
「ええー……」
おま、仮にも虹ヶ丘高等学校の生徒だろ……。
「というより……わたしだけじゃないかもなんだよ」
「? 何が」
椛は人差し指を伸ばして口元に当てると可愛らしくちょこんと首を傾げる。
「? おーい、椛?」
何かを考えているようで俺の言葉は耳に入っていないようだった。俺と小夏は思わず互いに顔を見合わせて椛と同じように首を傾げた。
三人が三人、並んで同じようなことをしているこの光景を他人目線から見れば実に奇妙な光景に違いない。
「……多分、なんだけど」
再び椛が口を開いた時、彼女特有のほんわかさは無く少し真面目な表情で俺たちを見据えた。
春とは思えない冷たくて不穏な風が肌を撫でた。それはこれから聞かされる言葉の奇妙さをより一層際立たせることになる。
「誰も……知らないと思うんだよ。今日どうして学校が休みなのか。それは多分、先生にも同じことが言えるかな。昨日それっぽいことを言っていたから」
真面目な口調で語る椛。
嘘や冗談で言っているわけではないのは明らかだった。
「……」
何かがおかしい。この町に来てから何かがおかしかった。電車での事といい、この事といい、不可解なことがあまりにも多すぎた。
だからだろうか。これからも何か俺達の周りで不可解なことが起きるのではないか。そんな予感が頭をよぎって離れなかった。
to be continued
心音です。こんばんは。
椛ルート……何が起こるか予測不可能なスリリングな話にしていこうと考えています。でもきちんと恋愛もするのでご安心ください:(´◦ω◦`):




