第38話『鏡の世界』
「……」
俺は今、運命の分岐点に立たされていた。
勝つか負けるかのこのご時世。ここで選択を誤ってしまえば奈落の底へと落ちるのは一瞬と言っても過言ではないだろう。
「さぁ選んで、お兄ちゃん」
正面に座るのは妹の小夏。
いつになく真剣な眼差しで俺を――いや、俺の指先を見つめていた。
電車の外を流れていくのどかな景色とは正反対の緊迫した空気が俺と小夏に精神を少しずつすり減らしていた。
「……」
伸ばした右手が震える。
ここでのミスだけは決して許されない。かと言っていつまでも選ばないのは負けたも同じ。
意を決して俺は小夏の手の中にある二枚のカードのうち一枚を掴んだ。
「――これだぁぁぁぁぁあああああ!!」
魂の咆哮とも言える叫びと共に俺はカードを抜き取り天に掲げる。
今この瞬間、俺の運命は確定した。もう引き返すことはできない。
「さぁ勝負だぁぁぁ!! 小夏っ!!」
※電車内での大声は控えましょう。他のお客様の迷惑になります。
「いやぁぁぁぁぁあああああ!!」
悲痛な叫びと共に小夏の手から残ったカードが落ちる。
※繰り返しお伝えします。電車内での大声は控えましょう。他のお客様の迷惑になります。
木の葉のような不規則な動きと共に地面に落ちたカードには死神の絵柄が描かれていた。
絶望と共に膝に顔を埋める小夏を見下ろして俺は勝利者の笑みを浮かべる。
「はっはっは。勝利の女神は俺に、敗北の死神は小夏に微笑んだようだな」
柔らかい椅子にどっぷりと身体を沈めて俺は高らかに笑い、電車に乗る前に買った少し気の抜けたコーラを一気に飲み干す。
いやー……勝利のあとのコーラは美味いなぁ。
「なんで!? おかしくない!? イカサマだよこんなの!! 2分の1の確率を14連続で引き当てるなんて絶対におかしい!!」
「負け犬が何を吠えたところで現実は変わらないんだよ。事実、俺はお前の目の前で14連続引き当てたじゃないか?」
「くっ……」
俺たちがやっていたのはスペードのA、ハートのA、ジョーカーを使うだけの簡単なババ抜き。無論、今日の昼飯を賭けていたからトランプはわざわざ新品を買って行っているし、開封も二人で行ったからイカサマを仕込む余裕などありはしない。
「なんの根拠もない発現は控えて頂こうか。イカサマなんて疑う前に自分の運の無さを恨むんだな。俺に運があって小夏には無かった――それだけのことだ」
「むむむっ……」
トランプの裏面を確認しながら低い声で唸る小夏に俺は嘲笑を送ってやる。
全く、馬鹿な奴め。イカサマ? そんなのしているに決まっているじゃないか。
2分の1を14連続で引く確率は16,384分の1。
そんな尋常ではない確率をイカサマ無しで成功できるほどこの現実は甘くない。小夏だってそれが分かっているからこそ、今こうしてトランプの再確認を行っているのだ。
しかし、イカサマはその場で発見出来なければ何の証拠にもならない。つまり俺の勝利は揺るぎないという事だ。残念だったな、小夏。
「はぁぁ……」
やがて小夏は諦めたように荷物を置いていた席にトランプを投げる。イカサマを発見することは諦めたようだった。
ちなみにイカサマのトリックは至って簡単なものである。分かっていると思うがトランプには一切仕掛けていない。そんな単純なことをすれば小夏ほどの洞察力のあるやつには一瞬でバレてしまう。
ならばどうして2分の1の確率を1にすることができたのか。答えは小夏の斜め後ろにあるドアに設置されている何の為にあるのか分からないミラーだ。
小夏の手元のカードは全部そのミラーに映っていたから全部当てることができたということ。実際問題イカサマでも何でもない。
「あーあ、お昼ご飯は私の奢りかぁ」
「ゴチになります」
手を合わせると小夏は盛大にため息を吐く。
「ため息吐くと幸せが逃げるぞ?」
「私が勝っていれば幸せは逃げなかったよ」
「ま、それもそうなんだけどな」
適当に小夏の言葉を流しながらスマホで俺たちが今日から暮らすことになっている虹ヶ丘町について検索してみる。
虹ヶ丘町――。
人口約2000人程度の小規模な田舎町。町の周辺は山で覆われていることもあり隣町に行く為には俺たちが今乗っている電車を使うしかないらしい。
文明社会からかけ離れたこの町には都会に当たり前にあるようなショッピングモールや娯楽施設は一切存在せず、町のシンボルと言えるのは虹ヶ丘高等学校――俺たちが明日から通うことになっている学校だ。しかもシンボルとは言っても所詮は田舎町の学校というだけでそれ以上のことは何も無い。
結論から言おう。都会から引っ越してきた俺たちにとってこの町は相当不便。マジでこんな何も無い町に寄越した親を恨むわ。大人の事情? 子どもの事情も考えてくれよという話だ。
とはいえ、一つだけ興味の惹かれる場所があった。そこは風巡丘と呼ばれる丘なのだが、どうやらこの丘には無数の風車が植えられているらしい。
誰がいつ何の目的で植えたのか分からない風車。それだけでもかなりあれな話だが、俺の興味を惹いたのはそこではない。どうやらこの風車、どういう仕組みをしているのか分からないが風で回ることがないそうで、何か特別なことがあった時にだけ回るとのこと。実際にそれを見たという人はいないから信憑性の欠片も無い話だが好奇心旺盛な俺にとってこれ以上美味しい話はなかった。
「ねー、お兄ちゃん?」
「なんだー?」
スマホから視線を外さずに適当に返事をする。
「私、ハンバーガー食べたい」
「……一昨日食ったばかりだろ」
「なんかこうさ、無性にジャンクフードが食べたくなる時ってない? あ、これ食べなきゃ死んじゃう――みたいな」
「死ぬは大袈裟だけどあるっちゃあるな。俺の場合ジャンクフードじゃなくてラーメンだが」
夜中に無性にラーメンが食べたくなって小夏と屋台のラーメンを食べに行ったことはこれまでに多々ある。けどきっとそんなことも虹ヶ丘町では出来なくなってしまうだろうから少し悲しい。
「というかこの町さ、調べた感じだと飲食店二つしかないんだけど」
「こんな田舎町なんだ。ネットに載ってない店だってあるだろ、流石に」
「ハンバーガーもラーメンもヒットしないんだけど」
「……何も期待出来ないな」
基本的にめんどくさがり屋の俺たち兄妹は果たしてこの町で生き抜くことは出来るのだろうか。
いざとなったら自炊はするが如何せん面倒臭い。親から毎月かなり多額の仕送りがあるのはおそらく、そんな俺たちの性格を見抜いてのことに違いない。
「帰りてぇ……」
これからの生活を考えるとため息しか出ない。
気分転換しようと窓の外へと視線を移すが、相変わらず変化がなく永遠と殺風景な景色が続いているせいで気が滅入ってしまった。
同じ体勢でいるのも疲れてしまい背もたれに体を預けるようにして少しゆったりとした姿勢を取る。飾り気のない天井と切れかけている蛍光灯がチカチカと明滅を繰り返していた。
「……?」
ふと、妙な気配を感じた。
得体の知れない何かが肌にまとわりつく気味の悪さ。誰かにじっと見つめられているような感じがして辺りを見渡すが、そもそもこの車両には先程からずっと俺と小夏以外の客は乗っていない。
だから誰かに見られているなんて馬鹿げたことは有り得ないはずなのに、突き刺さるような視線の刃は今も尚、俺の精神をすり減らしていた。
小夏が近くにいてくれているのが唯一の救いだが、小夏はこの気味の悪い気配に全く気づいていない様子でスマホを弄っている。
「……」
それは何気ない思いつきだった。
少し考えみればすぐに後悔すること間違いなしの行動だと分かったはずなのに、精神的にやられていた俺は冷静な判断をすることが出来ずに先程イカサマで利用したミラーを覗き込んでしまった。
「――――っ!?」
そこに映り込んでいたモノを見て背筋が凍りついた。
車内の冷房なんか比にならないくらいの悪寒が全身を駆け抜ける。歯がプールから出たあとのようにカチカチと音を鳴らし、全身の毛という毛が逆立つ。
――いるのだ。俺のすぐ隣に――。
ゆっくりと手を伸ばして俺の腕を掴もうとしている淡い紅色の髪の女の子が――。
「―――っっっ!!」
鏡の中の少女に掴まれそうになった瞬間、俺は思いっきり立ち上がる。膝に乗せていたスマホは派手な音を立てて床に落ち、咄嗟に手をついた場所に置いていたペットボトルが反動で吹き飛ぶ。
「お兄ちゃん!?」
突然の行動に小夏が驚いた様子で俺を見上げる。
すぐさま横に顔を向けるが当然のように女の子の姿はなく、乱雑に置かれた俺の荷物があるだけだった。
「どうしたの……? 顔真っ青だよ……?」
「……何でもない」
「いやいやいや、何でもないわけないでしょ」
「……まぁそうなるよな」
流石に誤魔化しきれないと判断した俺は事情を説明しようともう一度ミラーへと視線を移す。
何かの見間違えだった。きっと疲れているから幻覚を見たんだと現実逃避しようという俺の考えはその瞬間音を立てて崩れ去ってしまった。
「………………は?」
無くなっていたのだ。
つい先程までそこにあったはずのミラーが。
あたかも初めから存在していなかったように。
「……ここは本当に現実なのか?」
俺は夢でも見ているのではないだろうか。
そうだ。そうだよ。じゃないと納得ができない。物体が突然姿を消す? そんな事が現実で起きたらたまったもんじゃない。
「……お兄ちゃん?」
けれど……理解してしまっている。ここは間違いなく現実だと。いくら頭の中で否定しようとその事実が変わることは有り得ない。
心が黒い霧に覆われていくようだった。考えれば考えるほど悪い方へ悪い方へと思考が進んでいく。つい先程まで楽しく笑っていたはずなのに今はその笑い方すら思い出せない。
夏の特番でよく実際に起きたホラー映像を流す番組があるが、その映像のほとんどはカメラマンも、一緒にいる人も悲鳴を上げている。
今の俺にとってそれは演技としか思えなかった。全部が全部演技とは言えないが、少なくとも人は本当に恐怖した時、悲鳴どころか一言も発することはできない。俺は身をもってそれを体験した。
「ねぇお兄ちゃん? 本当にどうしたの……?」
「……幽霊を見た」
「幽霊? いやいやいや、そんな非現実的な存在を――」
小夏はそこまで言って言葉を飲み込む。
俺の表情を見て冗談で言っているわけではないと察したのだろう。
「……まぁ、あれだよ。深く考えるのはやめておいた方がいいんじゃない? とりあえずこれ飲んで落ち着きなよ」
吹き飛んでしまった俺の飲み物の代わりに自分のジュースを投げ渡してくる。まだ内心動揺している俺は取り落としそうになってしまったがギリギリのところでペットボトルを掴んで蓋を開けるとカラカラに渇いた喉を潤す。
乳酸菌飲料の独特の甘さと喉に絡みつく感じが最高だった。今起きた嫌のこと全てを飲み込むようにジュースを煽っていく。全部飲みきってしまう勢いだが今はこれくらい許してくれるだろう。
「……白濁液」
「ぶふっ!?」
とんでもない発言に俺は必然的に噴き出した。
こいつよりにもよってこれを飲んでる時になんてことを言いやがるんだ。
文句の一つでも言ってやろうと思い小夏を見下ろすが、喉まで出かかっていた言葉が発せられることはなかった。
「落ち着いた?」
「……サンキュー」
俺の気持ちをリセットする為の発言。
内容はさておき、小夏のおかげでだいぶ気持ちが落ち着いてきた。俺が見てしまったものを忘れることは出来ないかもしれないが今はとりあえず小夏に感謝するしかない。
「……昼飯、俺が奢るわ」
「え? いいの? やったね!」
イカサマをしていたことを話すつもりは無いし、もし話したとしてもイカサマに使ったものが無くなっているのだから信じてもらえないだろう。
もう一度だけミラーがあった場所へと視線を移す。やはりそこには何もなく、これ以上無駄な行動はやめようと窓の外へと視線を戻した。
電車の速度が落ちていくのと同時に、車内アナウンスでそろそろ目的地である虹ヶ丘町に着くことを知らせてくれた。
窓から駅のホームが見え始めたあたりで俺と小夏は降りる準備を始める。元々持ってきている荷物は少なかったからすぐに準備は整った。
俺たちの生活家具やらはもう新居に運び込まれていることだろう。今日中に荷解きが終わるとは思えないが最低限の生活空間は確保せねばならない。
ガタンと一回大きく揺れて電車が停止する。
四角く切り取られていく空間に足を進め、俺たちは新天地へと降り立つ。
真っ先に感じたのは風だ。都会とは違う澄み切った綺麗な空気。自然に囲まれたこの町だからこそ感じることができる緑の息吹。耳を澄ませば駅のすぐ側を流れる川から水の音が聴こえてる。
「……予想以上に田舎だね」
「原始時代に戻ったのかと思ったわ。こりゃ慣れるまで時間かかるだろうな」
「これからしばらくの間ずっとここで生活するんだからすぐに慣れるよ。ほら、外国に放り出された日本人は必死で英語を覚えようとするでしょ? 生きるためにはそこの環境に早く慣れなくてはいけない。じゃないと死んじゃうんだから当然だよね」
「まぁ俺たちのことをそこまで壮大にする必要は無いんだがな」
改札を潜って外に出る。
見渡す限り一面が自然で覆われている虹ヶ丘町は俺たちの住んでいた都会とは大違いだった。
「あ、ドクダミ発見。小夏、昼飯これでいいか?」
「嫌だよ!? なんで生のドクダミ食べなくちゃいけないの!?」
「はっはっは。冗談に決まって……」
「……お兄ちゃん?」
ふと移した視線の先。
あぜ道を歩いてこちらに向かってくる一人の少女がいた。その少女に……俺は見覚えがあった。
「なん、で……?」
それを見たのはほんの数分前。
忘れようと努力していたのにそれは叶わぬ夢となった。
俯き気味に歩いていた少女は俺たちの視線に気づいたのかゆっくりと顔を上げる。
その顔はやっぱり、電車のミラーに映っていた幽霊と同じ顔をしていた。
to be continued
こんばんは。心音です!
本日2度目の更新です!
さて、これより椛ルートがスタートなわけですが、なかなかホラーチックな始まりをしましたね。今後どんな展開が待ち受けているのかお楽しみに!です!




