第36話『最期の笑顔』
「……すげーな」
「すごく綺麗だね、お兄ちゃん」
今日は七月七日。世間一般では七夕と呼ばれるこの日は織姫と彦星が再会できる特別な日だ。
夜空は絶好のコンディションで雲どころか風一つない天体観測にはもってこいの天候。宝石を散りばめた夜空は都会では拝めない輝きを放っており、俺と小夏は滅多に見れない景色に釘付けになっていた。
「こらこら修平くんに小夏ちゃん? みんなで観る約束なんだから二人だけで先に楽しまないでほしいな?」
「すまんすまん」
今日はひよりの提案でみんな一緒に天体観測をするという話になっていた。昨日甘狐処で話そうとしていたのはこの事だったらしい。
「それにしても……マジで綺麗だな。都会とは大違いだ」
「都会は無駄な明かりが多いからね。それに空気の透明度も違うから見え方が全然違う。虹ヶ丘町は光害も少ないし星を見るのに適している環境なんだよ」
巡の説明になるほどと頷く。
初めてこの町に来た時は都会との格差に絶望していたが、田舎も田舎でいいところはたくさんある。都会のように濁った空気はしていないし、夜は人の声の代わりに自然の音が聞こえてくる。娯楽施設とかが近くにないことを除けばかなり快適な環境であることは間違いなかった。
「そろそろ時間だからほかの皆さんも来ますかね」
スマホで時間を確認してみると21時になるところだった。学校の校門前で待ち合わせとのことだが左右を見渡してもまだ来ていないひよりと椛、葵雪の姿は見えない。
「椛ちゃんと葵雪ちゃんは時間にルーズだからね。もうしばらくすれば来ると思うよ? ひよりちゃんからはなにか連絡ないの?」
「レインも連れてくるとか行ってたからその準備に手間取っているのかもしれないな」
「学校に犬を連れてきちゃうんだ。というか、今更だけどなんで学校に集合なの? 風巡丘でよくない?」
ごもっともな疑問だ。星を見るのなら風巡丘が丁度いいのではと俺も思っていたのだが、ひよりのゴリ押しで学校で見ることになっていた。
「校庭で見るのかな? 私、ひよりちゃんにレジャーシート持ってきてください! って頼まれているんだよね」
「ああ、その荷物何だろうと思っていたがレジャーシートだったのか」
星を見るだけにしてはやたら大きな荷物を持っていると思っていたがそういうことだったらしい。
みんなでレジャーシートの上に寝そべって星を見る――なかなか良い思い出になりそうだ。
「あ、噂をすれば花澤さんのご到着だね」
小夏の視線の先にはこちらに向かってぶんぶんと手を振るひよりの姿があった。
弾けるような笑顔と共に駆け寄ってくるとビシッと敬礼をする。
「遅くなってごめんなさい……って、まだ椛さんと葵雪さんは来てないんですね?」
「そろそろ来るんじゃね?」
おそらく二人がやって来るであろう方向を見つめながら俺は答える。そこには濃い闇が広がっているだけで人が歩いてくる気配は無かった。
「わんっ!」
「お? レインちゃんは元気だね」
ゲージの中に巡が指を入れると、レインは白くて綺麗な指先をぺろぺろと舐め始める。
巡はくすぐったそうにするが、指を引くことなくレインの好きなようにさせていた。
「ふふっ。可愛いなぁ。私も犬飼たくなってくるよ」
「犬はいいですよ―! 可愛いし、癒されるし、もふもふです! お世話は大変ですけど、慣れればそう苦労することでもありませんしね」
「レインの場合は聞き分けが良いってのもあるがな。普通こんなにも早くしつけられないぞ」
「レインは優秀ですから! ひよりの自慢です!」
えっへんと胸を反らすひより。
ひよりの言葉を理解しているのか、レインも嬉しそうに「わんっ」と鳴いた。
「――あら、みんな早いわね?」
「ん、葵雪か」
レインのことに夢中になっていて接近に気づかなかった。
ジーンズにTシャツ、その上に七分袖のカーディガンを羽織るだけのラフな格好でやってきた葵雪は初雪のような髪をサッとかき上げるとレインの入っているゲージにまじまじと視線を移す。
「……学校に犬を連れてきても大丈夫なの?」
「葵雪さん、この世にはこんな言葉があります。バレなきゃ犯罪じゃないんですよ、と」
「まぁ……見回りの警備員も帰ってる時間だから問題ないとは思うけど」
他にも何か言いたげだったが何を言っても無駄だと判断した葵雪はひよりにバレないようにため息を吐く。
呆れと諦めの混じったため息をタイミング良く吹いた風に流されるように消えていく。
「ところで星は校庭で見るのよね?」
スマホにモバイルバッテリーを差し込みながら葵雪はひよりに訊ねる。
「え? 違いますけど」
作業の手がピタリと止まる。
ひよりのその言葉に葵雪だけではなく、スマホでゲームをしていた俺と小夏も手を止めた。巡に至っては特に反応は無かったが興味深そうにひよりのことを見つめていた。
「えっ? じゃあ何処で見るのよ」
葵雪が質問するとひよりは月明かりだけに照らされた校舎をビシッと指さす。俺たちは必然的にそちらに振り向くことになる。
「学校で天体観測と言えば校庭よりも絶好のポジションがあるじゃないですか」
「お前まさか……」
「はい! そのまさかです!」
謎のドヤ顔と共にふふんと鼻を鳴らすひより。
いい事言ってやったぜー的な表情だが、やろうとしていることは不法侵入ということに気づいているのだろうか。否、気づいているからこその提案なのだ。
「とはいえ、まずどうやったら校舎に入れるか分からないんですけどね!」
心の中で「おい」とツッコミを入れてから薄暗い校舎を見上げて俺は顎に手を当てる。
この学校の警備システムがどうなっているのかは知らないが、葵雪がつい先程見回りの警備員はもう帰っていると言っていた。わざわざ警備員なんてアナログなことをするような学校だ。侵入してしまえばこっちのもんだろう。問題はどうやって校舎に入り込むかということなのだが――
「――みんな〜、お待たせなんだよ〜」
良い感じに思考に耽っているとのんびりとした声が聞こえてくる。俺は思考の海から一瞬で現実に引き戻されてしまった。
「ちーす、椛。早速で悪いんだが頭を使ってもらいたい」
「何かな〜? あまり頭を使う仕事は得意じゃないんだよ〜」
不安そうに首を傾げる椛。
「まだ三ヶ月くらいしかいない俺よりは二年間通い続けている椛の方がこの学校に詳しいだろ? 校舎内に侵入するにあたって一番楽に入れる場所ってあるか?」
「ん〜。多分……無いかも。この学校の警備員さんは地味に優秀だから一階の鍵だけは全部チェックしているんだよ」
「ほお。聞いたか、小夏?」
すぐ近くで俺と椛の会話を聞いていた小夏に言葉を投げるとコクリと一つ頷くとニヤリと笑う。きっと俺も似たような笑みを浮かべているに違いない。
「何か作戦があるようですね、修平?」
「ある。ただし二階の窓の鍵が開いていればの話だがな」
そこだけは運任せになってしまうが、もしも開いているのであれば俺たちの勝ちだ。
小夏と作戦を共有しながら校舎に向かって歩き始めると、他のみんなも後ろについてくる。
「……まぁ、もし開いてたらラッキーだったが下駄箱はダメみたいだな」
扉をガチャガチャと動かして侵入が無理だと分かり、校舎の壁に沿って歩みを再開する。
昼間は賑わっている学校も夜になってしまえばその影は見る形もない。不気味にそびえ立つ校舎はまるで山奥にポツンと存在する廃墟のようだった。
「どうだ小夏、開いてるところあるか?」
スマホのライトを使って二階を照らしている小夏に話し掛ける。
「うーん。普段あまり廊下側の窓なんて開けないからね。早々見つかるものじゃ――と思ったら見つけたよ」
ほら。と、指をさす小夏。
目を凝らして小夏の指先を辿っていくと、そこは確かに他の場所とは鍵の向きが違っていた。
「見つけたのはいいけど、ここからどうやって入るのよ。肩車したって届く距離じゃないじゃない」
「まぁ見てろって」
俺は校舎に背を向けてバレーでいうアンダーハンドの構えを取る。その間に小夏は俺からたっぷりと距離を取って軽い準備運動を始めていた。
「え。まさかとは思いますけど修平?」
俺と小夏が何をしようとしているのかいち早く察したひよりは曖昧な笑みを浮かべる。止めるべきかどうか悩んでいるようだった。
だがなひより。今更止めたって無駄だ。屋上で星を見ようと言い出したのはお前なんだからな!
「小夏、いつでも来い!!」
「おっけーお兄ちゃん……行くよっ!!」
膝のバネを最大限まで活かして小夏は地面を蹴った。
女子の平均スピードを軽く超えたスピード。小夏はそのまま走り続け絶妙なタイミングで跳躍した。
「――俺と小夏にぃぃぃいいい!!」
小夏が俺の組んだ手に飛び乗った瞬間、自分の持つ力の全てを解き放って全力で振り上げる。
「不可能はぁぁぁあああ!!」
トップスピードのまま最大の跳躍をした小夏は狙い通り二階の窓枠を片手で掴み、反対の手で窓を開けると残っているエネルギーをそのまま利用として校舎内へ転がり込む。
「「――無いっ!!」」
二階の窓から顔を出している小夏と俺はみんなに向かってVサインを送った。
未だ唖然としている他の面々だが、静寂はやがて歓声に変わる。
「おおおお!! 二人共すごいです!! ひより、アニメの世界でしか見れないと思っていた光景をこの目で見ることができて満足しました!!」
「やるわね、あんた達。只者じゃないとは思っていたけどここまでとは思わなかったわ」
「さすが修平くんと小夏ちゃんだよ〜」
「二人共カッコよかったよ。ちょっとハラハラしていたけどね」
みんなからの賞賛の言葉を聞きながら俺と小夏は劇が終わった後の役者のように一礼する。
何やともあれ、これで安心して屋上で天体観測をすることが出来るだろう。
※
「――はい、解錠完了」
いつも通り屋上の鍵をピッキングで外した俺たちは屋上へと足を踏み入れる。ちょうど真ん中まで来ると巡が持ってきていたレジャーシートを広げた。
小夏を大ジャンプさせた疲れを少しでも和らげるために俺は早速座らせてもらう。
レジャーシート越しに伝わってくるアスファルトの固い感触と独特の冷たさ。昼間は太陽のおかげで心地よく感じる地面も夜になればだいぶ変わるものだ。
「修平修平。膝の上座ってもいいです?」
「おー、構わんぞ」
後ろに手をついて座りやすくしてあげると、ひよりはその上にぽすんと収まった。
さらさらとしたひよりの髪が当たって少しくすぐったい。それに加えていい匂いが漂ってくるもんだから俺はそのままの態勢でひよりを包み込むように抱きしめた。
「……後ろから抱きしめられるのも良いものですね」
前の方に回した腕をひよりがきゅっと掴む。
その何気ない反応が可愛くて愛おしい。自分の大切な人がこんなにもすぐ近くにいる。それだけで心は驚くくらい穏やかになるし、何より……幸せだった。
ひよりの体温が心地よい。互いの体温で溶け合って一つになっていく感覚は悪くなく、いつまでもこうしていたいと思ってしまう。
「……」
「……」
だがしかし、ずっとこうして幸せな時間を共有していたかったのだが、ちょくちょく突き刺さってくる視線の嵐にため息を吐かざるおえなかった。
「……なんだお前ら。人が幸せな気分に浸っているのに邪魔しやがって」
「みんなで天体観測に来てるのに二人だけの世界に入られたら困るのよ」
「……ちっ」
「露骨ね……。じゃあ発案者はひよりなんだしここはひよりに……って言っても答えは聞かずとも分かるわね」
今度は葵雪がため息を吐く番だった。
それを見て小夏と椛は苦笑いを返す。しかし巡だけは俺たちの方を見ることなく何故か真剣な眼差しで辺りを見渡していた。
「巡? どうかしたのか?」
「あ……」
声をかけると巡は我に返ったように慌てて笑顔を浮かべる。
「ごめんごめん、何でもないよ」
「そうか? ならいいんだが……」
言いながらひよりの方を見る。
俺の視線に気づいたのか、ひよりは顔だけこちらに向けると静かに首を振った。
「ごめんなさい。ちょっと距離がありすぎて何を考えているのか分からなかったです」
俺の思考を読み取ったひよりは申し訳なさそうに呟く。別にそこまで気にしてはいなかったのだが、とりあえずひよりの力は距離が離れていると使えないということは覚えておくことにしよう。
「それで? どうするのひより」
「あ、そうですね。なら十分間だけ二人の時間を頂いてもいいですか?」
「了解よ。ちなみにあたし達はここから動かないわ」
「はいはい。俺たちが移動するっての。行こうぜひより。フェンスのところから町を眺めながら星を見よう」
「はーい」
よっこらせとひよりが立ち上がってから俺ものんびりと立ち上がる。ひよりが座っていた箇所が若干痺れていた。
「えいっ」
「ぐは……っ」
可愛い掛け声と共に痺れている足を蹴られた俺はその場で悶絶する。足から脳まで一瞬で伝わった電気が駆け抜けるような感覚は俺を動けなくするには十分な威力を持っていた。
「大丈夫ですか修平!? ふらつくなら手を繋ぎますか!?」
「頼む……手を繋ぐのが目的なら最初っから普通に手を取ってくれ……。わざわざこんな茶番をする意味があったのか……?」
「無いです。ちょっとしたイタズラ心ってやつですよ」
そう言いながらひよりは俺の手を取った。
握り返してあげるとひよりの笑顔がパッと弾ける。その笑顔を見るだけで小さな苛立ちなどすぐに吹き飛んでしまった。
「……綺麗ですね」
手を引かれるがままにフェンスの前に立つと、ひよりはうっとりとした表情で呟いた。
会話をするように瞬きを繰り返す星は純粋なひよりのの心を映すように光り輝いている。
「……修平、ありがとうございます」
それが何に対するお礼なのか分からず俺は首を傾げる。するとひよりはジェスチャーで俺に少ししゃがんで欲しいと頼んでくる。
言われるがままに目線をひよりの高さまで合わせると、次の瞬間ひよりは俺の唇に自分の唇を押し付けてきた。
「んっ、ちゅ……」
短いキスを交わすと、ひよりは赤らめた頬を隠さずに真っ直ぐ俺を見つめる。
「ひよりのこと好きになってくれて……ありがとう。大好きな修平と一緒になれてひよりは今とっても幸せです」
話を続けながらひよりは後ろのフェンスに背中を預かる。
「……?」
網がギシッと軋むような音の中に微かに聞こえた小さな音に俺は違和感を覚える。
けれどひよりは音に気づかなかったのかそのまま話を続ける。
「修平に出会えて本当に良かったと思ってます。修平に会えたことでひよりは幸せを知ることができました。ひよりはもう独りぼっちじゃない。修平が側にいてくれる」
嬉しいはずのひよりの言葉が耳から抜けていく。
代わりに先ほど聞いた音がずっと頭の中で鳴り続けている。ダムの放水のようにとめどなく溢れてくる不安に押し潰されそうになっていた。
「だから――」
星を見上げる為だろう。フェンスにより深く体を預けたその瞬間だった。
「…………え?」
ガキンと鉄の塊が弾けるような音と共にひよりの体がゆっくりと後ろに倒れていく。雨風に晒され続けて腐っていた留め具が壊れたのだ。
「――ひより――ッ!!」
咄嗟に俺はひよりの手と体を支えるために壊れていないフェンスを掴んだ。
同時にガシャーンという凄まじい音が地面の方から聞こえてくる。その音で他の面々もこの状況を理解したようだった。
「修平くんっ!!」
「お兄ちゃん!!」
いち早く事態の緊急性に気づいた巡と小夏がこちらに向かって走ってくる。二人が来てくれれば一緒にひよりを引き上げることができる。
「は……?」
そう思ったのもつかの間、俺が掴んでいたフェンスが外れる。完全に体勢を崩してしまったせいで俺はそのまま宙に投げ出されてしまった。
あ……これ、ヤバイやつだ……。
「修平……っ」
涙声でひよりが俺の名を叫ぶ。
このままでは二人共地面に叩きつけられてしまう。そうなったらただでは済まない……いや、ほぼ間違いなく死ぬ。
「――そんなこと……」
掴んだ手に力が籠る。
おそらくこれが俺に出来る最大限のこと。
ひよりのことを守ると誓った。
だからひよりには生きていて欲しい。
そして多分……俺はもう助からない。
ひよりを助けることで自分の力の全てを出し切ってしまうだろう。
けれどそれでいいと思った。
ひよりは俺のことを許さないかもしれない。
でも、それでも……ひより、お前だけは……生きてくれ……っ!!
「――させるかぁぁぁぁぁあああああ!!」
叫びながら全力でひよりを掴んでいる手を振り上げる。火事場の馬鹿力というやつだろうか? 自分とは思えないほどの力が全身を駆け抜ける。
「――巡!! 小夏っ!!」
俺がひよりを屋上に向かって投げ飛ばした瞬間、助けに来てくれた二人が顔を見せる。
その顔は絶望の色に染まっていたけれども、俺の瞳の意思を感じ取ったのか自分の気持ちを押さえ込んでひよりのことを受け止めてくれた。
「……巡、小夏……ありがとう」
この声が二人に届いたのかは分からない。
俺の体は地面に吸い寄せられるように落ちていく。
「嫌……嫌ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!」
ひよりの悲痛の叫びが俺の耳に届いた。
ああ……ごめんな、ひより。
お前は笑顔が似合っているのにそんな顔させて……。
目を瞑れば鮮明に思い出すことができるひよりの笑顔。どうせなら最期はこの笑顔を夢に見て終わることにしよう。
「……愛してる、ひより」
そう呟いた瞬間、俺の意識は闇の底へと沈んでいった。
to be continued
心音です。こんばんは。
今回のお話でひよりルートは完結となり、次回はエピローグとなります。
理不尽な運命。でももしこれが夢ならばきっと、そんな運命を変えることができるかもしれません。




