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Life -刻の吹く丘にて-  作者: 心音
Episode of Hiyori
35/166

第34話『胡蝶の夢』

「――それで? 最近どうなの?」


「……なんだその話の振り方が分からない父親のような会話の切り出しは」


 時刻は19時を回った頃。七月に入ったこともあり食卓から見える外の景色はまだ明るい。夜の帳が完全に落ちるにはまだ少し時間が掛かることだろう。


「で?」


 珍しく自炊して夕食を取っている俺は、炊き立てのご飯を口に運びながら小夏に質問の意図を一言で訊ねる。


「最近と言ったら最近だよ。花澤さんとどんな感じ? 手繋いだ? キスした? エッチした?」


「全部した」


「ぶっ……ゴホッゴホッ!」


 嘘偽りなく答えると小夏は味噌汁を噴き出して盛大にむせる。


「おいおい、汚ねーな」


 台拭きで飛び散った具やら汁やら拭き取りながら咳き込み続ける小夏の背中を擦る。数十秒ほど経ってようやく落ち着いたようで、小夏はふぅと息を吐くと次の瞬間には目を見開いて俺に迫ってきた。


「したの!? 花澤さんと!? いつ何処で何時何分何十秒地球が何回回った時!?」


「小学生かよ!? 大体、そんなこと知ってどうしようって言うんだよ」


「みんなに言いふらす」


「やめれ」


 スパンと頭にチョップを叩き込むと、小夏は特に気にした様子もなくやれやれと手を振る。


「いやまぁ流石に言いふらすのは冗談だけどさー? まだ付き合い始めて一週間経ったくらいでしょ? いくら何でも大人の階段登るの早すぎるんじゃないかな?」


 まぁ小夏の言うことも一理ある。付き合い始めた一時間後には互いに求め合っていたのだから言い訳のしようがない。最後にしたのは風巡丘で勢いに乗ってやった時だから、かれこれ一週間はしていないことになる。

 今まで二回したわけだが、その両方がひよりから迫られており男としての威厳は地の底に落ちていた。次は男らしいところを見せねばならない。


 そして付き合い始めて分かったことだが、ひよりは想像していた以上に甘えたがり屋だ。

 二人だけでいる時はともかく、巡や小夏もいる昼休みの時間もべったりくっ付いてくるし、放課後になったら帰りのホームルームはどうしたんだと突っ込みたくなるくらいの速さで教室に駆け込んできては俺の胸にダイブしてくる。俺も俺でひよりを拒まず受け入れるもんだから毎度毎度クラスメイトの生暖かい視線を頂く羽目になっていた。

 いやほらさ? ひより可愛いんだもん。仕方ないよな?


 何やともあれ、おかげで俺たちの関係は瞬く間に全校へと広がり、今となっては全校生徒が認めるバカップルとなっていた。


「愛があれば問題無いのだよ、わが妹よ」


「うっわー……なんか腹立つなぁ」


 言いながら小夏はお椀を持ってキッチンに向かう。噴き出した分の味噌汁を注いで戻ってくると、お椀をテーブルに置くだけで座らずそのまま立ち尽くす。

 不審に思って顔を上げるも小夏と目は合わない。小夏の視線は外に向けられているようだった。何かあるのかと思って俺もそちらの方へ視線を向けるが先程よりも夜に近くなった景色があるだけで他にこれといったものは見当たらない。


「何を見ているんだ?」


 真っ直ぐ見据える視線のその先。小夏が何を見つめているのか気になった俺は率直に訊ねる。


「……夢を見ているんだよ」


「夢?」


「そう。夢だよ」


 不意に小夏の声色が変わった。のんびりとしていた空気がピシッと引き締まるのを肌で感じる。


「はるか昔、戦国時代のこと。思想家である荘周は自分が蝶になって空をひらひらと飛んでいる夢を見ていた。果たして自分が夢の中で蝶になったのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか。自分と蝶の見定めがつかなくなったという話をお兄ちゃんは知ってるかな?」


「……胡蝶の夢か? 夢と現実の区別がつかなくなるっていう」


 夢にまつわる有名な話だ。だが何故、今この場で小夏が胡蝶の夢の話を始めたのかは理解できない。


「そう、その通り。さすがお兄ちゃん博識だね」


 外へ向けていた視線を俺に戻しパチパチと手を叩く。


「で?」


「で? とは?」


「胡蝶の夢の話なんて持ち出してまでお前は何を言いたいんだ? まさか今この現実が夢だとか言い出すんじゃないだろうな?」


「そうだよ」


「そうだよって……お前、暑さで頭でもやられちゃったのか?」


 初夏とは思えないほどの暑さが続いていることもあり本気で妹の頭がおかしくなってしまったのではないだろうかと心配になる。しかし小夏は、張り付けたような笑顔のまま静かに首を横に振って椅子に座ると、食事中であるにも関わらずテーブルに両肘をついて手を組むとその上に顎を乗せて目を瞑る。


「もしも今私たちが見ている現実が夢だと仮定するよ? お兄ちゃんはどうする?」


「は? 曖昧な質問だな……。どうすると言われても夢なら目が覚めるまで待てばいいだけの話なんじゃないか?」


「じゃあもし、夢だと気づいていなかったらどうする?」


「夢と気づいていないならそこは現実なんだ。今までとなんら変わりない普通の日常を過ごしていくだけだろ。結局のところ何が言いたいんだ? さっぱり理解できないんだが」


 ふと、頭に一つの仮説が浮かんでくる。それはあまりにも現実味が無く、こんな話をしていなければ一蹴すること間違いなしの馬鹿げた仮説。


 思い出すのはひよりと風巡丘に行った日のこと。風車が回るのは人が死んだ時だと聞いて俺は自分の心が壊れそうなくらい動揺した。

 もしも……もしもだ。あの時覚えた既視感がもし現実(・・)で起こったことならば、今ここは夢の中(・・・)ということになるのではないだろうか?


 胡蝶の夢――。

 現実と夢の区別がつかなくなる。寝て起きたらそれは現実だと確信を持って言うことはできない。もしかしたら今目の前に広がっている光景は全部夢なのかもしれないのだから。


「――お兄ちゃんは今この現実に疑問を抱いた。もしかしたらこれは夢なのかもしれないと。でも安心していいんだよ、お兄ちゃん」


 注ぎ足した味噌汁を啜りながら小夏は酷く当たり前なことを口にする。


「掴んだ幸せは空虚なものじゃない。私たちは現実に生きている。夢の中で生きるのはお兄ちゃんじゃなくてもいいんだよ。だからさ? 幸せになってよお兄ちゃん。妹の私はお兄ちゃんの幸せを願っているよ。いつまでも、いつまでも――ね?」


 心のこもった優しい言葉。俺を想っての言葉は雪のようにじんわりと胸に溶け込んでくる。


「ありが――」


 ありがとう――そう返そうと思った俺は小夏の言葉の違和感に気づいてしまった。それは針で空けた穴のような小さな小さな疑問。なのに気づいてしまった途端穴は広がっていき、確かな疑惑が姿を見せた。

 夢の中で生きるのは俺じゃなくていい――まるで誰かは夢の中で生きているような言い方だった。言葉のあやだろう。そう考えるのが自然だし当然だ。でもこんな話をしていたせいか、そんな当然の考えを脳が否定してくる。


「なぁ小夏。お前、何か知ってるのか? いや、そうじゃない。何を知っているんだ(・・・・・・・・・)?」


 妙な確信があった。小夏は何かを知っていてそれを意図的に隠している。


「そんな怖い顔しないでお兄ちゃん」


「あ、悪い……」


 自然に表情が強ばってしまったのだろう。俺は慌てて頬をつまんで表情を和らげる。それで少しマシになったのか同じように顔を強ばらせていた小夏も笑顔を作った。


「お兄ちゃんは神様って信じてる?」


「? 突然なんだ。この話に関係があるのか?」


「私は信じてないよ」


 俺の質問には答えずに小夏はそう断言する。意図的に無視した事に少し悪気を感じたのか、小夏は視線を横に逸らすも話を止める気はないようだった。


「この世界に神様がいるのなら私たちはもっと普通に生きていけるはずだから」


「……今が普通じゃないみたいな言い方だな」


「普通の基準なんて人それぞれ違うんだよ。お兄ちゃんにとっては普通でも私にとっては普通じゃない」


「じゃあなんだ。お前は普通の生き方をしてないって言うのか?」


「……まぁ、そうなるね」


「……」


 小夏の悲しげな横顔は見ているだけで痛々しかった。何故そこまで思い詰めたような表情をしているのか分からず気持ちがむしゃくしゃしてくると同時に、小夏が何を考えているのか理解できない自分自身に苛立ちが募る。


 小夏のことは何でも分かっているつもりだった。

 伊達に小さい頃から今まで一緒に生きてきたわけではない。知らないことなんてないと思ってた。きちんと小夏の兄をやれていると思っていた。でも蓋を開けてみればどうだ? ひよりに告白した晩もそうだった。俺は何も小夏を理解していない。森の中に隠された木の葉を探すかのように小夏の本心を見つけ出すことができない。


「当たり前の幸せを、当たり前のように手に入れる。多分それは言葉で簡単に言っているだけでどうしようもなく難しいことだと私は思うよ。お兄ちゃんは今花澤さんと恋人同士になれて幸せ? 毎日が楽しいだろうし、花澤さんのことを想うだけでドキドキすると思う。それは確かな形としてお兄ちゃんの幸せを証明しているように見える。だからこそ気づかない。ううん、気づけない(・・・・・)。お兄ちゃんは幸せの裏に隠されたこの現実の闇をまだ知らない。隠された闇を解放しない限り本当の幸せを掴み取ることはできないんだよ。そしてその闇はもうすぐそこまで迫ってきている。だから乗り越えようお兄ちゃん。どんなに深い闇でも、それを打ち消すほどの光をお兄ちゃんは持っているはずだよ」


 小夏の言葉と瞳は地平線のようにどこまでも真っ直ぐで真剣だった。俺は知らない何かを小夏は知っていて、それを必死になって俺に伝えようとしてくれている。

 正直言うと、小夏の言葉の大半は今の俺には理解出来ていない。でも普段あまり見ることのない妹の真剣な姿を見て、兄として応えてあげなくてはならないと思ってしまった。


「いい? お兄ちゃん、最後の最後まで諦めちゃダメ。諦めたら今掴んでいる幸せは本当の幸せになるどころか、砂になって掌からこぼれ落ちてしまう。そうなってしまったらもうその形を取り戻すことは二度とできないからね」


 諦めることは許されない――そういう事なのだろう。テーブルの下で俺は拳を握りしめる。この先に待つ現実を迎え撃つ覚悟を固めるように強く、強く、強く握りしめた。


「俺は――諦めない」


 頭に思い浮かぶのはひよりの笑顔。この笑顔を守るためなら俺はこの身を削ってでも本当の幸せを掴み取る。どんな困難が待ち受けていようと、乗り越えることが不可能な壁にぶち当たったとしても、絶対――絶対に諦めない。


 この想いを――。


 この心を――。


 この愛を――。


 ひよりを大切に想う俺の全てに賭けて守り抜いてみせる。


「この先どんな試練が待ち受けているのか俺には分からない。けど絶対に諦めないから安心してくれ小夏。挫けそうになるくらい過酷な現実でも、ひよりとの幸せのためなら何だってやる。それが俺の覚悟だ」


 はっきりと言い切る。俺の覚悟を聞き届けた小夏は満足そうに頷いた。


「お兄ちゃんならきっとやれるよ。だって私のお兄ちゃんだもん。必ずやってくれるって――信じてるからね」


「ああ、お前が胸張って私のお兄ちゃんはすごいんだからって言えるようなカッコイイ兄になってやる」


「あははっ。今でも十分お兄ちゃんはカッコイイよ」


 最後は笑って会話を終える。その後は先ほどのシリアスな雰囲気が嘘だったかのように馬鹿みたいな話をして笑いあって、食後のデザートを買いにのんびりと買い物に行って、家に帰ったらデザートを食べてお風呂に入って、とにかく普段と何一つ変わらない日常を小夏と過ごした。


「それじゃあおやすみ、お兄ちゃん」


「ああ。おやすみ小夏」


 おやすみの挨拶を済ませて俺たちは自分の部屋へ戻る。妙に疲れている体を柔らかいベッドに沈めるとすぐに睡魔が襲ってきた。そのまま眠気に身を委ねるように俺はゆっくりと目を閉じた。


「……」


 この時の俺は小夏の言葉を少し甘く見ていた。

 誰も想像出来ないような未来が待ち受けていることを――今の俺が知る術は無かった。



to be continued

心音ですこんばんは!

安定の不穏展開。ひよりルートは残り3話か4話で完結予定となっています。

読者の皆様、最後までこの夢が幸せな結末であることを願っていてください。

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