第29話『それぞれの想い』
現在の時刻は21時半。本来ならば閉まっているはずの葵雪の家は食器の奏でるメロディーと楽しい談笑で賑やかになる――はずだった。
「ぱくぱくモグモグはぐはぐぷはーっ!!」
いやまぁあれだ……。賑やかと言えば確かに賑やかだ。俺は嘘など吐いてはいない。
実際のところ、小夏が植えた獣の如く、久しぶりの食事を目の前にして、理性を抑えきれなくなった状態でご飯に食らいついてる感が半端ない今の状況だが、断じて嘘ではない。賑やかだ。ただちょっと賑やかのベクトルが違うだけであって、俺は何も間違ったことは言っていない。
俺を含めた他のメンツは唖然とした様子で次々と山積みにされていく皿を見ていた。いつも笑顔を浮かべている椛ですら表情を失っているのを見ると、傍から見れば盛大に引くレベルの光景に違いない。
「かーっ!! 水ノ瀬さんのご飯はいつ食べても美味しいですねーっ!! 特に今なんてお腹ぺこぺこで死んでいたわけですからいつもの数倍……いや!! 何十倍も美味しく感じますよ!!」
「そ、そう……。ありがとう。喜んでもらえて私も嬉しいわ」
いつもとテンションが明らかに違う小夏に対して、葵雪は若干引きながらも料理を褒めてもらい葵雪は嬉しそうに頬を染める。普段クールな葵雪も時々こういう女の子らしい反応をするから可愛らしい。
「こ、小夏ちゃんのお腹は何で出来ているのかな? ブラックホール?」
「失礼ですね風見さん。私のお腹は至って普通ですよ。ただちょっとお腹が空いていたから食べ過ぎてしまったのは否定できませんけど」
「……ちょっと?」
山積みにされた皿の枚数は十枚を軽く越えている。白米に関しては少なくとも五杯以上お代わりをしているし、ブラックホールと言っても過言ではない。俺でもこの量を平らげるのは厳しい。てか無理。
「普通の女の子には無理だよ〜」
「私は普通の女の子じゃないと!? そ、そんなことが……っ」
椛の容赦ない一言に小夏は盛大に傷つく。
何かフォローしてあげようと思ったのだが、がっくりと肩を落としながらも皿に残っている千切りキャベツを食べ続けているせいでかける言葉が見つからない。
「というか、皆さんは自分の食べないんですか?」
言われて思い出す。小夏の食べっぷりに意識を奪われていたせいで、自分たちの料理は半分も減っていなかった。
揃いに揃って止めていた箸を動かして食事を再開する。出来立てがやはり一番だが、少し冷めても美味しさが変わらないのが葵雪の料理の良いところだ。一口カツをモグモグと食べていると、既に食べ終わって退屈していた小夏が思い出したかのように口を開く。
「そういえばお兄ちゃん? 今日どうしてこんなに帰りが遅かったの? 私より先に帰ってなかった? 私が教室迎えに行った時にはもういなかったし」
「ああそれは――」
「修平くんはひよりちゃんとデートだったんだよね〜」
俺が答えようとすると椛が声を被せてくる。
放課後に会話をしていたメンツならともかく、小夏には誤解されそうな発言を平気でしてくれた椛。俺は恨めしい視線を送るが椛はつーんとそっぽ向いて無視を決め込んだ。
こんにゃろー……。放課後に雑な扱いしたことを根に持ってやがったな……。
深いため息を吐く。言い訳を考えながらとりあえず小夏の方へ顔を向けた。
「――大丈夫。私は分かってるよ」
何か言う前に小夏はそう俺に言葉をぶつけた。
「お兄ちゃんが花澤さんを好きなことくらいとっくに気づいてるからね? 妹を舐めちゃいけません」
そう言って小夏は笑顔を見せる。いつもと何ひとつ変わらないはずの笑顔。それなのにどうしてだろうか? 俺には泣いてように見えてならなかった。
「お兄ちゃんの幸せは妹の私の幸せと同然。だから私はお兄ちゃんの恋を応援するよ」
「……ありがとう」
理由が分からないまま追求したところで望んだ答えが返ってくることは無い。だから俺はそう答えることしかできず、優しい瞳を向ける小夏から目を背けた。
すっかり冷めてしまった残り一切れのカツを口に放り込んで咀嚼するも、ほとんど味を感じることは出来なかった。水で半ば無理矢理飲み込んで箸を置く。普段はきちんと食べている千切りキャベツの山を一口も手をつけていない状態で残してしまったのが少し申し訳ない。
「……?」
巡や椛は何とも思っていないようだが、葵雪だけは普段とは違う俺に気づいて首を傾げていた。しかしこれといって何か言ってくることもなく、自分の食事を進める。
結局、全員が食事を終えるまで誰一人として言葉を発することはなく、後味の悪い静寂が煙のように食堂を覆い尽くしていた。食後に温かいお茶を持って来てくれた葵雪のお母さんもこの雰囲気のせいか、テーブルに湯のみを並べるとそそくさと厨房に戻ってしまった。
椛と葵雪は先程から話題を探すように視線をさ迷わせているのだが、巡に至ってはこの状況をものともせずに一人平然とした様子でスマホを弄っている。小夏は何を考えているのか湯のみを手に持ったままピクリとも動かないでいた。こういう時にひよりがいてくれればこの何とも言えない空気を一発で吹き飛ばしてくれるに違いない。
何となく救いを求めて俺もスマホを取り出す。すると一件のメッセージが届いていることに気づいた。案の定と言うべきか、送り主はもちろんひよりからだった。何か妙な胸騒ぎがして俺はすぐにメッセージの内容を確認する。
『今から会えますか?』
メールの本文はその一言だけだった。
ガタンと椅子の倒れる音が脆弱を切り裂く。突然立ち上がった俺にみんなの視線が集まる。
「悪い。ちょっと用事が出来たから先に抜ける。小夏、金置いておくから会計は任せるな」
「おっけー。行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
何も聞かずに小夏は俺を送り出してくれる。その優しさに今は感謝するしかない。
「良く分からないけど行ってらっしゃいなんだよ〜」
「行ってらっしゃい。またご贔屓にしてね」
友達に恵まれたもんだ。こういう友達こそ長く付き合っていける有り難い存在に違いない。
「――修平くん」
巡の声が凛と響いた。それは小さくて今にも消え入りそうな声だったはずなのに、耳元で囁かれたようにはっきりと俺の耳に届いた。
「修平くんに聞きたいことがあるんだ」
うっすらと笑みを浮かべる巡。その表情を見るだけでは巡が何を考えているのか見抜くことはできない。
「……それは今じゃないとダメなのか?」
「うん。今じゃないといけないことだよ」
「分かった。手短に頼む」
「大丈夫。時間は取らせないよ。私はただ単に修平くんの気持ちをきちんと聞いておきたいだけだから。多分ここにいるみんなはもう分かっていることを」
最後の言葉で俺は巡が何を聞こうとしているのか理解した。だから俺は、巡が次の言葉を続けるよりも早くそれに答えることに決めた。
「俺はひよりのことが好きだ」
答えると同時に心が羽のように軽くなるのを感じた。きっと誰かに伝えることで自分の中のひよりが好きだという気持ちをはっきりさせることができたからに違いない。俺はきっと初めて会ったあの日のからずっとひよりの事が好きだったんだろう。
恋をするということ――。正直俺には当分縁のないことだと思っていた。でも違ったんだ。誰かを好きになるきっかけなんて案外単純なものだし、縁とかそういう曖昧なものなんて関係ない。
頭に浮かんでくるのはひよりの太陽みたいに明るくて眩しい笑顔。でもきっと今、ひよりは笑顔を曇らせているに違いない。俺はひよりにはずっと笑っていて欲しい。その笑顔を少しでも多く俺に向けて欲しい。その為には俺は今すぐにひよりの元へ駆けつけなければならない。
「修平くんの想い、確かに聞き届けたよ。さぁ行って――修平くんの愛する人の元へ」
「ああ。行ってくる」
そのまま皆に背を向けて俺は外へ飛び出した。
「――――」
ドアが閉まる直前、巡が何か呟いたような気がしたが、ひよりのことを考えていた俺の耳にその言葉が届くことはなかった。
※
Another View 巡
「……」
修平くんの姿はゆっくりと閉じていくドアの向こう側へと消えていく。暗闇の中を駆ける彼の姿はどこまでも真っ直ぐでカッコよかった。
「幸せな結末を迎えてね。私も……頑張るから」
バタンとドアが閉まった。
思わず呟いてしまった言葉はきっと修平くんには届かなかった。でもそれでいい。もし届いていたとしても私の言葉の意味を理解することはできないから。
私は私の役目を果たそう。これは私にしかできないこと。
だから、私は絶対に諦めないよ、修平くん。
君を幸せにするのは私じゃなくても構わない。小夏ちゃんの言葉を借りるのであれば、修平くんの幸せは私の幸せだから。
君の幸せが私の幸せに繋がる。君が幸せそうなら私はそれだけ十分。君が好きな人の為に努力する姿を見ているだけで十分。
でもね、やっぱり……悔しいよ。どうしてひよりちゃんを選んじゃったのかな……。酷いよ……修平くん……っ。
幾ら心の中で恨みの言葉を並べたところでこの夢は変わらない。
そんなの分かりきっている。この世界は修平くんとひよりちゃんの夢だから既に決まってしまった運命を捻じ曲げることは私にはできない。
私ができるのはこの夢を続けることだけ。
夢の中なら雪のように儚く脆い願いでも叶えることができる。降り積もる雪の中にたった一つでも希望に繋がる願いがあればそれでいい。この夢が希望に繋がっているのであれば私はいくらでも耐え抜いてみせる。
心の中で決めた覚悟。それでも修平くんが私以外の女の子と一緒になるのを見るのは辛い。堪えていたモノが涙となって溢れ、きつく握りしめた拳を悲しく濡らしていく。
みんながいるのに涙は止まらない。嗚咽は徐々に大きくなっていき、みんな私が泣いていることに気づき始める。
「巡……あんた……」
葵雪ちゃんは席を立って私の元へ近寄ってくる。次の瞬間には聖母のような優しさに包まれるように私は葵雪ちゃんに抱きしめられていた。
「よく耐えた。今はもう修平はいないわ。我慢することない。泣きたいのなら思いっきり泣いちゃいなさい。流した涙の数だけ人は強くなれる」
そう言って葵雪ちゃんは私の頭を撫で始める。優しくて、あたたかくて、撫でられる度に悲しみが一つ一つすり減っていくような気がした。
でもね、葵雪ちゃん。流した涙の数だけ人が強くなることなんてないんだよ。
私はこれまで何度も泣いた。過酷な現実を見せられる度に、全てを無かったことにする夢を続ける度に、何度この頬を涙で濡らしたか分からない。
現実を受け入れることが強さだと言うのなら、私はそんな強さはいらない。だって強さを受け入れてしまったら未来を諦めることに繋がってしまう。いくつもの困難を乗り越えて人は成長していくけれど、私は先に進むわけにはいかないのだから。
私の涙は強くなるためのものではない。今を続けるための停滞の涙なのだ。
運命に叛逆するために私は夢を見続けると決めた。終わりのない夢のように永遠に続く世界を繰り返すんだ。私の望む結末に辿り着くまでずっと、何度だってやり直してみせる。
「……ありがとう、葵雪ちゃん。私はもう大丈夫だよ」
葵雪ちゃんの温もりはとても心地よかった。でも――違う。私は知っている。もっとあたたかい心の温度を。
もう一度、君の腕で抱きしめてほしい。
もう一度、君の唇でめちゃくちゃにしてほしい。
もう一度、君の全てで私を愛してほしい。
全ての始まりの日を私は今でも鮮明に覚えてる。
あの日、私の現実は終わりを告げ、永遠の夢が始まった。何もかも始めからやり直し。その現実が私を苦しめた。けれどそれ以上に、君ともう一度会うことができたのが嬉しかった。
諦めない。絶対に諦めないよ。いつか絶対に辿り着いてみせる。
みんなが、そして君が幸せになれる未来へ。
「巡ちゃん……本当に大丈夫なのかな?」
「うん。大丈夫だよ椛ちゃん。だから私の心配はしなくても大丈夫だから、椛ちゃんも泣いてもいいんだよ?」
「っ!」
椛ちゃんの気持ちは知っている。どの夢の中でも、椛ちゃんだけは修平くんのことを想い続けていたから。
「一目惚れだったんだ〜……。初めて会った日からわたしは修平くんに恋をしていたんだよ。あんなに心が綺麗な人に出会ったのは初めてだったから……多分、わたしは修平くんに惹かれたんだよ」
初恋は叶わないと言うけどね、私は知ってるよ。ちゃんと二人が結ばれる夢もあることを。あの夢の椛ちゃんの幸せそうな顔を。そして崩壊を迎えた時の絶望に染まった顔を私は今でも忘れることができない。
「そうなんだ……」
何もかもを知っている私は、葵雪ちゃんのように慰めの言葉すら投げ掛けることができない。
ここにいる全員、どんな形であれ修平くんに恋をしている。もちろん、ひよりちゃんだって同じ。
地平線のように真っ直ぐな恋も。
誰にも話せない秘密の恋も。
さくらんぼのように甘酸っぱい初恋も。
雪のように透き通った純粋な恋も。
そして――巡る季節のように繰り返した私の恋も。
私は誰よりも長い、それこそ永遠のような時間、修平くんに恋している。ううん、愛している。私たちは永遠を誓い合ったのだから。
「はぁぁ……。みなさん、よく私がいる前でそんなとんでもない会話出来ますね……。私がお兄ちゃんの妹ってこと忘れてませんか?」
小夏ちゃんは盛大にため息を吐いて立ち上がる。いつの間に用意したのか、その右手には黄色い財布が握られていた。
「まったく……お兄ちゃんを取られた妹の気持ちにもなってみてくださいよ」
「小夏ちゃん、どこ行くの?」
「ちょっと自販機に行くだけですよ。むしゃくしゃするので炭酸を一気に飲み干したい気分なんです」
吐き捨てるように言うと小夏ちゃんはそのまま外へ行ってしまった。
みんなそれぞれ心に秘めた想いがある。それは葵雪ちゃんにだって同じことが言える。この夢では違うみたいだけどね?
「さてと……私は私のやれるべきことをやろう」
呟いた声は誰の耳にも届くことなく消えていった。
to be continued
心音です。こんばんは!
今回のお話で世界観がそれなりに?分かってきたのではないでしょうか?巡のセリフの一つ一つに意味があります。もちろん意味のない時の方が多いかもしれませんが(笑)
それでは次は再び修平の視点に戻ります。
お楽しみに!




