第28話『嘘で満たされた世界』
隣町まで買い物やら子犬の検査やらをして、俺が家に帰ったのは21時を回った頃だった。
本来ならひよりの家に泊まって子犬の世話をする予定だったのだが、今日明日は珍しく小春さんの仕事は休みのようで、家族水入らずの時間を過ごした方がいいと判断した俺は、二人の誘いを断って自分の家に戻ってきていた。
小夏は既に自分の部屋に戻ってしまったのかリビングには明かりが付いていない。
夕飯はひより達と食べて来たのだが疲れのせいか小腹が空いている。冷蔵庫にあるもので簡単な料理でも作ろうと思いリビングに入って明かりを付けた瞬間、俺は干からびた死体を見つけた。
「こ、小夏……? お前明かりも付けないで何やってるんだよ」
テーブルに伏せっていた小夏がゆっくりと顔を上げる。いつも燃え盛っている紅い瞳は死んだ魚のように濁っていた。虚ろな瞳で俺の姿を捉えると、小夏は死にかけの戦士のように生者である俺に向かって手を伸ばす。
「お兄ちゃん……」
「お、おう。なんだ?」
「お腹が空いて……力が、出ない……」
「お前飯食ってないの!?」
たまらず叫んでいた。俺は冷蔵庫に向かってダッシュして急ぎ中身を確認する。
ひんやりとした冷気が肌を撫でる。冷蔵庫の中には調味料しか入っておらず、小腹を空かせていた俺に絶望を与えた。
「……お兄ちゃん、ご飯が……食べたい」
小夏は瀕死状態だ。兄としてお腹を空かせている妹を放置するわけにはいかない。俺はスマホを取り出してメッセージアプリを開き、普段の俺からは考えられないスピードで葵雪にメッセージを送信する。
「……お兄ちゃん、何を……?」
「待ってろ。すぐに飯を食わせてやるからな」
ほぼノータイムで返ってきた返事に感謝しつつ俺は小夏を担いで家を飛び出した。
葵雪の家は虹ヶ丘町で唯一食堂を経営している。閉店時刻はとっくに過ぎているのだが俺の必死さが伝わってくれたらしく特別にオッケーを貰ったのだ。
夜道で女の子を担いで疾走する男。傍から見れば誘拐事件と勘違いされそうな絵面だが致し方ない。幸いこの町は都会ではなく田舎中の田舎。まだ早いとも言えるこの時間に外を出歩いてもほとんど人とすれ違うことはない。
夜になると虹ヶ丘町は死んだように静かになる。実際には人がいるわけだが、ここまで静かだとゴーストタウンと言っても過言ではない。住宅街を疾走しているわけだが、ほとんどの家に明かりは付いておらず、街灯も無いに等しいこの時間帯は漆黒の影が支配しているようだった。
リズミカルな足音だけが住宅街に響いていた。
普段ちゃんと食べているのか心配になるほど小夏は軽く、スピードを落とすことなくこのまま葵雪の家にまで辿り着けそうだった。
「――あれ〜? 修平くん……と、小夏ちゃん〜?」
「ん? その声はのんびりまったりした声は椛か」
曲がり角から現れたのはゆるふわ少女の椛だった。折角出来た友達を蔑ろにするわけにもいかず、俺は軽く手を振って椛の前で足を止める。
「こんなところで何してるんだ?」
「そっくりそのままそのセリフを返したい気分なんだけどな〜。えと、わたしはお散歩してるんだよ〜、この町の夜は静かだからお散歩には最適なんだよ〜」
「なるほどな。てことは今暇ということだな? 腹減ってるか?」
「空いてるか空いてないかの二択なら空いてるよ〜」
「よし。なら今から葵雪の家に行くぞ」
そう言うと椛は俺から視線を外して肩に担がれる小夏の方へくりくりとした瞳を向けた。そして納得したようにぽんと手を打つと、ほんわかとした笑顔を浮かべて親指を立てる。
「そういうことならわたしもご馳走になるよ〜」
「よし。じゃあ早いところ葵雪の家に向かうぞ」
「ラジャーだよ〜」
再び走り始めると椛も併走してくる。何を想像しているのか、椛は人差し指を口元に当てて軽く上の空にならながら器用に走っている。
「わたし人を食べるのは初めてだから楽しみだよ〜」
「……ちょっと待て」
椛のとんでもない発言をスルーすることは流石に出来なかった。しかも冗談で言ってるように聞こえないのが死ぬほど怖い。
「ほえ? これから葵雪ちゃんの家行って小夏ちゃんを調理するんだね〜?」
「しねーよ!! 確かに死んでるように見えるけど空腹で力尽きてるだけだからな!?」
「うんうん〜。これから何か起こそうとしてる人はみんな似たようなこと言うよね〜。あ、わたし生肉は嫌だから焼いてくれると嬉しいな〜」
「頼むから俺の妹を食うこと前提で話を進めるのはやめてくれ!? 椛が言うと冗談に聞こえないんだよ!!」
「よく言われるよ〜。褒め言葉として受け取っておくね〜」
「褒めてねーから!! 反省しろ!!」
「了解なんだよ〜」
走っていても全然疲れなかったのに、椛と少し会話しただけで鉛のように重たい疲れが俺にのしかかって来た。少しだけ走るペースを落とすと椛もきちんと合わせてくれる。軽いジョギングのペースで併走を続けているとまた曲がり角から人影が現れた。
「――あれ? 修平くんと椛ちゃん? こんばんは。こんなところで奇遇だね」
夜の闇と同化しそうな漆黒の髪を揺らして現れた巡は、走ってくる俺たちに少し戸惑った様子を見せながらもいつも通りの落ち着いた挨拶をしてくる。
「あ、巡ちゃんだ〜。今から小夏ちゃんを料理するんだけど一緒にどうかな〜?」
「えっ」
ここでようやく巡は俺の肩の小夏の存在に気づき、暗がりでも分かるほど顔色が悪くしながらも必死になって表情を作ろうと顔の筋肉を動かす。
「へ、へぇ? 美味しくできるといいね……?」
やがて出来上がった表情は、怒ってるようにも悲しんでるようにも楽しんでいるようにも見える酷く曖昧な笑顔だった。
「実際のところ〜、葵雪ちゃんの家にご飯食べに行くんだけど巡ちゃんもどうかな〜?」
「……本当にご飯を食べるだけなら一緒しようかな。できればカニバリズムは遠慮したいけど」
「安心しろ巡。俺たちが食うのはちゃんとした料理だ」
「……小夏ちゃんの?」
「頼むからお前ら揃って俺の妹を食おうとしないでくれ……」
ため息を一つ吐いて俺は足を進める。小夏には悪いが走る気力はもう残っていなかった。もう商店街まで辿り着いているし、ここから先はのんびりと行かせてもらう事にしよう。
灯りの落ちた商店街に昼間のような活気はない。都会ならば店はやってなくとも人はまだまだたくさんいるような時間帯だ。こういうところで都会と田舎とでの大きなギャップを感じてしまう。
「わたし何食べようかな〜」
「葵雪ちゃんの家の料理はどれも美味しいからね」
「そうなんだね〜。前に行った時は魚系食べたから今日はお肉かな〜」
「お肉いいね。生姜焼き定食オススメだよ」
「おお〜。なら巡ちゃんのオススメ食べてみることにするよ〜」
辺りの暗さに負けない明るさで会話をする二人の背中を眺める。この輪の中にひよりも居ればもっと賑やかになっているに違いない。
「――ねぇ、お兄ちゃん」
「うお!? なんだ、お前起きてたのか」
「私が小此木さんに食べられそうになってる辺りから起きてたよ」
肩の上で小夏が動く。降りるのかと思いきや、器用に俺の首元に手を回すとそのまま背中に体を移動させる。いわゆる、おんぶというやつだ。
俺は小夏が落ちないように太ももの下から手を入れて体勢を整えた。小夏の太ももは細い足からは想像出来ないほど柔らかく、力を入れれば入れた分だけ弾力を感じることができる。
「こうしてお兄ちゃんにおんぶしてもらうのも久しぶりだね。最後にしてもらったのは何年前だったかな」
「いや、俺の記憶が正しければ転校前にお前がジュースと間違えて酒を飲んでぶっ倒れた時にしてやったはずだ」
「確か私たちが小学生の時だったよね。懐かしいなぁ」
つい数ヶ月前の出来事を記憶から抹消した小夏は、苦笑いする俺にお構いなく言葉を続ける。
「お兄ちゃんの背中はあの頃から何も変わってない。大きくて、頼りになる」
「急にどうしたんだ? 俺に担がれている時にその辺の木から何か取って食ったか?」
「何も食べてないし、私は至って平常だよ」
そうは言うものの、いつもの声のトーンとは明らかに違う。空腹で暗い雰囲気になってるのかと思ったがそうではなさそうだった。
「ねぇ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは今、幸せ? それとも不幸?」
「なんだその二択は。答えなんて決まってるだろ? 幸せだよ。面白い仲間に恵まれて、楽しい日常を過ごして、幸せじゃないわけないだろうが」
そう答えると小夏の腕に力がこもった。それはまるで何か込み上げてくるものを堪えているようで、俺はそうするのが当たり前のように小夏の小さな手を握る。
季節に合わない夜の涼しさにやられたのか、小夏の手は真水のように冷えきっていた。俺は温かさを分け与える為に手に込める力を少し強くする。
「何を心配しているのか知らないが……その、なんだ? 俺はこれからも変わらないだろうし、この日常だってずっと続く。だから何も心配することはないぞ?」
「……変化は常に予想もしていないところからやって来るものなんだよ、お兄ちゃん。変わらないものなんてこの世には存在しない。けれど――」
「けれど?」
「私は願っちゃうんだよね。お兄ちゃんのこの背中だけは変わらないで欲しいって。いつまでも、永遠に、変わらないで欲しい。どんな時でも頼りになるお兄ちゃんのままでいてほしい」
前を歩く巡と椛の笑い声が遠く感じる。
小夏が何を言いたいのか理解できない。夜に蝕まれるように俺の心は深い闇の底へと沈んでいく。こんな事は初めてだった。全てを理解していると思っていた妹の隠された一面を見てしまったような気がして、返す言葉が何も思いつかない。
「でもね、お兄ちゃん。安心していいんだよ。怖がることはないんだよ」
「……どうして?」
「お兄ちゃんには私がいるから。望まない結末が訪れようとも私がお兄ちゃんを救ってみせる。例え希望が閉ざされてしまっていても、私が道を切り開いてあげるから」
それは固い決意だった。頼りになる。素直にそう思った。だけど、同時に押し寄せてきた感情の中には得体の知れない不安が入り混じっていた。
だってそうだろ? 小夏の言い方はまるで、いずれ俺の身に何かが起こることを予見しているようにしか聞こえないじゃないか。
「最後に一つ。これだけはどうしても言っておかないといけない」
小夏の表情を見ることは出来ない。でも……俺には分かってしまった。伊達に長い時間を共に生きてきた訳ではない。ついさっきようにまだ知らないことは確かにある。でも、小夏の感情は手に取るように分かってしまうのだ。
「……小夏。お前、どうして……泣いてるんだよ」
声が聞こえなくても、その姿を見なくても、俺には小夏が泣いていることに気づいてしまった。小夏も俺に見抜かれる事くらい察していたのか、対して驚く様子もなく乾いた笑い声を零す。
「……さすがお兄ちゃん。私のことよく分かっててくれるんだね」
「俺はお兄ちゃんだからな。大好きな妹のことなら大抵は分かるんだよ」
「うわー、お兄ちゃんは生粋のシスコンだね。でも、私はそんなお兄ちゃんのことが大好き」
「ははっ。俺たち両想いだな」
「両想いだね」
「それ以上のことは何も無いけどなぁ」
例え両思いであろうと俺と小夏が結ばれることはない。俺たちは兄妹なのだから当然のことだ。俺の好きは妹としてであって、一人の女の子として好きなわけではない。それに今の俺には胸を張って好きだと言える女の子がいるのだから。
「……この――では、無理みたい」
小夏の声に被せるように吹いた一陣の風。聞いてはいけない。そう警告されているようで気味が悪かった。
「悪い。風のせいで聞き取れなかった。何が無理なんだ?」
「……」
すぐに聞き返したが小夏は無言を返した。もう一度言う気は無いという意思表示かもしれない。
商店街の路地裏に差し掛かる。この道を抜ければ葵雪の家はすぐそこだ。
暗い闇に差す一筋の光のように、小夏の髪が俺の肩に垂れる。小夏がしがみつく力を強めたからだ。
「……さっきの話の続きだよ、お兄ちゃん」
もう小夏は泣いていなかった。代わりにどんな覚悟よりも強い意思を感じ取れた。
「目に見えてるものだけが真実だとは思わないで。この世界は……嘘で満たされている」
「それは……どういう意味だ?」
「これ以上は私の口からは言えない。でもね、覚えておいて。私はお兄ちゃんの味方ということだけは覚えておいてほしい」
「……分かった」
何が何だか全く分かってはいない。けれど肯定は出来ても、否定することは出来なかった。
目に見えてるものだけが真実だとは思わないで。
この世界は嘘で満たされている。
小夏のこの言葉――。その意味を理解するのは、全てが手遅れになった時だった。
to be continued
心音です。こんばんは!
何やら良く分からない怪しい展開になって参りました。小夏が何を言ったの気になるところですが、それが分かるのはまだまだ先のことになるでしょう。
それでは次のお話でまたお会いしましょう。




