第27話『命と責任』
「……何やら訳ありみたいね、ひより。詳しく話してみなさい」
「うん。実は――」
「あ、ちょっと待って!」
話を切り出したひよりの勢いをぶった切る勢いでひよりのお母さんはキッチンに入っていくと、電気ポットに水を注ぎ始める。スイッチを入れるとすぐに水蒸気が上がり始め、蒸気で曇り始めた食器棚からティーカップを三つ取り出して調理台に並べる。
「お茶でも飲みながら話しましょ? ほらひより、前にお母さんが買ってきた有名な店のクッキーまだ残ってたはずだから出して出して」
「ええ……? はぁぁ……」
出鼻をくじかれたひよりは緊張の糸が切れてしまったのか酷く疲れきった表情でため息を吐いた。
唯我独尊とでも言うべきか。この短時間でひよりのお母さんのことを知り尽くしてしまった気がする。
「あ! そうそう修平さん?」
「あ、はい? 俺も何か手伝いましょうか?」
一人ぼーっとしているのがむず痒くてそう提案してみるが、ひよりのお母さんはふるふると水を浴びた後の犬のように首を振る。
「修平さんはお客様なんだからゆっくりしてていいの! そうじゃなくてね、私のことは小春さんって呼んでほしいの」
「小春さん……ですか」
恐らくそれがひよりのお母さんの名前なのだろう。俺自身そう呼ぶことに抵抗は無いわけだが、ひよりはどう思うだろうと思い横目でひよりを見ると、話に出たクッキーの缶を片手に好きにしてくださいとジェスチャーしていた。
「あ、呼びづらいならお義母さんでもいいから!」
「難易度跳ね上げてませんか? 普通に小春さんって呼ばせて頂きますよ」
「残念……。修平さんをうちの子にしようと思ったのに……」
心春さんマジで油断ならねぇ……。というか真面目な話をする前にこんなのほほんとしていていいのだろうか……。
キッチンの方から紅茶の良い香りが漂ってきた。
紅茶に関しては素人同然の俺だが、この香りだけで使われている茶葉の高級さと小春さんの淹れ方の上手さが伝わってくる。
「修平さん、修平さん。ひより達は座って待ってましょう? お母さんの淹れる紅茶はとっても美味しいんです!」
「へぇ……それは楽しみだな」
「このクッキーもとても美味しいので期待しててくださいね!」
「了解した。ひよりがそこまで言うなら期待度はMAXだ」
言われた通りにソファーに腰掛ける。先程も座った時に思ったが、このソファーかなり座り心地がいい。相当いい素材を使って作られているのだろう。もしかしなくてもひよりの家はお金持ちなのかもしれない。
「ではでは、隣失礼しますね!」
他にも空いてるソファーはあるのだがひよりはよっこらっしょと、老人のような掛け声と共に俺の隣に座り込んだ。
「わん!」
子犬はひよりの膝の上に登ってそのまま丸くなると再びうとうとし始める。
何処かで聞いた話だが、小犬は一日の大半を睡眠で消費するらしい。それが元気に成長する為に大切なことで眠い時は寝かせておくのが一番。変にちょっかいをかけて睡眠を遮ってしまうのはストレスに繋がり病気になりやすいとかなんとか。
「お待たせしました! 小春お姉さんの淹れたアールグレイよ! 紅茶は紅茶でもアールグレイは茶葉の銘柄ではなくてフレーバーティーの一種なの。これはダージリンの茶葉を使ったちょっと特別な時間アールグレイ。きっと修平さんの口にも合うと思うから是非ともお試しあれ!」
相変わらずテンションの高い小春さんに娘のひよりは大きくため息を吐く。
「ごめんなさい修平さん。お母さんは紅茶の事となるといちいち説明しないと気が済まないみたいで……。あとお母さん。さすがに歳考えてよ……。お姉さんは厳しいってば」
「へぇ? そんなこと言うんだ。分かった、ひよりはクッキー無しね。修平さん、二人で食べちゃいましょう」
「ごめんなさいごめんなさい!! 冗談だからひよりにもクッキー食べさせてよお母さん!!」
「どうしよっかなぁ。修平さん、ひよりの分は無しで構わないかしら?」
「無しの方向で」
「ちょ!? 修平さん酷すぎです!!」
ひよりと小春さんを見ているとどうも家族というよりは友達同士のように思えてしまう。
俺の親もわりとフレンドリーな感じだが、ひよりの家族と比べると天と地の差がある。家族としての距離感――それがとても近い。こんな親だからこそ、ひよりは独りでいる時間が嫌いなのだろう。
ある意味、これが本当の家族の形なのかもしれない。
家族とは互いに信頼し合い支え合う関係だ。ひよりと小春さんの関係はその役割をきちんと成し遂げている。でなければ何日も帰ってこない親に対してこんな態度を取ることは出来ない。信頼があるからこそ、寂しいのを我慢することが出来るし、こうして冗談を言い合って笑うことが出来るのだ。
気づけばリビングは紅茶の香りで満たされていた。
気品あるベルガモットの柑橘系の香り。俺はよくティーパックのアールグレイを飲んだりするが、ここまで良い香りはしない。あれを庶民的な香りにするなら、小春さんの淹れてくれたこれは貴族がティータイムに飲むように素晴らしい香りだ。
「遠慮せずに飲んでくれていいのよ?」
「バレてましたか。ではお言葉に甘えてさせていただきます!」
早速ティーカップを手に取って口を付ける。
ベルガモットの香りは直に嗅ぐとより一層香り高くなった。一口口に含んだその瞬間、俺は衝撃のあまり目を見開いた。
「……めっちゃ美味しい」
こんなに美味しい紅茶を飲んだのは間違いなく生まれて初めてだ。ティーパックの紅茶と比べるのが馬鹿らしく思えてしまうほどの美味しさに俺は夢中になって飲み続ける。
「喜んでもらえて良かった! おかわりが欲しければまた淹れるから遠慮せずに言ってね」
小春さんは頬杖をしながら微笑を浮かべると、反対の手でティーカップを持ち、俺とは違う上品な飲み方をする。
「修平さんはすっかりお母さんの紅茶の虜になってしまったみたいですね」
意外だったのは俺と同じように飲むと思っていたひよりもソーサーを手に持ち、絵に描いたようなお嬢様のように紅茶を嗜んでいる事だった。ドレスを着れば英国のお姫様のような雰囲気を持たせることが出来るのではないだろうか。
「それは考えすぎですよ、修平さん?」
「え?」
あれ? 俺今口に出してたか……?
「ひよりはひよりです。こんな何にもない田舎生まれの田舎少女ですから! お姫様なんて夢のまた夢ですよ? あ、でも修平さんが実は王子様だったらひよりにもお姫様になれる可能性が!?」
……いや、出してない。断言できる。
でもひよりは俺が発言したように話に花を咲かせていた。俺は曖昧な返事をするだけでまともに言葉を返すことができない。
得体の知れない恐怖から視線を落とすと、手に持ったティーカップの中に俺の顔が映っていた。ゆらゆらと揺れる俺の顔。その表情は戸惑いと疑惑で感情の抜け落ちた人形のようなものだった。
思い返してみれば前にも似たような事があった。
小夏と共に授業を抜け出してひよりを気絶させたあの日も、みんなにひよりと小夏のことを紹介したあの日も――ひよりはまるでこちらの心を読んでいるかのように会話を繋げてきた。
「こーら! ひより! 修平さん困っちゃってるわよ?」
俺の雰囲気を敏感に感じ取った小春さんがぱんぱんと手を叩いて自分の世界に入りつつあったひよりの目を醒させる。
「え? あ! ごめんなさい修平さん……。ひより、一人で舞い上がってしまいました」
しゅんと萎れるひより。
悲しく顔を歪めるひよりを前にして俺はひよりを傷つける行為をしてしまった事を激しく後悔する。ひよりには笑っていて欲しい――それが俺の願いだったはずだ。ならばこんな下らないことを考えるより先に、ひよりの笑顔を守る為の行動をしたい。
「悪い悪い。ちょっと考え事していただけだからそんな落ち込むなって」
「ふわっ!?」
半ば誤魔化すようにひよりの頭を撫でる。ひよりは驚いて一瞬だけビクッと体を強ばらせたが、すぐに身を委ねてくる。母親の目の前だと言うのにも関わらずこういう事をする俺も俺だが、素直にそれを受け入れるひよりもなかなかの強者だ。
「あらあらー、見せつけてくれるじゃない二人共」
まぁ……親がこの調子だから俺たちも調子に乗っているというのは否定出来ないのだが。
「わんわん!」
俺がひよりの頭を撫でているのを見てか、子犬も小さな尻尾を振って自分も自分も!とアピールしてくる。
「ほらほらー! 撫でちゃうぞー!」
「わんっ!」
俺と同じようにわしわしと頭を撫でると一声鳴いて心地良さそうに目を細める。
「それで――ひより。その子犬はどうしたの?」
頃合いと見たのだろう。かちゃんとカップをソーサーの上に戻すと小春さんは姿勢を整える。ひよりもついに話す時が来たのかと、真剣な表情を作って小春さんを見つめた。
俺はそれを黙って見届けることに決めた。
これは俺たちの問題だ。しかし先に進むためにはひよりに頑張ってもらう必要がある。子犬も雰囲気を察したのかひよりの膝の上で静かになる。
「この子犬は捨てられていたの。雨に濡れてびしょびしょになっていて見て見ぬ振りは出来なかった……。ひより達が助けてあげなかったら……死んじゃっていたかもしれない」
「そうね。ひよりはその子の命を助けた。それは偉いことだと思う。それで? ひよりはその子をどうしたいの?」
「ひよりが飼いたい」
率直にひよりは答える。話の流れ的に大方予想出来る回答に、小春さんは眉一つ動かさずにその言葉を受け止めていた。
耳が痛いほどの静寂の時間が訪れる。ひよりと小春さんは見つめあったまま動かず、俺は緊張感で押し潰されそうになっていた。今どき珍しいアナログ時計の針の音が刻一刻と過ぎていく時間を刻む。
「――命はね、大切にしなければならない。それをひよりはちゃんと理解しているのよね?」
どれくらいの時間が経ったのか。静寂を破ったのは小春さんの方だった。時計を見ると時間はまだ一分も経っていない。この緊張感は時間の感覚すらも狂わせる。
「責任だって付き纏う。前の飼い主と同じようなことをするのはもってのほか。飼う以上はきちんと育てる義務がある。口で言うのは簡単だけど、実際にやってみると思うようにいかずにイライラすることだってある。それでも責任を持ってこの子を生きさせなければならない」
小春さんの言葉は事実が故に重たい。けれど、この鉛のようにのしかかって来る責任を受け止めなければ子犬を守ることはできない。
「分かってるよ、お母さん。けどね、ひよりはそれを理解した上でこの子を育てたいと思ってるんだよ」
「わんっ」
子犬の頭にそっと手を置く。優しい手つきで、あたたかい眼差しで、ひよりは子犬と気持ちを一つに繋げていた。
ひよりと子犬の間ではもう絆が結ばれているのだ。見えない糸で結ばれて、言語は違えども分かり合うことが出来る。
「だからお母さん、お願いします。この子をうちで飼うことを許してください」
ひよりは小春さんに向かって頭を下げる。
無意識なのだろう。ひよりは反対の手で俺の手を強く握っていた。ひよりの気持ちがその震える手から伝わって来る。俺が今してあげられることは一つしかない。
「俺からもお願いします小春さん。ひよりはいつも一人でいることが寂しいって言ってました。この子がいればひよりも寂しい思いをせずに済むと思うんです。飼うことは確かに大変だし、責任があります。でもひよりならきっと全てを受け入れてこの子を幸せにしてあげられるはずです」
そこで一旦言葉を区切って俺も頭を下げる。
俺がしてあげられることはこうして少しでもひよりをフォローすることしかない。願わくば、俺たちの思いが小春さんに届いて欲しい。
「……頭を上げて、二人共」
小春さんの言葉に俺たちは顔を上げる。そこで瞳に映ったのは優しい表情で俺たちを見つめる小春さんだった。
「二人の気持ち、しっかりと私に届いた」
「じゃあ!」
「ええ。いいわよ。ちゃんと理解しているみたいだけど、一応もう一度だけ言っておくわ。ちゃんと責任を持って飼うのよ?」
「うん!! ありがとうお母さんっ!!」
「わんっ!!」
許可を貰って喜んでるひより。その気持ちが子犬にも伝わっているのか、嬉しそうに尻尾を振ってひよりの太ももの上をトコトコとふらつきながら歩いていた。
「良かったな、ひより」
考えることはまだあるが、今は飼えることになった喜びをひよりと共感したい。
未だ握ったままの手の震えはとっくに止まっていた。俺が少し強く握り返してみると、ひよりはようやく手を繋いでいることに気づいたらしく顔を紅く染める。
「はわわ!? ひよりいつの間に修平さんと手を!?」
「ひよりが頑張ってお母さんを説得している時からだ。やっぱり無意識だったんだな」
「きききき気づきませんでしたーっ!!」
テンパっているのか慌てて手を離そうとするが俺はそれを許さない。無意識とはいえ折角こうして繋げた手を簡単には離したくなかった。
女の子らしい小さくて柔らかい手。互いの熱が混じりあって同じくらいの体温に変わると繋がっているという感覚がより一層強くなった。
「あう……。は、恥ずかしいですよ、修平さん……。お母さんめっちゃニヤニヤしながらひより達を見てますよ……」
「俺は気にしない」
「ひよりが気にするんですよ!?」
「はいはい。分かった分かった」
名残惜しいがそろそろ離してあげることにする。ひよりは顔を紅くしたままコホンと咳払いをすると、残っていた紅茶を一気に飲み干してぷはぁと息を吐く。まるで仕事終わりにビールを飲み干すサラリーマンのようだったが、これを言ったらきっと怒られるだろうから口には出さないでおく。
「さてさて二人共出掛けるから支度してね」
気づくと小春さんが車の鍵を片手にリビングのドアの前でスタンバイしていた。
「とりあえず隣町まで必要な物買って、知り合いの獣医さんのところに行くから。ほら、早く早く!」
小春さんに急かされ、俺たちは超特急で支度を済まさて車に乗り込んだのだった。
to be continued
心音です。こんばんは!
無事に飼うことが決まりました!次回のお話はどうしようかなー!子犬の名前を考えるのがとても楽しみです!
それでは次のお話でまたお会いしましょう!




