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Life -刻の吹く丘にて-  作者: 心音
Episode of Hiyori
26/166

第25話『雨の日の出来事』

「……」


 薄暗い教室の中で青白い蛍光灯が明滅を繰り返していた。

 今日は朝から振り続けている雨のせいで教室内の雰囲気は窓の外のどんよりとした雲のように落ち込んでいる。普段が賑やかな分、こうした暗い雰囲気になっていると正直言ってやりづらい。


「――嫌な天気だね」


 隣の席の巡が気怠げに話しかけてくる。机に頬杖をついて黒板を眺める巡だが、教科書とノートを開いていないところを見るに、授業に集中する気は無いように思われた。


「こんな天気の日は何が悪いことが起こる――そんな予感がしない?」


「雨って人の思考を悪い方へ誘導する性質があるよな」


「冗談だと思ってる? 私、こういう予感は良く当たる方なんだよね」


 悪びれることなく巡はそう言いのけて前の方に垂れ下がっていた長い前髪をかき上げる。髪を退かすことによって見えた巡の横顔には微笑が浮かんでおり、俺は呆れ半分にため息を吐いた。


「なら今日一日少しでも悪いことが起きたら全部巡のせいにしてもいいってことだよな?」


「それは責任転嫁ってやつじゃないかな? 私はあくまでも何か起こるかもって予想しただけで実行犯ではないんだからさ?」


 言葉を返すのも馬鹿らしく、窓の外へと視線を移す。雨は止むどころか、より雨脚を強めているようで、アスファルトを叩く雨の音がやたらはっきりと聴こえてくる。

 窓に映る自分の顔はまるで泣いているようだった。そっと硬いガラスをなぞると冷たい感触が指先を撫でる。少し視線を横にずらすと俺の行為を観察している巡と再び目が合った。

 窓を通してしばらくの間見つめ合う。そうしている間にも時間は刻一刻と流れていき、互いの沈黙を破ったのは授業の終わりを告げる無機質なチャイムの音だった。


「――随分と暗いオーラを漂わせてるんだね〜」


 のほほんとしたシャボン玉のような声と共に、椛が俺と巡の机の間に立つ。


「二人の場所だけ空気が淀んでるわ。この授業の間に何があったというの?」


 葵雪もちゃっかり会話の輪の中に入って来る。


「そろそろ帰りのホームルーム始まるぞ。席に座っていた方がいいんじゃないか?」


「残念。今日はホームルーム無いよ。朝の時間に先生が言ってたの聞いてなかったの?」


「……ああ。そういえばそんなことも言ってたな」


 朝も今と同じようにぼーっと過ごしていたせいで、ところどころ先生の話が抜け落ちている。

 普段は雨が降ったくらいでセンチメンタルになるようなタマじゃない。しかし今日だけは何かが違っていた。まるで巡の言う『悪いこと』を俺自身も予感しているような曖昧な感覚。


「……また心ここに在らず? なんか修平がうるさくないとこっちの調子も狂うのよね」


「その言い方だとまるで普段は騒がしい奴みたいじゃねーか……」


「実際そうだと思うんだけどな〜」


「私もそう思うよ」


 椛と巡にも肯定されてしまい、俺は返す言葉を失ってしまう。ため息を吐くことすら億劫になり、俺はスクバを背負って立ち上がった。


「もう帰るの?」


「んー、ひよりのところ行ってから考える」


 こんな沈んだ気分の時はひよりに会うに限る。彼女の笑顔を見ればきっと、このナーバスな気持ちもリセット出来るような気がした。


「最近の修平くんはひよりちゃんのことばっかりだね〜。若いっていいね〜。羨ましいよ〜、うんうん」


「なーに言ってんだか。椛だって十分若いだろ」


 苦笑いを返すと、椛はほんわかと笑みを浮かべる。けれどその瞳だけは表情に合わず、真剣な眼差しで俺のことを見つめていた。

 小さな唇がゆっくりと開く。これから紡がれる言葉が予測出来ず俺は生唾を飲み込んだ。


「修平くんは――ひよりちゃんのことが好きなのかな?」


 心のどこかでその言葉を予測していたのかもしれない。思ったほどの衝撃は無く、俺はすんなりと言葉を返すことができた。


「さぁな」


 否定でもなく肯定でもない中途半端な回答。椛はぴくりと眉を潜め、疑いの視線を俺に送る。はっきりとした回答をしなかった事に不満を抱いているのだろう。


「……早くひよりちゃんのところに行ってくるんだよ」


 予想外の切り返しに今度は俺が訝しげな表情になる番だった。


「いいのか?」


「引き止めてるほどのことじゃないからね〜。修平くんの口からちゃんと聞きたかっただけだからさ〜」


「……そうか」


 簡単な言葉で会話を打ち切り、肩からずり落ちていたスクバを背負い直すと俺は早々に教室を後にした。

 はっきりとした回答をしなかったのは悪いと思っている。椛の口振りからして俺の気持ちなんぞお見通しなのだろう。だからこそ聞きたかった。その気持ちは分かるがどうしてもきちんと伝える気になれなかったのだ。


 何か見えない鎖のような物が俺を縛り付けている。

 それはこの街に引っ越してきてからずっと抱いている違和感と何か関係があるような気がする。何か大切なことを俺は忘れてしまっているのではないだろうか。


「――あれ? 修平さんじゃないですか!」


「ひより……」


 俺を見つけると子犬のように駆け寄ってくるひより。もしもひよりに尻尾が生えていたら、今頃嬉しそうに振っているに違いない。

 ひよりは俺の前でピタッと止まると、満面の笑みを浮かべる。こんな雨の日でもひよりの笑顔は眩しいくらい輝いていた。


「もしかしてひよりのこと迎えに来てくれた感じですか?」


「もしかしなくてもその通りだ。帰ろうぜ」


「それは別に構いませんけど……小夏さんとか待たなくてもいいんですか?」


 俺が一人でいることが不思議で仕方ないのだろう。ひよりは辺りをキョロキョロ見渡してから首を傾げる。その拍子にオレンジ色のサイドテールがぴょこんと跳ねた。


「小夏は知らんが巡たちなら教室に残ってる」


「なのに修平さんは帰るんです? まぁひよりとしてはどちらでもいいわけですが……」


「んじゃ帰るぞ」


「あ、ちょ! 待ってくださいよー!!」


 一人先に歩き出した俺の背中を追ってひよりが駆けてくる。隣に並ぶと同時にひよりの歩く速度に合わせて話を振る。


「この後どうする? 学校に残る気にはならなかったけど、直帰する気にもならないんだよな」


「そうですね……。雨じゃなかったら甘狐処でお茶しつつお話出来るのになぁ……」


 恨めしそうに窓の外を見つめるひより。分厚い雲に覆われた空は何処までも真っ暗で、降りしきる雨は泣いているようにも見える。


「まぁ雨でもやれることはあるだろ。あ、俺の家でゲームでもするか?」


 転校する前は男女関係無く家に友達を誘ってゲームに明け暮れていたのを思い出す。俺の持っているゲームはパーティー用がほとんどだがちょうどひよりと二人で遊べるのもあったはずだ。


「おお……。ひより、男の子の家に招待されたのは生まれて初めてです」


「そうなのか? なんか意外だな」


「女の子の友達の家にはよく行ってましたけど、男の子の家は一度もないですね」


「じゃあ今日俺の家でひよりの初めてを頂いてしまおう」


 わざと誤解を招くように言ってみる。あえて言うまでもないが、単にひよりが初めて行く家が俺の家になるだけであって他に意味などありはしない。反応が楽しみでニヤけそうになるのを必死になって耐えながらひよりの方へ視線を移す。


「な、な、ななななな、ななななななっ!?」


 『な』しか言えない生き物に成り果てていた。

 紅潮した頬はまるで熟れた林檎のよう。驚きで目は大きく見開かれており、餌を求める金魚のように口をパクパクと動かしている。もうしばらく眺めていたい気持ちもあったが、流石にこれ以上は可哀想だろう。


「はっはっは。無論冗だ――」


「い、いい……ですよ」


「………………ん?」


 ここで俺、ようやく自らの失態に気づく。


「えと、あの……修平さんになら、ひよりの初めてを捧げてもいいかなー……って」


「いやまて。ちょっと落ち着けひより。まだ引き返せるはずだ」


「あ! でもでもでも、やっぱり少し怖いので――」


「そうか。分かってくれたか、安心したぜ」


 ホッと胸を撫で下ろす。さすがひより。お前なら分かってくれると信じていた。


「――優しく、してくださいね……?」


「……」


 俺は頭を抱えた。どうやら俺の選択は取り返しのつかないことをしてしまったらしい。

 今ならまだ冗談だと言えば済む問題か……? どうする? どういう選択がひよりを傷つけずに済む!?


「……ぷっ、あははははっ!!」


「……へ?」


 唐突に笑い出したひより。俺の思考はすぐ壊れる中古のパソコンのようにフリーズする。何が何だか分からないという視線を送ると、ひよりはお腹を抱えたまま言葉を紡ぐ。


「冗談に決まってるじゃないですか! 修平さん焦りすぎですって! あはははは!!」


 よほど俺の反応が面白かったらしく、ひよりは笑い続ける。目尻にはうっすらと涙が浮かんでいるし、息も途絶え途絶えになっているが、笑っているひよりの姿は本当に楽しそうだった。


「はいはいはい。いつまでも笑ってないで俺の家でゲームするぞ」


 教室にいた時のような暗い気分はすっかり消え去っていた。朝から調子が出なかったのもきっと俺の中のひより成分が不足していただけだろう。これを口にしたら流石に引かれると思うから何も言わないようにはするが。


「はははっはい!」


「……笑うか返事をするかどっちかにしてくれよ」


「あははははっ!!」


「置いてくぞコラ」



 下駄箱で靴を履き替えて外に出る頃には雨も小降りに変わり、暗かった空も少しだけど明るさを取り戻していた。この分なら夜のうちには止んでくるだろう。

 少し先を歩くひよりはふと立ち止まって地面を見つめていた。何をしているのかと見てみれば、どうやら水溜まりに映る自分の姿を眺めているようだった。雨が打つ度にゆらゆらと揺れる小さな水面。俺もひよりと一緒になって覗いてみることにする。

 かなりボヤけて自分の顔が映っていた。もう少し空が明るければはっきりと見えたかもしれないが、これだと輪郭しかないようなもので表情も何もあったもんじゃない。


「修平さんは占いって信じていますか?」


「占い?」


「そう。占いです。今日友達が教室で恋占いをしていたんですけど、ひよりはあまり好きじゃないんですよね」


「意外だな? 勝手な思い込みだが女の子はみんな占いが好きなもんだと思ってた」


俺も非現実的なものは信じない主義だが、まさかひよりもそうだとは思ってもみなかった。


「占いの結果で好きな人のことを諦めたり、好きでもない人のこと好きになろうとしたり……幸せは望めば手に入るものじゃありません。自分の手で掴み取るものなんですよ」


「……」


 胸を打つひよりの言葉に俺は素直に感激していた。

 その通りだ。自分の幸せは自分の手で掴み取るもの。占いの結果などに左右されて己の道を突き進めないのならば一生幸せになることなんてできない。


 恋とは小さくて儚い想いの種のようなもの。

 それを自分の力で育んでいくことでやがては実る。もちろん途中で枯れてしまうことだってあるかもしれない。でもそれは自分の成長に繋がる。失敗が人を強くするのだから当然だ。


「素敵な恋をしような、ひより」


「……ですね」


 ひよりの頭を撫でながら俺は傘越しに空を見上げる。今この瞬間に、雲の隙間から日差しが射し込んで虹でも架かれば雰囲気が出るわけだが、そんな都合のいい展開現実で起こるわけがない。


「……ん?」


 雨の音に混じって何か聞こえたような気がした。今にも消え入りそうなか細い声。俺は辺りを見渡して声の主を探す。


「修平さん? どうかしました?」


「何か今声みたいなの聞こえなかったか?」


「声……ですか? まさか修平さんに霊感の類が!? ひより幽霊とかダメなんですよーっ!!」


「違う違う。絶対にそういうのじゃない」


 全身を使って苦手アピールをするひよりを宥めながら俺は意識を集中させる。耳元で騒ぎ続けるひよりが集中力を掻き乱して来るがここはガン無視させて頂こう。


 雨の音。風の吹く音。下校する生徒の声――。それらを全てシャットアウトして先程の声を聞く為により一層注意深く耳を立てる。


 くぅーん……


「――あっちか!!」


「あ!? ちょっと修平さんひよりを一人にしないでくださいよーっ!?」


 走り出した俺をひよりが慌てた様子で追ってくる。水溜まりを気にせずに走っているせいで、靴の中に雨が浸水してきて一歩進む度に靴下が不快な音を立てていた。


「これは……」


 曲がり角を曲がって少し進んだところで俺は立ち止まった。目線を下に写すと、声の主は寂しそうに俺のことを見つめていた。


「ま、待ってくださいよ修平さん!! どうしたって言うん……です、か」


 追いついてきたひよりも俺の視線の先にいるその姿を見て、驚きのあまり口を開けたまま突っ立っていた。でもすぐに我に返ると制服が濡れることを気にせずに傘を投げ捨てると、その場にしゃがみ込んでダンボールの中にいた小さな命を抱き抱える。


「……どうして、こんな事ができるんですか」


 捨てられていた子犬(・・・・・・・・・)を抱き抱えたままひよりは静かに怒りを露わにしていた。

 ひよりの胸に抱きしめられた子犬は辛そうにくぅーんと鳴いた。


「修平さん、ちょっと手伝ってもらいたいことがあるんですけど、聞いてもらってもいいですか」


「ああ、もちろん」


「それでは予定変更です。ひよりの家に行きましょう」


 俺はひよりの傘を拾い、自分の傘の中にひよりを入れて歩き始める。

 初めての相合傘は少し寂しい思い出になった。



to be continued

心音です。こんばんは。

ひよりルートはお察しの通り、この子犬との物語になります。どのような結末が待っているのか、その結末は幸せなものなのか、予想を上回る物語が読者様を待ち受けることでしょう。


それでは次のお話でまたお会いしましょう。

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