第23話『星空の下で誓ったこと』
月の綺麗な夜だった。雲一つなく果てしない黒で塗り潰された夜空。そこに瞬くは無限の煌めきを放つ星々。町の灯りはもう随分前から落ちており、暗闇の世界がこの町を覆っていた。
風一つない静寂に包まれた夜。その静寂を壊すように歩く俺の足音だけが闇に覆われた町中に響いていた。カツカツと響く足音は反響を繰り返して闇に溶け込むように消えていく。
さらさらと水が流れる音が聴こえてくる。俺は町を寸断するように流る川に向かって歩いていた。
土手の前まで着き、カツン――と、一際大きな音を立てて止まると、足だけ春の冷たい川に入れてちゃぷちゃぷと遊んでいた蜜柑色の髪の少女は振り返った。
「月が綺麗な夜ですね、修平さん」
つい先程まで俺が考えていたことを口にした少女の顔を月明かりが照らし上げる。
見慣れた顔は昼間とは違う儚げな笑みが浮かんでいた。淡い月明かりが映し出す幻想かもしれない――そう思ったが、惑うことなき真実の表情だった。
「――それで? こんな月が綺麗な夜に俺を誘い出して何をするつもりだ? ひより」
「何もしませんよ。用事がなければ呼んじゃいけませんか?」
少女――ひよりは視線を川の中に戻して足を動かし始める。弾ける水飛沫はまるでダイヤの原石を散りばめたようにキラキラと月明かりを反射させていた。
川辺に降りてひよりと同じように靴と靴下を脱いで川の中に足を突っ込む。冷え込んだ夜の川の水はここまで来る労力で発生した熱をじんわりと冷やしてくれる。
「気持ちいいでしょ? ここはひよりのお気に入りの場所なんですよ」
「冬は流石に寒そうだな」
「あははっ! そうですね。前に一度真冬のここで今みたいにしてたんですけど、次の日案の定風邪を引いちゃいました」
てへっと舌を出して笑うひよりだったが、内容が内容だけに俺は苦笑いを返すことしか出来なかった。
「今くらいの季節がちょうどいいんですよ。暑くもなく、寒くもない季節。ひよりは春が一番好きです。春は出会いの季節でもありますからね」
「出会いの季節ね……。確かにそうだろうが、別れの季節も春だった気がする」
「出会いと別れの季節――それが、春。そうですね……ひより達は学生なので、折角ならそれで例えていきましょう」
ちゃぷちゃぷと足を動かすのをやめ、ひよりは揺れる水面をじっと見つめる。
波紋と共に広がった会話の輪。こんな素敵な夜には似合わない話題かもしれなかったが俺は耳を傾けることにした。
「春になれば新一年生が入学してくる。でもそれは逆に三年生は学校を卒業し旅立ってしまうことを意味します。新しい出会いは同時に――別れを生んでしまう。まぁでも、何も死んじゃう訳じゃありませんから会おうと思えば会うことはできますよね。でも、出会いは時に、思い出を塗り潰してしまいます。印象のある出来事は、より印象のある出来事に簡単に塗り潰されてしまうんですよ。それは子どもが新しいおもちゃを与えられたことによって、ずっと遊んでいたおもちゃの存在を忘れてしまうのと同じです。人はすぐに新しいものに惹かれてしまいますからね」
話に区切りを付けてひよりは疲れたように息を吐いた。俺は表情一つ変えずに語り切ったひよりにどんな言葉を掛けるか悩んだ末、話の内容とはあまり関係の無い率直な感想を述べることにした。
「……少し、驚いた」
「何に驚いたというんです?」
「簡潔に言ってしまえばひよりの考えに驚いた。俺の中でひよりはお調子者の楽観主義者になっていたからな。あまりにも馬鹿真面目なことを語るもんだから拍子抜けしちまった」
「まぁ……ちょっとらしくないことをしたなぁとは思いましたけど、そこまで直球で言われると少しイラッとしますね」
拳を固めてにっこりと笑うと、ていっ。と、気の抜けた掛け声と共にひよりの拳が俺の脳天に振り下ろされる。
「ぐぁぁぁぁぁあああああ!! 脳が割れるぅぅぅぅぅ!!」
「ええええええっ!?」
マシュマロが頭に当たるくらいの痛くも痒くもない衝撃だったが、あえて大袈裟に痛がってみることにした。え? 何故かってそんなのそうした方が面白そうだからに決まっているじゃないか。
「ココハドコ? ワタシダレ?」
「記憶喪失!? あなたは深凪修平さん! ここは虹ヶ丘町です!!」
「うん。知ってる」
「ハッ倒しますよ!?」
早々にボケるのに飽きた俺は、怒りでぷるぷると震えているひよりの頭にそっと手を添える。
「出会いと別れの季節。うん。確かにひよりの言う通りだな。俺は出会いより別れの方が多かった。俺ってこの性格だろ? 転校する前は結構仲のいい友達が多かったんだよ」
「修平さん……」
「すっげえ悲しかったし、ここに来るまでは何度も帰りたいと思っていた。でもな、そんな悲しみを打ち消すくらいの出会いがあったんだよ」
ゆっくりと手を動かし始めると、ひよりは一瞬ビクッとしたがすぐに俺の手を受け入れる。それでもやはり少しは恥ずかしいら気持ちはあるようで、俯き気味に何度もこちらを見て俺の次の言葉を待っていた。
「あの日、俺が初めてこの町に降り立った時、ひよりと出会った。そしてひよりの笑顔を見て、悲しい思いも何もかも綺麗さっぱり消えたんだ。これを運命的な出会いと言わず何という?」
この世には必然しかない――そんな巡の言葉と、ひより達は出会うべきして出会ったというひよりの言葉が頭の中で混ざり合った。
運命も、そして必然も――言葉が違うだけで似たようなもの。俺たちが出会ったのはまさしく運命的なことで、出会うべきして出会ったのであれば、この胸に、そしてこの心に、この灯火のような淡く温かい気持ちが芽生えるのは必然だったのだろう。
「修平さんは……ひよりと出会えて良かったって思ってくれてるってことですか……?」
「さっきから何度もそう言ってるだろ? 今の俺が在るのはひよりのおかげなんだからな」
「……なんか、照れますね。えへへ」
「よし。ならお礼にもっと頭を撫でてやろう」
わしわしと手を動かすと、ひよりは子猫みたいに心地良さそうに目を細め、肩と肩が触れ合う距離まで身を寄せてくる。
ふわっと香ってくるひよりの香りは幸福感と共に安心感を与えてくれる。不思議な気持ちだった。どうしてひよりと一緒にいるとこんなにも安らぐことができるのだろうか。
「ひより、修平さんに頭撫でられるの好きみたいです」
ことんと、俺の肩にひよりは顔を乗せる。ひよりの香りがより一層近くに感じる。
「それは良かった。こんな事でひよりが喜んでくれるなら俺は嬉しいよ」
「修平さん……。ひよりもですね、修平さんと出会えて良かったって思ってます」
「そりゃまた嬉しいこと言ってくれるな。照れるぞ」
「事実ですから。というより、修平さんだってさっきからひよりが照れるようなことばかり言ってるじゃないですか。お互い様ですよ」
「ははっ。確かにその通りだ。まったく、お互い何やってるんだろうな?」
「本当ですよ。傍から見たらただの変人二人組ですよ、まったく……」
「そうかもな。けど別にいいじゃないか。今この場所には俺とひよりの二人だけしかいないんだ。俺たちを笑う者も咎める者もいない。だからここで何をしていようとそれを知りうるのは俺たちだけ。それならば幾らふざけていたって構わないだろ?」
まるで世界に二人取り残されたような静かな夜。俺たちを見ているのは夜空に浮かぶ月だけ。淡い月明かりが劇のフィナーレを飾るスポットライトのように俺たちを照らしていた。
「――それで?」
今が聞くべきタイミングだと思い、俺はそう話を切り出す。
「それで、とは?」
「俺をここに呼んだ理由、まだ話していないだろ? まさか本当に何も無いわけじゃないよな?」
「……」
一瞬の静寂。刹那よりも長く、永遠よりも短い時間の末、ひよりの口から零れた言葉は酷く弱々しいものだった。
「――寂しかったんですよ」
初めて見たひよりの弱い部分。光がある場所に影が出来るように、ひよりの普段の明るさの裏には対照的なものが確かに存在する。
「ひよりは独りでいることが嫌いなんです。だから学校にいる時はとても気分が良いんです。でも……夜は違う。誰もいないんですよ」
「誰もって……両親はどうしたんだよ。一人暮らししているわけじゃないんだろ?」
「ひよりの両親は滅多に家に帰って来ないんです。二人共仕事が忙しいみたいで……。だからあまり家に居たくない。誰もいない、狭くて寂しい部屋の中に独りでいるのは苦痛でしかないですから。それだったらまだ外に出ていた方が何倍もマシなんですよ……」
ひよりの手が伸び、俺の服の袖をぎゅっと掴む。
小さい手は小刻みに震えていた。
「今日、修平さんを呼んだのもどうしても独りでいるのが嫌だったからです。昼間が楽しかった分、夜の寂しさは何倍にも膨れ上がる……。皮肉なものですよね、楽しんだ分だけ辛さが増すんですから」
「……なら」
俺は頭を撫でていた手を下ろし、震える手に触れる。その手は俺が来る前から水遊びをしていたせいもあってか氷のように冷えきっていた。俺は自身の体温をひよりに分け与えると同時に、凍り付いてしまった心を溶かしていく。
「寂しかったら俺を呼べばいい。真夜中でも、雷雨の日でも、ひよりが俺を必要とするのなら、何時だって、どんな時でも駆けつけてやる。それでひよりの寂しさを消し去ることが出来るのであれば俺はいくらでもお前の力になろう」
ひよりの目が大きく見開かれる。瞳から溢れた感情が頬を伝って流れ落ち、ひよりは慌てて立てた膝の合間に顔をうずめた。
「どうして……どうして修平さんはそんなにも優しいんですか? 恋人でも何でもないのに、どうしてこんなにもひよりのことを考えてくれるんですか……?」
「さぁ、何でだろうな。確かに俺たちは恋人じゃない上に、つい最近知り合ったばかりの関係だ。まだお互いのことをほとんど理解していないし、どう付き合っていけばいいかも定かじゃない。けどな、一つだけ言うのであれば――」
これは俺の本心だ。他の誰にも譲ることができない、俺自身が胸に宿した決意とも言えるだろう。
「――俺は、ひよりだから何かしてあげたいって思ったんだよ。他ならぬお前の力になりたいと、そう思ったんだ」
ひよりが誰かを必要とするならば、俺は喜んでひよりの元へ駆けつけよう。
俺がそうすることでひよりが笑ってくれるのであれば、俺はいくらでもひよりの力になってあげよう。
「ふふっ、ははっ……あはははっ。まったく……修平さんはどこまでお人好しなんですか」
ゆっくりと顔を上げ、涙で潤んだ瞳でひよりは俺のことを見つめる。
「……っ」
俺は思わず息を呑む。ひよりの全てに魅了されていた。どんな気持ちも全て包み込んでしまうその笑顔に、俺は目を離すことが出来なくなっていた。
「そんなこと言われたら……甘えたくなってしまうじゃないですか。いいんですか? ひより、とっても甘えたがりなんですよ?」
「……ああ。男に二言はない。好きなだけ甘えてくれ」
「今微妙に間があったような気がするんですけど」
「気のせいだろ?」
見惚れていたら返事をするのがワンテンポ遅れたなんて恥ずかしくて言えるわけがない。
「修平さんと出会えて、本当に……良かった」
「俺もひよりに出会えて良かったって思ってるぞ」
「あはは。会話が原点に戻ってしまいましたね」
「だな。でもいいじゃないか。今が――」
「今が幸せならそんなことどうだって。ですか?」
「正解」
あらかじめ解答を予測していたような返事。そういえばつい最近もこんな事があったなと思いつつも俺は笑う。笑い声に釣られてひよりも笑い始めて、静かだった川辺が明るい雰囲気に包まれた。
「――さてと、そろそろ帰りますか!」
ひとしきり笑った後、ひよりはよっこらせと年寄りみたいな掛け声と共に立ち上がる。
「もう大丈夫なのか?」
「はい! 修平さんにいっぱい力を貰いましたからもう大丈夫です!」
「それは良かった。じゃあそろそろ帰るか。家まで送っていくぞ」
「いいんですか! やった! 修平さんありがとうございますっ!」
うさぎのようにぴょんぴょんと跳ね回るひより。喜びを全身で表現する彼女の姿を見ていると胸が温かい気持ちで満たされていく。
俺とひよりの関係はあくまでも先輩と後輩。今はまだそれ以上の関係になる事はない。お互いそれをきちんと理解している。けれどきっと、俺たちが本当の恋人同士になる日はそう遠くない未来にありそうだった。
to be continued
心音です。こんばんは。
え?なんで恋人同士にしなかったって? ちゃんと理由はあります。むしろこっからがひよりルートの本番です。もっともっとじっくりと愛を育んで、そして結ばれる。そっちの方が幸せ、ですよね?
それでは次のお話でお会いしましょう




