第19話『風の夜に』
「今日は花澤さんのおかげで町のことが色々分かったね」
こっちに引っ越してきて初めてできた友達のひよりに町の案内をしてもらい、新居に帰ってきたのがついさっきの事。引越し業者さんが全ての荷物を運んでくれていたようで、リビングに入った俺たちを出迎えてくれたのは山積みになったダンボールだった。
小夏と協力して荷解きをしつつ昼間の出来事を話していると、楽しかった時間が鮮明に頭に蘇ってくる。
「明日は迷わずに学校に行けそうだし、ひよりに感謝だな。後でお礼のメッセージを送っておこう」
「私からも送ろっと。明日からクラスメイトとしてよろしく!って」
小夏とひよりは同学年。俺だけハブなのは仕方ない事なのだが、どうせならば一緒のクラスになりたいという思いがあった。
「……そうか。校長を殴り込めに行けば学年一つ落としてくれるんじゃね?」
「一発退学だよ。一人が寂しいからって無謀な事をするのやめてよね」
小夏の冷静なツッコミに深いため息を吐いた。
「はぁぁ……。俺もひよりと同じクラスになりたかった!!」
「お兄ちゃんが特定の一人に執着するなんて珍しいね? あ、もしかして……」
何を察したのか、小夏は急に気持ち悪いくらいニヤニヤし始め、俺を小馬鹿にするようにぷぷっと笑った。
「お兄ちゃん、ひょっとして花澤さんに惚れちゃった?」
「いやいや。話が飛躍し過ぎだっての。別にそういう感情は今のところねーよ」
「今のところ、ね。ふふっ。これからが楽しみだなー」
「はいはい。とりあえず日が変わる前にはリビングに寝れる空間作るぞ」
「はーい」
とは言ったものの、何故か無性にひよりのことが気になってしまい手が進まない。
はっきりと記憶に焼き付いているひよりの笑顔を思い浮かべるだけで心がぽかぽかとした気持ちになる。空から地上を照らすお日様のような眩しい笑顔と、純新無垢な真っ直ぐな彼女の性格に、俺はなんだかんだ言って虜になってしまったらしい。
前の学校にも笑顔が素敵な女の子はいた。けれど今みたいな感情になることはたったの一度もなく、思い返すだけでドキドキするような事も無かった。
特定の誰かのことをここまで考えるのは人生初だ。となると小夏の言う通り、俺はひよりに執着しているのだろう。
先に述べたように、俺は人生で一度たりとも特定の女の子に執着した事は無い。誰とでも平等に接し、誰も仲間外れにならないように行動してきた。結果、俺は誰からも好かれるリーダーのようになっていたというのが転校前の俺である。
「ねー、お兄ちゃん?」
「んー? どうし――」
ダンボール箱から出てきたクマとウサギのぬいぐるみをタンスの上に並べながら視線だけ小夏の方へ向けたところで俺の手は止まった。
「……」
それは何故か。なーに答えは簡単だ。小夏の野郎、何を企んでいるのか知らねーが自分の下着を俺の前に掲げてやがる。右手には黒のエロティック且つ大胆な下着、左手には穢れなき純白の下着。そして何故か頭にはピンク色のパンツを被っていた。
「……俺、たまに小夏が何を考えて行動しているのか理解できない」
ひとまず嘆いた。どうやら俺の妹は変態への道を辿ってしまったらしい。
「私の行動原理の大半は突発的な思いつきで成り立っているよ」
「ドヤ顔で言うセリフじゃねーよな!?」
「まぁ冗談はこれくらいにして」
「全く以て冗談に聞こえなかったんだが」
「明日の下着はどっちがいいと思う? やっぱ転校初日だし黒で勝負しちゃう? それとも純真さをアピールする為に白でいくか」
俺の冷静な分析を華麗にスルーした小夏は果てしなくどうでもいいことを訊ねてくる。しかもこの小夏の表情からして冗談ではなく、本気で聞いてきているのが更にタチが悪い。
「誰かに見せる訳じゃないんだから何色でもいいだろ……」
「確かに」
会話終了。それでも真剣に悩み続ける小夏を見ていたら途端に頭が痛くなってきた。ここらで一旦休憩を挟むことにしよう。
なんだかんだで片付けの方は順調に進んでいるし、気分転換に昼間ひよりに案内してもらったコンビニで飲み物と甘い物でも買いに行くか。
「小夏、コンビニ行くけど買ってきて欲しいものあるか?」
「お兄ちゃんと同じものー」
明日の下着は選び終えたらしく小夏は荷解きを再開していた。頭に被ったままのパンツはわざとなのか、やった事自体忘れているのか。どちらにせよツッコミを入れる気にはならず、昼間と同じショルダーバッグと薄手のカーディガンを羽織って俺はリビングを後にした。
※
春先とはいえ夜はそれなりに冷え込む。カーディガンでカバーできない寒さを誤魔化すように身を丸めながら俺は一人、街頭の少ない夜道を歩いていた。
町は死んだように静まり返っていた。人の気配を全く感じられない。まるで模型で作られた住宅街を歩いているようで不気味だった。
もし……この夜空も、ぼんやりと浮かぶ月も、光り輝く星々も――何もかもニセモノだとしたら、今ここに在る俺は何なのだろうか?
ニセモノ――そう言われたとしても否定をすることは出来ない。
ホンモノがいるからこそニセモノが在る。ならどうすれば自分がホンモノであることを証明する事ができるのか。恐らくそんな方法は存在しない。
ニセモノを連れてきて自分がホンモノだと訴えることは簡単だ。けど、ニセモノが自分こそホンモノだと言い張ってしまったらどうだろう。何を言い返したところで話は平行線のまま進むことは無い。
意味の無いことをやり続けたところで、そこに意味が生まれることが無いということだ。
無意味なことに意味を見出したいのであれば、何もかもを覆す決定力が必要不可欠になる。
だからこそ、俺はこの町に来てからずっと悩み続けていたことを未だに言葉に出せないでいた。
「……懐かしい」
そう。電車を降り、新しい地に足を踏み入れた時、何故か俺は懐かしいと思ったのだ。
あまりにも馬鹿らしく、そして記憶に無いのにも関わらず、気持ちの悪い既視感だけが俺を蝕むように侵食していた。
見たことないはずなのに、
見たことのある懐かしい風景。
感じたことないはずなのに、
感じたことのある懐かしい空気。
何一つ記憶が残っていないのに、ここにはたくさんの思い出が残っているような気がした。
俺は本当に今日初めてこの町に来たのだろうか?
一致しない記憶はまるでパズルのピースのようだった。ピースがたった一つ欠けるだけでパズルは完成しない。この既視感は俺の中のピースが足りていないことを証明しているようだった。
「考えたところで解決に至るとは思えないんだがな……」
考えて思い出すようなことならば苦労はしない。寧ろその程度のことか――となって終わるだけだ。
「……やめだやめ。こんな冷めたこと考えるなんて俺らしくない。人生思いつきで楽しんでなんぼだろ」
パンッと頬を叩いて気持ちを切り替える。後を引く痛みのおかげで心做しか頭の中を覆っていた靄が晴れていく。
「ん……?」
そこで俺は進行方向に誰かが立っていることに気づいた。暗くてよく見えないが、感じ的には女の子に見える。
やべ……。さっきの独り言聞かれてたか?
「というよりも……」
どうしてこんな時間に、こんな場所で一人でいるんだ? いくら田舎とはいえ不用心すぎるだろ……。
構わず通り過ぎようと俺は足を早める。だが次の瞬間響いた懐かしい声に俺は思わず立ち止まってしまった。
「――こんばんは」
この町に吹く風のように澄んだ声。夜に合わない柔らかい笑顔を浮かべた少女は、闇に溶け込む純黒の髪を揺らしながら、立ち止まった俺にゆっくりと近づいてきた。
「今日はいい夜だね。風が気持ちいいし、星もこんなにも瞬いている。君はこの町は初めて?」
「あ、ああ。今日引っ越してきたばかりだ」
「うん。知ってるよ」
「え?」
少女の言葉に戸惑いを返すと、何が面白かったのかくすりと笑う。
「ごめんね。君がどんな反応をするのか見てみたくなって、からかってみただけなんだ」
「……」
なんというか……不思議な少女だった。これといった掴みどころはなく、ひよりのような無鉄砲な明るさもなく。でも何故か、無条件で信用してもいいと思ってしまう。そんな少女だった。
「……その格好、寒くないのか?」
控えめな色のブラウスにジーンズといったお世辞でもオシャレとは言えないような格好。さっき風が気持ちいいと言っていたが、俺にとっては寒いくらいの気温だ。
「心配ありがとう。でも寒くないよ。むしろ心地良いくらいかな? ほら、君もやってみて」
そう言って少女は両手を大きく広げて全身で風を受け止め始めた。
言葉通り心地良さそうにしていた少女は数秒経った後、未だに呆然と立ち尽くしている俺に「ほら、やって」と目で訴えかけてきた。
訴え通りに、少女を見習って両手を広げる。
途端に風を受ける面積の広がった俺の体はあまりの寒さにぶるりと震えた。この少女が何故こんなにも平然としていられるのか、俺には到底理解出来そうにない。
「ふふっ。寒がりだなぁ、君は」
「お前の耐性が強すぎるだけだ」
「巡」
「?」
「お前じゃないよ。私は風見 巡。風を見るで風見。季節が巡るの巡るで巡っていうの」
「なるほど。俺は深凪 修平だ。気軽に名前で呼んでくれ」
「よろしくね、修平くん。私の事も名前でいいよ」
「んじゃ巡。よろしくな」
握手を交わす。これで俺と巡は今この瞬間から友達同士という訳だ。少なくとも俺の観点からすれば――という話になるのだが、巡に至っては心配はしなくても平気に違いない。
「ところで……巡はこんなところで何をしていたんだ? 誰かを待っていたのなら俺は今のうちに立ち去っておくが」
「確かに私は人を待っていたよ。けどね、その目的はもう達成されているんだ」
「へぇ? そうなの……ん?」
いやいや待て待て。その言い方じゃまるで……俺を待っていたみたいじゃないか。
「そう。その通りだよ。待っていたんだ、修平くんが来るのを」
俺の心を読んだ巡はそう言って微笑を浮かべる。その笑顔はまるでこの夜空に浮かぶ月のように淡く、そして流れ落ちる星のように儚いものだった。
「という冗談か?」
俺はその表情にあえて気づかなかった振りをして軽い口調で言葉を返す。巡はそのままの表情を維持しつつ、空を見上げるように顔を上げた。
「運命の人と出会う。それはきっとこの星の並びのように確立されているものなんだろうね」
宿命論と呼ばれる論理がある。世の中の出来事は全て、あらかじめそうなるように運命付けられており、人の力でそれを変更することは出来ないという考え方の事だ。
「つまり俺と巡が今のこの時、この瞬間出会ったことは定められていたって言いたいのか?」
「この世には必然しかない。なのに人は偶然という概念を作ってしまった。どうしてだか修平くんは分かる?」
「そうだな……」
問いかけに俺は顎に手を当て数秒間考える。
「運命を信じたくないから――じゃないか?」
「それはどうして?」
「この世の全ての物事が必然だとしたらあまりにも残酷じゃないか。散歩をしていた。たまには違う道を通ってみようと思った。そしたら曲がり角から飛び出してきた車に轢かれて死んでしまった。あくまでも例えだが、この流れが必然ならば悲しすぎるだろ。考えたくないんだよ。自分の気まぐれが死に繋がってしまったなんて。だから偶然という概念が生まれてしまった」
「偶然、偶然。偶然――そう納得することで人は満足してしまうんだね。でもきっと、ちゃんと分かっているんだよ。理解している。これは必然なんだって。でも何もかも決められているなんて思いたくないから偶然に頼ってしまう」
「で、だ」
それなりの結論が出たところで俺は頭のスイッチを切り替えた。
「なんで俺たちの出会いをこんな哲学的な考え方にする必要がある?」
「なんでだろうね? ただ、こういう難しい話はあまりできないから楽しかったよ」
「まぁ新鮮で楽しかったが……仮にも初対面の人とこんな会話するとは思わなかった」
「もう友達だよ」
友達――。当然のように答える巡に俺は感心してしまった。
「ああそうだな。俺たちはもう友達だもんな」
この巡という少女は本当に不思議な子だ。警戒心など最初から抱いていなかったが、今はもう完全に心を許している自分がいた。
彼女の何が俺をそうさせているのか分からない。けど一つ言えることがあるとすれば、それは巡の笑顔かもしれない。彼女の笑顔は人を惹き込む。心からの笑顔も、先程見せた儚げな笑顔も、その全てが俺を魅了していた。人の印象は笑顔で決まるとはよく言ったものだ。全く以てその通りなのだから否定のしようがない。
「ところで修平くんはこんな時間にどうしてこんなところにいるのかな?」
「あ。そうだ、買い物に行こうと思ってたんだ」
本来の目的を思い出した俺は慌ててスマホで時間を確認する。なんとかひよりに教えてもらった閉店時間には間に合いそうだった。
「悪い巡。俺急ぐわ」
「うん。気をつけて。じゃあまた明日教室で会おうね」
「おう!」
軽く手を振って別れの挨拶を済ませると、俺は駆け足でコンビニまで向かった。
「……あれ?」
だが、少し進んだところで俺は違和感を覚えて立ち止まり振り返る。
振り返った先は夜の闇だけが存在しており、巡の姿は霧のように消えてしまっていた。
「……教室? なんで巡は俺の学年を知っているんだ?」
記憶を辿ってみても、巡に学年を話していなかった。
「あ、もしかして」
実はひよりの知り合いで、ひより経由で俺のことを聞いていたのかもしれない。そう考えれば、今してた話は色々と辻褄が合う。なんだ。考えてみれば単純なことじゃないか。
「まぁ、人の個人情報をばらまいたということで、明日ひよりを問い詰めることにしますかね」
明日の登校を楽しみにしながら俺は再びコンビニに向かって足を進めるのだった。
to be continued




