五話
しばらくすると、先ほどの、暗闇から白色の空間に移り変わる時のような事が起こった。
白だけだった視界に、遠くから森林の光景がせまってきた。
これはなんなのだろうかという疑問は依然としてある。
だけど考えたところで答えが見つかるようなものでもない気がした。
再び抱きついてきたニーナにされるがままになりながら、周囲の変化をのんびり観察する。
絵の具でグラデーションされていくような光景だった。
まず木々の輪郭が描かれる。鉛筆のような細い線だ。
色鉛筆で薄く塗られたように背景に色がつき、仕上げとして絵の具で濃い色がつけられる。
驚きこそしなくても__感動くらいはする。
まわりの変化が終わったところで、立ち上がってみる。ちなみにニーナは腰に抱きついたままだ。
先ほどとは空気が変わっていた。匂いも、本当に森林に来たみたいで、透き通っているよう。
真上から俺とニーナを照らす太陽にも熱を感じられる。
どうやら、この背景が塗り変わる現象は、周囲の見てくれが変化するものではなく、ワープのようなものらしい。靴の裏で感じる地面の質感が、その考え方で間違いないと俺に認識させていた。
「あそこに行ってみたらどうなのです?」
ニーナが向けた指の先には小さな家があった。赤色の屋根で、大きさは普通の家と大差ない。違うところといえば、煙突があるという事くらいだろうか。
だけどこんな森の中に家がある事がまずあやしい。
動くだけならばまだしも、不用意に建物に入るのは控えるべきだろう。
「......いや、やめておこう」
「ええー。疲れたからちょっと座りたいのですー」
ぐいぐいとニーナが手を引っ張ってくる。
「だめなもんはだめだ。危険かもしれないだろ」
「あんなに普通の民家なのにですか?」
「そうだ」
確かに俺も疲れてはいるが、予想されるリスクを回避できる事と、休憩場所を得られることを天秤にかければ、どちらかといえば前者に傾く。そのうえ、慎重派である俺にとって、こんな森にある家は信用するにあたいしない。
ニーナがふと思い出したように口を開いた。
「服従の誓いがあったのです」
「__っ」
「わたしの言う事を何でも聞くのではなかったのですか、ダイゴ?」
「......や、やっぱさっきのなしにしない?」
「ノー。断らせてもらうのです」
「__け、契約解除おおおおおおおおおおおおおお!!」
「叫んでも無駄なのです。契約してしまった以上、解約する権利はわたしにしかないのです」
しれっとした顔で残酷な事実を告げてくるニーナだった。
服従の誓いなど、ただの口約束なのだが、それでも何らかの拘束力がある気がする。
実際俺はニーナの言う事を全て無視できるという自信がなかった。
慎重に事を進めたいのだが......。どうにもそういうわけにはいかないらしい。
契約をしたという『事実』だけが、ニーナの命令を無視する事に制限をかけていた。
案外、服従の誓いとはこういうものなのかもしれなかった。
「なあニーナ」
「どうしたのです?」
「お前はあの家に行きたいのか、休憩したいだけなのか、どっちなんだ?」
「わたしは休憩がしたいだけなのですよ。休憩する場所が見つからないから、あの家が良いと言っているのです」
「......もうひとつ休憩する場所はあるぞ」
ニーナは驚いたような表情で辺りを見回す。だけど、そんなものは見つからなかったらしく、俺を睨みつけてくる。
「ダイゴ、わたしをからかったのですね」
「そんな事はないよ。......ほら」
俺はしゃがんで、ニーナに自分の背中を見せて言う。
めちゃくちゃめんどくさいけど、リスクを侵すよりは幾分マシだ。
「さっさとのれよ。休憩したいだけなんだろ?」
「わかったなのです!!」
ふんわりとした肌の感触が、俺の首筋にあたる。ニーナがそこに頬をのせているらしい。
初めて背負った女の子は予想外に軽かった。
それにしてもニーナはこのような事を恥ずかしいと思わないのだろうか?
......ああ、こいつは姫様だったから、まわりからいじられる機会がなかったのかもしれない。
もし元の世界に帰る事ができなければ、こんな価値観の相違がこれからも増えていくのだろう。
ライトノベルじみた転生のような事が起きるのならば、もう少し早くにそうしてほしかった。
できれば俺が中二病を発症していた頃が良かった。その時ならばこの現状を楽しめたはずだ。
「じゃあ、行くか。どこにかは決めてないけど」
「しゅっぱーつ!」
ニーナが俺の背中でガッツポーズをとった。
次の瞬間、ニーナの首がかくんと折れ、俺の肩にのしかかる。
どうやら眠ってしまったようだった。
寝息を首筋に感じながらあたりを見回して、ひとつ、道のようなものを見つけた。だけど、ひとつしかない事が怪しい気がしたので、そこから少し横にずれた森林をかき分けて進む事にする。
森林をそこそこ進み、途中まで行ったところで、背後から近づいてくる音がした。
危険を感じて木の影に隠れ、音のしたほうへと目をやると、そこには白衣の女性がいた。
年は二十代くらい。白衣の女性は息も絶え絶えだった。俺たちを見失うと、ゲロでも吐きそうなくらいに苦しそうにしながら、あたりを見回しはじめた。
追いかけてきたんだろうけど......。どうすれば良いんだろうか。
女性は泣き出しそうな表情で、声を出した。
「あ、あの__さっきの二人組さん、出てきて。もう、走れないから、だから」
どんだけ本気で走ってきたんだ、と思う。
でも彼女が敵である可能性は否めない。
敵__? なんだそりゃ。そもそも敵なんて存在するのか?
今になってやっと、俺とニーナがこの世界にやって来た理由が気になった。
そこの女の人は何か知っていそうだけど、そう簡単に近寄るべきではない。
どうやって逃げようかと思案していたら、背中の異常に気がつく。
いつの間にか軽くなっていた。ニーナを背負っている感覚がない。
まさか、と思ったら、そのまさかが現実になっていた。
「こんにちは、なのです」
「こんにちは」
手を上げてあいさつをするニーナと、それを微笑ましそうに見つめながらあいさつを返す女性がいた。
女性が、やっと終わったといわんばかりの弛緩した声を上げる。
「もうひとりいるんでしょう? まさか、女の子を捨てて逃げるわけじゃないでしょうね」
「ダイゴー。早くでてくるのですよー」
ニーナまでもが俺の事を呼んでいる。......どうしようか。
木に背中をあずけて、解決案を考えるが、ニーナを見捨てるという選択肢がない俺にとって、そんなものは出てくるはずがなかった。
俺は、何でニーナを見捨てられないんだろうか。
普通に考えれば赤の他人なのに、口約束を交わしただけでこうも影響されてしまう。
ニーナがやって来る。手をつかまれて、立ち上がる事を強制させられる。
俺が木の影から姿を表すと、白衣の女性がにたりと笑った。
「こんにちは、臆病者くん」
もうちょっとでチートします。