俺の彼女は大魔王だったようです。
「やあ、おはよう!」
太陽の野郎がジリジリと照りつけ暑苦しい、夏のような気候にも関わらず、年間行事予定には逆らえず終わってしまった夏休み。鬱まっただ中で高校へ向かう俺に、背後からかけられた脳天気な声。
……振り返ると、彼女がいた。俺の前で無い胸を張って立っている彼女は、なんだか痛々しい格好をしていた。
まず目に飛び込んできたのは、半透明なオレンジ色の馬鹿でかいゴーグル。スキーとかのウィンタースポーツで付ける奴だろうか。その大きさは、小顔な彼女の顔の半分近くを占めるほどだ。
次に目に入ったのは、学校指定のセーラー服の上に羽織った……スカジャン、という奴だろうか? 左胸に鷹、右胸に白虎の刺繍の施されたジャンパーだった。夏に着るには相応しくない黒の素材でできているそれは、見ているだけで暑いし、着ている本人も汗びっしょりだった。
そして極めつけは、なぜか腰のあたりに巻かれているシンプルな赤いマフラーだ。よくみたらこれ、去年のクリスマスに俺がプレゼントした奴だ。なぜ腰に巻いた。いや、首は首で暑いから変だけども。今巻くなよ。
……冬に着ろ、って言いたくなるアイテムのオンパレードだな。
おはよう。その格好は何だ。
「え、これ? ふふふ、君にはまだ言っていなかったね……」
俺の挨拶兼質問に対し、彼女はもったいぶった口調で言い笑う。そろそろ周りから来る視線が痛くなってきたが、彼女は全く気にも留めていない様子だ。
言ってないって、何をだ?
「実は私ね、七つの世界を束ねる大魔王なんだよ!」
明らかに不審者な俺たちのそばを早足で通り抜けようとした女子生徒が、ぶふっ、という、いささか下品な音を立てて吹き出した。
……また彼女の“実は私”が始まったか。
実は、彼女がこうして自分の謎アイデンティティを作り上げて俺に宣言するのは、日常茶飯事なことだ。
ある時は「実は私、ベジタリアンなんだよ!」と宣言し、肉好きにも関わらず肉断ちを決行したり、またある時は、「実は私、バンパイアなんだよ!」なんて言って、俺の腕にいきなりかじり付いたこともあった。あれは生命の危機を感じたっけ。
そんでもって、今回の彼女は大魔王らしい。何かのマンガにでも触発されたのかな。
しかし、その格好は酷いぞお前。それが大魔王の格好なのか? どっちかって言うと、悪の組織の下っ端って感じがする。あと暑苦しい。
「し、したっぱー!? むきー! せめて幹部にしなさいよ!」
俺の言葉に怒り、俺をぽかぽかと殴り始めた彼女。彼女の身長は俺の胸のあたりまでしかないので、プルプルと震えながら背伸びして俺を殴っている。オレンジ色のゴーグルの中の目は必死に怒っているが、かわいいので全く怖くない。
っていうか、幹部ってことはラスボスじゃなくてもいいんだ……呆れつつもそのまま、ぽかぽかする彼女の頭をなでてやる。
ほーら、よしよし。
「ふにゃぁん……って、そうやって君はまた人のことを子供扱いして! 何もできない無力な人間のくせに!」
俺の頭なでなでへの照れ隠しか、大魔王はさっと俺から距離を取って戦闘態勢に入る。……そんな彼女が発した『何もできない無力な人間』ってフレーズが少しおもしろかったので、もう少しつっこんで聞いてみる。
やっぱり、何もできない無力な人間の俺とは違って、大魔王さんはすごいことができるんですか?
「すごいこと? ……ふふふ、そうだよ、当たり前じゃない! 私には必殺技があるのよ! 私が呪文を詠唱したら、ただの人間の君はひとたまりもないのよぉ!」
必殺技。必ず殺す技と書いて必殺技ですか。
俺の茶化しを茶化しとも考えず、彼女は再び、ペッタンコの胸を得意げに張る。
「ふふふ……大魔王である私の超必殺技、『アルティメット・ハルマゲドン』……私は彼氏である君を気遣って、この呪文を唱えていないだけなんだからね! もし君が私の彼氏じゃなかったら今頃、必殺技『アルティメット・ハルマゲドン』を食らって木っ端ミジンコなんだからね!」
……二回も唱えちゃったよ、必殺技のアルティメットなんとか。
ドヤ顔で言い放った彼女に、俺はやれやれと肩をすくめた。
……っていうかお前、この格好で学校行くの?
「当たり前じゃん! 私、大魔王だし!」
……そうですか。
○
久しぶりに来た学校は、結局いつもと変わらずつまらない。窓際の一番後ろの席で頬杖をつき授業を受けつつ、俺はそう結論づけた。
夏休みが終わろうと、金髪ロン毛で鼻ピアスだったクラスのチャラ男が、なぜか黒髪七三のいい子ちゃんにイメチェンして現れるという衝撃のイベントが起ころうと、結局学校は学校で授業は授業。俺には退屈でしかない。
おい、その格好はどういうつもりだ!
そんな代わり映えのしない教室に、廊下からの熱血男教師の怒鳴り声が入ってきた。ここまで聞こえるあたり、先生かなり大声張ってるな。夏休みボケして浮かれて学校来た奴が、廊下で怒られてるんだろうなー。
「言ったじゃないですか、先生! 私は大魔王だって!」
あ、違った、彼女だった。……確かに、あの格好じゃあ注意されてもおかしくないな。
そんなのが言い訳になるはずないでしょうが!
今度聞こえてきたのは若い女教師の声。ありゃりゃ、複数の教師に対して孤軍奮闘か。圧倒的不利だが、俺は授業中だから助太刀できない。頑張れ大魔王。……っていうか、一応授業は聞いてようと思ったけど、このつまらなさなら、彼女のバトルを聞いてるほうが楽しそうだ。
そんな結論にたどり着いた俺は、彼女たちの言い合う声に聴覚のすべてを使いつつ、カーテンをそっとめくり、窓の外の風景に自分の持つ視覚のすべてをあててやることにする。……どうやら、どこのクラスも残暑とまぶしい日差しに耐えかね、クーラーをつけ、カーテンを閉めて授業をしているようだった。どの窓もカーテンの水色に埋め尽くされていて、中は見えない。
教室のすぐ下にはプールがあるが、今日のこの時間に体育はないようで、人っ子一人いなかった。せっかくのプール日和なのに勿体ないな。
と、俺がそんなことを思った瞬間、空が陰る。さよならプール日和。どうやら、大きな雲が被さったらし――
え。
空を見上げ、太陽を覆ったものの正体を認識し、あんぐりと口が開いてしまった。……目をこすって、もう一度空を見上げたが、信じがたいその光景は、紛れもない現実だったようだ。
学校の上に多い被さっていたのは、銀色の丸い物体。まるでフリスビーのような平べったい丸い形で、どこかに向かって投げたそれのようにくるくると回転していた。……ただ、俺の見ているこれは、フリスビーと形容するのをためらってしまうレベルで巨大。
――UFOだった。
実物なんて見たこと無いけど、すぐにそうわかった。銀色ででっかくて宙に浮いてて円盤。絶対UFO。間違いない。まさにUFO。『UFO』でググったら、最初に出てきそうなほど普通のUFO。
静かに混乱しつつ、俺は教室を見回す。教室内は至って普通の退屈な授業が淡々と続けられている。……窓際で、しかもカーテンを少し開けて空を見ていた俺だけが、この異常事態に気づいてしまったようだ。多分、他のクラスの人も、UFO飛来に気づいていない。このあっつい天気の中、カーテンを開けたのは俺だけだから。
もちろん、廊下の彼女と、彼女を尋問する教師たちも気づいておらず、まだ言い合いは続いている。
ジャンパーの下は普通の制服なんでしょう!? だったら問題ないじゃない、今すぐ脱ぎなさい、校則違反よ!
「いやぁエッチ! 人間風情がうるさいです!」
教師に向かってうるさいとは何だ! 第一、お前だって人間だろう!
「うー。いくら先生と言っても、怒りましたよぉ!」
ちょ、何よその体勢!
……おい、何をする気だ?
「ふふふ……身の程を知らない先生方に、私の必殺技を受けてもらうんです」
彼女が悪役らしく笑っている一方で、UFOの中央が金属製の自動ドアのように、ゆっくりと開き……まるでレーザー銃のようなものが現れた。円盤は回転しているにも関わらずその銃口は、ばっちりと校舎に向けられている。……どうやら、何でか知らないが、UFOは俺の高校を爆撃先として決めたらしい。銃口には赤い光が集まり、今にも発射できそうな雰囲気を醸し出している。
ああ、俺終わった。UFOに狙撃されて死ぬっていうのは珍しいし非凡だしある意味面白いし彼女は超かわいかったけど、総合的に見たらつまんない人生だった――
「アルティメット・ハルマゲドン!」
俺が諦めとともに過去を回想し、そして彼女が教師に叫んだ、その瞬間だった。
俺の視界の先、くるくると回転していたはずのUFOの動きが急に止まる。……あえてさっきのフリスビーの例えを引っ張り出すとしたら、キャッチされたフリスビーみたいに。
そして、銀の円盤は震え出す。ぶるぶると震え、そして、
ぱぁん、とはじけた。
……はじけ……って、え? え? 何今の!?
俺が見上げる先で、粒子レベルで木っ端微塵になったUFOは銀色の粉となって霧散し、そして……夏の澄んだ青空だけが残されていた。
……おいおい、何も起こらないじゃないか。嘘もいい加減にしろ。
何にも起こらなかったけど、私は“怒りました”からね。あなたは指導室連行の刑です……!
「誰がうまいことを……って、はなしてよぉー! こんなはずじゃぁぁぁー……」
呆然と平和な青空を見上げる俺の耳に、教師たちに強制連行されて遠ざかる彼女の声が聞こえていた。
○
「ね、私、大魔王やめる」
その日の放課後、彼女のクラスに呼び出された俺は、彼女からそう告げられた。しょんぼりとした彼女の姿は普通のセーラー服に戻っており、机にかかっているスクールバックからは、スカジャンの裾らしき布が飛び出して見えていた。
「先生に怒られちゃったし、原稿用紙三枚分反省文書かされたし……右手痛くなっちゃったよ……」
そうか。
彼女の言葉に、俺は静かに頷いた。……思えばこの、やめる、そうか、のやりとりを、付き合い出してから何回しただろうか。だからこそ、こうして今彼女から宣言されても俺は全くもって意外に思わなかったし、そのための呼び出しだろうなと察していた。
彼女は俺にいろんなアイデンティティを突きつけてくる。今回のような突拍子もないものから、その気になれば実現可能なものまでたくさん。しかし、彼女のアイデンティティは大概一日か二日、保って五日くらいで消滅してしまう。飽きっぽいから、自分で作り上げたキャラクターに飽きて、やめてしまうんだ。
アイデンティティを放棄する時、彼女はこんな感じの神妙な態度で俺に告げる。そして俺はいつも、彼女の決定に対して、淡々と頷くだけ。
きっと、彼女自分で決めて変わった彼女も、自分で決めて元に戻った彼女も、俺は変わらず好きでいられるはずだと信じているから。
大魔王、やめるんだな。でも……。
「ん? どうしたの?」
思わず俺の漏らした言葉に、彼女が顔を上げる。
木っ端微塵になったUFO。それの直前に聞こえた彼女の詠唱。
もしかすると、もしかするのかもしれない。でも、
……いや、何でもない。
「本当? ……私、君に隠し事されるのは嫌だな」
大丈夫、俺が寝ぼけてただけだからさ。
「ふぅん」
あの非常識な光景をそっと頭の片隅に追いやると、俺は普通の女子高生に戻った彼女の桜色の頬にそっと触れた。
……今日も、俺と彼女は平和です。
fin.