空の宇珠 海の渦 外伝 -風の音色- その十
皆が泣いていた。
神の心に触れたのだ。
感動で心が震えている。
だが、その中に一人だけ、違う波動が紛れている。
禰宜の内の一人。
その男の涙の向こうに見えているその姿。
「華音と言うのか…」
母である風音に似ていた。
他の者が知っているはずがない旋律。
華音の母、風音の旋律。
他に知っているとすれば…
それは生き別れた娘だけだ。
娘の名前も知らぬまま過ぎた年月。
「こんなに大きくなったのか…」
気がつくと、男は華音の側まで歩いていた。
「お父さんなの…」
華音が見ている。
声まで似ていた。
母である風音に…
「そうだ…」
それを聞いた宮司が震えている。
「私の…孫なのか…」
宮司はその禰宜の父であり、華音の祖父であった。
華音は、その事実をまだ知らない。
「お母さんが死んだの…」
華音は、それを伝えるのが精一杯だった。
「風音が…死んだ」
男は膝をついた。
取り戻せない時間が、男の心を打つ。
床に手をついた。
「すまぬ、すまぬ…」
男は華音に詫びた。
「お母さんはあなたを愛していた…」
「ずっと会いたがっていた…」
丘の上からいつも出雲を見ていた、母の姿が思い浮かぶ。
「すまぬ、風音…」
華音は、その男の肩に手を置いた。
「私が怖く無い?」
「この姿…」
覆っていた布を取った。
華音が父を見ている。
「風音の若い頃に、そっくりだ…」
その言葉で、華音の瞳から涙がこぼれた。
「お母さんに…」
父の手が華音の頬に触れる。
「温かい…」
初めて触れる父の手、その温もり。
「華音…」
父は思わず華音を抱きしめた。
「許してくれ…華音」
泣いていた。
父が悪い訳ではない。
母が悪い訳でもない。
華音は分かっている。
父の涙が嘘ではないことを…
母が父を愛していたことを…
「いいの、もういいの…」
華音は感じている。
本当に大切なもの…
母が教えてくれた。
華音の中にそれはある。
「これからは一緒だ…」
抱きしめる父の力がうれしかった。
「神様との約束だもの…」
華音の瞳から涙がこぼれた 。
温かい光が全てを包んでいた。
「あなたは一体…」
宮司が真魚に声をかけた。
「華音を頼む…」
真魚がそう言った。
「華音の笛は、華音の想いだ」
「そして、母の心だ…」
真魚は宮司にそう言った。
「私が間違えていたのかもしれない…」
「神に仕える身で有りながら、大切なものを忘れていた…」
「伝統を守ることばかり考えて、二人の心を分かろうとしなかった…」
その言葉の中には、二人を許さなかった宮司の心が見えている。
「あなたのおかげです」
「神の心を知ることが出来ました」
宮司が真魚に礼を言う。
「引き合わせたのは、母の風音だ…」
「あの子が…」
真魚の言葉に、宮司は声を詰まらせた。
「島であの笛の音を聞かなければ、華音に会うことはなかった」
「まだ時間は残されている…」
真魚はそう言って、華音を見ている。
「あの子の母親の分まで大切にいたします…」
宮司の瞳には傷を負った父と子の姿が映っていた。
「神との約定は違えられぬぞ…」
真魚はそう言って笑っていた。
続く…