空の宇珠 海の渦 第五話 その六十四
新しい大地。
蝦夷の新しい大地にいた。
紫音は、皆と力を合わせて家を作っていた。
男たちは生きて帰って来た。
中には命を落とした者がいたが、ほとんどが生きて帰って来た。
その中に阿弖流為と母礼の姿はなかった。
だが、紫音は信じていた。
母礼が生きていることを。
かすかに波動を感じていた。
でも、淋しかった。
何処かで寂しさをごまかしている自分がいた。
働くことで、それを紛らわしていた。
「し、紫音!」
御遠が、最初に気づいた。
御遠が指さす方向を見た。
駆けだした。
涙が溢れた。
止まらない。
止まらなくていい。
紫音は走った。
「母礼!」
生きていた。
母礼の胸に飛び込んだ。
飛び込んで泣いた。
その鳴き声が、村中に響いている。
母礼は紫音を抱きしめた。
その温もりがうれしかった。
それは紫音も同じだった。
「嵐に乗った…」
「ほんと!」
「大地を見た!」
「紫音の言った通りだった!」
母礼の手が紫音の頬を撫でる。
「光が蝦夷を導いたのだ…」
「うん!」
母礼の声が響いている。
紫音はそれだけで幸せであった。
「俺と蝦夷の未来を創ろう!」
その言葉の波動が、紫音の心に染みこんでいく。
もう一度、紫音は母礼に抱きついた。
「大好き!」
紫音は、全ての想いをその言葉に込めた。
その様子を村の外れから見ていた。
「良いのか?」
子犬の嵐が聞く。
「お主こそ良いのか?」
「紫音は会いたいはずだ…」
真魚が逆に聞く。
「これで良いのだ!」
嵐が言う。
「蝦夷の未来はこれからだ…」
真魚が言う。
「それにしても苦労したぞ!」
嵐は少し機嫌が悪かった。
「何の事だ…」
真魚は知らぬふりをする。
「お主が姫となにしている間だな…」
「屍を掘り起こし、石を背負って、空から突っ込み、二人を助ける」
「これが神の仕事か?」
嵐はなにげに自慢しているのである。
「紫音が喜んでいるではないか…」
真魚が事実を言った。
「お主のおかげではないのか?」
それも事実だ。
「お主にしかできぬ仕事ではないか!」
真魚に改めてそう言われると、嵐も調子がでてきた。
「そうかな~」
「それでだ、真魚!」
嵐が革まって言う。
「何だ?」
「あれだ、ほら、前回の姫の…」
「何のことだ?」
真魚はわざと分からないふりをした。
「だから、あれだ!」
「ある!」
真魚が見かねてそう答えた。
「そーじゃろ!そーじゃろ!」
「仕事を頼んでおいて手ぶらというのも気が引けるじゃろ!」
嵐にはそれだけで十分なのである。
「俺は…どうでも良いのだが…」
真魚は、そんな風には思っていない。
「どうでも良くない!」
嵐が本音を明かした。
「お~い!」
声がした。
とても聞き覚えのある男の声だ。
「奴ら、今頃のこのこ来おってからに~」
「お主ら何をしておったのじゃ!」
嵐が怒っている。
「急いで帰ったのだが、誰もいなかったのじゃ」
前鬼が言った。
「真魚殿の棒だけ!」
後鬼が言った。
「少しは心配したのじゃ」
「真魚殿の血の臭いも残っておったし…」
後鬼は開き直っている。
「仕方ないから温泉につかっておった…」
後鬼が言った。
「温泉だと!いい身分だな!」
嵐が嫌みを言う。
「真魚殿に頼まれた事もあったしな…」
そう言って前鬼が真魚に何か投げた。
真魚は片手で受け取った。
「何だそれは?」
嵐には見えなかった。
だから余計に気になった。
「これだ!」
真魚が嵐に見せた。
「何だ、ただの金ではないか!」
嵐には食い物以外の興味は無いらしい。
「これが、この辺りにはたんまりあるのだぞ!」
後鬼がそう言う言い方をした。
「だから何だ!」
嵐はまだ気づいていない。
「これで…」
「どれだけの食い物が買えると思っているのだ?」
真魚が嵐に言った。
「そ、そうか!お主はそれを探していたのか!」
「これだけではないがな…」
真魚は嵐の言葉に呆れていた。
「それで、それをどうするのだ?」
嵐が珍しく興味をもったらしい。
「食い物は買わぬのか!」
「唐に行く」
真魚が言った。
「なんだ、食い物は買わぬのか!」
嵐が不満そうに言う。
「だが、まだ少し先の話だ」
真魚がそう言って空を見た。
『全くお主という奴は…』
美しい声が警告する。
「もう奴らは死んだことになっている」
『勝手な奴め…』
「これは俺の未来だ」
『変わらぬな…』
美しい声が呆れている。
「俺の未来は俺が創る!」
それ以上、何も聞こえてこなかった。
第五話 完