空の宇珠 海の渦 第五話 その六十三
陽が昇るにつれ明らかになった。
そこは血の海であった。
その凄惨さが人々の目を背ける。
焼け焦げた服と、人らしき肉片が異臭を放っていた。
田村麻呂はその場に膝をついた。
「すまぬ…俺は…約束を果たせなかった…」
田村麻呂は、しばらくその場から動けなかった。
焼け焦げたものの中に紫音のお守りがあった。
だが、田村麻呂はその事に気づいていなかった。
後に、田村麻呂は帝に事実を報告した。
「処刑として記録を残しておけ」
帝はそれだけ田村麻呂に言った。
その後の記録には、阿弖流為と母礼は処刑されたと記述されている。
また、田村麻呂の進言により、蝦夷討伐が中止されることになる。
財政難が原因とされてはいる。
だが、そこには田村麻呂の巧みな意図が感じられるのである。
「人と金をかけるなら、良いお話があります」
「戦ではなく奥州に眠る金を掘り出すのが得策かと存じます」
「その話は安殿から聞いておる」
安殿親王は帝に手を回していたらしい」
「城柵にいる労力がそのまま使えるかと…」
「逃げた蝦夷は新たな城で防ぐ策がございます」
「阿弖流為、母礼が亡き今となってはそれもご心配には及びません」
田村麻呂の策は少しの綻びもなかった。
「一石二鳥という訳か…」
「では、そうするがよい」
この後、奥州は黄金の地として名を馳せる。
唐に貢ぐ金も、心配がなくなったはずだ。
大量の金が外国に渡り、倭の国は黄金の国と呼ばれることになる。
平安末期には奥州藤原氏が栄える。
全ては金が見つかったからだ。
この鉱脈を見つけ出した者が、誰だったのかは定かではない。
だが、それだけの知識を有した者であることは間違いない。
満月の夜であった。
虫が鳴いている。
燈台の明かりに虫が集まってくる。
田村麻呂は、自室で書物を読んでいる。
その背中に気配を感じた。
「これを返しに来た」
その声に助けられた。
田村麻呂はそう思っている。
「生きていたのか」
田村麻呂が振り返った。
真魚が立っていた。
真魚は持っていたものを投げた。
「お主が持っておったのか…」
田村麻呂は難なく受け取った。
黒漆大刀。
「帝に知られる前に返しておかぬとな…」
真魚は笑っていた。
「だが、これはあの時…」
田村麻呂はそれを見て言った。
「その心配はない、神の怒りに触れたのでな…」
「神の怒り…雷のことか?」
田村麻呂にかすかに残る記憶。
「今度は雷におびえるかも知れぬな」
「お主、俺をからかっているのか?」
田村麻呂は冗談だと思っていた。
だが、後にこの刀は雷が鳴ると鞘が走ることがあったという。
「お主に言っておかねばならない」
真魚は、田村麻呂にその旨を告げた。
そして、いつの間にか姿を消していた。
それを聞いた田村麻呂が泣いていた。
「どこまで俺を苔にする気だ…」
涙を流しながら笑っている。
その微笑みは安堵感で満たされていた。
側に置いてあった酒を杯に注いだ。
「今宵の月は美しい!」
田村麻呂は酒を口に含んだ。
「今宵の酒は格別だ!」
そして、また杯に酒を注いだ。
続く…