空の宇珠 海の渦 第五話 その五十九
田村麻呂が目覚めた時には、黒い龍が暴れ回っていた
離れた場所から、失われていく生命を感じ取っていた。
無力であった。
この黒龍の前では、倭の力など無に等しい。
「わかっていたのか…佐伯真魚」
田村麻呂は悔しかった。
自分の無力さを恥じた。
突然…
光が弾けた。
雷のような爆音が轟いた。
その光と共に黒い龍が消えた。
突風が大地を駆け抜けた。
「どういうことなのだ!」
田村麻呂は導かれるように、龍が消えた場所に歩いて行った。
多くの屍を見た。
それは全て自分に関わりがある。
自分はこうして生きている。
あの時、真魚が来なければ、あの龍に…。
「生かされたのか…俺は…」
真魚との約定は、まだ果たしていない。
田村麻呂はそう感じた。
よく見ると屍と思ったものは動いていた。
「い、生きているのか!」
田村麻呂は近寄って身体を揺する。
多くの者達は生きている。
だが、動けない。
絶望の淵を覗いた者達だ。
「待っておれ、人を集めてくる…」
―やるべき事が残されている。―
田村麻呂はその場所に向かって行った。
雷鳴がそれを知らせた。
阿弖流為は、その爆音で異変に気づいた。
突風が大地を揺らした。
「龍が消えた…」
「どういうことなのだ!」
母礼も驚いていた。
「行くぞ!」
阿弖流為の決断は早かった。
母礼と龍が消えた場所に馬を走らせた。
雨が止んでいた。
その頃には川の水も大分引いていた。
浅瀬は幾つかある。
渡れる場所を探して渡った。
多くの者が倒れている。
ほとんどが倭の兵だ。
生き残った蝦夷の兵は、新しい大地に向かっている。
そういう手筈だ。
「闇を見たのか…」
阿弖流為はそう感じていた。
「それはどういうことだ?」
母礼にはわからない。
阿弖流為は、以前にあった事を母礼に話した。
「そういうことがあったのか…」
それで、全てに納得がいく。
真魚がこの地に来た理由も、わかるような気がした。
大地の上には、何も残っていない。
黒龍の爪痕は、大地を無残に引き裂いていた。
「ここにいれば…命はなかったであろうな…」
母礼がそう言って周りを見た。
「あれは!」
母礼が何かを見つけた。
大地に一本の棒が立っていた。
真魚の棒であった。
「真魚の…」
二人は真魚の姿を捜した。
しばらく捜し回ったが、見つからなかった。
その代わりに血の跡を見つけた。
大地に染みこんだ大量の血の跡。
残された棒。
何が起こったのかは想像できた。
「生きておればよいが…」
母礼はつぶやいた。
「死ぬはずがない…」
阿弖流為が言った。
「どうしてわかるのだ…」
母礼は、確信に満ちた阿弖流為の言葉が気になった。
「奴にはまだやるべき事がある…」
阿弖流為はそう言った。
「それも、そうだ!」
母礼はそう言って笑った。
阿弖流為の言葉が、母礼を安心させる。
そうだ、死ぬはずがない。
母礼は素直に受け入れた。
二人は黙って真魚の棒を見ていた。
続く…