空の宇珠 海の渦 第五話 その四十九
目の前に倭がいた。
圧倒的な量で蝦夷に迫る。
その数、数万。
だが、そのほとんどが歩兵だ。
前方は槍、その後ろは弓、そして騎馬兵。
田村麻呂は、少し離れた丘の上に陣取っていた。
一方、蝦夷は千ほどであったが、ほとんどが騎馬だ。
弓と矢、そして腰には蕨手刀を携えている。
太陽が南から少し西に傾いた。
真魚は嵐と共に西側の丘の上で見ていた。
「真魚よ、さすがにこの数は不利ではないか?」
嵐が真魚に言った。
「数は問題ではない、質だ」
「質とは何だ!」
「そのものが持つ力だ」
「なるほどな…」
嵐は考えた。
「そうするとお主は、蝦夷が対等かそれ以上だと考えているのか?」
「そうだ、だが…」
「だが、なんじゃ?」
「未来は常に変化している」
真魚はそう言った。
「予測は不可能だと言うのか?」
「未来は総意だ、皆が摘み取った結果だ」
「全ての総意を測ることは難しいのか…」
嵐はそう感じた。
雲が出てきた。
「一雨あるのか…」
真魚が眉を顰める。
雲に太陽が隠れた。
光が遮られ気温が下がる。
風が吹いた。
その風が蝦夷の大地を走り抜けた。
それが合図だった。
うおおおおおおおお~
うおおおおおおおお~
雄叫びがこだました。
数万の叫びである。
その波動で大気が震えた。
「嵐!」
真魚が叫んだ。
その声で嵐が飛んだ。
倭の軍は横一杯に広がっている。
どうやら両側から包み込んでいく作戦のようだ。
後ろは川だ。
逃げ場がない。
魚の群れを網で囲い込む。
まさに一網打尽というわけだ。
蝦夷の軍は十ほどの隊列を組んで突っ込んでいく。
矢が飛んでくる。
その矢を避けるように二つに割れた。
そして背を向ける様に、反対側に向かって馬を向けた。
倭の軍は一瞬乱れた。
どちらを追うのか戸惑った。
その時、光が走った。
その光は倭の軍を横一列に薙ぎ払った。
前列の者が全て倒れた。
後ろの者が巻き添えを食らう。
次々に引っ掛かり倒れていく。
死んではいない。
だが、倒れたことで、後ろの者がやられたと錯覚する。
「なんだ!」
「どうなっている!」
「何がおこったのだ!」
一瞬で数千の者がやられた。
そう勘違いしているのだ。
心が乱れる。
不安が広がっていく。
その不安は恐怖へと変わる。
その恐怖はさらに絶望へと変わる。
既に逃げ出すものも出てきた。
倒れた者を踏みつけながら向かう者もいる。
統制が全く取れなくなった。
「これでいいのか?」
真魚の元に戻った嵐が言った。
「上出来だ!」
「これで阿弖流為はやりやすくなったはずだ…」
真魚は笑っていた。
阿弖流為が後ろを振り返って見ると、倭の軍が乱れていた。
「なんだ?」
何かが起こった事は間違いない。
「行くぞ!」
阿弖流為のかけ声と共に、再度隊列が反転する。
円が二つ交差する様に逆方向に向かう。
そして馬に乗ったまま矢を放つ。
その矢は高い確率で倭に当たる。
そして、悲鳴が上がる。
その悲鳴が更に恐怖を増幅させていく。
数に勝る倭が、明らかに押されている。
蝦夷の隊列はまた倭の軍の前で背中を向けた。
二つの円が交わりながら踊っていた。
その舞に倭の軍が翻弄されていた
「阿弖流為、なかなかやりおる」
田村麻呂は笑っている。
倭にとっては、この程度は折り込み済みだ。
だからこの数なのだ。
何人倒されようが一人ずつ蝦夷の兵を減らす。
それがこの数の戦いなのだ。
「倭の網を食い破るのか、阿弖流為…」
田村麻呂はまだ、阿弖流為の作戦に気づいてはいなかった。
続く…