空の宇珠 海の渦 第四話 その三
壱与を背負ったまま、真魚は軽々と山を下りていく。
「一つ聞いていい?」
壱与が真魚に話しかける。
「なんだ」
真魚は素っ気ない。
「おじさんは一体何者なの?」
「ただのおじさんじゃないよね」
「どういうことだ」
「その霊力、私、あなたのような人は初めてよ」
壱与はわざと、真魚の耳元でささやいた。
「わかるのか?」
真魚は素っ気なく言う。
「身体が熱くなる」
壱与は真魚に回していた腕に力を入れた。
「殺す気か?」
真魚は笑っている。
「そんな気があるならもうやってる」
壱与は恐ろしい言葉をさらりと言う。
「だろうな…」
真魚は面白くてたまらない。
「あなたが初めてよ」
壱与が言った。
「その力、俺の為に使う気は無いか?」
真魚は、壱与の何を求めているのだろう。
「面白いかもね…」
二人の会話は、時を超えている。
「決まりだ…」
真魚は、背中の壱与を肩越しに見た。
壱与の身体が急に重くなったからだ。
壱与は既に夢の中…
愛くるしい顔で眠っていた。
『そんな小娘が好みか?』
その美しい声は真魚の心にしか届かない。
「おそらく何百年に一度の力だ…」
『それだけか?』
「それ以外何がある…」
その答えは聞こえてこなかった。
村に近づいた。
途中で壱与を起こし、村の場所を聞いた。
それから壱与はまた眠った。
その村は山を背にした丘の上にあった。
山を背にして棚田が扇型に広がっている。
人家はその奥の方のかたまっている。
「ほう」
村の入り口で真魚が思わずつぶやいた。
五、六人の子供達が遊んでいた。
「壱与どうしたの?」
一人の女の子が真魚に話しかけた。
その声で壱与も目が覚めた。
「お、下ろして!」
顔を赤らめて足をばたつかせた。
「歩けるのか?」
「歩くのよ!」
真魚の忠告を無視しても、この場の空気から逃れたい。
知らない男の背中にいることが、今の壱与にとって何よりも耐えがたいのだ。
しかし、そんな風に思っているのは壱与だけで、子供達は逆に心配している。
「痛っ!」
強がりは言ったものの、壱与の足は相当重傷のようだ。
「無理するな」
そう言うと真魚は壱与を抱き抱えた。
「きゃああああ」
壱与は悲鳴を上げて顔を赤らめた。
子供達は笑っていた。
「壱与姉ちゃん真っ赤っか~」
壱与は観念した。
歩けなくても早くこの場から立ち去りたい。
「家はどこだ」
真魚が壱与の心を見透かす様に聞いた。
「この道の一番奥」
真魚は壱与を抱き抱えたまま、道を進んで行った。
途中、何人かの村人に会った。
そのたびに、壱与は真魚のことを説明することになった。
真魚だけで村に入れば、不審な男と思われても仕方が無い。
壱与は真魚が不審者ではないと説明しているのである。
真魚に取っては有り難いはことなのだが、
壱与の想いはそうではない。
『自ら望んでこの恥ずかしい状況を作ったのではない!』
そう言いたいだけなのである。
壱与の言う方向に進んでいくと小さな祠が見えた。
山からの清浄な水が直ぐ側を流れていた。
「誰がやった…」
祠を見た真魚が壱与に聞く。
「わたし…」
壱与が言った。
「真魚はすごいね」
いつの間にか名前で呼んでいた。
その言葉の中に、ある種の尊敬と安らぎが含まれていた。
「この村が好きなのよ」
「それならいい」
知っていなければならないことがある。
その一方で、知らなくても良いことが存在する。
だが、真魚と壱与にはそのどちらも存在しない。
言葉だけではない。
それを楽しんでいる。
真魚と壱与にしかわからない真実が存在する。
壱与の家は祠から直ぐの場所にあった。
集落の一番奥まった所だ。
他の家よりも大きい。
どうやら村の長の娘らしい。
真魚は瞬時に状況を把握していく。
この時代、裕福な貴族でも無い限り、住居や服装は粗末なものであった。
竪穴式住居、貫頭衣が一般的であったであろう。
地面に二つの柱を埋める為の穴を掘り、そこに柱を立てる。
この二本の柱の距離が家の大きさを決める。
その柱に梁を持たせ、斜めに竹や丸太を立てて屋根の土台を作っていく。
それにカヤやススキを葺いて屋根にする
家の中に土や粘土で竃を作り、煙を出すための煙突も備えていた。
壱与の家も例外ではない。
「ここでいいわ」
そう言うと壱与は真魚から降りて歩いた。
「もう治ったのか?」
真魚は念のために聞いた。
「わかっているくせに…」
壱与はその言葉に逆らうように言って見せた。
「あなたは本当に面白い人。」
今度はおどけてみせる。
「そして、す・ご・い・ひ・と」
女としての顔を覗かせる。
コロコロと万華鏡のように変わる。
それはある意味、真魚も同じだ。
とらえどころがない。
常人には理解出来ないと言う方が、表現としては正しいのかも知れない。
そういう意味で、真魚と壱与は良く似ていた。
壱与の家の周りは畑になっていた。
一つの家が食べる分には十分な広さがあった。
その中に混じって薬草も見える。
食べられる野草や、傷の治療をする薬草などの知識を真魚は備えている。
「こんなものまで…」
真魚は一つの草に目が止まった。
幻覚作用を及ぼす植物である。
それがあるということで、壱与の家が特別な存在であることを確信する。
「まあ当然か…」
真魚は感じ取った全て、をわざと言葉にした。
壱与の家は二つあった。
一つは住居に違いない。
もう一つは住居ではない様だ。
その証拠に煙突がない。
外から見えぬようにしているだけと言えた。
ただの器。
そういう風にも見える。
生活の匂いは全くしない。
住居以外に必要な場所、それは祭祀を行う場所だ。
山を背にした村の一番奥、扇の頂点にそれはあった。
しばらくすると家の中から一人の老人が出てきた。
壱与の祖父でこの村の長であろう。
「わたしのおじいちゃんよ」
そう紹介されたが、真魚にはただの老人でないことはすぐにわかった。
「ほほう、これはこれは!」
「壱与が面白い人と言うからどんな人かと思ったら…」
「ほんとに面白い…」
その老人は、真魚を見るなりそう言った。
「儂も長い間生きてはおるが…」
「あんたみたいな人に逢うたのは初めてじゃ!」
老人は興奮していた。
まるで、生き別れた友に再会したようだ。
「これは良い冥土の土産になるわい!」
「それよりも…お礼が先じゃった…」
「壱与を助けてくださったそうで、ありがとうございました。」
壱与の祖父は真魚に頭を下げた。
「いえ、ちょうど通りかかったもので…」
真魚は簡潔に答える。
「ところで、あなたはどういうお方で…?」
「佐伯真魚と言います」
真魚にしては珍しく丁寧であった。
「ほほう、佐伯氏の真魚殿…はて何処かで聞いたような気もいたしますが…」
「それで、あのような場所に何をしに行かれたのでしょう?」
いきなり思いもしない質問を受けた。
老人は真魚の行動を知りたいらしい。
「少し調べものを…」
真魚は率直に答える。
「調べもの…と言いますと…」
老人は更に尋ねる。
「土です」
真魚が言った。
「ほほう、土とな…」
「真魚殿は、神の山と呼ばれている理由が…分かっておられるようですな。」
この老人は、真魚の考えが分かっていた。
「ただ者ではないと思ってはいましたが…」
「そちらの面でも、ただ者ではないという事でしょうか?」
老人はそちらの面という言葉で核心を濁す。
「ただの変わり者ですよ…」
真魚はそう答えた。
「変わり者ですか…」
「これは、やられましたな…」
「まあ、あんたのような人は、倭の国を探しても、そうはおりますまい…」
さすがは壱与の祖父である。
その血は確実に壱与にも受け継がれている。
「どうですか、少し休んでいきませぬか…」
老人は真魚が気に入ったらしい。
「いえ、先を急ぎますので…それは又の機会に」
「またの機会とな?」
老人は不思議そうな顔をした。
「壱与と約束しました」
真魚の言葉で老人は壱与をにらみつける。
「壱与、またよからぬ事を考えておるのではなかろうな!」
壱与は過去にも何か事件を起こしたらしい。
「いえ、この話は俺が壱与にお願いしたのです」
真魚の言葉に老人は怪訝な表情を見せる。
「ほう、真魚殿と壱与が…」
「面白い話じゃが、事によっては見過ごす訳にもいかんな…」
老人はこの二人で何が出来るのか、おおよその見当はついているらしい。
「是非あなたにもご協力頂きたい」
真魚は老人にそう告げた。
「儂にも協力せいと!」
一瞬、天を見上げた。
「これは面白くなってきたわ!」
老人はそう言って笑った。
「一つ伺いたいのだが…」
真魚が急に真剣な面持ちになった。
「なにか?」
真魚のその表情で老人は何かを察した様だ。
「これぐらいの銀色の子犬を見ませんでしたか?」
真魚は手で嵐の大きさを示した。
「知ってる!私知ってるわ!その子犬!」
壱与が声を高めた。
「その子犬についていったのよ!」
「それで木の根に挟まったの!」
「あの子犬、中に何かいるでしょ?」
壱与は嵐の中身まで見抜いていた。
「なるほど、その子犬を探して…」
老人は事の次第が見えたらしい。
「俺の連れがいる」
真魚は嵐との関係をその言葉で伝える。
「人ではないわよね」
壱与の問いは答えでもあった。
「壱与が感じたそのものだ」
真魚は壱与の力に感心していた。
「人ではないものですか…」
老人もうすうす気づいている。
「あいつの封印は俺しか解けぬ、子犬のままの姿では危険なのだ」
真魚は嵐の今の状態を伝えた。
「危険を冒してまでもしなければならないことがあった…」
老人は全てを理解した。
「しかし、真魚殿、あなたにはその場所がわかるのではないですか?」
この老人はこういう事も分かるのだ。
「おおよその見当は付く、だが、あの山の霊気がそれを邪魔している…」
真魚の答えには焦りが感じられた。
「だから、真魚は私と出会ったんだ」
壱与はその意味を理解していた。
「嵐が繋いでくれたのか」
真魚がつぶやく。
「嵐って言うんだ、あの子犬…」
「面白いわ!あの子犬!思わずついて行っちゃった」
壱与は首を傾けながら微笑んだ。
楽しそうであった。
これから始まるであろう出来事をすでに心象化していた。
真魚は苦笑いした。
壱与の描いた未来が見えたからである。
かわいいが恐ろしい娘だ。
『強い力は和を乱す』
その言葉の意味をかみしめていた。
真魚も同じであるが、周りと協調して生きていくことなどこの娘には出来ない。
見えている世界が違いすぎるのだ。
この世のほとんどが見えないもので構成されている。
だが、ほとんどの人はそのことに気づいていない。
人の部分にたとえれば小指の爪ほどの部分。
これだけが人に見えている。
五感で得られる情報だけが、この世界だと思い込んでいる。
人はそれを全てだと信じる。
脳に刻まれた過去だけを信じ。
過去にすがる事を「生」だと誤解している。
本の中のたった一項だけを読んで…
答えを求め、迷っている。
だが…
大切な事実を忘れている。
刻まれたページは誰が創ったのかということだ。
人は本を読んでいるのではない。
人は本を創り上げているのだ。
壱与はそれを真魚に示した。
真魚の苦笑いは真魚の未来でもあった。
「手伝う!私にもわかるもん!」
壱与は真魚の腕にしがみついた。
「この辺りの事なら真魚よりもよく知ってるわ!」
真魚は心底感心していた。
魔性の女とはよく言うが、壱与はその素質を十分過ぎるほど備えていた。
この時代でなければ、それだけで生きていけたはずだ。
『だらしない奴め…』
その美しい声が、真魚の心に響く。
「俺は狙われている」
真魚は本当の事を言った。
「分かっているわ…」
「さっきから覗かれているような気がするもの…」
壱与はさらりと言う。
真魚は更に驚いた。
「と、いうわけです」
結局、真魚は老人にそう言うしかなかった。
「これは、余興が楽しみじゃわ!」
老人はそう言った。
「やった~」
壱与は無邪気だ。
だが、その無邪気さの奥には固い決意が隠されていた。
続く…