空の宇珠 海の渦 第五話 その四十三
北上を続ける田村麻呂の元に、一人の兵が駆け寄ってきた。
「田村麻呂様、お伝えしたいことがあります!」
「何だ」
「蝦夷の村に人がいません!」
「どういうことだ!」
「女、子供、年寄り、誰一人いないのです」
「負けることを前提に逃げたというのか…」
田村麻呂はそう考えた。
「恐らく全ての村がそうだろう…」
だが、田村麻呂は腑に落ちない。
村を捨てるのであれば、皆で逃げれば良い。
男達は戦いを選び、女子供は逃げた。
これが意味とする事は…
村に男がいないとなれば、無法者達が襲う可能性は否定できない。
だが、それは逃げても同じ事なのだ。
女子供だけで逃げることは、常に危険がつきまとう。
「蝦夷の兵は集まっておるのか?」
田村麻呂はその兵に聞いた。
「はい、千ばかりのようでありますが…」
千ばかり…その言葉が田村麻呂をいらつかせた。
「侮るな、戦は数ではないのだ!」
田村麻呂は兵をたしなめた。
「はっ!失礼しました!」
「分かったら行け…」
田村麻呂の心は晴れない。
この数を以ってしても安心はできない。
兵にとってはこの数こそが心の隙を作る原因にもなる。
先ほどの兵に言った言葉が、田村麻呂の本心である。
「前回は負けたのだぞ…分かっておるのか…」
その事実が田村麻呂の肩に大きくのしかかっていた。
「ありがとう」
村の出口で紫音が言った。
馬に乗って、村の様子を確認してきた。
村の者達はほとんど出た。
最後の確認は、馬に乗れる紫音がすることになった。
紫音は村を見て回った。
涙が出てきた。
人がいない村は死んでいた。
人がいないことでこうなってしまう…。
「村は、人の心で出来ていたのね…」
紫音は改めてそう感じた。
小さい頃から育った村。
それがこうなってしまった。
ここがなければ自分もいない。
だが、ここに縛られれば、皆が死ぬ。
倭の奴隷となって働かなくてはいけない。
そこに働く喜びはない。
喜びがなければ死んでいるのと同じだ。
そこに村人の未来はない。
かすかに残る人の波動。
その波動に閉じ込められた記憶。
皆で笑いながら畑仕事をした。
出来た野菜をみんなで摘んだ。
楽しかった記憶が、紫音の心を揺さぶる。
紫音は涙を手で拭った。
「ごめんね、私、未来をつくらなきゃ…」
人のいない村に謝った。
理由は分からないがそうしたかった。
「みんな、今までありがとう」
そして感謝の言葉を上げた。
風が吹いた。
村の中を通り抜けた。
紫音の感謝の言葉を載せて。
村がその風に吹かれ、音を奏でた。
紫音の瞳から涙が溢れた。
『ありがとう』
紫音には、そう言っている様に聞こえた。
紫音は泣いていた。
哀しいけれど…
うれしかった。
感動していた。
村が背中を押してくれている。
『生きよ!』と言っている。
立ち止まってはいけない!
「みんなありがとう」
紫音は泣きながら別れを告げた。
紫音の心の波動は、更に高い次元へと届いていった。
続く…