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空の宇珠 海の渦 第四話 その二


 


前鬼と後鬼は、一足先にその場所に向かった。

 

 

真魚に焦りはない。

 

 

ただ、嵐が気がかりであった。

 

 


「子犬の躰のままでは、どうすることも出来まい…」

 

 


それは、嵐自身の身の危険をも意味している。

 



 

「もともと行かねばならぬ所だ」

 

 

真魚は大きな力の存在を感じ始めていた。

 


 

「一体、俺に何をさせたいのだ…」

 

 

葛城の峯を下りてから、半日ほど休まずに歩いた。

 

 

食事や給水は歩きながらすませた。

 

 

太陽が南を射す頃、ようやく人が行き交う場所に出た。

 

 

そうは言っても、家が数十軒並んでいるだけで、周りは田畑だ。

 

 


建っている家のどれもが、粗末なものであった。

 

 

それでも人々は懸命に生きていた。


 

その集落の真ん中を小川が流れていた。

 

 

小川に沿って道がある。

 

 

その道に沿って家が並んでいる。

 

 

真魚が歩いていくと、その集落の外れに一本の大木が見えた。

 

 

楠であった。

 

 

樹齢五百年ほどであろうか、それは誇りある波動を辺りに放っていた。

 

 

そして、その木の前に一人の女が立っていた。

 

 

「百済の女か…」

 

 

そこにはふさわしくない女。

 

 

庶民が着られる着物ではない。

 

 

その女は、木に背を持たせて腕を組んでいた。

 

 

誰かを長い間待っている。

 

 

その誰かはいつか現れる。

 

 

だが、そのいつかはわからない。

 

 

女の眼差しは、そう思わせるものであった。

 

 

白い肌、切れ長の瞳、少し薄めの唇が赤い。

 

 

離れていてもその女の色香がわかる。

 

 

貴族の中にさえ、これほどの女はそうそう見かける事はない。

 

 

女は細身の躰をくねらせ、真魚を見た。

 

 

真魚は、何事もないかのように平然と歩いていく。

 

 

真魚と女の距離がどんどん近づいていく。

 

 


もうそろそろか…



女の方が先に動こうとした。



その時!

 


 どおぉぉぉん!

 


 

突然、真魚とその女の間に雷が落ちた。

 

 

真魚と女の間の土が黒い煙を上げた。

 

 


女は驚き腰を抜かした。



その場に座り込んで立てなくなった。


 

 

切れ長の目と赤い唇が、開いたまま閉じなかった。

 

 


それでも真魚は動じなかった。

 

 

この出来事を予知していたかの様に、平然と女の前を通り過ぎた。

 

 

女の背中の後ろで…



白いものが動いたのを真魚は見逃さなかった。

 


 

「何もそこまで…」

 

 

真魚はつぶやいた。

 


 

『あいさつ代わりだ』

 

 

その美しい声は、真魚の意識にそう言った。

 

  

 

「それだけか?」

 

 

その問いの答えは返って来なかった。

 


「どうしたというのだ!」

 

 

女はその出来事を受け入れることが出来なかった。

 

 

その男は突然現れた。

 

 

待っていたと言うべきか、待たされていたと言うべきか…

 

 

どちらにせよ、その霊力は離れていても感じ取れた。

 

 

これまでに、様々な霊力の持ち主と対峙した。



だが、あの男は違った。

 

 

計り知れない力がが存在した。

 

 

引き寄せられた。

 

 

見えぬ力に…

 

 

躰が勝手に動こうとした。

 

 

理由はわからない。

 

 

光と闇。

 

 

陰と陽。

 

 

その渦が生み出す生命(エネルギー)に…

  

 

その瞬間に雷が落ちた。

 

 

あの男ではない。

 

 

だが、あの男は知っていた。

 

 

そうなることを…

 


 

「なんという…」

 

 

去りゆく後ろ姿を見つめていた。

 


 

「なんと、面白い男…」

 


 

女の心に火が灯った。



挿絵(By みてみん)





 

真魚は夕暮れ時にはその場所の近くまで来た。

 

 

しかし、このままでは日が暮れる。


 

いかに真魚と言えども、闇の中をそう易々とは進めない。

 

 

進めなくはないが、それは非常に効率の悪い作業となる。

 


 

「仕方ない、この辺りで寝床を作るか…」

 

 

そこは人里から離れた森。



少し奥にある、沢の側であった。

 

 

深い森の入り口と言って良い所だ。


 

 

真魚の手には棒が握られている。


 

 

その棒で木の枝を払う。

 

 

木の枝はまるで斧か鉈で切られた様に地面に落ちた。

 

 

それらをうまく組合わせ、半球状の木の枝の洞を作った。

 

 

「これで一晩くらいは保つだろう」

 

 

そう言うと真魚は、腰にぶら下げていた赤い瓢箪を取りだした。


 

真魚はその瓢箪の蓋を取った。

 

 

真魚の前に何か現れた。

 

 

それは食べ物であった。


 

その瓢箪の口からは、どのようにしても取り出せない。



そんな大きさの物ばかりであった。

 

 

決して豪華とは言えないが、一人の大人が食べるには十分な量だ。

 


  

真魚は、あっという間にそれらを食べた。

 

 

いつの間にか、辺りには闇が訪れていた。

 

 


木の枝の洞の上に、金色の布をかぶせ、呪を唱えた。



周りの景色と同化し、見えなくなった。




真魚がその中に入ると、その姿も消えた。


 

 

闇の中に、真魚を見つめる二つの輝きがあった。


 


挿絵(By みてみん)




 

真魚は陽が昇ると同時に動いた。

 

 

 

「確かに凄いな」

 

 

霊山と呼ばれるだけの霊気が、その山の地脈には流れていた。

 

 

遙か前の時代から、神の山として崇められてきたのだ。

 

 

その山の丁度裏側にあたる所に真魚はいた。

 



 

裏側と言うのは方角では東側にあたり、



この辺りから他の山の峰々と繋がっている。

 

 

「堂々と表からと言うわけにはいかんのでな」

 

 

真魚はそう言うといつの間に出したのか、例の棒を肩に担いで山を登り始めた。

 

 

真魚は山を登る時、目印として必ず沢の側を登る。

 

 

沢は山の頂上から斜面の傾斜に沿って必ず最短距離を通る。

 

 

滝などで回り道をしない限りは近道になる。

 

 

そして、道に迷いにくい。

 

 

水の心配がいらない。

 

 

但し、道は決して楽ではない。

 


坂を石ころが転げ落ちるのと同じで、斜面の急な方へと水が流れるからだ。

 

 

自ずと行く道は険しくなる。

 

 

だが、この男はそれすらも楽しんでいるかのようだ。

 

 

 

しばらく登った時であった。

 

 

 

真魚は急に立ち止まった。

 

 

 

道が途切れたわけではない。

 


 

「た、たすけて…」

 

 

どこからか人の声がした。

 

 

しかもその声は女の声だった。

 

 

そしてその声は幼い。

 

 

真魚はその声のする方へと向かった。

 

 

沢から尾根側へ回った。

 

 

尾根に出てみると、少し離れた斜面の木の側で女の子がうずくまっていた。

 

 

年は一二才くらいであろうか。

 

 

真魚は急いでその場所に向かう。

 

 

その足音に女の子も気づいて真魚の方を見た。 

 

 

貫頭衣を着ていた。

 

 

髪は後ろで束ねられ、腰の辺りまであった。

 

 

目が大きく愛くるしい。

 

 

だだし、顔は薄汚れていた。

 

 

「どうした?」

 

 

真魚はその女の子に尋ねた。

 

 

「足が…、足が動かない」

 

 

よく見ると、足が斜面の木の根に挟まっていた。

 

 

木の太さは大人が手を広げて三人分ほどだ。

 

 

真魚は、その子の身体ごと足を根から引き出そうとした。

 

 

 

「痛い!」

 

 

女の子は悲鳴を上げた。

 


 

「挟まった時、捻ったか…」

 

 

真魚は持っていた棒を、足が挟まっていない根の部分に差し込んだ。

 

 

そして、すぐ側の別の木の根を利用して梃子(てこ)にした。 

 


 

「動くな」

 

 

真魚は棒を片手で押した。

 

 

 

ゴゴッゴゴッゴ~

 

 

バキバキバキバキ…

 


 

大木が斜面の方へ倒れていく。


 

真魚は素早く女の子を抱え、木から離れた。

 

 

女の子は目をまん丸開けたまま、瞬きもしない。

 

 

驚いていた。

 

 

人が何十人かかっても動くはずがない。



その大木が、この男一人の力で動いたのだ。

 

 

しかも、さほど力を入れた様子もなかった。

 


 

「歩けるか?」

 

 

女の子を抱えたまま、真魚はそう聞いた。

 

 

真魚との顔が近い事に気がついた女の子は顔を赤らめた。

 


 

「わからない、お、下ろして」

 

 

恥ずかしさでそう言うのが精一杯だった。

 


  

「それもそうだ」

 

 

真魚はそう言うと、優しく女の子を下ろした。

 


  

「い、痛い」

 

 

女の子は一度は足を地面に下ろしたが、すぐに引き上げた。

 


  

「あっ」

 

 

そこは山の斜面、片足で立つのには無理があった。

 

 

体勢を崩し、斜面を転げ落ちそうになる。



「ああっ!」



その瞬間、真魚の腕がすくい上げた。

 

 

 

「歩くのは無理みたいだな」

 

 

「そうみたい…」

 

 

女の子は諦め、頬を赤らめた。

 


 

「俺は佐伯真魚だ」

 

 

真魚の言葉の響きに、女の子の心がほぐれる。

 

 

「わたしは壱与(いちよ)

 

 

その少女が笑った。



「家はどこだ」

 

 

真魚は聞きながら、この子の持つ波動を感じていた。

 


 

「この山の麓にある出雲と言う村」

 


 

「俺が連れて行こう」

 

 

真魚は微笑んだ。

 


  

「その前に…」

 

 

真魚は壱与を斜面に座らせ、傾いている大木の方に向かった。

 

 

そして、その根に刺さっている例の棒を片手で握った。


 

次の瞬間、根から引き抜いたように見えた棒が消えた。

 

 

 

壱与は自分の目を疑った。

 


 

少し離れてはいるが、壱与にははっきり消えたように見えた。

 

 

大木を動かしたり、棒を消したり、この男は一体何者なのだ。

 

 

夢でも見ているのかとさえ思えてしまう。

 

 

しかし、傾いた大木が夢でないことを物語っている。

 

 

もどってきた真魚に壱与は聞いた。

 

 

「おじさんは術師なの」

 

  

「術師???」

 

 

突然そう聞かれ真魚は面食らった。

 


  

「そうか、それもそうだな」

 

  

真魚は笑った。

 

  

真魚にとって当たり前の事でも、他の人にとってはそうではないのだ。

 


  

地面に生えている生きた大木を動かし…

 

  

棒を一瞬で消す…



しかし…

 

   

それが、佐伯真魚なのである。

 


  

「いくか!」

 

    

そう言うと真魚は座っている壱与に背中を差し出した。

 


 「ありがとう…」

 

 

壱与は真魚の言葉に甘えた。

 

 

そして、真魚の中の途方もない霊力(エネルギー)を感じていた。

 

 

 

「でも、私を背負って山を下りられるの?」

 

 

壱与は少し意地悪な言葉を言ってみた。 

 

 

 

「どうかな」

 

 

真魚のその言葉には自信が満ちていた。

 

 

軽々と山を下りる真魚の背中で、壱与は少しだけ幸せな気持ちになった。



挿絵(By みてみん)



 続く…

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