空の宇珠 海の渦 第九話 魂の鼓動 その二十八
蜻蛉が丘の上から川沿いの道を覗いていた。
草の影に身体を隠し、隙間から覗いている。
「なんだ、あいつ…」
笑いながら歩いている貴族の男。
「全く、呑気な奴だ…」
蜻蛉がその男を見て笑っている。
「しかし…あいつ…」
そう思いながらも気になる。
幸せそうな貴族…
それが蜻蛉は気に入らない。
「どこに行くつもりだ…」
笑ったままでどこに行くのか?
蜻蛉はそれが気になり始めた。
「面白そうだ…」
それだけの理由で、後を付けることにした。
笑ったまま歩く貴族の男…
それは綾人である。
「たしか…こっちは出雲邑のはず…」
蜻蛉は見つからぬ様に距離を取った。
「女か?、まさかそんなはずは…」
貴族と庶民…
それが結ばれることはないだろう。
綾人は付けられているとも知らず、ご機嫌で歩いている。
今の綾人にとっては、出雲邑は天国に違いない。
その笑みが消える事はなかった。
そのまま、半刻ほどで出雲邑に入った。
「やはり出雲邑か…」
蜻蛉は、入り口の手前で足を止めた。
これ以上、近づく事は出来ない。
「こんにちは!」
綾人が浅葱を見つけた。
「綾人、また来たの?」
浅葱が呆れている。
稲刈りを手伝う浅葱。
その横にいる男…
「あれは!」
「鹿牟呂!」
蜻蛉はとうとう鹿牟呂を見つけた。
「こんな所にいたとはな…」
蜻蛉は笑みを浮かべる。
蜻蛉は木の陰に隠れて、しばらく様子を見ることにした。
「今日はみんなで稲刈りよ!」
浅葱が綾人に言う。
「壱与様に用があるんだけど…」
「壱与もその辺にいるはずよ!」
浅葱が綾人に言った。
「ありがとうございます」
綾人は浅葱に礼を言うと、壱与を探しに行った。
身分的には綾人が上のはずである。
しかし…
浅葱と綾人を見ていると、立場が逆のようである。
「浅葱、今のは誰だ?」
鹿牟呂が浅葱に聞く。
「あの大きなお屋敷の使いの方よ…」
浅葱は、鹿牟呂に言った。
「あのお屋敷って…」
鹿牟呂が首をかしげる。
「ほら、あっちの大きな…」
「お父さんも知ってるでしょ…」
浅葱が指を指した。
指を指した先に蜻蛉がいた。
蜻蛉は思わず木の陰に姿を隠した。
「いま…父さんと言ったか…」
はっきりとは聞き取れない。
しかし、唇の動きでおおよそのことは分かる。
「娘がいると言う事は、ここで暮らしている…」
「ここから動かぬと言う事か…」
「あの馬鹿な貴族に、礼を言わなくてはな…」
貴族を良くは思っていない。
蜻蛉の言葉からはそれが窺える。
「これだけ分かれば十分だ…」
蜻蛉はそうつぶやくと、元来た道を戻って行った。
次回へ続く…