空の宇珠 海の渦 第九話 魂の鼓動 その十九
「嵐!真魚!」
その姿を見て壱与は走り出した。
「あれが…壱与か…」
嵐の足が止まった。
しかし、壱与は止まらない。
「嵐!」
壱与は膝を地面につけた。
「会いたかった!」
壱与は嵐を抱きしめた。
「おい、俺は神だぞ…」
壱与の涙が嵐を濡らしている。
頬ずりする壱与に嵐が言った。
「人はすぐ大きくなるからかなわん…」
大人になった壱与に嵐が照れている。
「嵐…会いたかった…」
壱与はしばらく動かなかった。
「こんな感じなの?いつも…?」
それを見た浅葱がつぶやいた。
こんな壱与は浅葱も見た事がない。
絶対的な霊力…
その奥にある絶対的な孤独。
嵐の波動と一つになる。
それでしか癒やされない。
尊い時が流れる。
「真魚も久しぶりね…」
顔を上げた壱与が言った。
壱与の孤独を知る唯一の存在。
「大きくなったな…」
真魚がそう言って微笑んだ。
あれから数年…
壱与は大人の女性になった。
「浅葱が案内してくれたの?」
「まぁ、成り行きというか…」
山で助けられたなんて、この状況では言えない。
「こちらは…」
浅葱の後ろに立つ見知らぬ男…
「例の、その、あの…」
浅葱には言葉が見つからない。
「私は綾人と言います…」
「壱与様にお話があって…」
「私に?」
壱与がそう言った時であった。
「ああ…」
「美しい女の人が見える…」
綾人の心の断片…
壱与はその心象を見たようである。
「でも…この方…」
壱与の顔が翳りを見せた。
「女の人…」
綾人はその女性が巴御前だと確信した。
だが、どう説明したら良いのか分からない。
「まぁ、とにかくうちで休んで…」
「話はそれからでも遅くないでしょ…」
「それに…」
「お腹空いてるでしょ?」
壱与は嵐を見た。
「やはり、俺のことを一番分かるのは、壱与じゃな…」
壱与にも会えた。
飯も食える。
嵐はこの日一番、幸せであった。
大きな屋敷の濡れ縁で、巴御前が庭を見ていた。
池の水面に映る雲が動いていく。
「壱与…」
どうしてなのかはわからない。
その名前を聞いた時から、胸の鼓動が止まらない。
「できる事なら…」
今すぐにでも飛んで行きたい。
その言葉を胸に仕舞った。
「ここから、三諸山まではすぐなのに…」
巴御前が山の方向を見た。
「綾人…」
その名を言った時…
一人の女性の姿が、目の前に現れた。
「あなたは…」
巴御前が手を伸ばす。
手が触れる寸前…
その姿が消えてしまった。
「壱与…」
失われた古の記憶…
今存在する確かな記憶…
それを繋ぐその名の響…
「壱与…」
確かにその姿が見えた。
「あなたなの…」
高まる鼓動…
巴御前はその胸を押さえた。
三諸山の方を見たまま…
気がつけば…
その手に涙が落ちていた。
次回へ続く…