空の宇珠海の渦 第八話 神の血族 その三
「一か八だ!」
女は、大きな波動を目指して走った。
その後ろに、追っ手が迫る。
女が懸命に走る。
その前に、人影が見えた。
一人の男と、一匹の子犬。
女が剣を構えた。
「ほう…」
真魚が笑みを浮かべた。
「なんじゃ、もう始まっておるぞ…」
嵐が残念そうに言った。
女は、真っ直ぐに真魚に向かう。
「待て!」
真魚が、身体の前で右手を広げた。
「あっ!」
何かに押されて、女が止まった。
女を抜けて行く波動。
その心地よさに、女の心が揺れた。
「な、何者なのだ…この男…」
驚きのあまり、動けなくなった。
女は、追われている事を忘れた。
「あれを、見てみろ…」
真魚の言葉で、振り向いた。
追っ手の二人が、刀を交えていた。
そこに纏わり付く黒い影…
見えぬ恐怖と戦っている。
膨れあがる畏れと不安…
互いの見ているものは、現実ではない。
「何をした…術か…」
真魚が女に聞いた。
「術ではない、儀式の時に使う薬だ…」
女がそう答えた。
「お主、女のくせに、男のなりをしておるのか?」
足下から声が聞こえた。
「えっ…」
女が足下の嵐を見た。
「先に言っておく、俺は神だ!」
「ええええっ!」
女が、目を見開いて驚いた。
「い、犬が喋った!」
そして、言ってしまった。
言ってはならぬ言葉。
「馬鹿かお主は!」
「犬ではないと、先に言っておろうが!」
嵐の怒りを、女は受けた。
「神だと…」
女は信じられない。
「今に分かる…」
真魚が笑みを浮かべた。
仲間同士で戦うふたり。
その周りが、黒くぼやけて見える。
そこに、もう一人の男が来た。
「何をしている!」
止めに入ろうとしたが、男にも刃が向かう。
「来るな!消えろ!」
そう叫びながら見えぬ敵と戦っている。
「恐ろしい薬だな…後鬼が喜びそうだ…」
真魚が笑みを浮かべた。
その瞬間。
浮かんでいた黒いものが、集まり始めた。
渦巻く、深く大きな黑。
「来たか…」
嵐が舌なめずりをした。
「何、この感じ…」
女は既に気付いていた。
一度固まった黑が、急に広がった。
追っ手の上に大きな黒い玉が出来た。
「何だ…あれは!」
女の身体が震えていた。
吸い寄せられる…
甘美な恐怖…
それを身体が拒んでいる。
理屈ではない。
そこにあるのは事実だけだ。
そして、もうひとつ…
その事実には、女はまだ気付いていなかった。
続く…