空の宇珠海の渦 第七話 揺れる心 その二十二
宿坊に、真魚が座っていた。
戸が開け放たれ、光が射しこんでいる。
その前に、明慧と慧鎮が向き合っている。
「桔梗と薺…二人の姉妹か…」
「そして、明慧の母か…」
真魚に驚く様子はない。
「桔梗とやらは、亡くなっているのか…」
真魚は慧鎮に聞いた。
「はい、それで明慧が預けられました…」
慧鎮が真魚に答える。
「それは、いつ頃の話だ…」
「明慧が三、四歳頃のことです」
真魚は、慧鎮の答えを聞いて考えていた。
「貴族の生まれか…」
真魚はそう感じ取った。
「この話は明慧も知りません」
「そうだろうな…」
真魚がそう言いながら明慧を見ていた。
明慧は慧鎮の言葉に、口を開けたままだ。
自らの出自を初めて耳にした。
明慧にはかすかな記憶だけが残っている。
それ以外は何も知らなかった。
「石上、布留の宮に関わる貴族か…」
「おわかりでしたか…」
真魚の導き出した答えは慧鎮を唸らせた。
真魚がふと外に視線を向けた。
同時に、眠っているはずの嵐が顔を上げた。
「おい!明慧!」
嵐が明慧に言った。
「俺にこの寺を案内しろ!」
「い、今ですか?」
明慧は、真魚と慧鎮の話を聞きたかった。
自分の事をもっと知りたかった。
「そうだ、今だ!」
しかし、嵐の妙な申し出を断る理由もない。
「仕方がございません…」
明慧は残念そうに立ち上がった。
「お主は分かっておらぬ…」
「この話はいつでも聞ける…」
嵐が、鼻先で寺の奥を指した。
「えっ?」
見えない明慧が、嵐の動作を感じ取った。
嵐が放つ波動。
明慧は、それを追いかけるように、無意識に心の羽を広げていた。
「何…」
その感覚に明慧が戸惑った。
その時は突然やってくる。
それまでは、何も変わらない。
嵐の波動が、明慧の器を揺すった。
その瞬間、何かが溢れた。
明慧にとって今がその時であった。
「ほう…」
真魚が笑みを浮かべた。
「あっ…」
明慧が何かを感じた。
その方向を見た。
「薺…」
「本当に…薺なの…」
明慧は目に涙を浮かべていた。
明慧は慌てて宿坊を出た。
自ら広げた羽が、あるべきものを伝えてくれた。
「なかなかやるではないか…」
そう言いながら、嵐が明慧の後を歩いていた。
慧鎮は驚いていた。
その状況に驚いたのではない。
自らの感覚に驚いたのだ。
「明慧の波動だ…」
真魚が、慧鎮を見て笑っている。
慧鎮が感じたものは明慧の波動であった。
明慧が広げた心の羽。
その一部を慧鎮が感じたのだ。
「もともと…」
「お主らは繋がっておるではないか…」
真魚がその事実を告げた。
真魚の笑みが、慧鎮の心を揺さぶった。
慧鎮は、意味も無く畏れた。
真魚を、恐ろしいと感じた。
「佐伯様には、何も隠すことができないのでしょうか…」
諦めたように慧鎮は言った。
続く…