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空の宇珠海の渦 第七話 揺れる心 その十九





慧鎮は書斎で写経をしていた。

 


写経は、寺院にとって大切な仕事であった。

 


この時代、写経以外には経を増やす方法が無い。

 


無いものは借用し、写経するしか無い。

 


後に空海と最澄が経の借用を巡って、破談している。



 

般若理趣経。

 


その中の十七清浄句は、生命(エネルギー)の交歓について書かれている。


 

生命を知らぬ者は誤解して受け取るだろう。

 



だが、それを知れば、文字の裏に隠された事実が見える。

 



真実に触れようとしない最澄。

 


それに、空海が呆れ果て借用を断った。

 


この事実は、最澄が生命に触れていないという事実を、浮き彫りにしている。




だが、これはまだ少し後の話である。





挿絵(By みてみん)




明慧が庭を掃除している。



 

目は見えぬが、箒の感覚と音で何があるか分かっている。

 



「明慧…」


 

慧鎮は、その仕草を不自然だと感じた。


 

楽しそうに一人で喋っている。

 


そうだと、思い込んでいた。

 



「まさか…」

 


慧鎮の中にある、不安が広がる。

 


今は亡き明慧の母。

 


その姿を思い浮かべた。

 



「桔梗…」



慧鎮はふらふらと立ち上がり、蔀戸をくぐった。


 

何かに導かれる様に濡れ縁に立った。

 



「き、桔梗なのか…」



慧鎮はその目に、涙を浮かべていた。

 



 

「慧鎮様?どうかなされたのですか?」



濡れ縁に呆然と立つ慧鎮に気がついた。

 


だが、明慧に慧鎮の涙は見えていない。

 


見えたとしても、涙の意味は知らない。

 


慧鎮は涙を袖で拭った。

 



「明慧…今、誰かと話していたか?」



少し震えた声で、慧鎮はその事実を確かめた。

 


それは慧鎮の中に、確信があったからだ。

 



「ええ、薺が今日も来てくれました」

 


「今まで、そこに」




「今までそこに…だと…」

 


明慧の言葉は、慧鎮の不安そのものであった。



明慧の言葉に偽りが無いとしたら、その名は受け入れがたい事実だった。

 



「慧鎮様、今日はおかしいですよ…」



「薺の話は、前からしていたではありませんか…」



明慧はその事実を慧鎮に告げた。

 



「そうだ…聞いていたな…」



慧鎮の目から涙が溢れている。

 


自らの行いを悔いている。

 


数年前から、この寺に来るようになった。

 



だが、姿は一度も見ていなかった。 

 



慧鎮は実在する者とばかり考えていた。

 



「桔梗って…?」



「先ほど慧鎮様が…」



明慧は慧鎮の波動の乱れを感じていた。

 


慧鎮の心が揺れている。



明慧はその波動に、不安を覚えた。




「桔梗は…明慧の母の名だ…」



「そして、薺は…桔梗の妹の名だ…」



慧鎮は濡れ縁に座り込んだ。

 


そして、乱れた心を正そうとした。

 



「そ、そんな…」



明慧は、母の名を知らされていない。




「私は幼き頃、薺様にお世話になりました」



そして、明慧を育てたのは薺であった。 



乳母のように、亡き姉の残した命を慈しんだ。




「薺は…反対したと聞く…」

 


「明慧をこの寺に預ける事を…」



慧鎮がその事実を言った。




「出来れば、自分が育てたいとまで…」



「だが、その頃には…」




貴族の女が自由でいられる筈が無い。

 


力のある者と結びつく事だけが、貴族の生き残る道だ。


 

貴族の女はその道具にされた。

 


この時代、貴族の女に自由という言葉は存在しない。

 



「俺には…薺の姿が見えぬ…」

 


慧鎮がその事実を告げた。

 



「そんな…」



明慧は混乱していた。

 



慧鎮の言った事が理解出来なかった。



 

明慧には、全てがあるものだ。


 

だが、慧鎮には薺という少女はいない。




明慧は、その理由が分からなかった。



ただ、その場に立ち尽くしていた。




挿絵(By みてみん)




続く…



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