空の宇珠海の渦 第七話 揺れる心 その九
気がつくと明慧がいなくなっていた。
食事の準備に行ったようだ。
「先ほど山の入り口で女に会った…」
真魚は慧鎮に向き直った。
「美しい女であったが、泣いておったぞ…」
明慧がいなくなったのを見計らって、真魚が慧鎮にその事を告げた。
「それは…」
慧鎮の顔色が変わった
覚えがあると言うことだ。
「だが…」
明慧は言葉が出てこない。
「何か、理由がありそうだな…」
真魚は慧鎮の様子から、おおよその事は感じ取っている。
「生きて…おりましたか?」
慧鎮が真魚に、妙な問い方をした。
真魚がそれを見間違う筈がない。
「人であった…」
真魚はそう答えた。
「そうですか…」
慧鎮は安堵の表情を見せた。
「私が心当たりのある者は、もうこの世にはおりませぬ…」
「それは、明慧の母です」
慧鎮はその事実を真魚に告げた。
慧鎮は、明慧の母の霊だと勘違いしたようだ。
「なるほど…」
真魚はそう言って微笑んだ。
「その女は、誰なのでしょう?」
「私に心当たりは…」
慧鎮は考えてみたが、思い浮かばなかった。
「お主、また何か企んでおるな…」
嵐が、真魚の態度を気にしている。
「佐伯様はおわかりに…」
慧鎮は驚いている。
「あの涙がな…ちょっと気になる…」
真魚はそう言って笑った。
明慧は食事の準備をするために、薪を取りに行った。
薪は寺の小屋に準備している。
そこに取りに行くだけだ。
「明慧、何かいいことがあった?」
後ろから声が聞こえた。
明慧は振り向いた。
そこに、少女が立っていた。
勿論、明慧には見えていない。
「薺、今日も来てくれたの?」
明慧のその言葉から、二人の仲が分かる。
小さな瞳と小さな唇。
髪の長い上品な顔立ちであった。
「滝で光を見たよ、見せてもらったと言う方が正しいかな…」
「見せてもらった…?」
「今、宿坊に佐伯様という方が来ているんだ、その方にさ…」
「ふうぅぅん、佐伯様…ね」
「とにかくすごいんだ!」
「これは内緒の話だけど、慧鎮様も霞むくらいさ」
「そうなの?慧鎮様には、別のお仕事があるんじゃない?」
薺は明慧にそう言った。
「薺は、時々面白い事を言うね、慧鎮様は…」
「薺、あれ?」
明慧は薺の気配を捜したが、見当たらなかった。
「いつも勝手に何処かに行ってしまうんだから…」
明慧は文句を言いながら、薪を持って来た籠に入れた。
「こっそり見てきたけど、佐伯様って意外と面白い人…」
「だけど、あの犬の神は嫌い…」
「薺…嵐様の事が分かるの?」
明慧の側に戻ってきた薺が、意外な言葉を言った。
「嵐様は悪い神様じゃないよ、きっと」
「佐伯様と一緒にいるんだから…」
「俺に光を見せてくれた方だ」
明慧は、うれしそうにその光を抱きしめていた。
「よかったね…」
薺はそう言うと、また何処かに消えた。
続く…