空の宇珠 海の渦 外伝 無欲の翼 その二
「お主が言った通りじゃな…」
子犬が、真魚に言った。
「おい、今なにか言ったか?」
少女が発する言葉は、男の様に勇ましい。
「どこをむいておる!」
子犬が言った。
ただの犬ではない。
だが、喋る事ができるなど誰も思わない。
真魚が黙って足下を指さした。
「お主、面白いものを飼っておるな…」
子犬が少女に向かって言った。
「い、犬が…喋った…」
少女の口が開いたままだ。
頭の中で状況を整理している。
だが、間に合っていない。
左手を上げたまま、口を閉じるのを忘れている。
「俺は、犬ではない神だ!」
子犬が少女に言った。
正体を明かすには訳がある。
「こいつは嵐という、俺は佐伯真魚だ…」
真魚も自らの出自を明かした。
感じ取った未来の心象。
真魚も嵐も、似ていたのかも知れない。
「え、ど、どういうこと…」
少女の頭が、混乱している。
勿論、神など見たことがない。
しかも、初めて見る神が、犬の姿をしている。
その事実に、思考回路が焼かれている。
「あっ!」
突然、少女の思考が繋がった。
「そう言うことか!!」
「空も同じだったんだ!」
少女はそう言って、木の上を見上げた。
木の枝に、大きな梟ふくろうが止まっていた。
その梟の足と、少女の左手が革紐で繋がれている。
少女が木に繋がれていたのではなく、
繋いだ梟が木に隠れたのだ。
「真魚、この梟、耳があるぞ…」
子犬の嵐が珍しそうに見ていた。
「珍しい、木菟だな…この国には少ないはずだ…」
真魚はそう言いながら、嵐の毛を一本抜いた。
「おい、俺の毛を何に使うつもりだ…」
嵐は嫌がったが、真魚はお構いなしだ。
その毛を左の手の平に載せ、呪を唱えた。
そして、手の平に、息を吹きかけた。
「大丈夫だと言ってやれ…」
真魚がそう少女に言った。
「その木菟にだ…」
「え?」
真魚の言葉に、少女がようやく反応した。
「空、おいで大丈夫よ…」
少女が手を伸ばすと、木菟は左腕に留まった。
「よし、よし…」
少女は木菟の頭を撫でた。
少女の左腕には、分厚い皮が巻かれていた。
それが、長めの手袋になっている様だ。
木菟の鋭い爪から、自らの手を守る為だ。
「不思議だ…あれほどおびえていたのに…」
少女には、その答えが見つからなかった。
「神を畏れぬ生き物など存在しない…」
真魚がそう言った。
木菟の本能が、そうさせているだけだ。
「本当に…神様?」
少女の疑いは晴れない。
だが、普通の子犬であれば、一撃で倒すことが出来る。
「空がこんなに怯えるなんて…初めての事よ…」
その子犬に、木菟の空が怯えている。
その事実が、少女に嘘では無い事を伝えていた。
「私は未羽、この子は空よ…」
そう言って、少女は木菟の頭を撫でた。
その手つきで、少女の空に対する心が分かる。
「この辺りは、禁野ではないのか?」
真魚が未羽に聞いた。
「それで、困っているのよ…」
「私達はこれで生きているのに、勝手に禁野にされてもねぇ…」
未羽が、倭の国に呆れ果てていた。
「まだ、この辺りは大丈夫だけど、あのあたりはだめね…」
未羽がそう言って、指を指した。
その先に湖が見えた。
近淡湖。
この国で、一番大きい湖である。
その向こうの山を越えれば都がある。
「あなた、貴族なの?」
未羽は真魚に尋ねた。
名前からすれば貴族のようだ。
だが、薄汚れた着物、その他の様子から見れば、
疑われても不思議はない。
「生まれはそうだが、そろそろ退屈してきたのでな…」
真魚は未羽にそう答えた。
「退屈?貴族の暮らしがか!」
未羽は、真魚の答えを笑い飛ばした。
「何一つ不自由のない暮らしが、退屈だと…」
未羽は畏れもせず、真魚にそう言った。
「見かけは良いが、中身が腐っている果物もある…」
真魚はそう言って笑った。
「腐っている?・…貴族の暮らしが…」
未羽がその例えに呆れていた。
「私にはどうでもいいことだが…」
「生きる邪魔だけは、しないでもらいたいものだ…」
そう言って都の方角を見ている。
あの男を見ているのであろう。
ぐううぅぅう~
突然大きな音が聞こえた。
「神様も腹が減るのか…?」
未羽が嵐を見て、笑っていた。
「その空とやら、役に立つのか?」
嵐は美羽の疑問に、態とそう言った。
「役に立つだと!」
嵐の言葉が、未羽の心に火を付けた。
「見せてやる!ついてこい!」
未羽が、左腕に空を乗せて歩き始めた。
続く…