空の宇珠 海の渦 外伝 魂の器 その二十二
住職は、眠りについていた。
深い眠りであった。
その側で、清が眠っていた。
「おや、おや…」
「お主らは見つからぬように見ておけ…」
後鬼がそう言うと、前鬼と肩を組んだ。
二人の身体が揺れる。
その揺れがひとつになっていく。
「うそだ…」
その姿を見た弦と千潮は、驚きを隠せない。
目の前に大きな天狗が現れた。
頭が天井に届きそうになっている。
天狗は住職と清の鼻に、薬を少しだけ詰めた。
げほっ!げほっ!
二人が同時に目を覚ました。
目の前に大きな天狗がいた。
「あああ…うぁああ~」
二人は床を這いずり回った。
だが、二人とも腰が抜けて、思うように進まない。
まるで、二匹の水黽が水の上で、絡まっているようであった。
手足をばたばたさせて、あえいでいた。
弦と千潮は、笑いを堪えるのに必死であった。
がしっ!
その二人の背中を、天狗の大きな手が押さえた。
「こら!お主ら!」
天狗は態と、声を張り上げた。
「はははっは、はいっ!」
住職の声が、震えている。
「神や仏の前で、暴力を振るっているようだが…」
「いえっ、あれは、あれは修行でございまして…」
「修行だと…おかしいのう…」
住職の答えに、天狗がそう言い返した。
「何が…何が…」
住職は怯えていた。
「神や仏に会うことは、喜びではないのか?」
「それが、修行の目的の一つではないのか?」
「そ、そうでございます…」
住職は、頭を抱えたまま動こうとしない。
「では、なぜお主は、この私を畏れるのだ?」
「ひょっとして…」
「お主は、神や仏に会ったことがないのか!」
「は、はい、そのようなことは今まで一度も…」
「そのような者が、修行を施すのはおかしいではないか?」
大天狗は、その間違いを正した。
「神の御心を知らぬなら、もう一度やり直せ!」
「その修行とやらをな…」
大天狗は態と声を荒げた。
「そうだな…弦という若いのに尋ねるが良いぞ…」
「げ、弦に…私が…」
住職にとっては、受け入れられない言葉であった。
「神の宝珠を持っておる…」
「神の…宝珠を…」
更に、信じられない言葉を聞いた。
「そして、そこの女!」
「はははっは、はいっ!」
清は、手で顔を覆っていた。
「使用人の分際で、何をえらそうにしておる!」
「な、何のことでございましょう?」
清は知らぬふりをした。
「あの、千潮とか言う女に暴力を振るっておったのう…」
「ここは、神と仏の御前であるぞ…」
大天狗は、片手で清を持ち上げた。
宙に浮いた清が、手足をばたばたさせている。
「た、助けてください…!」
清は天狗に懇願した。
「お主には分からぬと思うが、あの娘は天女の使いじゃ…」
「天からこの寺に遣わされた者じゃ…」
「ま、まさか…千潮は遠い親戚の…」
清は見たものでしか、判断出来ない。
「身体は借りの姿じゃ…問題は中身じゃ…」
大天狗は清の顔を自らに向けた。
「天女の遣いに手を出して…」
「よくぞ!今まで!生きていられたものよのう…」
「まぁ、天女の懐の深さに、感謝するのだな…」
「良いか…今後は、あの娘に手を出すな…」
「恐ろしい事が起きるぞ…」
「は、はっ…」
清の返事は曖昧であった。
「その証拠に…明日の朝、娘の顔を見てみろ!」
「お主が殴った傷が治っている筈だ…」
大天狗は清に、事実を埋め込んだ。
「今度、二人に何かすると、天罰が下ろう…」
「わかったな…」
住職と清の意識はここまでであった。
馨しい香りの中で、二人は仲良く眠りについた。
前鬼と後鬼は、合体を解いた。
「ふう…」
前鬼は額の汗を拭った。
「何をへこたれておるのじゃ…」
後鬼が前鬼に渇を入れた。
「儂らの秘密を知ったからには、ただでは置かぬぞ…」
後鬼は、そう言って弦と千潮を睨んだ。
だが、その口元は笑っていた。
「あれで…大丈夫なの?」
千潮が心配している。
「自尊心が強い者ほど、受け入れ難いのじゃ…」
「これからは自らとの戦いになろう…」
「だが、それでよいのじゃ…」
後鬼がいった。
「お主らは、普通にしておれ、何も起こらぬはずじゃ…」
「これは、自らが自らにかけた呪いじゃ…」
前鬼はそう見ていた。
「でも、何だかかわいそうだな…」
弦がそうつぶやいた。
「でも、おかしかった」
千潮は二人の姿を思い出していた。
「人って、驚きすぎると、あんなふうになるんだ…」
千潮が手の平で、口を押さえて笑っていた。
「笑ったら…今までのことが、嘘のよう…」
千潮はそう言って、胸の中のものを確かめた。
それは、確かに存在していた。
「恐らく…明日の朝、お主らの顔を見に来る…」
「顔の傷を確かめにな…」
後鬼が未来を見ている。
「どう言えばいいの?」
弦が後鬼に聞いた。
「夢で神様を見た、とでも言っておけ…」
「奴らには…それで十分じゃ!」
後鬼はそう言って笑った。
「奴らの顔が目に浮かぶわ…」
前鬼も、笑っていた。
続く…