空の宇珠 海の渦 外伝 魂の器 その十四
「あそこか…」
こちらからは見えない。
岩場の陰に、後鬼は飛んだ。
岩場に一人の男が打ち上げられていた。
後鬼が側に行き、手を当て確かめた。
男の片足がおかしい。
もぎ取られたように、一部が無かった。
「どうなんだ…」
側に来た前鬼が、後鬼に聞いた。
後鬼は、黙って首を横に振った。
後鬼が、理水の瓶を出した。
蓋を取り、男に一滴だけ落とした。
金色の光が、男の身体を包んでいく。
男がうっすらと目を開けて、口を動かした。
「あ…」
その言葉は、聞こえなかった。
そして、手に握りしめていたものを、後鬼に渡した。
「これは…」
後鬼が、言いかけて止めた。
男は目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。
それが、この世での最後の呼吸であった。
後鬼が与えた最後の力。
それが、この世との、別れの儀式になった。
亡骸だけが、ひっそりと残された。
「海賊の一味か…」
前鬼が、その男をそう判断した。
「この傷は…」
無惨にも、肉がもぎ取られている。
今まで息があったことが、奇蹟と言えた。
「鰐わにか…」
後鬼はそう判断した。
「そう言うことか…」
「真魚殿が見た光…」
「海賊共は、鰐に襲われたこの男を、捜しておったのじゃな…」
前鬼が昨夜の出来事を結びつけた。
「これも何かの縁じゃ…葬ってやるか…」
後鬼の手の平に残された想い。
それを、見つめながら、後鬼は言った。
「父ちゃん、一つも鳥がいないよ…」
聡真は、いつもとは違う何かを感じ取っていた。
「今日は、良くない日ということだ…」
父の万次が、そう言った時であった。
「何だ!あれは!」
聡真が何かを見つけた。
海の上に何かが突き出ている。
「こっちに来るよ!」
聡真の叫びで、万次がその方向を見た。
「いかん!鰐だ!」
万次が叫んだ。
「鰐だ!皆逃げろ!」
万次の叫びで場に緊張が奔った。
漁師の仲間達は身構えた。
銛を持って、逃げながらその時に備えた。
「あんな大きな鰐…見たことがないよ…」
海面に出た背びれが、異様なほど大きい。
それが、近寄ってくる。
「父ちゃんそっちは!」
「聡真、銛を持っておけ、俺たちがおとりになる…」
万次は、沖に船を漕ぎ始めた。
大きな背びれが、近寄ってくる。
もうすぐと言うところで、背びれが海に消えた。
「落とされるな!しっかり持っておけ!」
万次は、次の動きを見据えて、そう言った。
だが、次に背びれが見えた時、船の向こうであった。
「皆が…」
万次は、水の中に足を突っ込み動かした。
魚が痙攣するような振動が、水の中を伝わっていく。
その瞬間、背びれが横を向いた。
大きい。
横になったことで、改めてその大きさを感じた。
向きを変えて向かうのは、聡真と万次の船だ。
それ以外は何も無い。
聡真は、船の前で銛を構えた。
手足が震えていた。
「来るぞ!」
万次の声と同時に、巨大な口が船を嚙んだ。
「聡真、目だ!」
聡真が銛を鰐の目に投げた。
銛は見事に突き刺った。
鰐が首を振った。
「ああっ!」
船が噛み砕かれ、二人は海へ投げ込まれた。
続く…